『二人静』
今日のマスターは機嫌が良かった。
好きな歌手である中森明菜のCDをかけている。
カラン……ドアのチャイムベルが鳴り、現れたのはびしょ濡れの女性。
「急に雨が降りだしましたの……少しお邪魔してもよろしいですか?」
髪を纏めた、暗めの色の訪問着の女性である。
「大丈夫ですか?お着物が濡れては……タオルをお出ししますね」
マスターが差し出すタオルにはにかむように微笑む。
「ありがとうございます」
「いいえ、体は冷えてらっしゃるのでは?私用のものですがお茶でも……」
「ありがとうございます、頂戴いたします」
お湯を沸かすと、蒸らして、淹れる。
香ばしい香りが広がる。
「まぁ、玄米茶ですね」
「この香りが好きで……」
「私も好きです。ありがとうございます。温かい」
湯呑みをそっと近づけ香りを嗅ぎ、一口飲む。
「美味しいです。あの……日本茶のカクテルみたいなのはあるのでしょうか?」
「グリーンティリキュールにウーロン茶を使った『照葉樹林』と言うカクテルがあります。お作りしましょうか?」
「よろしくお願いいたします」
上品な口調と良い、彼女はどこかのお嬢さんか奥さんらしい……まだ22くらいだろうか。
何曲か流れていた曲も、『二人静』と言う曲になっていた。
『きっと愛しすぎたから……』
と言うフレーズに、彼女は耳をそばだてる。
「中森明菜さんの曲で『二人静』です。映画の導入歌をカバーしているんです」
「そうなのですか……」
囁くような独特の歌い方だが本当に歌唱力は見事である。
グリーンティーリキュールとウーロン茶を準備し、決められた分量を入れると、シェイカーを振り始める。
するとサビの部分の前に流れた歌詞にビクッとなる。
「どきっとしますね、この歌詞……殺めたいって……」
「そうですね。愛と言うのは情愛……そして情念……になるのでしょうね。自分の手から離れようとすれば、追いかける……強い思いです。愛情の良い悪いと言うのは私にも良くわかりませんが、それほどの愛を相手にと言うのは、愛しているのでしょうね……」
照葉樹林を目の前に置く。
着物の女性は視線をさ迷わせる。
「殺めたいくらい愛していた……と言うのは、自分がその恋人をでしょうか……恋人を殺してしまいたいと……?自分のものにしたいから……」
「この曲では激しい恋慕を恋人だった人に向けて『殺してしまいたい』と歌っています。でも、傍にいたいと歌っているのだと思いますよ」
「……でも、私は……」
視線をさ迷わせた。
「愛していたのか、解らない……ただ、先輩の……彼氏と会うようになって……ちょっと、気の迷いだった……」
「お客さん……照葉樹林を飲んでみては?」
「は、はい……」
手を伸ばし、カクテルを光に掲げると、
「素敵……」
と呟き、一口口にした。
「さっぱりしてる……」
「そうですね。お客さんが笑ったのは本当にホッとしました。大丈夫ですか?」
「……先輩を傷つけるつもりはなかった……悲しませるつもりも……ただ……」
好きになった人が……先輩の彼氏だっただけ……。
ポツリと呟き、一筋の滴がこぼれ落ちた。
「ありがとうございます……私はこれから行かなければ……」
「……またのお越しをお待ちいたしております……お客様」
「タオルを汚してしまって申し訳ありません」
頭を下げると、静かに出ていった。
が、外で、
「後藤紗希さんですね?篠田葛葉さんを殺害した件について、ご同行願えますか?」
「……はい」
マスターは血に染まったタオルや店内を荒らされることを嘆いたのだった。




