終息
謎の狙撃犯の事件は、純喫茶JINのマスターの見事な作戦で一気に解決へと進んだ。依頼人の斎藤真琴さんは、命は助かったが、恋人を失った。よくよく出会いを聞いてみると、きっかけは偶然だったようだが、主犯の新見つかさが主導して、共犯の芹沢翔を動かしていた事がわかって来た。
「折角、彼氏ができたと思ったのに……」
カウンターの椅子にションボリして座っている斉藤さんを見て、
「真琴ちゃん、恋人にはなれないが、茶飲み友達くらいならなれるぞ」
マスターがカップを目の前に置きながら告げた。マスターったら、斉藤さんの巨乳に落とされてしまったのかしら? 男って、どうして胸が大きい女性が好きなのかな?
「ありがとう、お爺ちゃん。また遊びに来るね」
斉藤さんは弱々しく微笑んだ。坂本龍子弁護士は斉藤さんの肩を抱いて、
「あんたは私と違ってモテるんだから、焦って変な男に捕まらないようにしてよね」
「うん、ありがとう、龍子」
大きく頷く斉藤さん。その影響なのか、胸がゆさゆさと揺れた。思わずギョッとしてしまったのは、私と坂本先生。マスターと左京さんは斉藤さんの胸に見入っていた。全く……。呆れるしかない。
「でもね、龍子、私、勤め先もなくなっちゃいそうなの」
斉藤さんが目を潤ませて言ったので、坂本先生は目を見開いた。
「それ、どういう事?」
「今働いているお店、年齢制限があって、私、年を誤摩化して働いていたんだけど、バレたみたいなの」
坂本先生は呆れた顔になった。
「あんた、今どこで働いているんだっけ?」
「キャバクラよ。そこはね、二十二歳までしか働けないの」
斉藤さんは童顔だから、十分二十二歳で通りそうだが、何かで知られてしまったのだろうか?
「お客さんに干支を訊かれて、正直に答えたのを店長に聞かれてしまったの」
なるほど。年齢を偽れても、干支までは想定していないから、咄嗟の時にうっかり言ってしまうな。
「あんたねえ……」
坂本先生は同情するどころか、ますます呆れ顔になったのがわかる。すると斉藤さんは椅子から降り、左京さんにツカツカッと歩み寄った。
「な、何か?」
考え事をしていたらしい左京さんは不意に斉藤さんが接近して来たのでビクッとしたみたいだ。
「それでえ、探偵さんにお願いがあるんですけどお」
上目遣いで甘えた声を出し、斉藤さんは左京さんの左腕を両手で掴んだ。
「え? お願い、ですか?」
左京さんは怪訝そうな顔になった。何をお願いするつもりだろう? 報酬を安くして欲しいと言うつもりだろうか?
「ちょっと、真琴!」
左京さんに気がある坂本先生は斉藤さんが左京さんに急接近したので、斉藤さんの右肩を掴んだ。嫌な予感がして来た。
「私、お金には困っていないんですけど、働き口は欲しいんです。だから、探偵さんの所で雇ってもらえませんか?」
「ええ!?」
斉藤さんの遥か斜め上からの想像を絶する「お願い」に、マスターと坂本先生と私は異口同音に叫んだ。左京さんは驚きのあまりなのか、声を失ってポカンとして斉藤さんを見ている。
「な、何言ってるのよ、真琴! 左京さんの事務所は貴女を雇う余裕はないわよ! 璃里さんは義理のお姉さんだから、無給で働いてくれているのよ」
坂本先生はこれ以上斉藤さんが左京さんに関わるのを防ぎたいのか、ちょっと失礼な事を言い出した。確かに杉下左京探偵事務所は常に自転車操業で、人を雇う余裕はないし、私も給料をもらっている訳ではないが、坂本先生が言ってしまうのはどうかと思う。
「あら、それなら大丈夫よ。私も無給でいいから」
斉藤さんの返しに、坂本先生は二の句が継げないようだ。それを言われては、もう反論する余地はないのだろう。
「ねえ、探偵さん。お・ね・が・い」
斉藤さんは左京さんの腕をギュッと抱きしめるようにして顔を近づけた。事実上坂本先生は論破されてしまったので、斉藤さんの「暴走」を止める事ができないようだ。
「いやあ、でも、ウチはそれほど忙しくないですから。ね、璃里さん?」
左京さんは顔に汗を掻いた状態で、私に救援を求めて来た。でも私は、
「いいんじゃないですか? そうすれば、私も主婦業に専念できますから」
皮肉のつもりはなかったが、そう聞こえても仕方がない言い方をしてしまった。左京さんの顔色が悪くなったのが何となくわかった。
「璃里さん!」
坂本先生が復活して、私を睨んだ。睨まれても、樹里の姉である私にしてみれば、坂本先生も斉藤さんもポジションは同じだからどちらの味方もしたくはない。
結局、斉藤さんのお願いは聞き届けられた。左京さんは悲しそうな目で私を見ていたが、私は微笑み返した。あまり当てにされても困るから。これって、もしかして、斉藤さんの巨乳への嫉妬かな? 思い返してみると、左京さんの周りに集まって来る女性は、妹の樹里を始めとして、高校時代からの縁の加藤ありささん、警視庁時代の同僚の平井蘭さんと、皆巨乳なのだ。我が御徒町の家系も巨乳が多いのだが、何故か私は母親の由里は勿論、樹里にも及ばない。左京さんが私の目を見ないのはその辺に理由があるのかと邪推してしまった。
「左京さん、真琴とおかしな事にならないでくださいね!」
坂本先生は何度もそれを念押しし、
「報酬については、真琴とよく話して、連絡します」
斉藤さんを左京さんから遠ざけるためか、嫌がる彼女を強引に店の外に連れ出し、帰って行った。
「どうするつもりだ、杉下さん?」
マスターがお代わりのコーヒーを左京さんに出して尋ねる。左京さんは苦笑いして、
「すぐに飽きて来なくなると思いますよ」
そう言いながら、私をチラチラ見ている。私が怒っていると思っているのだろうか?
「それでは困ります。せめて、阿里の手がかからなくなるまではいてもらってください」
私は真顔で左京さんに言った。阿里は私の次女だ。母がいるから、いざとなれば大丈夫なのだが、今はそれを言いたくない。
「璃里さん……」
左京さんはますます悲しそうな目になった。珍しく私を見ているのにはちょっと驚いた。
少し虐め過ぎたかな、と思ったが、まあいいかな? 私は長女の実里が幼稚園から帰って来るのを思い出し、何か話したそうな左京さんを店に残し、マスターにご馳走様を言って店を出た。
後日、加藤真澄警部から聞いたのだが、新見つかさが首相を狙撃したのは、彼女が首相の愛人だったからだそうだ。奥さんに浮気がバレて、手切れ金を渡されて円満に別れたのだが、その後、自分の知り合いの女性と浮気をしているのを知り、頭に来たので狙撃したらしい。新見は昔、オリンピック候補になった程の射撃の腕前で、だからこそ、首相を撃った場所があり得ない程遠かったのだ。人生を棒に振るのがわかっていて、そんな事をしてしまうのが犯罪者だから、「どうしてそんな事を」と問い質してみても、意味がないのだ。対する芹沢翔は、本気で斉藤さんに惚れてしまったらしく、新見と別々の取り調べで、新見に騙されたと愚痴を言ったそうである。芹沢があの計画に乗り気ではなかったと言っているのは、罪を軽くしてもらいたいがための方便であろうが、多少は本音も含まれているのだろう。
マスターはと言うと、どういうルートでなのか、店の玄関のドアのガラスの修理が迅速に行われ、噂では警察庁の刑事局長が自ら修理代を持って来たと聞いた。それも、平謝りをしながら。立ち会いたかった。元同期の板倉信康さんはお咎めなしですんだだろうか? 刑事局長が八つ当たりとかしていなければいいけど。それにつけても、マスターは一体どういう立場の人だったのだろうか? 気になる。
そして、斉藤さんは坂本先生立ち会いの下、報酬を支払い、探偵事務所の所員としてのスタートを切った。左京さんは二人きりにならないように気をつけていたが、坂本先生がちょくちょく顔を出すので、その心配は当分いらないらしい。坂本先生は公判で事務所を空ける時だけが不安だと言っていた。何はともあれ、うまくいっているようでホッとした。でも、大雑把な母と一日中一緒にいるのも疲れるので、たまには事務所に顔を出そうかな? 左京さんが女性を引きつけるのは、放っておけなくなる危なっかしさがあるからではないかと思えた。
一旦完結です。




