第4話
「あなた、誰? こんなところで何をしてるの?」
男の様子には頓着せず、もっともな疑問を投げかけるマイペースなユイ。
すると、どうやら同じことを男も思っていたようで「先越されちまったな」と言いながら、すんなりと口を開いた。
「俺はウィル。このあたりに魔物が頻繁に出没してるっつーから、冒険者ギルドから出された正式な依頼でその討伐に来てたんだが……」
「もしかして、こいつら?」
「ああ、恐らくそいつらで最後じゃねえかな」
「もしかして私、あなたの仕事とっちゃったの? 知らなかったとはいえ、ごめんなさい」
「いや、別にかまわねーよ。本来こういうのは早いモン勝ちだし、魔物の数が減ること自体は悪いことじゃねえ。こいつらの巣は俺がさっき潰してきたから、無駄足になったわけでもないしな。今はその残りがいないかどうか、確認しながらの帰り道ってとこだな」
ユイの謝罪に、男――ウィルはひらひらと手を振りながら、気にしなくていいと肩をすくめた。
その言葉通り、ウィルの目にユイを非難するような色はない。それを見て、ユイは安堵の笑みを浮かべた。
「で、あんたは?」
「私は、ユイ」
本当はもっと長ったらしい名前があるのだが、真名と呼ばれるそれはみだりに口に出していいものではないと、生まれてからこれまで何度となく年長の竜にきつく言い含められていた。
真名とはものの本質を表すと同時に呪でもある。それを第三者に知られるということは、生殺与奪を握られることと同義であった。そのため、名前を聞かれたときは、真名の一部である「ユイ」と名乗るようにしている。もちろん同族であっても例外はなく、ユイがそうであるように、自分以外の竜の真名は知らないのが普通だ。
「この森を抜けた先にある、ローゼリウムって街に行くところ」
その途中でゴブリンに襲われたのだと話すと、ウィルは不可解そうな表情を浮かべた。
「ふうん、そんな軽装で女のひとり歩きなんて、なんかわけありか」
言われて、ユイは自分の格好を見下ろした。
野暮ったいデザインの丈長のワンピースに、ブーツ、荷物は背負い袋一つ分だけ。しかも、このあたりは魔物の出没するような危険地帯だというのに、武器になるようなものは何一つ持っていないのだ。どう考えても、不自然に過ぎる。
「それは……」
怪しまれたかもしれない。
どう誤魔化したものかと考えていると、ウィルはユイの事情をそれ以上追求するつもりはないらしく、意外な提案を口にした。
「まあ、いいや。俺もこれからローゼリウムに帰るとこだし、なんなら一緒に行くか?」
「一緒に?」
ユイは驚きに目を瞠りながら、自分よりも頭ひとつ分以上高い位置にあるウィルの顔を、まじまじと見つめた。
ウィルは黒の上下を身につけ、踝丈のブーツも黒、膝までのマントも黒と、全身見事なまでの黒ずくめだ。唯一、両の瞳だけがとろりと甘そうなはちみつ色をしている。
かなりの長身で、服の上からでも無駄のない体つきをしていることが見て取れた。しなやかな身ごなしが、どことなく野生の獣を彷彿とさせる。
「さすがに女ひとりでこんなとこフラフラしてんの見ちまったら、ほっとけねえって。まあ、ゴブリンは危なげもなく撃退したみたいだし、心配なんて余計なお世話だっつーなら、別に無理にとは言わねえけど」
「ううん、迷惑なんてそんなことない。でも、知らない人について行っちゃいけないっておばあちゃんが言ってた」
これはユイの知らないことではあったが、過去に誤って竜の里から迷いでた幼竜が、欲に目が眩んだ者たちによって拐かされ、殺されたというむごい事件があったのだ。
その事件をきっかけに、竜は里から出ることは滅多になくなり、外界との交流を頑なに拒むようになったと言われている。
「なんだそりゃ。いや、でも女子供ならそれが普通なのか? あーだったら、今自己紹介したとこだし、お互い知らない人じゃなくなっただろ。それなら問題ないんじゃねえか」
「そう、なのかな?」
なんだかうまく丸め込まれているような気もするが、ウィルの提案がとても魅力的であることは確かだ。一人より二人のほうが心強いし、退屈な道中に話し相手ができるのも嬉しい。
何しろユイはこれまで数えるほどしか竜の里から出たことがなく、わからないことばかりだ。ローゼリウムの街や人々の暮らしぶりなど、色々教えてもらいたいことはたくさんある。
ユイが迷ったのはほんの一瞬で、ここから先はウィルに同行させてもらうことに決めた。
「じゃあ、よろしくお願いします」
「おう」
「ここからローゼリウムまで、あとどれくらいかかるの?」
「んー、あんたの足なら……そうだな、明日の夕方くらいに到着できれば御の字ってとこだと思うが」
「そんなにかかるんだ」
(竜の時なら半日もかからなかったのに、普通に歩けばそんなものなのかな。正直、もっと早くローゼリウムに着けると思ってた。やっぱり空が飛べない人間の肉体って不便)
ここにきて、大雑把でその実穴だらけだった計画の弊害が出始めているようだ。行き当たりばったりでどうにかなるだろうとタカをくくっていたが、その考えは砂糖菓子のように甘ったるいものだということに、ユイ自身そろそろ気づき始めていた。
「ああ。だから早くそのゴブリンの死骸を始末しちまえよ。子供の小遣い程度だけど、魔石を売れば金になる。解体、してくつもりなんだろ? 終わるまで待っててやるから、手早く済ませてくれよ」
「……そうしたいのは山々なんだけど、私、魔物の解体なんてしたことない。ナイフも持ってないし」
ユイが気まずい思いを味わいながらそう告白すると、ウィルは器用に片方の眉だけを上げ、仕方ないなあとでも言いたげな顔をした。
「そうなのか。でも、魔物の解体の仕方は覚えといて損はねえ。なんだったら、今俺が教えてやるから、やってみたらどうだ? ほら、ナイフは俺のを特別に貸してやる」
差し出されたナイフを条件反射で受け取りながら、ユイは心の中でぼやいた。
(ゴブリンの死骸の解体かあ。もちろん素手でだよねえ。お金のためとはいえ、やだなあ)
だが、さすがのユイも、それを馬鹿正直に口に出すような真似はしないだけの分別はある。ウィルは好意で魔物の解体の仕方を教えると申し出てくれているのだ。それがわかるだけに「気持ち悪いからゴブリンなんかには触りたくない」という言葉は、理性を総動員して喉の奥へと呑み込んだ。
第一、現在のユイは無一文である。ローゼリウムに居を構えるにしても色々物入りだろうし、最低限の生活をするためにはそれなりのお金が必要になる。
結局のところ、背に腹は変えられないのだ。
ウィルの指示に従ってあたりに散らばっていたゴブリンの死骸を一箇所に集めると、覚悟を決めてナイフの柄に手をかける。鞘から引き抜くと、鈍い光を放つ刀身が現れた。
「魔石は基本的に魔物の心臓に当たる部分にある。ゴブリンは他に取れる素材もねーし、思い切ってやっていい。こんなもんは、数をこなせばそんだけ上達するからな」
ここだ、と指し示された部分にナイフの切っ先を突き立てる。肉に刀身がめり込んでいくなんとも言えない感触に慄きながら、ゴブリンの胸のあたりを切り裂いていくと、コツリと先端が何かにぶつかるのを感じた。
注意してナイフの刃でその異物を抉り取り、出て来たものを手のひらの上で転がしてみる。
「これが魔石?」
魔物の体内から出てきたとは思えないような美しい結晶は、宝石にも似ていた。
「そうだ。魔石は色々使い道があるから、それなりの値段で買い取ってもらえる。冒険者になりたての連中が金を稼ぐのにはうってつけなんだ」
「さっきから何度か話に出てきてるけど、その冒険者って何なの?」
「簡単に言えば、魔物の討伐の報酬やダンジョン探索なんかで生計を立ててる連中のことだな」
「ウィルもその、冒険者ってやつなの?」
「まあ、な。ほら、俺のことはいいから手を動かせ」
「はーい」
その後も他愛ない世間話をしながら、ゴブリンの体内から魔石を取り出す作業を続けた。なれない作業に手間取ってかなりの時間がかかったが、ウィルがそれに文句を言うことはなかった。
合間合間にアドバイスをくれるあたり、面倒見がいいのかもしれない。それが意外なような、けれどウィルらしいような気もして、ユイは見咎められないように忍び笑いを漏らした。
2015/7/29 ゴブリンの両耳を切り取る描写は削除しました。