三ノ弐
虎善さんと話を終えてからはそのまま僕は隠し部屋へ直接足を運んだ。
どうせ下駄箱で靴を履き替えていればきっと彪光から連絡が来るしね。
隠し部屋には音々子さんがパソコンのモニタを凝視してにやけており、僕が来ると何事も無かったかのようにモニタを消してごまかしの咳を一つ。
「あれ? 音々子さん一人ですか?」
「ええ、まだ誰も来てないの」
お茶を出されたので僕はそれをすすりながら暫く待つ。
連絡は無い、とりあえず待機するが狭い部屋に男女二人。
ちょっとした緊張を僕は感じてそわそわしつつ、対面で僕と同じくお茶をすする音々子さんもどこかそわそわしていた。
沈黙が身を締め付けるので話題を投入すべく脳内を探し回ると先ほど会った虎善さんが浮かび上がった。
「音々子さん、小鳥遊虎善って知ってます?」
「え? あ、ええ! 知ってるわよ。彪光様のお姉様でしょう?」
「どんな人かは解ります?」
音々子さんは上級生だし、何か僕よりも情報を持っているかも。
すると音々子さんは眉毛を曲げて少しばかり思考。
「……優等生ってとこかしら。去年は生徒会で活躍してたし比の打ち所の無い人ね。ミス平輪にも選ばれたのよ?」
「ミス平輪?」
「十月の文化祭で毎年行われるの。二年連続ミス平輪なのよあの人」
そりゃあすごい。
まあ確かにあの人の容姿ならミス平輪はむしろ与えなければならないくらいだ。
艶やかな長い黒髪、ふっくらとした潤んだ唇、ぱっちり二重瞼に滑らかな肌、その整った顔立ちは完璧を組み合わせて出来た完璧。
彪光も然り、小鳥遊の家系は皆が美人なのではないかと思ってしまう。
「完璧、そういう表現があの人にはお似合いかしら」
納得である。
肯定してそうですよねえと自然と頷いてしまっていた。
「ただ……」
ただ?
「彪光様からはあの人の話は一度もされた事が無いし、虎善さんと彪光様が一緒にいるのも一緒に帰るのも、一度も見た事が無いのが気になる……かな」
仲が悪いのかも、そんな直接言葉では言えない疑問を僕に語りかけていたように感じる。
「仲、悪いんですかね」
けれども僕は即座にその疑問を言葉にした。
「そ、そうなのかしら……?」
「どうなんでしょうね?」
誰かに仲が悪いのかもという疑問を共有してほしかったのかもしれない。
彪光とアンナは隠し部屋へ結局来なかったので日が暮れ始めた頃に僕は帰宅。
音々子さんはまだしばらく隠し部屋にいるようだけど何をしているのかは聞かないでおこう。
多分、ろくな事じゃないし。
彪光の電話番号は一応、携帯電話に登録はされている。
今日、何故来なかったのかを聞いてみようかななんて暫く携帯電話の画面を眺めるが、来ないなら来ないで電話してくるはずだし、電話をする余裕すらないくらいの用事があるという事か。
それならばこちらから電話をするのは彪光には都合が悪い場面で電話がなるかもしれないので、僕は何もせずに携帯電話をポケットに入れた。
帰り道は一人で歩くと長く感じる。
慣れていたはずなのに、久しくそう感じて僕は隣に誰かいて欲しい衝動に駆られた。
誰かっていうのは彪光であって、彼女と話をするのはどこか楽しさを覚えるからだ。
「うわっ――!」
その時、脇道から手が伸びて僕は腕を引っ張られた――っていうより引きずり込まれた。
あまりの勢いに僕は薄暗い脇道へ倒れこみ、一体誰だよと見上げると少女が一人。
日が暮れ始めていたのと薄暗さが合成されて顔がよく見えない。
それでも少女だと判断したのは髪の長さと微かに見えたつぶらな瞳。
多分って付け加えるのが妥当なところだけれど、今度はその多分を雲散すべく体躯を見ると細い四肢が少女らしい体躯と教えてくれるため僕は自分の判断に自信を持った。
その自信、持ったところで何だという話にはなるが。
「とりあえず……」
とりあえず?
「一ヶ月くらい入院しろ」
彼女は両手の骨を鳴らして僕へと歩み寄る。
どうするつもりなのか――考えるまでも無く殴打。
彼女の後ろにはいつもの帰り道が見えるが人影はまったく無し。
この時間帯、今日に限って僕の帰路はほとんど人がいなかったな……。
誰かが駆けつけたとしても、威圧感を纏う彼女を前にしたらきっとただの被害者と成り代わるであろう。
暗い脇道に入った途端、彼女の不意打ち攻撃が待っているのは一目瞭然。
「ちょ、ちょっと待って!」
何とか立ち上がって僕は後退。
逃げ道は無いかと後方を見るとフェンスで塞がれているのは気のせいだろうか。
初動は僕の頬へ拳が放たれ、骨が軋む音と肉がつぶれる音が混ざり合ったような効果音が僕の鼓膜に届くと視界は一瞬で真っ白。
気がついたときには壁に寄りかかっていた。
女性とは思えない拳の威力。
この危機、どうやって凌げばいいのか誰か教えて欲しい。
更に僕は腹部を殴られ、倒れこむ前に顎を殴られ、倒れこんだ時にはわき腹を蹴られた。
「お前が悪い、ああそうだ。お前が悪いんだ。あの人を不機嫌にさせたお前がね」
何度もわき腹を蹴ってくるので僕は両腕で防御。
それでも固い靴が容赦なく両腕を軋ませる。
「あの……人?」
「あの人と話が出来て同じ空気を吸えて近づけただけでも素晴らしい事なのに、お前は最低だ」
彼女の怒りの源はあの人、らしいが誰かを特定するに先ず虎善さんが思い当たる。
「あの人からはお前については私が全て任された、だから私はお前を痛めつける。いいだろう? いいはずだ、いいに決まってる!」
よくないけど、反論できるほどの余裕も無い。
反論を考えるよりも僕は咄嗟に彼女の足を掴んで転ばせた。
「痛っ……お前……!」
すぐに立ち上がってここから逃げるが一番の策。
だが腕を掴まれて壁に叩きつけられた。
女性とは思えない腕力、振り払おうにも今この時点で解る事は僕の腕力よりも彼女の腕力が勝っており、総合的な身体能力全てにおいて確実に僕が負けている。
そりゃあ喧嘩なんてした事は幼少期に、それもちょっとした殴り合いではなく叩き合いくらいだけど、少女にすら劣るとなると男としてのプライドが凹む。
今は顔も凹まれそうではあるが。
そのまま僕の求める出口とは逆の方へと引っ張られて彼女は回りこんで先ほどと同じ状況が再び出来上がる。
首の骨を鳴らして先ほどよりもやる気が上昇したようで冷や汗が頬を撫でた。
僕の思い切った行動は神経を逆撫でしただけで状況の悪化が嫌な予感しか知らせてくれない。
空を切る音――この狭い脇道にも関わらず回し蹴りは綺麗な軌道を描き、僕は辛うじてそれを避けるも掠っただけで頬に切り傷が走る。
そこからの。
右拳。
回し蹴りを避けたおかげで定まらなかった視線をようやく正面へと合わせたところにそれがあった。
綺麗にその拳は僕の顔面をとらえ、後ろのフェンスに叩きつけられた後に両膝をついた。
また攻撃がくるかと思いきや、
「顔はまだ綺麗だ」
僕の顔を鷲掴みして耳や鼻、唇などを乱暴に触れていく。
次は何処を殴ろうかと品定めするかのように。
「ここも」
僕の頬へ一発、
「ここも」
僕の顎へ一発、
「ここも」
僕の鼻へ一発。
この雰囲気はもう彼女が気の済むまで殴られ続けなきゃいけないようだが、まだまだ殴られ続けそうな気がする。
気がするんじゃなく、確実にそうなるであろう。
反撃しようにも相手が少女となると反撃しづらいし何よりもきっと僕は反撃しても迎撃されて更なる痛い目に遭うのは目に見えている。
だからといってこうして殴られ続けるのも嫌だが、逃げようにも膝を足で押さえつけられて立ち上がれなかった。
「おい、そこで何をしている!」
すると脇道へ何者かが僕らに気づいてやってきてくれた。
やっと誰か気づいてくれた、そんな安堵で僕は胸がいっぱい。
少女は舌打ちをして最後に僕の頬を思い切り殴ってフェンスを軽々と乗り越えて逃げていった。