第148話 料理のない見舞い
目覚めて四日目の昼前、タクミが水差しと杯を載せた盆を持って部屋へ入ると、ミアが寝台の前に立っていた。
両手で持っているのは、小さな空の籠だった。
「陛下のごはんも、これで運んでいい?」
背を起こした寝台で、シィルヴィアはミアの持つ籠へ目を向けた。
イレーネが横から説明する。
治療の前夜、ミアはこの籠で当番の食事を運ぶ手伝いをした。
陛下の分も運びたいと、今日は洗った籠を持ってきたのだという。
タクミは扉のそばで立ち止まった。
陛下の分は、あと。
あの夜は、いつ用意できるかも分からなかった。
シィルヴィアが籠へ手を伸ばした。腕を上げきる前に、ミアが寝台脇の台へ置く。
「持たなくていい」
「あなたが、持ってきたのか」
「うん。洗った。食べるものは、まだ入ってないけど」
シィルヴィアは籠の縁へ指を触れた。
少し時間をかけてから、頷く。
「次は、ここへ入れてもらう」
ミアがタクミを振り返った。
「タクミと一緒に、運んでもいい?」
「今は汁物が多いので、盆で運びます。籠に入れられるものになったら、一緒に」
ミアは真剣に頷き、籠を倒れない位置へ直した。
シィルヴィアの目が、その小さな手を追っていた。
「ほかの皆にも、世話になったと伝えて」
「自分で言える?」
ミアの問いに、シィルヴィアは少し黙った。
「もう少し、元気になったら」
「分かった。そう言う」
ミアは頷き、イレーネの手を取った。
出ていく前に一度だけ戻り、籠の持ち手を寝かせておく。シィルヴィアは、その間も見ていた。
タクミが椅子へ座ろうとすると、シィルヴィアが盆を見た。
水差しと、二人分の杯しかない。
「料理は」
「今日は、ルッツさんが用意します。食事の量も、エレナさんへ確かめていました」
シィルヴィアは頷いたが、その後もタクミを見ていた。
「では、何をしに」
タクミは盆を台へ置いた。
「会いに来ました」
シィルヴィアの指が、布の上で止まる。
「……そう」
タクミは椅子へ座った。料理を持たずに来るのは、まだ少し落ち着かなかった。
彼女も同じなのか、台の上へ目を向ける。
報告書は片づけられ、見舞いの品も、花瓶の枝が一本だけだった。
「何か、聞いたか」
「何をですか」
「私について」
タクミは返事の前に、少し考えた。
「エレナさんからは、今日、座っていられる時間が延びたと」
「仕事の話を、止められたのかと思った」
タクミが杯へ水を注ぐと、シィルヴィアが手を伸ばした。
途中で止まったので杯を持ち上げると、彼女は首を振る。
「少しだけなら、自分で」
タクミは杯を、彼女が両手で持てるところへ置き直した。シィルヴィアは杯を包み、少し飲む。
「まだ、長くは話せない」
「僕も、何を話すか決めていませんでした」
シィルヴィアが顔を上げた。
タクミも自分の杯へ水を注ぎ、笑った。
「今日は、窓の外を見るだけでも」
窓の下を、洗濯物の籠を運ぶ人が通った。
片方の籠は大きく、もう片方は小さい。運んでいた二人が立ち止まり、中身を少し移し替えていた。
タクミとシィルヴィアは、それをしばらく見ていた。
「森で、何を食べた」
シィルヴィアが聞いた。
「茸の汁です。戻した時の汁も使うんですけど、捨てないでと、最初に言われて」
「捨てるつもりだったのか」
「いいえ。でも、あちらの茸を使うのは初めてでした」
小さな平焼きにした話をする。リディが、端の欠けた方を取ったことも。
扉の脇で、リディが顔をこちらへ向けた。
「食べられる部分だ」
「欠けていても、味は同じですから」
シィルヴィアの口元が緩んだ。
「私にも、その茸を」
「あります。食べられる時に、少しずつ」
帰ってから話そうと取っておいたことが、ようやく一つ減った。
全部話してしまうのは、もったいない気もした。
しばらくすると、シィルヴィアの肩が少し下がった。
エレナに教わった通り、タクミはそこで話を止めた。
「続きは、また」
「まだ、時間は」
「疲れたら、休みましょう」
シィルヴィアは反論せず、寝台へ身体を預けた。
タクミが杯を片づけ、立ち上がろうとした時、袖へ指が触れた。
「明日も、来るか」
「はい」
「料理がなくても」
タクミは動きを止めた。
彼女の指は袖を握っていなかった。触れただけで、返事を待っていた。
「明日も、会いに来ます」
シィルヴィアが頷いた。
その手を布へ戻してから、タクミは立った。
「食事の後、休んでくださいね」
「あなたも、食べて」
部屋を出ると、ルッツが昼食の盆を持ってきた。
すり潰した根菜と、柔らかく煮た米が分けてある。量は少ないが、温かいうちに食べられる支度だった。
「これで、足りますかね」
「今は、これくらいだそうです」
タクミは盆の端を持ち直すのを手伝った。
ルッツが入っていくと、中からシィルヴィアの声がした。
「ありがとう」
その声を聞いてから、タクミは厨房へ戻った。
◇ ◇ ◇
部屋の中で、ルッツが盆を台へ置く。
シィルヴィアは、すり潰した根菜へ目を落とした。
「これは、何だ」
「白い根菜です。今日は、甘い方がありました」
ルッツは答え、説明を足そうとして口を閉じた。
味については、食べる前に言いすぎるなと、ガレスに何度も言われている。
シィルヴィアは小さな匙ですくい、口へ運んだ。
湯気の向こうで、彼女の眉が緩む。
「甘い。これなら、飲み込みやすい」
ルッツは盆の縁を握っていた手を、そっと離した。
寝台の脇に立ったまま、次の一口を待った。
「明日は、何を用意する」
そう聞かれて、思わず顔を上げた。
「まだ、決めていません。今日の話を聞いてから」
「なら、これも候補へ」
シィルヴィアは、根菜の皿を指した。
ルッツは頷いた。
記録する紙を取り出す時、少し急いでしまい、もう一度、丁寧に開き直す。
彼女は、その間にもう一口食べていた。
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また次の一皿で、お会いしましょう。




