あとがき
最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。
この物語は、昭和という時代を駆け抜けた一人のプロレスラーをモデルにしています。ただ、登場する人物も、団体も、出来事の多くも、史実をもとにしながら、名前を変え、筋を組み替えた、あくまで作り話です。実在の方々の真実がこうであったと言いたいのではありません。
それでも、この男の生涯を書こうと思ったのには、理由があります。
力王山は、誰よりも強い男でした。リングの上では、どんな大男にも負けなかった。城を建て、金を得て、日本じゅうから拝まれた。自分の拳ひとつで、ここまで這いあがってきたのだと、本人は信じていたはずです。
けれど、その手首にも、足首にも、首にも、いつも見えない糸が結ばれていました。糸の先には大河原たちがいて、その大河原たちの手首にもまた、別の誰かの糸が結ばれていた。誰もが、自分の足で歩いているつもりで、実は誰かの糸の先で踊らされていたのかもしれない。
書き進めるうちに、私はふと、これは遠い昭和の、遠い誰かの話ではないのではないか、と思うようになりました。
私たちもまた、自分の足で歩んでいると、錯覚してはいないでしょうか。
親の期待。兄弟との比べあい。上司の顔色。会社の都合。社会の空気。時代の流れ。人からの評価。誰かに認めてほしいという気持ち。
そして、価値観。
何が正しくて、何が幸せで、何が立派な生き方なのか。私たちが自分で選んだと思っているその物差しでさえ、本当は、知らず知らずのうちに、誰かに持たされていたものなのかもしれません。力王山が信じた「強さ」も、日本じゅうが拝んだ「大和魂」も、そして誰もが疑わなかった「長崎の百姓の倅」という物語も、そうであったように。
そうしたものは、目には見えません。けれど、気がつけば、私たちの手首や足首に、そっと結ばれています。そして、いつの間にか、自分で選んだと思っていた道が、本当は誰かの書いた台本だった、ということもあるのかもしれません。
力王山は、最後まで仮面を脱げませんでした。仮面は、顔の皮膚に貼りついてしまうのだと、彼は張に言いました。けれど同時に、張にはこうも言いました。仮面だけは被るな、お前は本物になれ、と。
糸のすべてを断ち切ることは、たぶん、誰にもできません。人は、誰かとつながっていなければ、生きていけないのですから。
ただ、その糸が、いま、自分のどこに結ばれているのか。誰が、その糸を握っているのか。一度立ち止まって、見つめてみることはできるはずです。
この物語が、読んでくださった皆さんにとって、もう一度、自分自身を見直してみる、ささやかなきっかけになれば、これ以上の喜びはありません。
最低の、と言いかけて、最高の、と言い直された一人の男に。そして、ここまで付き合ってくださったすべての読者の皆さんに、心から感謝を込めて。
木下店長




