其ノ始
「おはよう、今日もいい天気ね」
彼女――総生徒会長・虎善さんの言う通り、確かに今日はいい天気だった。
空を見上げれば雲を探すほうが難しいくらいに、青々とした空が頭上に広がっている。
おはようございます、ええ、とてもいい天気ですね――と返答するべきであろうが、僕はまるで酸素を求める魚のように口をパクパクとさせて、言葉を失っていた。
虎善さんは彪光のお姉さんだ、それはそれは容姿端麗で彪光と同じくらいに伸びた長い艶やかな黒髪が彼女を栄えさせ、清楚な女子生徒代表と腕章を与えたいほど綺麗な人である。
彼女に朝の挨拶をしてもらうだけで清々しい気分に浸れる。
誰でもそうだろう? 朝から美女におはようって言ってもらうのはたとえ憂鬱で億劫な朝だったとしてそんなものは吹っ飛んでしまうはずだ。
虎善さんは開いていた扇子を華麗に閉じ、顎に当てて、
「どうしたのかしら? おはようって言ってはくれないのかな?」
やや上目遣いでこちらを見るその表情、ストライク。
しかし……。
しかし……だ。
自分の中に渦巻いていたのは清々しい気分ではなく、理解しきれない――説明しづらい衝撃的な感情。
周囲はざわついていた。
大変な事が起きてしまったと皆が驚愕して、僕もその一人だった。
しかも僕は目の前で見てしまった、何が起きたのかを。
隣にいた彪光も、同じく大事件の特等席ペアチケットを僕が渡して一緒に見てしまって驚愕という流れに陥っている。
彪光をいつもどおりの時間に起こさなければよかった、今は本当に後悔している。
「彪光、私に挨拶は? 引きちぎるわよ?」
虎善さんはまだ彪光には厳しい。
というより素直にはなれずについつい冷たい態度を取ってしまうように見られる。
……まあそれはいいとして。
彪光も僕と同じように口をパクパクとさせていた。
「ね、ね、ね……ねえ、さん」
「言葉を詰まらせず、ちゃんと口を開いて挨拶なさい」
「あ、あの、その……た、た、卵……!」
「卵? 貴方はおはようと言われたら卵って返すの? いつから日本は挨拶の返し方が卵になったのかしら?」
彪光、君の言いたい事は十分に解る。
僕が君と同じ立場なら、僕も絶対に卵って言うと思う。ああ、絶対にね。
だって――
「あ、頭に……卵が!」
そう、彪光が代わりに言ってくれた。
頭に、卵が。
「私はおはようございますという言葉を待っているの。解る?」
「お、おはようございます……」
「よろしい」
「虎善さん、頭がよろしくありません!」
思わず言葉を返してしまった。
「失礼な!」
「いや、頭が悪いとか髪型がどうとか言いたいんじゃなくてですね……」
頭の状況がよろしくないわけで、えっと……この場合はどう説明すればいいのだろう?
……難しく考えるな、素直に言えばいい。
「虎善さん! 頭に卵乗ってるんですよ!」
言葉通りである。
付け加えるならばどこからか飛んできた生卵が頭に落下して、割れて、中から黄身と卵黄が出てきて虎善さんの頭から顔に垂れてきているんです。
卵黄は裂けずに綺麗に丸みを維持しており、前髪から垂れるのを感じたのか、手を前髪に添えて虎善さんは卵黄を掌に着地させた。
震えるもまだ裂けない卵黄、感嘆の声をあげてしまいそうになる。
「卵ね」
「……卵ですね」
それも生卵。
「卵です、姉さん……」
三人で卵黄をじっと眺めていた。
もはや頭の中が真っ白で僕と彪光はこの状況を変えれる術は無い。
じっと卵黄を見る事しか出来ないのだ。
「そ、総生徒会長! こちらに!」
すると近くにいたあの、名前なんだっけ、ああ、そうだ、三年生徒会長に立候補している御厨夏江だ。
彼女は異変を察知して周囲の役員達を集めて人目に曝さぬよう囲んで虎善さんを連れて行った。
あの卵黄はどうするのかな。
ずっと掌に置いたままなのだけれど。
「……ちょっと姉さんにあんな事をしたクズの五臓六腑を引きずり出してぶちまけて天日干ししてくるわ」
「彪光早まらないでっ!」
その日の朝は、晴れのち卵。
お久しぶりで御座います、およそ一年半ぶりとなる続編です




