三ノ肆
「今日は何も言わずにサークル来なくて悪かったわね、午後は早退したの」
言葉にはどこか柔らかさが感じられて、少しずつ不機嫌さが引いているようだ。
「え? ああ、いや別にいいさ」
どうして来なかったんだよと今更問い詰めるまでも無い。
「アンナは来た?」
「いや? 来なかったけど一緒じゃなかったの?」
彼女は首を横に振る。
でもまあ、アンナの事だからどこかで笑いながらお菓子でも食べてそうだ。
たとえどんなに治安が悪い場所にいてもアンナなら笑って過ごしていられる気がする。
「気になる事があったわ」
「気になる事?」
「服部新蔵の件もあったから早退する前に橘先生と園芸部の部長に話をしにいったのよ」
そういえば新蔵が慌しかったのもあって橘先生と部長にはちゃんと謝罪をしにいったのかは聞いていなかったな。
新蔵の事だからきちんと謝罪して脅してとった金も返したであろうが。
「部長は今日休みだったのだけどね、連絡が無かったから担任が家族に問い合わせたら交通事故で入院中だったらしいわ。それも先週から」
「先週……? なら僕らが会った部長は?」
「さあね。家族はちゃんと学校へ連絡したらしいけど、連絡を受けた教師も誰か解らないし、橘先生はまったく気づかなかったんだって」
部長は先週から入院していたのならば今週から来ていた部長は別人で、誰もすりかわった事も気づかない完璧な変装やら口調やら部長の性格やらを演じてみせたという事……?
しかし果たして可能なのか?
事実、橘先生でさえ気づいていなかったのだから可能といえば可能らしい、信じがたい話だ。
どっかのルパンじゃあるまいし。
考えている内にたどり着いたのは明らかに存在感が違うお店。
看板はフランス語っぽい文字で書かれていて僕じゃ読めない。
僕なんかが店の前に立つ事すら場違いな気がしてならないけれど、彪光は僕の手を引いて強引に中へ入れる。
「ね、ねえ……こんな服装だけど、大丈夫なの?」
「構わないわよ、学生服という点なら私も同じだから」
そういえば君も制服だったね。
でも着こなしの違いっていうのがあってだな。
君はたとえ制服を着ていても、その魅力的な容姿が制服さえ正装にも匹敵する錯覚に囚われるわけだ。
僕はというと、貧相が貧相を着て貧相が出来上がったような感じ。
「ほら、堂々としなさい!」
言下に僕の背中を強く叩き、軽く咳き込みつつも僕は丸まりかけた背筋を伸ばした。
戸上さんと先ほど僕を治療してくれた人が先行して僕らをテーブル席まで案内してくれて、わざわざ椅子まで引いてくれる。
座っていいのか――いいのであろうが、恐れ多いとはこの事だ。
「座って」
そう言われても素直には着席できず彪光が座ってから、僕も恐る恐る着席。
怒られないかな?
根拠の無い不安が僕の心を脅かす。
戸上さんらが近くに立っているのが気になるがこれは護衛として仕方が無いか。
「さっきの話の続きなんだけどね、もしかしたら私達の行動を観察するために誰かが部長になりすましてたんじゃないかしら」
「僕達を……? まさか」
「だって私達が行動に合わせたかのように先週に部長は交通事故で別の部長に入れ替わってるのよ? 交通事故なんて故意でも引き起こせるわ」
「でもわざわざそこまでするかな……」
最近出来たばかりの小さいサークル、今のところ特に害も無いし彪光の目的とは逆にそれなりに良い活動もしている。
知名度は無い、本当に無い。
そんな僕らを誰かがわざわざ交通事故を起こして部長を入院させて、部長とすりかわってしかも別人と気づかれないように過ごすなんて事、僕ならばやれる自信も無いしやれと言われても無理って答える。
何よりもそこまでするか? って問いかけるだろうね。
「解らないわよ? もしかしたら私達はもう新たな敵を作っちゃったのかもね」
あ、このスープ美味しい。
口内を少し切ったからちょっと痛いけど、美味しさがそれを上回ってる。
「きっとこれからもっと何か色々と起きる気がするわ」
音を立てちゃ駄目だよね、飲むんじゃなくて食べる風に、確かそんな感じでスープは味わうんだ。
「音々子にもアンナにも警戒を呼びかけておくわ、ふふ、楽しみね……敵が現れたら」
スープの次は何が運ばれてくるんだろう。
さっきのオードブルも美味しかったなあ、パックにつめて持ち帰ったら駄目かな?
夜食とか明日の朝食とかで食べたいな。
「聞いてるの?」
「え? あ、うん! 聞いてるよ?」
オードブルやこれから運ばれてくる料理をパックにつめて持ち帰れたら食費が浮くな、とか考えてて話の内容はまったく聞いてなかったけど。
「もしかしたら……敵はこっくりさんっていう可能性もあるわね」
「なんでさ?」
こっくりさんなんて言えばいいってもんじゃないと思うな。
「だって噂だととんでもない事でもこなしてみせるんでしょう? 願いも叶えてくれるし、なんでも出来る怪人ってのも聞いたわ。まさにこっくりさんならすり変わるくらい簡単にやってのけれるんじゃない?」
話が随分と盛りに盛られたようでさぞかしこっくりさんも喜んでるだろう。
「さあね。つーか本当にいるのかすら解らないし」
「いたらどうする?」
「どうもしない」
「願いとか無いの?」
「あるよ、いっぱいある。でも叶わないさ、魔法でも使えない限りね」
しかしこの魚料理、美味しいな。
願いが叶うなら今は料理をつめるパックが欲しい、大きめのを四つくらい。
これくらいなら叶うだろうね。
「そう、よかったら教えてくれる? 叶えたい願いを」
「この料理をつめれるパックが欲しいな」
「嘘、そんなんじゃなくて本当に叶えたい願いよ」
僕はナイフとフォークを置いて、水の入ったワイングラスに手を伸ばした。
別に喉を潤したかったわけじゃない。
単に。
ああ、単に。
単に答えたくなかった。
本当に叶えたい願い、だって?
「秘密」
「馬鹿」
馬鹿ですみませんね。
機嫌を損ねちゃったかな? と僕は彼女を一瞥。
「いいわ、叶えて欲しい願いって簡単に言葉にするものでもないし」
ごもっともで。
「でもね」
でも?
「いつか聞かせて欲しい、かな」
彪光は……その綺麗な顔立ちを更に綺麗な顔立ちへと系統発生させるかのような笑顔を僕へ向けた。
思わず口へ運ぶはずの水は僕の服へぼとぼとと落ちる。
「あ、わ、わわ!」
「何やってるのよ、馬鹿」
そうして今夜はフランス料理のフルコースってのを味わった。
忘れられない味だ、呼吸するだけで口の中に今だ留まっている余韻が空気に味付けしてくれている。
それくらいの美味さ、しばらく忘れられそうに無い。
しかもお土産も貰っちゃったし、彪光にはまったくさ、頭が上がらないよ。
「じゃあまたね」
車の窓から彼女は小さく手を振った。
僕も手を振って、彼女の乗る車両が見えなくなるまで見送ってから部屋へ。
「本当に叶えたい願い、ね……」
微笑混じり溜息は静かに空へ溶けていった。