十九章 歪んだ現実 後編
次の日、蓮が渋谷のセントラル街に行くと風花と川口がいることに気付いた。
「風花」
声をかけると、二人は蓮を見て「あ、蓮!どうしたの?お出かけ?」と尋ねてきた。
「まぁ、そんなところ。二人は?何か嬉しそうだけど」
「あ、蓮、聞いて!あいがね、また凛条高校に戻ってくるって!」
なるほど、これが風花の望んだ「現実」か。親友と過ごせるという。
「久しぶり、成雲さん。私のこと、覚えてる?」
「川口 あいさんですよね?」
「覚えててくれたんだ」
当たり前だ、仲間の親友だからというものあるが、あんな事件があったのだから。
でも、彼女からはそんなことがあったとは感じられない。やはり、現実が塗り替えられている。……二人共、幸せそうだ。
「親の都合で転校しちゃった時は悲しかったけど、これでよかったよね!」
「うん。やっぱり凛条高校はバレーの強豪校だし、親を説得したら理解してくれて」
二人は嬉しそうだ。この様子だと、狛井も学校に残っていそうだ。しかも、「いい教師」として。
じゃあ、自分のしてきたことは一体……。
心に影が落ちた気がした。
「あ、そうだ、蓮。一緒にクレープ食べない?」
「今、幸せか?」
風花の言葉を無視し、蓮は彼女に聞く。
「え、幸せって……当たり前じゃん!あいが戻ってきてくれて、蓮もいて、あんな事件、なかった方が……あれ?おかしいな」
なぜ、親友が転校することになった?自分が怪盗団に入ったきっかけは?
「クレープ、また今度ごちそうになるね。風花の選ぶやつはおいしいから」
蓮はそう言ってその場から立ち去った。
次の日、駅前にもみじと秋川がいた。
「もみじ、お姉さんとお出かけ?」
蓮が尋ねると、彼女は「あ、蓮。そうよ、今からお買い物に行くの」と答えた。
「今度、お父さんの誕生日でね、何か作ろうと思うの」
「えぇ。ほらもみじ、何買うの?」
これが、もみじの望んだ「現実」。尊敬する家族と過ごせる。……話を聞く限り、父親も「生きている」ということらしい。秋川も、最初から歪んでいないことになっている。
「蓮もその日時間あるかしら?一緒に食べない?」
「お父さんと過ごせて楽しい?」
蓮の言葉にもみじは首を傾げたが、
「うん、もちろん」
嬉しそうに頷いた。それを見て、心の影はますます深くなった。
「秋川さん……花子さんは優しい?」
「お姉ちゃんはいつも優しいよ。いつも私を一人で支えてくれて……あれ?」
姉はなんで検察官になった?尊敬する父親は?
「食事、せっかくだけどお断りするよ。また今度誘ってくれ」
悲しげな笑みを浮かべながら、蓮はその場を去った。
次の日、学校前に行くと良希が陸上部の人達に囲まれていた。
「良希、どうしたんだ?」
蓮が聞くと、陸上部の人達が「こいつ、大学の推薦決まったんだって!」と嬉しそうに言った。そこから良希に対する疎みは一切ない。
「馬鹿、まだちゃんと決まってねぇっつーの」
これが、彼の望んだ「現実」。陸上を続けることが出来る。
……もし彼が陸上を続けていたら、会うことはなかったんだろうな。
他人事のように思う。認めたくないという気持ちが大きいのだろう。
「それより蓮、学校に何しに来たんだ?」
「陸上が出来て嬉しい?」
良希の言葉を無視して尋ねる。
「いきなりどうしたんだよ?まぁ、嬉しいけどよ」
「足は大丈夫?」
もし、狛井が「いい教師」としているのなら、足なんてやられていないハズだ。
「おう!もちろんだぜ、狛井に足やられた時はどうなるかと……あれ?なんか、おかしくね?だって、狛井はいい奴で……」
どうやって蓮と出会った?足がやられた理由は?
「足、気を付けてね。お前が「また」走れなくなったら悲しいから」
そう言い残し、蓮は去って行った。
次の日、秋葉原に行くとりゅうが母親と藤森と一緒に何かを買おうとしているところだった。
「りゅう、何買うんだ?」
蓮が話しかけると、彼は「ゲームを買いに来たんだけど、限定版とかいろいろあって迷ってるんだ」と答えた。
「ほら、蓮も来たことだし早く決めろ。こいつも一緒に食事に連れて行けばいい」
「あら、正平ったら太っ腹。おいしいもの食べさせてくれるって」
りゅうの母が嬉しそうに言っている。本当に生きている人のようだ。でも、彼女はもう、死んでいるのだ。人の生死すら操ってしまう開原って一体……。
「ほんと?じゃあしょうへいのカレーがいい!」
「いやそれ、いつも通りじゃねぇか」
藤森はまんざらでもないような顔を浮かべている。彼としても喜ばしいのだろう。大切な人達に囲まれて過ごせるのだから。
じゃあ、ボクは?
自分の居場所は、ここにあるのだろうか?……どこにもないように見える。だって、皆笑顔なのに一人だけ渋い顔をしているのだから。
「蓮もそれでいいでしょ?」
「うん。藤森さんのカレーは「特別な味」だもんね」
蓮が言うと、りゅうは「だって、しょうへいが作ったカレーだもん!」と笑った。
「あれ?なんか、おかしい」
お母さんは研究してて……。どうなったんだっけ?
「りゅう、前に進もう」
「当然だよ、前に進んで……って、どういう意味?」
なんで蓮がファートルに来た?自分はどうやって前に進むことが出来たのか?
「せっかくだけど、ボクまだ寄るところがあるんだ。今度また一緒に食べようね」
胸が締め付けられたまま、蓮はその場を去った。
次の日、吉祥寺に行くとほのかが咲中と歩いていた。やはりと言うべきか、咲中は捕まっていないらしい。
「ほのか、何してるんだ?」
尋ねると、ほのかは「咲中さんと次の店舗の視察に来たの」と答えた。
「へぇ、お父さんの会社と合同で?」
「えぇ。初めてのことだから心配なんだけど」
「ほのか、この人は?どこかで見たことある気がするんだけど」
咲中が聞くと、ほのかは「学校の先輩で成雲家のご令嬢さんだよ。きれいな人でしょ?」と答えたので彼は納得したようだ。
「あぁ、成雲家の。初めまして」
「初めまして、成雲 蓮と申します」
挨拶すると、「フィアンセがいつもお世話になっているみたいだね。お茶でもしていくかい?」と聞いてきた。そこから下心は全く感じられない。まさに紳士だ。悪人の面影はどこにもない。
……こんなに優しかったなら、きっと改心させなくてもよかっただろうに。そうすれば捨て駒として使われることもなかったのに。
「そうだね、休憩がてらお話しするのもいいかも。どうかしら?」
「咲中……さんと一緒にいられて幸せか?」
その言葉にほのかは首を傾げたが、
「うん、幸せだよ」
と答えた。そこに迷いがない。なんで、苦労して魔の手から彼の命を助けたのか分からなくなった。
「この先はどうする?」
「この先は咲中さんと結婚して、会社を盛り上げて……あら?なんか、おかしい気がする」
なんで蓮は自分と関わるようになった?怪盗団は何のために?
「せっかくだけど、ボクがいると話したいことも話せないだろうから断るよ。また今度一緒にお茶会をしよう」
つらい気持ちを隠して、蓮は元来た道を戻った。
次の日、上野の美術館に行くと裕斗が何かの作品を見ていた。そちらに行くと、それは「サヤカ」だった。子供が塗り潰されていない、真実の「サヤカ」。
「あぁ、蓮。ちょうどよかった、君に連絡しようと思っていたところだったんだ」
蓮が来たことに気付いたらしい、裕斗が話しかけてきた。そして、「サヤカ」を満足げに見つめた。これが彼の望んだ「現実」らしい。
「母さんの作品がようやく評価された。これも先生のおかげだ」
「先生?」
「白野先生だよ。君も知っているだろう?」
やはり、怪盗団のことは冬木 昭人のこと以外なかったことになっている。自分のやって来たことは、一体何だったのだろうか?もう、何もかも分からなくなってしまった。
「俺も、先生のもとで勉強出来て嬉しいよ」
「白野……先生に何かされていないか?」
虐待のことを思い出し、蓮が尋ねると裕斗は「されてないさ。あのお優しい方が何かするものか」と答えた。嘘を言っているようには思えない。
……この様子だと、自殺したという兄弟子もいるのだろう。久重も絵の道を着実に進んでいるに違いない。
「「サヤカ」は素晴らしいよ、本当に」
「「サヤカ」?いや、この作品はそんな名前ではないが……君が教えてくれただろう?「遺された日々の思い出」と……」
そこで裕斗は何かがおかしいことに気付いた。
なぜ、自分は蓮に救われた?この作品はどうやって?
「白野先生に何かされてないんだったらよかった。絵の勉強、頑張れよ」
声が震えていなかったか心配になりながら、蓮は美術館を出た。
夜、一階で愛良と情報共有をしていた。
「開原について調べてきた。どうやら奴は認知世界、すなわち幻想世界について調べていたみたいだ。そして幻想世界を使って人の心は癒せないものかという研究を続けていた。研究所も建てられる予定で招致されるハズだったんだが、それは実現せず。研究も打ち切られている」
「その研究所が、あの競技場の場所だったってわけか」
蓮の確認に愛良は頷く。
「その通り。そして、研究を取り上げられたのは冬木 昭人が関係している可能性が高い。その冬木 昭人は怪盗団のおかげでこの現実でも捕まっているらしいな。ただ、光助もお前も、大した罪は犯していないことになっている。開原の言うように、お前の前歴もなかったことになっているし、お前がこっちに来た理由は両親が出張で家にいないからということになっている」
「そうか……」
そういえば、りゅうの母親も幻想世界を研究していて、それで殺されたことを思い出す。それに、やはり父親は何もしていないことになっているらしい。
「お前の方は?仲間達に会ってきたんだろ?」
愛良の言葉に蓮は言葉を詰まらせる。しかし、
「愛良、隣来ていい?」
聞くと、彼は「あぁ」と頷いた。蓮は愛良の隣に座る。彼女は俯き、彼に尋ねた。
「……ボクのやったことって、間違っていたのかな?」
「どうしたんだ?急に」
「だって、皆はボクが来る前の世界を望んでいるんだ。ボクなんて、必要なかったんだ。ボクの今までの軌跡は皆の中にはどこにもない。だって、そうでしょ?腐った「現実」には腐った大人なんていないんだから」
話しているうちに涙が出てきた。こんな「現実」を打ち付けられて、我慢出来るハズがない。
愛良は蓮を抱きしめる。唯一彼だけが、蓮のことを見つめてくれていた。つらいことも苦しいことも、楽しいことも嬉しいことも、一緒に共有してくれた。
蓮が泣き止むと、愛良は彼女に聞いた。
「明日はどうするんだ?」
「……ボク一人で行くよ。この現実は認めてはいけない。皆には悪いけど、ボクは認められない」
守り神として、この現実は受け入れてはいけないのだと、蓮は答えた。
「オレはどうすればいい?」
愛良が聞いてきたので蓮はすぐにこう言った。
「ここにいてくれ。万が一、夜になっても戻ってこなかったら何かあったと思ってほしい。その時は一人でも来てくれ」
「分かった。……本当にオレがついていかなくっていいのか?」
愛良の確認に蓮は頷く。心配してくれるのはいいが、今この「現実」をおかしいと思っている人がいなくなったらこの世界がどうなってしまうか分からない。だからこの決断は間違っていないと信じたい。
次の日、ジョーカーは開原のデザイアに来た。あのロビーまで行くと、また放送が鳴ったので指示に従い、前と同じ場所に行った。そこには開原の姿。
「仲間達の様子を見てきたんだね。さぁ、君の結論を聞かせてくれないか?」
開原が期待を込めて聞いてくる。ジョーカーはその期待を裏切るように首を横に振った。
「この現実は認められない。確かに、オレは人間が作ったこの世界の守り神です。あなたの言い分もよく分かる。だが、このやり方は間違っている」
「……交渉決裂、か。暴力は、あまり好かないけど」
開原はエネミーを呼び出した。ジョーカーはレイピアを握る。そこでふと思った。
――皆はどっちがいいのだろうか?
その迷いが戦闘にも出てしまった。何度もレイピアで斬り付けたり呪文を唱えたりするがエネミーには当たらなかった。しかし、エネミーの攻撃は避けきれず、傷だらけになってしまう。体力と気力だけが削られていく一方だ。
不意に風が吹き荒れ、ジョーカーは飛ばされてしまう。壁に身体を打ち付け、頭から血が流れた。追い打ちをかけようとエネミーが力をためている。
(オレも、ここまでか……)
目を閉じ、来る痛みに備える。しかし来るハズの痛みは襲ってこなかった。目を開くと、そこにいたのは黒い髪。
「クラウン……」
「大丈夫か?ジョーカー」
「おい、クラウン!恋人がピンチだからって突っ走るなよ!」
どうやらクラウンがジョーカーを守ったらしい。それに続いて仲間達が来た。
「ジョーカー、その怪我……!」
クピドが姉の様子を見て慌てたように近寄る。テュケーが回復呪文を唱え、その怪我を治した。ただ、大きな怪我は治りきらなかったのかそこだけ一段と痛んだ。
「今はあいつを倒せばいいんだな?」
「ま、まぁそうだけど……」
クラウンはともかく、なんで皆は来たんだ?開原の現実にとらわれていたハズなのに。
しかし、ジョーカーが不信に思っていることに気付いていないのか、皆がエネミーを倒した。
「開原先生ですよね?なんでここに?」
ウェヌスが開原を見て、驚いたような声を上げた。
「彼がこのデザイアの主だからだ。それと、この歪んだ現実を作った張本人」
クラウンが彼に代わって答えると、ジョーカー以外は全員驚いた顔をした。
「……君達の幸せのためなんだ」
開原が呟くと、マルスが「そんなの望んでねぇよ!」と叫んだ。
「本当に、そうなの?」
それに答えたのは、意外にもジョーカーだった。身にまとっている白い服は、小さな白い羽は神の言葉を伝える者のようだった。今はそれほどに、彼女が恐ろしかった。
「それは……」
マルスが言いどよんでいると、開原は「君達が反逆することは分かった。改心を狙うならそれでもいい。でもまだ話し合いの余地はあるハズだ。そうだね、二月四日だ、そこで最後の結論を聞こう。君達の考えが変わらなければ、今度こそ力で決着をつけなくてはいけなくなる。そうなることは望まない。でも、僕だって譲れないんだ」と言ってその場から消えた。
「反応、なくなった」
「追いかけるのも無理そうね」
ヘルメスとアテナの言葉に全員納得し、一度帰ることにした。
「それにしても、蓮。危険だったじゃねぇか。死ぬところだったぞ」
良希の発言に蓮は何も言い返さなかった。いつもなら彼女一人だけでもあのエネミーに勝てただろう。それなのになぜ今回はあの危機に陥ってしまったのか、誰にも分からなかった。
「良希、蓮だって無敵じゃないんだ。そんなこと言うな」
裕斗の言葉に良希は「……わりぃ」と謝った。
ファートルに戻るが、全員が静かだった。そんな中、口を開いたのはりゅうだった。
「あ、あのね!蓮がお台場に行った後、皆ここに集まったんだ」
それは、蓮が出かけて一時間後。良希が最後にファートルに集まった。
「お前ら……」
「結局、皆集まっちゃったね」
ほのかの言葉を最後に、皆が黙ってしまうと、風花が「あのさ」と話し出した。
「あたし、蓮に言われたんだ。今、幸せかって。初めは何言ってるか分からなかったけど、だんだん苦しくなってきて」
その言葉にもみじも頷く。
「私も。それから、違和感があって……」
「なんで蓮が来たのかも、どうしてあたしが怪盗団を始めたのかも、何もかも分かんなくなってて……」
愛良はそれを静かに聞いていた。再び全員が黙ってしまう。すると突然良希が「あぁ、くそ!やっぱ頭使うの苦手だわ!」と叫んだ。
「あのさ、俺ら皆、大事なことから逃げちまってんじゃねえの?」
単純な、しかし的を射たその言葉に全員がハッとなる。
「ずっと考えてたんだ。蓮に言われて苦しかったのって、蓮の言葉が正しいと思ったからかもって。でも、それを認めるのが怖くて、目をそらしちまって」
良希の言葉に納得する。確かにその通りだ、蓮は何かを知らせようとしていたに違いない。
「確かに、姉さんはいつも正しいことを伝えてくれる。真実に気付かせてくれる。そんな人だ」
「今あるこの繋がりは、確かなものだと信じたいものだ」
裕斗の言葉に全員が頷く。
「今ここで何もしなかったら、蓮との繋がりが本当になくなってしまう。これも、「確かなこと」の気がする」
「でも、その「何か」に気付いてしまったら今が壊れてしまいそうで怖い。だけど、このままでいるのも嫌だ」
風花とりゅうの言葉に口を開いたのは義明。
「そう、だよな。俺は今、確かに幸せだけど、このまま何かを見失うのは嫌だ。逃げるのは、もう終わりだ!」
その言葉とともに、何かが割れた音が聞こえてきた。それと同時に、全てを思い出す。
「光助、なんでお前ここにいるんだよ!出頭してたんじゃねぇのかよ!?」
「オレだって分からないよ!なんで急に釈放されたんだ?」
「俺達は一体なぜ……?」
裕斗の言葉に全員が疑問符を浮かべる。
「どうするんだ?蓮は今、お台場に行っているが」
愛良がそう言うと、「なんでそのことを知ってるの?」とりゅうが聞いてくる。
「オレと蓮はこの「現実」がおかしいことに気付いていたからな。蓮には待っとけと言われてたんだが」
「でも、なんでお台場?あそこに何もないわよね?」
もみじが確認すると、愛良は皆を見て、
「デザイアがある、と言ったら?」
その言葉に皆が息をのむ。まさか、一人でデザイアに行ったというのだろうか。
「そうだとしたら危険じゃん!早く行かないと!」
風花の言葉に全員頷いた。それを見て愛良は皆をお台場に連れて行った。
「で、そこからは本当にデザイアがあって、あとは知ってる通り」
りゅうが話し終えると、蓮は下を向いたまま呟いた。
「……なんで助けに来たの?」
「え?」
何を言っているのか分からなかった。まるで助けに来なくてよかったと言いたげだ。こんなぶっきらぼうに突き放そうとする蓮は初めて見た。
「この世界は開原先生の力が充満している。一か月もすれば開原先生の「現実」が本当になってしまうんじゃないかな?」
「なぜそんなことが分かる?」
愛良の言葉に「だてに幻想世界で生まれた守り神じゃないよ」と答えた。
「お父様の時と同じだ。世界は今、幻想世界と融合しようとしている。……正確には、開原先生のデザイアと」
「それって危険じゃね?」
良希が言うと、蓮は頷いた。
「だから、止めないといけない」
「だったら」
「でも、皆は開原先生の作った「現実」の方がいいんだろ?」
蓮の責めるような言葉に誰も言い返せなかった。事実、蓮に言われなかったら今も開原の作った「現実」に閉じ込められたままだっただろう。
「それは」
「言い訳は聞きたくない。愛良、行こう。ここにはボクの居場所なんてないから」
光助が何か言おうとするがそれを一蹴して蓮は立ち上がり、愛良に話しかける。愛良は「分かった」と蓮についていく。
「どこに行く気だ?」
裕斗が止めようとするが、蓮は振り返らない。
「さよなら。皆のこと、愛しているよ」
裏切られた今でも。
そう言い残し、蓮と愛良はカバンを持って下に降りて行った。呆然としていたが、ファートルの扉が開く音が聞こえ我に返る。
「蓮!」
皆して慌てて下に降りてきたものだから藤森に「どうしたんだ、お前ら」と聞かれた。
「蓮と愛良は?」
裕斗が尋ねると、彼は疑問符を浮かべた。
「今、どっか行ったが。なんだ?あいつらなりに用事があるんじゃないのか?いつもそうだろ?」
その言葉にりゅうが泣き出す。それを見た彼は慌てた。
「ど、どうした?あいつらに何かされたのか?」
「逆だよ、僕達が二人にやったんだ。しょうへい、どうしよう。蓮と愛良、戻ってこないかもしれない……」
「何かあったのか?」
ただごとではないと悟った藤森は他の人に聞く。事情を話すと、藤森は悩んだ後、
「待っておくしか出来ないだろうな。蓮だって愛良だって、何も考えずに出ていくような奴じゃないだろ?」
「そうだけど……」
でも、今回はそんなものじゃない。彼だって気付いているハズだ。自分達は蓮を裏切ってしまったのだ、自分達の「望んだ現実」によって。
「頭が冷えたら、あいつらも帰ってくるさ。だから心配すんな」
藤森に言われ皆は俯いた。本当に帰ってくるだろうか?そんな不安を抱えながら。
次の日の始業式にも、蓮と愛良は来なかった。長谷が風花に「成雲さんと雨宮君はどうしたの?」と聞いてきたので彼女にも事情を話す。
「そんなことが……」
「あたし、蓮を裏切っちゃった。蓮はいつも、あたし達のために動いて、自分の父親さえ改心させたのに」
「春鳴さん……」
長谷は泣いてしまう風花に何も言うことが出来なかった。
その頃、蓮と愛良は開原のデザイアにいた。蓮は、今回は愛良と同じ黒いロングコートだ。
「今回はそれで来たんだな」
「別にいいじゃん。今はこっちの方が慣れてるんだし」
ジョーカーは地図を見ながらエネミーを倒して進んでいく。
「研究所ってだけあって広いな」
「そうだね。安全地帯も見つけたし、ここで一度帰る?」
ジョーカーの言葉にクラウンは頷こうとした。しかし、ジョーカーの後ろから迫ってくる黒い影に気付き、
「ジョーカー!」
叫んだが、間に合わなかった。ジョーカーも油断していてそれに気付かなかった。それに捕まり、ジョーカーは必死にもがく。だが、放してくれない。クラウンは助け出そうと前に出るが、
「クラウン!お前だけでも逃げろ!」
そう指示を出すのと同時に開原がジョーカーに近付いてきた。
「クラウン、早く!お前だけが頼りなんだ!」
だから早く逃げてくれ!
その言葉にクラウンは「分かった。すぐ、助けに行くからな」と言って出口に向かって走り出した。それを見て、ジョーカーは満足げに笑う。
「成雲さん。君は幻想世界で生まれた守り神みたいだね」
「だとしたら、何ですか?」
開原に問われ、ジョーカーは睨みつける。それを見て開原は「君の力の正体を暴きたい」と言った。
「は?」
何を、言っているのだろう。冷や汗が流れた。
「それに、君を動けなくするためにも。君の血は僕の研究の役に立つハズだ」
その言葉と同時にジョーカーは意識を失った。
目が覚めると、白い天井が見えた。自分はベッドに寝かされていると気付く。腕を見ると、血が抜かれているのが分かった。
「こんなの……」
ジョーカーはそれを抜き、起き上がる。しかし、既にかなり抜かれていたらしく、よろめいた。だが、ここにいたら本気で殺されるかもしれないと無理やり身体を動かす。
せめて出口まででも。
そうすれば誰かに助けを求めることも出来るかもしれないと思って歩いていると、
「ここは……!?」
聞き覚えのある声が聞こえてきた。目がかすんで見えにくいが、彼は。
「おねえさん?そこにいるのは……」
「智樹?なんでここに……」
なぜ、ゲンソウナビを持っていない彼がデザイアにいるのだろうか?
「分からないよ。気付いたらここにいて……」
彼も困ったように目を伏せた。
「ここは危険だ、一緒に出るぞ」
とにかく、脱出する方が先だとジョーカーは智樹と共に歩き出す。
「おねえさん、大丈夫?」
「大丈夫、ではないな。いろいろあって、オレも今から脱出しようとしているところだ」
ジョーカーは笑みを浮かべるが、どこか力がなかった。それに気付き、智樹は周囲を見る。
「ここ、デザイアってやつだよね?おねえさんが前に言ってた……」
「そうだよ、危険な場所だ」
智樹と話しているうちに出口に着く。
「この先に行けば、出られるハズだ」
しかし、出る直前になってエネミーが後ろから迫ってきた。
「智樹!お前は先に行け!」
「でも、おねえさんは?」
「オレはここを食い止める。早く行け!」
強い口調に逆らいきれず、智樹は走って出口から出た。
一人になったジョーカーはエネミーを倒そうとナイフを持つ。しかし、血を抜かれた影響か力が入らずナイフを床に落としてしまう。
「くそ……」
再び捕まってしまい、ジョーカーは部屋に戻されてしまった。
「全く、君って子は」
今度は身体を拘束され、動けないようにされてしまった。
皆がファートルに集まっていると、扉が慌ただしく開いた。そこにいたのは、
「愛良?蓮はどうした?」
藤森の言葉も耳に貸さず、愛良は息を整える。ここまで慌てている愛良を初めて見たかもしれなかった。
「愛良、どうしたの?」
ほのかが聞くと、息を整えた愛良は「今、ピンチなんだ。蓮が捕まった」と言った。
「蓮が捕まった?誰に」
「開原だ。あいつ、蓮に何かするつもりなんだ」
お前達が来ないというなら、オレ一人でも助けに行く。
愛良の言葉に顔を見合わせた。そして、
「リーダーが捕まっているなら、助け出さないと」
「そうだぜ。蓮に何かあったら困るしよ」
皆の声に愛良は笑い、「それじゃあ、ついてきてくれ」と皆を連れて行った。
デザイアの前まで行くと、智樹がその前に立っていた。
「智樹、どうしたんだ?」
愛良が尋ねると、智樹は彼に気付き慌てた様子でその服を掴む。
「大変だ、おねえさんが……おねえさんが……」
「蓮がどうした?」
「ぼくを助けるために、囮に……早く、助けに行かないと……!」
その言葉に愛良は疑問符を浮かべた。
「囮に?お前、デザイアに入ったのか?どうやって?」
「ぼくも分からない。ここら辺を歩いていたら、いつの間にか入ってて……さまよっていたらおねえさんに会って……」
気が動転しているのか、上手く伝えられないようだった。
「ゆっくり話してくれ。蓮はどんな様子だった?」
愛良が彼の肩を軽く掴み、目線をあわせてそう言うと、智樹は一度深呼吸してその時の蓮の様子を伝えた。
「何かから逃げてるって……その時おねえさん、壁を伝いながら歩いてた」
顔を見合わせる。何かから逃げている?壁を伝いながら?
嫌な予感がした。愛良は「ありがとう、すぐに助けに行くからお前は待っててくれないか?」と智樹に言うと彼は「分かった」と頷いた。
ナビを起動し、クラウン達は手分けしてジョーカーを探す。
ジョーカーは半分以上血を抜かれ、動くことが出来なくなっていた。拘束は解かれていたが、あまりの倦怠感に動く気になれない。目もかすんで、何も見えなかった。
(オレ、ここで死ぬのかな……)
いや、まだいける。そう思って身体を動かそうとするが、思うように動いてくれない。力が入らない、と言ったほうが正しいかもしれない。
「あい、ら……」
これで最期だというのなら、彼の顔を見たかった。愛する、恋人の顔を。力を振り絞って、「あいたいよ、あいら……」と言いながら腕を上げる。すると手を掴まれた。
「蓮、大丈夫か?」
クラウンの声だ。神様は最期に自分の願いを叶えてくれたのだろうか?そう思いながら、ジョーカーは意識を飛ばした。
ジョーカーの手は冷たかった。血の気がなくなった顔と、周りの器具を見る限り、ジョーカーは血を抜かれたのだろう。クラウンは息が小さくなっていくジョーカーをおぶって外に出た。
「見つけたのか」
アポロがジョーカーを見て、尋ねる。
「あぁ。しかし、あまり長居するとこいつの命が危ないかもしれない」
「分かった。早く脱出しよう」
走って出口まで向かうと、皆と合流した。
「ジョーカーは?大丈夫なの?」
ヘルメスがぐったりしているジョーカーを見て聞いてきた。その目は泣きそうだ。
「今のところは息がある。だが、早く医者に見せないと危ないだろう」
クラウンが答えると、ヘルメスは俯いた。しかし、ジョーカーの命が危ないと思うとこのままじっとしているわけにはいかないと歩き出す。
現実に戻ってくると、智樹が駆け寄ってきた。
「おねえさんは?」
その質問に愛良は先程と同じ答えを返す。そうしている間にも蓮の息は小さくなってきていた。
「今は早く医者に見せないといけない。智樹、お前も来るか?」
愛良の質問に彼は頷いた。
ファートルに戻り、敷井を呼ぶ。藤森も心配そうに見ていた。
蓮を見ていると、不意に敷井が立ち上がる。
「どうしたんだ?」
愛良が尋ねると、彼女は少し顔をしかめて告げた。
「輸血パックを持ってくる。血を半分以上抜かれているみたい」
まさかそこまでされたとは思っていなかったため、全員が驚いた。普通の人なら既に死んでいるだろう。
敷井が輸血パックを持ってくると、手際よく輸血を始めた。
「それにしても、すごいわね。これだけ抜かれて死ななかったなんて。さすが、守り神と言うべきかしら。それとも、気合かしらね」
「気合って……」
でも、蓮なら気合だけでそんなことが出来るかもしれない。それ程の強さがある。
「事情はこの子が目覚めてからじっくり聞くわ。とにかく今は安静にさせて、目が覚めたら私に連絡して」
敷井はそう言うと、仕事があるのか帰っていった。りゅうは蓮の手を握る。まだその手は冷たかった。
「蓮……早く目覚めてよ。このまま死んじゃうなんて嫌だよ……」
その目からポロポロと涙が流れ落ちる。愛良はそんな彼の肩をポンポンと叩いた。蓮を見ると、呼吸は先程よりちゃんとしていることが分かった。一時はどうなるかと思ったが、案外大丈夫かもしれない。だが、油断は出来ないというのも確かだ。
「俺達はこいつの看病をするつもりだが、お前達はどうする?明日も学校だろ?」
愛良は皆に聞く。彼らは悩んだ後、
「俺達も看病する」
「えぇ。私達のせいでこうなっちゃったし」
「分かった。じゃあ、オレは先に智樹を送って行く」
皆で看病することにした。愛良は智樹を駅まで送り、全員で蓮を看ていた。
次の日の朝方、愛良が寝ずに蓮の看病をしていると、蓮が薄く目を開いた。
「ここ、は……?」
まだ目がかすんでよく見えなかったが、黒い癖のある髪が目に入った。それが誰なのか、分からないハズがない。
「あいら……」
「蓮。大丈夫か?」
まだ気だるくて動く気にはなれない。しかし、少しずつ頭が覚醒すると、開原のデザイアのことを思い出した。
「そうだ、早くデザイアの攻略を……!」
バッと起き上がると、身体がよろめいた。それを愛良が支える。
「蓮、あまり無理はするな。まだ本調子じゃないだろ?」
「でも」
蓮が愛良と話しているうちに敷井が来た。どうやら同じように寝ずに蓮を看ていた義明が連絡していたようだ。
「成雲さん、調子はどう?少し良くなった?」
「敷井さん?えっと、ここは……」
そこでようやくここがファートルの屋根裏部屋だということに気付く。怪盗団のメンバーも蓮が起きたと聞いて飛び起きた。
「蓮!よかった、もう起きないかもって思ってたから……」
りゅうがまた泣き出してしまう。蓮はそんな彼の頭を優しく撫でた。
「それで、何があったの?血が半分以上抜かれてたけど」
敷井の問い詰めるような目に蓮は言葉を詰まらせる。目を逸らすが、
「だんまりは通用しないわよ?」
その言葉に観念して、蓮は愛良を逃がした後のことを話し出した。
「へぇ。それで無茶したんだ?」
「すみません……」
思わず謝ってしまった。血を抜かれてからは戦っていないとはいえ、智樹を助け出すためにエネミーに立ち向かおうとしたのだ。医者に責められても何も言えない。
「あのね。他人のために戦うあなたのその姿は尊敬に値するけど。それで何かあったら何にもならないわよ?」
ほら、おとなしくしてて、と言われ、蓮は従う。敷井は輸血パックをつけた。
「まだ血が足りてないから。今日は学校に行くのも外に出るのも禁止。ここでおとなしくしてなさい。いいわね」
「……はい」
何も言い返すことが出来ず、蓮は渋々頷いた。敷井が帰ると、蓮は窓の外を見る。
「……早く、元の現実を取り戻さないといけないのに」
守り神として、この幸せな「現実」を壊さないといけないのに。
その呟きは自分を蔑んでいるようだった。皆を想うあまり、自分が今何も出来なくて、ここにいる意味が分からなくて、迷っているようだ。
「……ごめん」
不意に、蓮が謝った。
「急にどうしたんだよ?」
良希が聞くと、蓮は窓の外を見ながら、
「ボクは守り神なのに、皆の願いを叶えられない。いや、叶えようと思えば叶えられるんだろうけど、死者を生き返らせるとか、それはボクがしちゃいけないことだから。この現実も、認めてはいけないんだ」
だから、ごめんと蓮は窓越しに寂しそうな顔をする。
「ボクは、皆の望む「現実」を、壊さないといけない」
しかし、彼女のその強い意志は揺るがなかった。死にそうになったというのに。
あぁ、だから彼女は強いのだろう。
どんな目にあっても、決して自分の意志を曲げない。まっすぐに向き合う。それだから、自分達は彼女に惹かれたのだろう。
「……いいよ」
りゅうの言葉に蓮は初めてこちらを見る。その瞳は黒く淀んでいた。今まで、そんな瞳の蓮を見たことがない。
それでも、この想いは伝えないといけないとりゅうは続ける。
「確かに僕はお母さんに生きていてほしかった。でも、それじゃダメなんだよね。蓮に言われた通り、ちゃんと前に進まないといけないよね。僕、蓮の優しさに甘えてた。蓮がいなくなって初めて気付いたんだ。蓮がどれだけのものを一人で背負って、僕達を守ってくれてたか。裏切っちゃったんだから本当は責めてもいいのに、そんなことしないんだもん。確かに蓮は世界の守り神かもしれないよ。でも、その前に蓮だって一人の人間なんだから、元の現実で、幸せになってほしいって願ってる。だって、蓮は僕の、ただ一人の姉さんなんだから」
「元の現実でって……」
その言葉に蓮は驚く。彼女の瞳に光が戻った。りゅうは笑って、
「僕も、この現実じゃダメだって思っている。お母さんだって、きっとこんな現実は望まない。僕が、前に進むことを望んでいる。だから、僕だって戦うよ」
彼の言葉に不意に思い出す。
「そういえば、りゅうのお母さんは?」
あれは、認知存在や幻じゃなかった。りゅうの母親は、確かにあの場にいたのだ。
「僕がこの現実が違うと認識したからか、いなくなったんだ」
「そうか……」
それなら、狛井も白野も咲中も元通りになっているのだろう。蓮の前歴も元に戻っていそうだ。
「それなら、いい」
この現実だからこそ、皆に出会うことが出来て、怪盗団を結成することになったのだ。父親とぶつかり、世界を平和にすることが使命となっていた。そんな現実を捻じ曲げて、何もなかったことにするなんて、蓮には出来ない。
「とにかく、今日は休め。オレ達は学校に行くが……兄貴、任せて大丈夫か?」
「もちろん。ほら、蓮。俺は下から食事を持ってくるから寝てて」
兄の言葉に従い、蓮は横になる。りゅうは一度家に帰り、他の皆は学校に行った。
食事を持ってきてもらって、それを食べると蓮は兄に話しかけた。
「ねぇ、兄さん。愛良にも言ったけど、ボクのしたことは間違っていたのかな?」
誰もいないから、つい弱音を吐いてしまった。
「皆が開原先生の「現実」で幸せそうにしているのを見て思ったんだ。なんでボク、ここにいるんだろうって。皆には、ボクなんて必要なかったんじゃないかって」
そんな蓮の背中を、義明は優しく撫でる。
「そんなことない。蓮は俺達が開原先生の「現実」に閉じ込められていても助けてくれた。蓮がいなかったら俺達は何も知らず、あの「現実」に閉じ込められたままだった。だから感謝している。だけど、りゅうの言う通り、蓮はもっと幸せになるべきだよ。元の現実でさ。蓮はずいぶん苦労したんだから」
「……そう、なのかな」
「蓮はいつも俺達のために動いてくれてるから。俺も蓮に甘えてた。蓮なら、どんなことがあっても助けてくれるって。でも、そんな甘い考えは捨てる。俺も蓮の相棒として平等に立ちたいんだ」
その強い決意は蓮の胸に響いた。
「ありがとう、兄さん」
そう呟き、蓮は顔を逸らした。直球に想いを告げられると恥ずかしくてどうしても目を逸らしたくなるのだ。
「蓮、耳まで真っ赤」
「言うな」
顔が熱くなっていくのが分かる。しかし、この時が愛おしいと思うのも確かだった。
敷井が何度か来て、輸血が終わった後、光助が蓮に「下に行かない?」と言ってきたので蓮は了承する。
「どうしたの?光助」
蓮が尋ねると、光助は「ごめん、姉さん」と頭を下げた。
「急にどうした?」
「オレ、ちゃんと罪を償うって言っておきながら姉さんを裏切った。自分の正義に反した。だから、ごめん」
いつまで経っても頭を上げないから蓮は「そんなことか。もういいよ、終わったことだし」と笑った。
「そんなことって……姉さん、それで死にかけたじゃないか」
光助がようやく顔をあげると、蓮は目線を合わせた。
「誰だって、逃れたいことがあるものだよ。それはボクも理解している。でも、それが出来ないから、人間は神様とやらを作る。人間は弱いから、ボクという守り神を求めた。違う?」
「……違わない」
腐った大人達を成敗するために。弱い者を助けるために。だから、蓮はこの世界にいる。
「でも、ボクだって人間が作った「神」だ。本当の神とは違う。だから、出来ることは限られている。お前の罪をなくすことは出来ないし、自分の前歴を消すことも出来ない。失った人を蘇らせることも出来ない。……まぁ、本気を出せば出来ないことはないだろうけど、それはしたくない。だって、それを含めて「人生」なんだから」
そう答えてやると、弟は頷いた。
「そうだね。姉さんの言う通りだ」
「光助は頑張ってるよ。自分の罪を償おうとしてるんだから。時には逃げてもいいと思う。でも、誰かがお前のことを常に想っていること……それだけは忘れないで」
蓮は弟の手を包み、そう言った。光助は涙を流し、姉に抱き付いた。温かく包み込む体温は彼に幸福を与えた。
次の日、蓮が学校に行くと長谷に「大丈夫だったの?」と聞かれた。
「はい。すみません、無断で休んじゃって」
「あなたが無事ならそれでいいのよ。雨宮君も、無事でよかったわ」
この様子だと風花あたりが話したなと思ったが、蓮はただ苦笑いを浮かべるだけだった。
長谷が去って行くと今度は島田が話しかけてきた。
「始業式から来なかったから心配したよ!昨日は雨宮だけが来てたし、君に何かあったのかって思った」
「あー、いや。何かあったっちゃ、あったんだよな……」
聞こえないように呟いたつもりだが、聞こえていたようだ。「何があったの!?」と顔色を変えて聞いてきた。その気迫に負けそうになるが。
「ここでは言えないこと。聞きたいなら放課後、ファートルに来てくれ」
今日も集まる約束をしているから、と言うと島田は「分かった」と言って引いた。
「あいつ、恋人がいるって知った後も蓮に好意を持っているな」
愛良が言うが蓮には聞こえなかった。
放課後、本当にファートルに島田が来たので事情を説明する。聞き終えた時には顔を青くしていた。
「まさか、開原先生が?」
「大丈夫。開原先生は悪い人じゃないよ。ただ、行き過ぎた善人だ」
他人のことを思いすぎて、おかしくなっているだけ。デザイアは悪人じゃなくても出来るというのはりゅうの時で確認済みだ。
「お前にだってあるだろ?望みとか願いとか」
「うん、もちろんだよ」
「それを全て叶えたいと思っているんだよ、開原先生は。でも、ボクはそれを認めることは出来ない」
その言葉を聞いた島田は一度俯き、そして顔を上げる。
「君の本音は?」
「え?」
「それ、君が守り神だからだよね?現実と異世界が融合しちゃいけないからって。本当は、どう思ってるの?」
そう言われ、蓮は黙り込んでしまう。そんなこと、考えたこともなかった。
ボクは、どう思ってる?
自分と向き合い、じっくり考えてみる。
「……ボクだって、幸せになりたい」
出てきた言葉は、それだった。
「宿命だとか役目だとか、そんなの何もなくても皆と一緒にいたいし、つらいことから逃げたい。でも、それじゃいけないって思ってる」
「なんで?」
「人間はつらいことも楽しいこともあって人生を歩んでいくんだ。ただ、楽しいことだけじゃ人間は成長しない。痛みをなくしたら、人間は「人間」じゃなくなるんだよ」
これが、出した結論だった。守り神としてではなく、「成雲 蓮」として出した答え。
「それが、君の答えなんだね」
「うん。やっぱり、この現実は認めてはいけないんだよ」
それは人間じゃなくなるということだから。
「それでいいんだよ。君も、他人のことを考えすぎて突拍子もないことをし始める人だからね。たまにはこうして、一度立ち止まって考えてみるのもいいと思うよ」
「ありがとう、島田。まさかお前に教えられるとは思っていなかったよ」
確かに自分は焦りすぎていたのかもしれない。ゆっくり冷静になって、どうするのか考えるべきだった。柄にもなく頭に血が上っていたのだろう。
「ぼくも役に立てて嬉しいよ。それじゃあ、ぼくは帰ろうかな。出来ることがあったら何でも言ってね」
そう言って、島田はファートルから出た。それと同時に怪盗団のメンバーが入ってくる。
「島田、なんでファートルにいたんだ?」
「あぁ、蓮と少し話してたんだ」
愛良が下に降りてきて答えた。後ろから義明もついてきている。
「話?どんな?」
「ちょっとね。皆に話すほどではないよ」
そう言う蓮の表情はすっきりしたものだった。こんな顔をすることは滅多にないので不思議に思ったが、それ以上は何も聞かなかった。
「それより、この間はごめんね。話も聞かず勝手に出て行っちゃって」
蓮が頭を下げると、全員「蓮のせいじゃないよ」と言った。
「私達の方もごめんなさい。あなたを裏切ってしまって」
もみじが代表して謝る。蓮は首を振って、
「それでも、もう少し冷静に行動するべきだったって思ってる」
「それは、まぁ、確かにそう思うが」
裕斗の言葉に蓮は下を向いた。そして、自分から島田との会話を話し出す。
「さっき、言われたんだ。君はどうしたいのかって」
「島田に?」
良希の質問にリーダーは頷く。
「今まで、守り神だからってこの現実を否定してた。でも、本当はボクだって幸せになりたいって、そう言ったんだ。でも、だからって全てをなくしちゃいけない。人間は痛みがあるから前に進めるんだって、そう思うから。だから、この現実は認めてはいけないんだって、そう答えた」
「蓮……」
確かにその通りかもしれないと、皆思った。痛みがあるからこそ、人間は成長出来るのだと、そう感じた。自分達がそうだったから。そうやって、蓮と出会い、人生が変わった。
「でも、開原先生の意見も分からないことはないよ。そのためにボクは生まれてきたようなものだから」
痛みを和らげるため。悪者を懲らしめるため。その両方が蓮、いや「レンカ」に与えられた使命だ。どちらか一方がなくなったら、それは「レンカ」ではなくなる。そう思っていた。だから蓮は一人焦り、壊そうとした。
「でも、ボクはボクなんだよね。守り神じゃない、一人の人間なんだ。だから、選ぶ権利がある」
「だから、「成雲 蓮」として選んだんだね」
この「現実」を壊す方を。
光助が聞くと、蓮は頷いた。
「皆は、どっちでもいいよ。ただ、ボクは一人でも行く」
その強い意志に貫かれ、皆は一瞬黙ってしまう。しかし、
「何言ってるの?あたし達だって行くよ」
「確かに、開原先生の作った「現実」は幸せだった。だが、それに浸ってはいられない」
風花と裕斗が言うと、全員が笑った。
「いいのか?今度こそ、開原先生の「現実」にはいられなくなるぞ」
「大丈夫。もう絶対に揺らがないから」
義明の言葉に蓮は微笑んだ。
「それに、怪盗団は全会一致、でしょ?蓮一人で行かせるなんて、絶対にさせないから」
りゅうが告げると、ほのかが「その通りだよ」と言った。
「私達だって、戦う。もう言いなりにならないって決めたんだから」
もみじも、そう言って笑った。愛良を見ると、彼も蓮に微笑み返した。
「オレも、お前と一緒に行くさ」
「よし、それじゃあ一緒に戦おう」
今度こそ、怪盗団は一致団結した。
明日からあの研究施設を攻略しようという話になり、その日は解散した。
夜、愛良に呼ばれ蓮は外に出た。愛良は蓮に背を向けたまま。
「どうした?愛良」
兄達の前では話せないことだろうか。すると彼は初めて蓮の方を見た。
その目は泣きそうだった。初めて見たその顔に蓮は慌てる。
「どうしたんだ?愛良。何かあったのか?」
「お前は、もし自分が消えてしまうかもしれないってなった時、どうする?」
蓮の質問には答えず、愛良は問いかけてきた。
「消えてしまうかもしれないって……」
どういうことだろう?すると彼は蓮の肩を掴んだ。
「お前、今度こそ消えるかもしれないんだぞ。オレを、一人残すつもりか?」
「愛良……」
「今度はお前が、オレを置いて行くつもりなのか?」
その可能性は考えていなかった。でも蓮は幻想世界で生まれたから、確かに消えてしまうかもしれないのだ。ここまで現実を変えられてしまったら、どうなってしまうか分からない。父の時でさえ、一度消えかかったのだ。ありえない話ではない。
しかし、蓮は安心させるように愛良を抱きしめる。思えば自分から彼にこうするのは初めてかもしれなかった。
「大丈夫。ボクは消えないよ」
「何を根拠に」
「ボクは消えない。お前達が望む限りはね」
強い口調だった。強く、しかし弱い期待。
「ボクは、自分が消えることは怖くないよ。でも、お前達を置いて行ってしまうことは怖い。きっと、消える時には皆の傍にいたいって、そう思う」
「だったら」
やめてくれ、と告げようとするその唇を蓮は自分のそれで塞いだ。離れると、呆然としている愛良がいた。
「だけど、それが皆のためなら仕方ないとも思うよ。だってボクは皆の認知によって生かされているんだから。でも、もしボクが本当に守り神であると同時に人間だったら、きっと消えることはない」
確信など、どこにもない。もしかしたら開原のデザイアと共に、消えてしまうかもしれない。でも、自分は消えることはないとどこかで思っている。
「それに、一度消えたってまた会えるよ。ボクは絶対に戻ってくる」
だから大丈夫と、自分にも、愛良にも言い聞かせる。
「レンカ」は世界のために一度、愛する人を殺した。目の前のこの男を。それを何度も後悔した。一緒にいる今だって、その後悔は消えない。だから彼には、そんな後悔をしてほしくないと心から願っている。
「だから、もし仮に、ボクが消えたとしても自分が殺したとは思わなくていい」
蓮の言葉に、愛良は初めて彼女の前で涙を流した。
ごめん、と蓮は心の中で謝る。ごめんなさい、あなたにそんなつらい運命を背負わせてしまって。
「レンカ」
「何?ジョーカー」
「愛してるよ。殺されても、いつも愛していた」
「私もだよ。殺した後も、ずっとずっと愛していたよ」
また昔のように。そんなやり取りをしていた。
殺人者と、殺された者。それでも二人は愛し続け、時を超えてこうして出会った。その奇跡はきっと残酷な運命さえも乗り越えていける。二人はそう信じた。




