一ノ壱
五月に入った。
クラスメイトともそれなりに親しくなって、クラスの中での自分という存在は特に目立たず、とはいえ存在感はまったくなしとまでいかず、自分にとって居心地の良い立ち位置にいられている。
僕らのサークルはというと、彪光は他のサークルぶっ潰すとか乗っ取るとか言って駆け回ってたけど結局今のところ何一つとして進展していない。
非公認サークル――裏サークルってのは警戒心が高くて追いかけてもすぐに逃げる隠れるで上手くいかない。
ならば、そろそろ正義の味方として活動するサークルに方向転換してくれないかな。
……無理か。
部長である彪光は誰かに言われて変えるような子ではないしね。
今のままでも、楽しいといえば楽しい。
それはサークル活動が、ではなく皆と秘密基地みたいな場所で集まって話を出来る環境がって事だ。
このままおしゃべりサークルとして活動したほうが楽しいんじゃないかって思う事もあったり。
サークル名はまだ決まってないので、放課後おしゃべり組とでも名前をつければいいんじゃないかな。
……彪光に言ったら怒られるだろうなあ。
そんな彼女は今どうしているだろう。
時刻は朝の七時を過ぎたところ。
僕は両手に資料の束を持って交互にそれを見た後に天井を見て、彼女の顔を思い浮かべる。
今はまだ眠ってるかな? 最近は一人暮らしという環境に高揚して何かと騒いでいて夜更かし気味だったからね。
「終わりっと」
資料を置いて、パソコンを閉じた。
四月に僕は、彪光のために願い待ちしてる人達全員にこっくりさんの願いを使って僕はこっくりさんとしての力を失ったに等しかった。
けれど世の中にはもっと願いを叶えて欲しい人がいて、逆に僕のためにまだまだ願いを聞いてやるという人もいる。
加えて仲間の狐や狸が手助けをしてくれて僕はまだこっくりさんをやれている。
――相手の願いを一つ叶える代わりに、相手はこっくりさんにお願いされたら一つ叶えなければならない。
こっくりさんとはそういうもので、僕が目指しているものは願いを叶えてくれる神様的な存在。
でも狐は誰もが恐怖に慄く存在にすべきだとか、狸に関してはどうでもいいんじゃないかなとか言って僕達三人のこっくりさんは、こっくりさん自体をまとめきれていない。
ただ曖昧でその正体は誰にも解らないってのは守っている、僕は二人ほど正体がばれてしまったけどね。
彪光もアンナも、僕の正体を誰かにばらそうとしたり脅迫しようとはしないだろう。
……多分。
部屋を出て、僕は自分の部屋へと向かった。
一々ここへ来るには外に出て階段を上って一番奥の部屋までいかないといけないが、自分の部屋にパソコンや街の模型を置くわけにもいかない。
部屋をもう一つ借りてるのはそういう理由だ。
僕は自分の部屋ならば過ごしやすい環境にしたいんでね。
部屋に戻って学校の制服に着替えて、朝ごはんは何を食べようかなと冷蔵庫を開けた。
……ろくなものが入っていない。
食材を仕入れるの忘れてた、こういう時は彪光を頼ろう。
部屋を出て、すぐ隣の部屋の前に僕は立つ。
近い、ああ、とても近い。自宅から徒歩三秒。
表札は梔子。
彼女は小鳥遊の家を出て、今は梔子という名を背負っている。
僕としてはお姉さんの虎善さんが素直になって仲直りして彪光を受け入れてまた小鳥遊家に戻ってくれれば嬉しい。
別に彪光を遠くにおいやりたいわけじゃない、彼女のためだから、彼女にとって良い結果が待っていると思うからだ。
「彪光、おはよう」
扉を二回、ノックする。
……反応無し。
もう一度ノックする。
「おーい」
……反応無し。
まだ寝てるのかな、そろそろ起きないと学校に間に合わないのだが。
ドアノブを回してみると鍵が掛けられておらず、無用心だなと小さく呟いて僕は中に入った。
うーん、女子が暮らす部屋というのはどうしてこうも良い香りがするのだろう。
薔薇の香りかな? 鼻腔を心地良く刺激してくれてここでラジオ体操の深呼吸をしてしまいたくなる。
靴を脱いで、短い廊下の先を歩いて居間に到着。
高級感漂う黒のレザーソファ、その雰囲気に呑まれず共に高級感を共有する黒のテーブルは僕の部屋とは大違い。
例えるならば僕の部屋が一泊五千円以下のホテルだとしたら彼女の部屋は一泊十万円のホテル。
こうも家具だけで雰囲気に違いが出るものだとはね。
何気なく置かれているノートパソコンは最新型、ちょっと欲しいなあと思ったり。
べ、別に羨ましくないんだから!
なんて。
「彪光、起きてる?」
居間の奥から何かもぞもぞと衣擦れの音がする。
奥にはベッドが見える。
ベッドには枕があるも、枕の上に乗ってるのは細い足。
本来足がある部分には長い黒髪が広がっていた。
寝てる間にどういう動きをしていたのやら、カメラにでも撮ってみたいものだ。
一先ず掛け布団をゆっくりとめくり上げて現れるは小さな顔。
安らいだいい寝顔だ。
このままずっと見ていたいけど学校があるのでそうはいくまい、残念だね。
近くのカーテンを開けて、陽光を室内に侵入させると彪光は眉間にしわを寄せて眩しそうに表情を歪める。
「おーい、起きてー」
「……んん」
反応有り。
「彪光ー、早く着替えて朝ごはん食べないと遅刻するよー?」
「……この、クズが」
「僕はクズじゃないよー、起きて。あと冷蔵庫から何か拝借していいかいー?」
「……あい」
目を開けてない、完全に夢の中で返答しているな。
「抱きついてもいいかいー?」
「……あい」
「ちゅーしてもいいかいー?」
「……あい」
よーしやっちゃうぞ? 本当にやっちゃうぞ? 了承は得たんだからいいよね?
……実際はやらないけど、とりあえず両肩を揺らして起こそうとした。
「彪――痛いっ」
揺らした途端に彼女は目を開けて、右手の拳で僕の頬を殴った。
「……あら、おはよう」
「……おはよう」
拳を早くどけてはくれないだろうか、めり込んでるんだが。
「寝てる隙を狙って部屋に侵入して私を襲おうとしたの?」
「違うよ、起こそうとしただけだよ。あと鍵は掛けておかないと駄目だよ、無用心だ」
「心がけておくわ、着替えるからその間に何か作って。冷蔵庫から何でも取り出していいわ」
それはすでに了承済みである。
彪光はようやく拳を離してくれて、上体を起こした。
「僕の分も作っていい? 食材買い忘れてまだ何も食べてないんだよね」
「仕方ないわね、いいわよ」
ありがたし。
白いシャツを、彼女は僕がいるってのに躊躇せず脱いだ。
やや桃色の下着と肌が露出し、僕は慌てて後ろを向いて、目に留まった冷蔵庫に直行。
「制服、どこに置いたかしら」
「し、知らないよ!」
僕は振り返らずに朝食を作る、君は急いで着替える。今お互いがすべき行動はこれだ。
冷蔵庫を開ける。
卵、卵、プリン、牛乳、卵。
なんか卵多いなぁ……。
「卵、昨日少し遠くのスーパーで特売日だったの」
「そうなんだ」
「三パックで260円、これって安いのよね?」
「うん、安いよ」
彼女も一人暮らしを始めてから実に庶民的な生活をするようになった。
最初は高価な肉やら魚やら頂いて暴食するわ、一ヶ月は十万で十分とか言って一週間で買いたいものは何でも買って使い込んで自制心の崩壊が訪れ、洗濯物や洗い物は溜まり、部屋は荒れ放題。
金銭面なら面倒を見てくれる人はいるとの事だが、その人や周りに迷惑を掛けて生活するのか、それともなるべく自分の力で生活してプライドを守って生活するのか問うと彼女は反省して前より生活が大幅に変わって節制に努めた。
喜ばしい事だ、てか僕も彪光の言う少し遠くのスーパー行けばよかったなあ。
今後通うかもしれないから後でスーパーの名前を聞いておくとしよう。
最近は家に帰ったら何かとやる事が多いから、あまりスーパーに寄れていない。
「スーパーで戦争が起きるとは思わなかったわ。若い女子と一パックの取り合いの末、腹パンして奪い取ったの。ニパックだと少し損なのよね。ざまあだわ」
「やめようねそういう事」
腹パンよくないよ、暴力反対。
野菜室を覗くとたまねぎ、にんじん、ながねぎ等が揃っていて何でも作れそうだ。
「オムチャーハンはどうかな? 卵いっぱいあるしさ」
「オムチャ……? 何その無茶しそうな料理」
まさかオムチャーハンを知らないとか言わないよね?
「無茶するんじゃなくて、オムライスのチャーハンバージョンみたいな。解らない?」
「解らない。無茶苦茶美味しそうね、作って」
了解。
よく料理するって言ってたのにオムチャーハンを知らないとは誠に遺憾である。
彼女の台所はフライパンも中々の上物。
コーティング仕様とか持ち手に書かれていて、多分これはフライパンに焦げ付かないよう施されているものだ。
誰かに一式揃えてもらったのかな。
記されている社名がどれも同じ、その関係者……社長さん?
僕にもそんな人が欲しいなあ、君の人脈を分けてくれない?
……僕という奴は本当に小さい人間だ。
自分を卑下せざるを得ない。
料理を作っている間、後ろから衣擦れの音がして、彼女が着替えているのを意識すると手元が怪しくなってしまう。
いかんいかん、朝から僕は何を想像しようとしているんだ。
今はこのたまねぎをみじん切りにしてフライパンに投げ込んで炒める事だけ考えなければ!
卵は一人前につき二個使ってやろう! おいしいぞこれ。
「冷蔵庫から牛乳出して」
「はいよ」
「あとコップ」
「ほいさ」
調理中なのでちょっと忙しいけど、なんとか動ける。
でもコップを隣に置いた時、僕の動きは止まった。
「……あ」
「何?」
制服、上は着終えてる。
……上は、だ。
でも肝心のスカートが、履けてない。
「パ、パンツ見えてるよ!」
彼女は扇子を振って開き、きりっとした目つきで言う。
「今からスカート履くわ、私のパンツよりフライパン見なさいよこのクズが」
はい、すみません。
彪光といると僕の心臓は実に活発な動きをさせられる。
彼女がスカートを履いて、テレビを見始めて「今日は晴れねえ」と呟いた頃、高級感ある黒いテーブルの上に、オムチャーハン二つ。
こうして見るとこのオムチャーハン、一皿一万円と値札が付いていたら騙されるかもしれない。
「……美味い」
「ありがとう、君の手料理もまた食べたいな」
「……そのうちね」
そのうちかあ、期待して待っていよう。
朝食を食べ終えてそろそろ学校に行く時間となったので僕達はアパートを出た。
「今月は今日子ちゃんが退院するんだってね」
新蔵の妹さんである今日子ちゃんは入院中も容態は安定していて順調。
おかげで最近の新蔵は上機嫌だ、学校でもよく笑うようになった。
「二十日辺りだったかしら。退院祝いのパーティでもやる?」
「いいね、やろう!」
「新蔵にはいっぱい恩を売ってサークルで頑張ってもらわないといけないから、奮発しなきゃね」
笑顔で言うも、その笑顔、悪者がよく悪巧みを考えてる時に浮かべる笑顔。
腹黒いよ彪光。
「ちなみに今日のサークル活動内容は?」
「裏サークルの情報集めと、姉さんの情報をばらした奴を調べるわ」
「総生徒会長暴露問題だっけ」
「そうよ、そのクズを殺すの」
「やめてっ」
現在生徒会長の選挙中だ。
この学校は一年、二年、三年に一人ずつ生徒会長が選出される。
生徒数が多いのもあり、校長の方針もなんだかあったけど忘れたが他の学校とはやや違うシステムになっている。
さらに学校の功績を認められて選挙も無く校長から選ばれる総生徒会長もおり、既に選ばれているが本来は選挙が終わってから発表されるはずだった。
しかし学校のとある掲示板で総生徒会長が彪光のお姉さん――虎善さんであるとばらされ、彼女が総生徒会長である根拠の写真など数枚が投稿されていた。
もちろん僕はやっていない。
時々あるらしい、総生徒会長は誰かという生徒達の興味が、総生徒会長探しへと発展して発表前にばらされる事は。
掲示板を使ったやり口から、また裏サークルかと学校では噂になっていた。
もう知られているならば堂々と――虎善さんは総生徒会長として今日から一週間、学校へ来る生徒達に朝の挨拶をすべく校門前に立つ。
「でも裏サークルといったって多いし裏サークルがやったとは限らない、魔がさしてやってしまっただけの生徒って可能性もある」
「調べるのは時間が掛かりそうね、貴方にお願いしようかしら」
「お願いというと?」
「ねっ? こっくりさん」
ねっ? じゃないよ。
あと頭を扇子で叩かないでっ。
「そんな簡単にこっくりさんを頼らないで」
本当にどうしようもない時に僕は手を差し伸べたい。
「逆に僕から君に保留中のお願い聞いてもらおうかな?」
彼女のお願いは聞き届けた、でも僕のお願いはまだしていない。
「いいわよ、言ってみて」
「僕らのサークルを今後正義の味方として活動を――」
「却下」
このやりとり、先月に引き続き二度目である。
「あ、あのね? こっくりさんからのお願いは強制であってね?」
「黙れクズが」
「酷いっ!」
「ごめんクズが」
「謝って罵らないでっ!」
彪光は扇子を顎に当てて僕が困惑する様子を見てけらけらと笑った。
弄ばれてる感が否めない。
「はあ……君が聞き入れてくれる僕からのお願いは何がいいんだか」
「私が思わず貴方マジぱないわと関心するお願いを期待してるわ」
よし、時間を十分に使ってお願いを考えておくからね。
周囲に登校中の生徒が増え始め、この話は一度中断。
僕がこっくりさんである事は周囲に知られるのは非常によろしくない。
本当は彪光にだって教えてはいけなかったけど、仕方の無い状況だったのだ。狐と狸には絶対に秘密だ。
「今日はアンナ、来ないね」
学校へ着きそうな頃には彼女がカタコトの日本語で挨拶して合流するのがここ一週間、毎朝お約束だったのだが、彼女の挨拶が一向に聞こえてこない。
「病院に寄るから来るのは遅くなるわ」
「ああ、定期健診? だっけ。退院してまだ一週間だもんね」
あの件で三箇所も腹部を刺されたアンナだが、回復力はたまげたもので長めの入院になるかもと心配されたが四月下旬には寮のアパートの前に置いてあるサンドバッグを元気に殴りつけていた。
「あの子なら大丈夫ね、頑丈だから」
「まったくだ。僕もあの頑丈さを分けて欲しいな」
「ちょっとは鍛えなさいよ、強引に男に押さえつけられて尻を掘られても知らないわよ?」
「怖い事言わないでっ!」
ダンベルとか買おうかな……。
「……あっ」
校門近くで、彪光は一度足を止めた。
彼女の視線は僕へ向けられておらず、何を見ているのかとその視線を沿って見てみると、そこには遠くからでも何かこう……人とは違う雰囲気を醸し出している一人の女性がいた。
威厳に満ちたその立ち方、手に持つ扇子は彼女を栄えさせる。
生徒達は彼女を見るや、頭を下げて挨拶をし、彼女が挨拶を返すと嬉しそうに生徒達は通り過ぎる。
彼女――
「虎善さん、いるよ」
「いるわね」
姉の顔を見て思わず口元でも緩んだのか、彪光は扇子で顔半分を隠した。
多分、その扇子の裏では口元をにんまりと緩めて嬉しそうな表情を作っている彼女の顔があるはずだ。
きっと可愛らしい表情がそこにはある、扇子を奪い取ってすぐさまに写真に収めたいね。
「あれから、虎善さんには会ったりした?」
「……会ってないわ」
二人の間に出来ている溝は深い。
姉を想い距離を近づけようとする彪光に、虎善さんは中々距離を縮めようとしてくれない。
いつかは二人仲良く肩を並べて歩く姿を見てみたいな、映画のワンシーンのような風景が出来上がるのではないだろうか。
「話しかけてみれば?」
「そ、そうするわ」
扇子を閉じて、彼女は懐に締まって眉間をぴんとさせて話しかける決意をするも緊張しているのかちょっと表情が固く見える。
「なんて、言おうかしら?」
「おはようございますでいいんじゃない?」
「そ、そうね! とりあえず、貴方が、話しかけて!」
僕を挟んで僕が挨拶したらそこへ便乗して挨拶するつもりだな。
別にいいけどさ、もっと自分から積極的にいくのもありだと思うなあ僕は。
解らなくも無いけどね。
虎善さんに話しかけるのは彼女には勇気がいる。
話しかけて激しく反発されたらどうしよう、何か言われるのでは、そんな不安が彪光の心に纏わりついているのだろう。
ごく自然に、僕らは人の波に流される中虎善さんへと近づいた。
近くで挨拶をするのは重要だ、うちの学校は生徒が多いので中々思うように進むのは難しいが、近くまでなんとか来れたので歩調を遅くする。
「話しかけるよ?」
「……どうぞ」
僕は虎善さんに視線を向けると、彼女も僕を見て視線が交差する。
最初に、虎善さんが見せた表情は薄らと浮かべた笑顔。
僕への印象は下がったものと思っていた、そこらへんの石を見つめるような顔で冷たい視線を向けられるのかと予想していたが意外だ。
器の大きい人だよ本当に。
虎善さんの目の前に来て、僕達は足を止めた。
こちらから口を開かずとも、虎善さんが口を開こうとしていたので言葉を待つ事にしたその時――空から何かが飛んできて、虎善さんの頭に当たった。
軽い割れる音と共に、白と黄色のとろりとした液体が彼女の頭を覆い始める。
ああ。
これは。
……生卵だ。
虎善さんは、表情を一切変えず僕らに微笑みかけて言う。
「おはよう、今日もいい天気ね」