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玻璃(ビイドロ)の風が吹く①

※ファンタジーを名乗ってはいますが、剣や魔法はおろか、人間は一人も出てきません。

虫が苦手という方は、脳内で擬人化してお楽しみ下さい。






彼は、長い間ずっとひとりでした。

 彼に命を与えた両親や、数多いたはずの彼の兄弟たちのことを彼はもう覚えていませんでした。みな死んでしまったか、あるいは誰かに食べられるか、それとも風の故郷に近い遠い遥かな所にいるのか、どっちにしろ今の彼にはあまり関係のないことでした。

 彼が今考えていることといえば、壊されてしまった銀色の罠のことや、その修理の見積もり、そして次に獲物にありつけるまでどのくらい星を見なければならないのかという、専ら彼自身の問題でした。


 彼は()()()の梢に棲む一匹の蜘蛛でした。

 彼がここに棲むようになったのはもう二つほど前の春のことですが、最初に彼がこの梢に自分の巣を架け始めた時は、この辺り一帯にセンセーションを巻きおこしたものでした。

 何しろ彼の架ける巣網はそれは美事なもので、彼の同族の者達のなかでもこれほど素晴らしい巣を架けられる者はそう多くはないでしょう。微風にもなびいてしまいそうな繊細な糸を、丁寧に何日もかけて編み込んで作られていく巣は、一旦完成すれば嵐にも耐えられるほど強靭でした。しかし何より素晴らしいのはその巣の外観でした。万年青の葉と葉の間に架けられたそれは、何かの魔法陣のように法則性を持っており、均整がとれてそれだけでも充分典雅でしたが、日の光に透かされ、銀色に輝く様は何とも言えず佳麗で、ましてや雨上り、そこここに水晶のような露を鏤め、洗いたての陽光に煌めいている様は言葉を絶する美しさでした。

 しかし残念なことに、この巣の美しさに溜息することが出来る者はごくわずかでした。大部分の虫達にとって、彼のこの巣は脅威であり、彼がこの梢に美事な巣を架けるようになったのは大いなる災いでした。

 彼らには彼の巣を視ることが出来ません。晴れの日も曇りの日も、どのように光が当たろうと彼のこの巣網は端から見ると何もないかのように見えるのです。彼の罠は非常に巧みでした。彼の巣を見、その美しさを見いだせる幸福な生きものは、彼とその同族、そして彼の罠に掛かる心配のないごく一部の者だけ。それ以外の虫達は、この罠に掛かったが最後、自分の身の上に起こったことすら解らず命を落とすしかないのです。

 故に彼らは非常に彼と、彼の棲まう万年青の梢を恐れていました。この辺り一帯の賢い虫達は極力万年青の葉には近付かないようにしていたので、今年に入って以来彼の罠に掛かるのは不幸な流れ者かよほどの愚か者だけとなってしまい、いささか彼は不満でした。そして性悪な油虫が彼に取り入り、その狩りの片棒を担ぐようになったのもちょうどこの頃でした。


 彼は、時折夢を見ます。

 それは非常に奇妙な夢ですが、目覚めた後決まって罠に餌が掛かるので、彼はその夢を勝手に吉兆と思っていました。

 何しろ彼は不幸な昆虫たちが彼の罠に掛かってくるその時まで、ずっと待っていなければならないのです。時間はあり余るほどありましたし、年中空腹の彼にとって動き回って体力を消耗することはあまり好ましくありませんでしたから、彼は終日(ひねもす)昼寝ばかりしていました。そうして彼は多くの夢を見ましたが、大半は記憶にも留まらぬほど他愛もない夢で、唯一覚えているのがその奇妙な夢でした。

 夢の中で、彼は空を翔んでいました。瑠璃色に明るい、晴れ渡った空を翔んでいました。夢のなかに空は二つ在りました。ひとつは明らかに彼の知る空でした。もうひとつの空は彼の下で煌めき、揺らめいていました。彼にはそれが何なのかが解りません。

 しかしいずれにしろ、そんなことも彼にはあまり関係のないことでした。


……彼は、長い間ずっとひとりでした。そして長い間、彼はそのことを知りませんでした。


                    1


〝花舞う姫よ   

 立ち去りたまえ

 射干玉彦のお出ましぞ――〟


 蝉時雨(セッション)も次第に盛りを増していきます。木漏れ日は眩しさを強め、木々を渡る風は緑の馨しさを孕んでいました。

 青々と活気に漲る風景を横切って、一匹の小さな虫が万年青の梢を滑空していきました。

彼は一枚の葉の上にひらりと降り立つと、俊敏な翅をたたみ、万年青のまっすぐな葉脈に沿って少し歩きました。彼は万年青の緑より少し淡い、黄緑の身体を持っていました。その小さな身体は南風に撫でられつつ、奇妙に堂々としています。

()()(たま)(ひこ)どの。」

 万年青の中枢に聳え立つ枝に向かって、彼は呼び掛けました。枝は何も答えません。万年青の葉は中心にいくほど厚く複雑に重なり合い、深緑の闇を形作っていました。

「射干玉彦どの!」

 苛立つように、小さな彼は葉の上でぴょいと飛び跳ねました。

「ああ、そうか。」

 次の瞬間、彼は思い出したように万年青の上空に飛び立つと、その長くしなやかな翅をばたつかせました。

「射干玉彦!射干玉彦どの!」

 そこにおいて、彼は三度不思議な名を声高に叫びました。ふと、その傍らで闇が動きました。――いや、闇ではありません。それは生きものでした。彼は緩慢な動作で(おもて)を上げると、目の上に居る緑色の小さな羽虫を認め、軽く舌打ちするように言いました。

「おまえか、(なが)()。」

 その顔には隙の欠片もなく、目見は鋭利でぞっとするほど冷たい光を湛えていました。その薮睨みに、思わず長っ翅―― それがこの小さな虫の呼び名でした――は翅の動作を止めて地面に墜ちそうになりました。

「二度と俺の前に姿を現すなと、そう言っておいたはずだが。」

 慌てて態勢を立て直し、長っ翅は答えます。

「お腹立ちのほどは解りますが、射干玉彦どの。もうそろそろご機嫌を直されてもいいのでは? 何しろあの狩りは、狙う獲物の活きが良すぎたという運の悪さに――」

「もういい、皮肉な言葉遣いをするな。降りてこい。」

 命じられて、素直に長っ翅は彼の傍らに飛び降りました。

「射干玉彦などと、呪われた呼び名に敬称まで付けやがって。忌々しい虫けらどもだ。」

 射干玉彦と呼ばれた影は、すっくと立ち上がると(こうべ)を廻らし、しばらく蝉時雨(セッション) を聞いているように見えました。彼の立ったところの光が遮られ、そこら一帯の葉っぱは不気味な緑色に染まります。その影の中にすっぽりと納まってしまった小さな羽虫は、やや眩しげにこの闇色の生きものを見上げました。

 そう、彼こそがこの万年青の梢の(あるじ)小暗(おぐら)き闇の御子(みこ)()()(たま)(ひこ)でした。この名前は当然のことながら、彼自身が名乗っているわけではありません。彼がこの万年青に棲むようになってしばらくするうちに、自然と生まれた呼び名でした。虫達は彼の黒光りする体躯と鋭い瞳、そして負の意味での虫の強者であることに対する多少の畏敬を込めて、彼をこう呼んだのです。そして彼自身はそう呼ばれることを甘受してはいましたが、あまり快くは思っていないようでした。

「知っているか長っ翅、蝉どもが始終何が楽しくてこのように歌ってばかりいるのかを。」

 そしてこの「(なが)()」というのも、油虫自身の名ではなく、専らの呼び名にすぎませんでした。この小さな油虫は、本来の油虫には無い長く透き通った翅を持っていました。生まれついてこのような翅を持っていた彼は、同族たちが群がる本来の棲み処を追い出され、遠くこのような所まで、新鮮な茎葉を求めてやって来なければなりませんでした。彼の同族は殖えすぎたのです。そして多少の蔑の念を込めてこう呼ばれる彼は、そういった意味で異端者でした。

「蝉が? さあ、おおかた(おんな)どもを呼んでいるんだろうさ。」

「そうか、やはり知らないか。そうだろうとも……」

 射干玉彦はくっくと含むように笑いました。長っ翅はその笑い方が妙に気に入らず、足元の万年青の葉脈を脚で撫で始めました。

「あれはな長っ翅、警告なのさ。」

「警告?」

 長っ翅は尚も葉脈を脚でこすっていました。

「そうさ、俺から逃げるように、この梢に近付くなと、来訪者に告げているのさ。」

「告げて?」つるっと長っ翅の脚が葉脈を滑り、一瞬バランスが崩れました。「なぜそんなことが解るんだ?」

「蝉どもの歌を聞いていれば解るさ。奴らは非常に解りやすい言葉で歌ってる。奴らはとんまなよそ者が罠に引っ掛かって俺の餌食になるのを防ごうとしてるのさ。そうして俺が餌を喰い損ねて餓死でもすりゃご満悦なんだろうが。」

 再び態勢を立て直すと、長っ翅は落ち着かなげに葉の上で飛び跳ねました。

「なんと、蝉どもの歌に意味なんか無いと思っていたがね。」

「奴らなりの治安改良というわけだろう。ところがだ、肝心なその歌を理解してる奴はこの通り、俺しかいないというわけさ。警戒すべき張本人しかその警告を知らんとは、何とも皮肉なことだな。」

 射干玉彦はそういうと低く笑い声を上げました。絶えず蝉時雨は辺り一帯に響いていましたが、それにも増して彼の笑声は、恐ろしげに空気を震わしました。                                 

「聞いてみるといい!奴らは何とも率直に語っているぞ、『立ち入るなかれ、玻璃(ビイドロ)を渡る風が吹く』とな!」

「玻璃を?」

「『玻璃を渡る風が吹く』だ!」彼は興奮したように言います。「どうやら蝉どもは、この俺の視えない罠に引っ掛かることを、そう表現しているようだ。まったくもって素晴らしい詩人どもではないか?そしてその言葉を堪能できるほどに時間の余裕のある奴なんか、ここらには俺しかいない。奴らの言葉を理解する暇なんか、他の連中には無いのさ。みな生きるのに必死だ。」

 彼はそう言うと、一枚下の万年青の葉にだっと飛び降りました。

「夕方に(ひぐらし)どもの歌を聞きにくるがいい。感傷的(センチメンタル)になりたいならうってつけだ。昨日なぞ俺は件の『綺羅(きら)御前(ごぜん)の悲劇』を延々五回も聞かされたぞ。」

 長っ翅はいつになく饒舌な彼に、上の葉から答えました。

「ああ、確かにあの最期は悲惨だった。何しろあの方はこの辺一帯の花形だったからな。」

「ふん、だがそのわりに味は大したことが無かった。」

 彼らの話しているのは、かなり前に二匹が協力して捕まえた立派な玉虫のことでした。

玉虫は虫達から「綺羅御前」と呼ばれ、珍重される美しい虫でしたが、その内のとりわけ立派な一匹が射干玉彦に喰われたという事件は今でもこの辺りの虫達にとって、彼の恐怖を象徴する大きな語り種でした。

「そう、あの頃に比べれば俺たちの狩りの質も下がったとは思わないか。昆虫(あいつら)に手口が割れてしまっているというのは、言い訳にはならないはずだが?」

 それとなくはぐらかした話題が再び戻ってきてしまい、長っ翅は苦い顔をしました。彼が先日の「狩り」について皮肉っているということが、長っ翅には充分に理解できたからです。

 そう、彼らは本来敵対する虫同士でありながら、協力して「狩り」を行なう同志でした。

もっとも、それは射干玉彦の側により利益の高い「狩り」でした。

 彼らの行なう「狩り」とは、つまり長っ翅が囮となり、他の虫達を挑発し、頭に血が昇った彼らが我を忘れて彼を追っ掛けてくるところを、うまく万年青の梢に誘い込み、射干玉彦の罠に掛けるという甚だ卑怯なものでした。そして長っ翅にとって、これは大変な危険を伴いました。それでも射干玉彦の餌食となる恐怖に比べれば、長っ翅にとってそんな

危険も耐え得るものでした。

 彼らを結ぶものは「契約」でした。今年の春のことです。例のごとく同胞たちから追い出され、はるばるここまで飛んできた彼は何も知らずに新鮮な万年青の茎に惹かれここに降り立ち、そして射干玉彦の罠に掛かったのです。糸を掛けられる直前に、奸智に長けた長っ翅はこう切り出したのです。貴方に自分なんかより数倍立派な獲物を提供しよう、だからどうか万年青の樹液を吸うことを見逃してほしい、と。半信半疑な射干玉彦は、とりあえず彼に視えない一本の糸を引っ掛けて、空に放しました。程なく彼は一匹の天道虫を彼の巣に掛けることに成功しました。それ以来、長っ翅はこの狩りに協力することにより、この辺り一帯の空を自由に飛び回ることを赦されたのでした。

 しかし当然のことながら、この「狩り」の方式は他の虫達に歓迎されるはずもなく、長っ翅は「裏切り者」と同胞たちにまで罵られることになったのですが、しかし長っ翅が罠に掛けるのは主に天道虫や羽蟻などの自分たちの天敵だったため、程なく仲間の油虫たちは彼を誹謗することをやめました。逆に射干玉彦を英雄視する者が出たくらいでした。しかしそんなものはごく例外的な話で、多くの虫達にとって彼らが恐怖の的である事実に代わりはありませんでした。

 そうして彼らは度々その「狩り」によって虫達を罠に貶めました。先日も途中まではそうなる予定でした。番狂わせだったのは、長っ翅を血眼で追い掛けてきた虫が、かなり大きく活きのいい蜻蛉(とんぼ)であったということです。成功すればその狩りは大成功でしたが、結果はその逆でした。罠に掛かったその蜻蛉は執拗に暴れまわり、射干玉彦が降り立つ前に巣を蹴破って逃げてしまったのです。嵐に耐え得る彼の巣も、「疾風(はやて)の君」の怪力には適わず、無残に大破していました。(蜻蛉もまた虫達を喰らう生きものでしたが、その飛翔力の顕著さと、強靭な翅にすらりとした麗姿が虫達の目に好ましく映り、「疾風の君」と呼ばれて敬われておりました。)

 射干玉彦の怒りは言うべくもありません。彼は餌にあり付けなかったことより―― そんなことは日常茶飯事でした―― 巣掛けを一からやり直さなければならない事実に激発しました。何しろ巣掛けには大変な労力が必要だからです。長っ翅はすぐさま逃げ出しましたが、そうでもしなければ彼は疾風の君の代わりに彼の餌食となっていたでしょう。それほどに彼は怒っていました。そうして計算高い長っ翅はしばらく万年青の梢には寄り付かず、ほとぼりが冷めたあろう今になってやっと此処に現れたのでした。案の定、完全とは言えませんが、少なくとも彼を餌食にしようとは思わない程度に彼の怒りは治まっていました。本当はそのまま逃げてしまってもよかったのですが、今更どこかへ飛んでいっても、すでに「裏切り者」としての名が流布してしまっている長っ翅にとって、そう簡単に行ける場所は見つかりません。やはり射干玉彦との「契約」を維持することは、彼の選び得る最も楽な処世術だったのです。

 そうして現在の彼の仕事は、なるべく話を先日の狩りから逸らし、射干玉彦の怒りを和らげることでした。

「まあ、過ぎたことを気に病んでも、」長っ翅は卑屈な笑いを浮かべました。「それよりも今日は、いい報せを持ってきたんですよ。射干玉彦どの。」

 射干玉彦の眼が尖った光を放ちます。

「その口調はやめろといったはずだ。」

 長っ翅の脚が再び足元の葉脈をいじくり始めました。

「ああこれは失礼。とにかく、ここ二三日ここら一帯を飛び回ってたんだがね、そこの若木の側に射干玉姫をお見掛けしたんですよ。」

「射干玉姫だと?」

 不愉快げに射干玉彦は葉の上を仰ぎました。

「みなまで言わせなさんな、不粋じゃないですか。つまりあなた様の同族(おなかま)ですよ。どうやらあれは姫君のようで。」

 ニッと貼りつくように長っ翅は笑いましたが、射干玉彦はそれをせせら笑うように目を細めました。

「では何か?俺がおまえの話を聞いて、喜び勇んでその(おんな)の所に行くとでも思ったか?」

 長っ翅の脚の動きは激しくなり、そこら一帯の葉脈の緑はすっかり剥げ落ちていました。

「まさか、貴方がそんなに品の無いお方だとは思っちゃいない。ただ自分から奥方探しをするよりは、こうして目標を定めたほうが無駄な体力を使わずに済むと思ってね。」

「ふん、体力か。」射干玉彦はふと空の方を見上げました。「だったらなおのこと、そん                

な疲れることはしたくない。おまえは蜘蛛(おれたち)交尾(けっこん)がどんなものか知っているのか?」

 再び彼は長っ翅の方を向きました。長っ翅の脚の動きが止まります。

「知らなきゃ教えてやろう。いいか、交尾の後俺たち(おとこ)は、(おんな) どもに喰われちまうのさ。なんでそんなことするかって? 卵を産むには体力が要るからさ。もはや役に立たなくなった雄どもを栄養剤代わりにするってことだ! もちろん雄はたまったもんじゃないと逃げる。逃げおおせられたら御の字さ。だが、まず十中八九は喰われちまうって話だ。」

 長っ翅は、硬直してしまったように動きませんでした。射干玉彦はそれを見て満足したように、万年青の葉の上を中心部に向かって歩き始めました。

「それが独身主義を通している理由か?」

 しかしそんな彼の背中に、投げ付けるように長っ翅は言いました。

「何だと?」

「聞けばあんたはもう二つも冬を越えてるっていうじゃないか。逆にあそこの若木の雌は、

今年の春に来たばっかりだ。まだ若い。そんな小娘から、あんたは逃げられないと本気で思っているのか?」

「…長っ翅。」

「俺は前々からなんかおかしいと思ってたんだ。虫どもがあんたをどう言っているかは知らんが、その実あんたは――」

 ふと、射干玉彦の視線が、長っ翅に集中します。彼に凝視されて正気を保っていられる昆虫などひとつもありません。長っ翅とてそうでした。彼は自分が言わんとすることがどれほどの危険を生むか考え、それ以上言葉を続けるのを止めました。

「……賢明な判断だ。」

 射干玉彦も、長っ翅の考えを読み取ったようでした。彼は再び葉の上を歩くと、何処かにまた例の美事な巣を張るために、姿を消しました。

 彼の気配を感じなくなってから、長っ翅は金縛りが解けたようにやっと身体を動かしました。そしてわずかに舌打ちすると、万年青の梢の上空に飛び上がり、そのまま風下へ飛び去りました。またもや彼は、当分この辺り一帯を飛ぶ権利を失ったようでした。

……蝉時雨(セッション)は、相も変らず衰えることを知りませんでした。


〝木を()く殿よ

 花舞う姫よ

 立ち去りたまえ

 立ち去りたまえ

 ()()(たま)(ひこ)のお出ましぞ


 光つややな緑葉は

 ()()(たま)(ひこ)御館(おんかた)

 立ち入るなかれ

 立ち入るなかれ

 玻璃(ビイドロ)を渡る風が吹く


 綺羅(きら)御前(ごぜん)

 疾風(はやて)の君よ

 とく去りたまえ

 とく去りたまえ

 玻璃(ビイドロ)の風に吹かるれば

 ()が魂は果つるらん


 玻璃(ビイドロ)の風が吹く(もと)

 ()が屍は横たえり

 立ち去りたまえ

 立ち去りたまえ

 ()()(たま)(ひこ) のお出ましぞ……〟

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