木蘭の涙
時々来ては楽しい話や、音楽のことについて話していた常連客の『篠しの』こと、篠田葛葉しのだくずはが、恋人の浮気相手であり、会社の後輩の後藤紗希ごとうさきによって殺された日からしばらくたった。
最初は犯人だった着物姿の紗希が殺してすぐ立ち寄った店として、警察によって店中を徹底的に捜索された。
マスターにとっては営業はしていても本当に常連のお客様とBGMを聞きながら、昔腕を磨いたカクテルを提供して喜んでいただく隠れ家的お店だったのだが、警察やマスコミのお陰でいい迷惑である。
それに哀しいのは、篠の死を本当に悼んでいるのか、ただ殺されたということへの興味を露にする人々。
篠を本当に哀しんであげられないのか……それが虚しい。
ついでに、余りにもお気に入りのグラスや並べていた瓶を煩雑に扱う警察に、食って掛かったのは仕方がないだろう。
紗希がすわった席と、タオルなどを押収するならともかく、店全体をごちゃごちゃにしてくれたのだ。
写真を見せて、元の状態に戻せと言わずにいられないほどだったのだ。
想像していただけたらと思う。
それもあり、そして篠の葬儀にお包みだけ持っていき、帰ると、数日かけて店の清掃をして、再開した。
ドアを開け『close』にしていた看板をひっくり返そうとしたところ、雨の中一人の青年が佇んでいた。
みたところ取り立てて美形とかということもなく平々凡々……。
ただ、高すぎず低すぎない身長に、古くさい眼鏡……。
余り印象に残ることのない青年……いや。
「お待たせしましたか?」
「あ、いえ……さほど……入っても良いですか?」
「えぇ、どうぞ……」
『open』に返したあと、案内する。
すぐカウンターの奥に入り、向かいに座った青年は、持っていた鞄を隣の椅子に置き、ポケットからタバコケースとライターをテーブルに置いた。
その間に、マスターは再開する日に流そうと決めていたCDをかけた。
STARDUST REVUEの『木蘭もくれんの涙』である。
木蘭は、木蓮の別称であり、紫木蓮しもくれん、白木蓮はくもくれんが有名である。
サビの部分から入る曲だが、失った恋人への悲しみを歌い上げている。
「この曲は……」
「知人が亡くなりまして……ここでは私のその日の気分で曲をかけていますので……何を飲まれますか?」
「……余り、カクテル系は解らないんですよ。……彼女は詳しかったのですが……」
「恋人の方ですか……」
「……はい、そうだった、人です……」
マスターは、少し考えると、
「アフィニティ(Affinity)をお出し致しますね」
「よろしくお願いします」
マスターは、スコッチ・ウイスキーとドライ・ベルモット、スイート・ベルモットを3分の1ずつ、そして香草ハーブを漬け込んだアンゴスチェラ・ビターズを入れて軽く混ぜたあと、カクテルグラスに移す。
そして差し出したマスターに、
「強いお酒ですか?」
「……そうですね。イギリスのスコッチとフランスのドライ・ベルモット、イタリアのスイート・ベルモットを使っています。どうぞ」
勧められ、そしてそっと口に含んだ。
「うわぁ……」
「これは、親近感や密接な関係を意味します……。婚姻関係を表すそうですよ」
マスターの一言に青年はぴくんと肩を震わせた。
「ここに来たのは、篠さん……篠田葛葉さんの葬儀の時に私を見たからですか?結城伸一ゆうきしんいちさん」
「何故……」
「ご遺族の方と揉めていましたね……」
「……っ」
篠の恋人で、彼女を殺した紗希と浮気をしていた青年……。
ずっと篠と結婚を約束し、その為にこつこつ貯めていた篠のお金を使い込み、浮気もばれ、篠に別れを切り出された。
しかし、紗希と別れ、よりを戻したいと篠に付きまとい、それに嫉妬した紗希がナイフを篠に振り下ろしたのだった。
遺族にしてみたら、伸一の浮気に、結婚資金の使い込み、それだけでも許せないと言うのに、別れた篠に付きまとい、復縁を望み、そのせいで殺されたようなものである。
殺した紗希のことも憎いが、それ以上に、きっかけの伸一はのうのうと葬儀に現れたという事実である。
言い争いの声がするのを記帳しつつ、受付で真っ赤な目で俯いていた女性に問いかけた。
「申し訳ありません。私は、実は亡くなった葛葉くずはさんによく来ていただいていたお店の者なんですが……」
「あぁ‼……カクテルが美味しいと、葛葉姉さんが言っていました……今度一緒に行こうと、言っていたのに……」
後で従妹だと名乗った彼女は、喧嘩をしているのは、篠の兄の保名やすなと伸一だと告げた。
篠はきりっとした美人だったが、保名も良く似た顔つきをしていた。
「伸一‼絶対に……絶対に、許さない‼葛葉を裏切ったこと、葛葉と別れたのに付きまとったこと……それに葛葉を殺したのは、間接的にはお前だ!」
「保名……」
「軽々しく呼ぶな‼昔は親友で、葛葉と出会う原因は俺だが……お前をもう親友とは呼ばない‼俺は刑事だが、実際手を下したのはお前の恋人。でも、裏で葛葉を苦しめ、殺すように仕向けたのはお前だ‼理性が残っているうちに、去れ‼」
「お包みだけでも……それと、使い込んだお金は……」
差し出そうとした包みを振り払い、
「去れ‼そんなものを貰っても、葛葉が帰ってくる訳じゃない‼くれるのなら、葛葉を返してくれ‼出来ないくせに‼もう二度と家に関わるな‼人殺し‼」
叫ぶとくるっと振り返った保名の瞳は潤んでいたが、ぬぐうことなく奥に戻っていったのだった。
「篠さん……そう、私は呼ばせていただいていました。篠さんは豪快そうに見えますが、優しい人でした。最後にお会いしたのは、亡くなる数日前。貴方と別れたと涙ぐまれていましたよ。そのときにはBEGINの『恋しくて』を流していました。貴方に『好き』だったと言えば良かった。それよりもいっそ、好きだったことを『忘れたい』とも……スクリュードライバーとカシスオレンジを飲まれて、これを置いて帰られました」
マスターは、伸一に差し出した。
それは、篠が吸い残して置いていったタバコケースと男物のライター……。
「こ、れは……」
「ケースは貴方とお揃いですね。ライターも、女性が持つには武骨で、貴方の持っているものに似ています。篠さんが、ここに置いていった意味、解りますか?」
「……‼」
「貴方と別れて前を進む……そういう意味です。先日お兄さんが言っていましたが、貴方は直接手を下さなかったにしろ篠さんを殺したようなものです。貴方はその贖罪をするべきだと思いますよ」
手を伸ばそうとした伸一からライターとタバコケースを引き寄せる。
「紗希さんでしたか?お腹に子供がいらっしゃるとか?」
「堕ろせと言った……別れようと……そうしたら、あの女‼」
罵る伸一に、マスターはアフィニティの入ったグラスを手にし、その顔にぶちまけた。
「篠さんを殺すだけじゃなく、子供も殺す……貴方のような人と別れた篠さんが正しかった‼貴方が捕まらないことが、許せない……私の友人を……」
「なっ!きゃ、客にこんなことをして、訴えるぞ‼」
「どうぞ。無銭飲食で警察を呼びますから」
マスターはニッコリと笑う。
歯がみする伸一が、出ていく背中を見送ったのだった。
マスターは目を伏せ、呟いた。
「会いたくて……これからも貴方といろいろと話せると思っていましたよ。篠さん……年上の私より先に逝くなんて……酷いじゃないですか」




