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異世界美容外科医 ~美しくなりたい彼女たちと、俺のクリニック経営~  作者: シャロン=ミ


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50話 ルミナ・スレッド

午前中の『AIZAWA skin beauty』の診察室。


朝一番で訪れた中年女性の患者は、鏡に映る自分の顔をどこか寂しそうになぞりながら、切実な思いを雄介に打ち明けていた。


「先生……最近、頬全体がなんだか下がってきてしまって……。昔はもっと、フェイスラインがすっきりしていたんですけれど」


女性は細い指で頬の肉を軽く押し上げ、ふっと息を吐いた。


「でも……お顔をメスで大きく切り開くような手術だけは、どうしても怖くて踏み出せなくて……」


「お気持ちはよく分かりますよ」


雄介は落ち着いた声で頷き、患者の顔立ちをあらゆる角度から仔細に観察した。


頬のボリュームそのものが極端に減っているわけではない。むしろ——


(頬の脂肪層が下垂し、それに引っ張られてフェイスラインの境界線がぼやけている。口元には影ができ、ほうれい線がくっきりと目立つ状態だ)


これまでAIZAWAで確立してきたルミナ・フィラーやルミナ・ファット(脂肪注入)を使えば、影を埋めて目立たなくすることは可能だ。 だが、それは飽くまで「凹みを埋める」治療に過ぎない。下がった組織の上からさらに注入を行えば、顔が必要以上に大きく膨らみ、不自然な丸みを帯びてしまう。


(足すだけじゃ限界がある……)


雄介は思考を巡らせる。


(脂肪注入は“失われたボリュームを戻す”治療。フィラーは“局部的な凹みを埋める”治療。なら……重力で垂れ下がってしまった組織そのものを、本来の高い位置へ持ち上げるアプローチが必要だ)


そこで雄介の脳裏に浮かんだ答え——それこそが、切らない引き上げ術『スレッドリフト』だった。



診察を終え、患者を見送った後。 雄介はミーナやアリア、リーナ、そして第一期研修生たちを処置室に集めた。


「新しい施術のコンセプトを説明する。……皮膚を大きく切開することなく、特殊な構造を持った糸を皮下に通し、下がった組織を直接引っ掛けて持ち上げる」


「……糸で?」


ミーナがぽかんと口を開け、思わず自分の頬を触った。


「お顔を……糸で吊り上げるんですか……?」


アリアもどこか半信半疑といった様子で、美しい青紫の瞳を細めた。


「相澤先生、いくら魔法や魔導具があるとはいえ……そんな細い糸だけで、人間の頑丈な皮膚や組織の重みを支え続けられますの?」


「だからこそ、そのへんに生えている糸や、服を縫うような普通の糸じゃ駄目なんだ」


雄介は黒板に向かうと、チョークで大きな羊皮紙の図に条件をひとつずつ書き出していった。


魔導糸スレッドに必要な六大条件】 ① 針穴から挿入できるほど極細であること ② 下がった組織を引き保持する十分な引っ張り強度があること ③ 皮下に入れた後、簡単には切れ・摩耗しないこと ④ 組織を突き破ったり、引き裂いたり傷つけにくい構造であること ⑤ 生体に対して極めて安全であり、強い拒絶反応を起こさないこと ⑥ 将来的には体内で自然に分解され、吸収されること


書き終えた雄介は、チョークを置いてみんなを見渡した。


「ただ『丈夫で強い糸』を作ればいいわけじゃない。強すぎれば皮膚内部を切り裂き、ひきつれや激痛を生む。弱すぎれば引き上げの力に耐え切れずに切れる。そして異物反応が強ければ、体内で激しい炎症や感染症、瘢痕の原因になる」


雄介の真剣なまなざしに、研修生たちも息をのんで耳を傾ける。


「美容医療においては、“とにかく強固な糸”よりも“患者の身体と喧嘩しない糸”を作ることのほうが何倍も重要なんだ」


現代医学におけるバイオマテリアル(生体材料)の深い知見が込められた雄介の言葉に、アリアは感銘を受けたように胸へ手を当てた。


「身体と喧嘩しない……素晴らしい考え方ですわ。……相澤先生、その糸の素材研究、私に任せていただけませんか?」


「ああ、頼むよアリア。君の魔導工学の知識が不可欠だ」



こうして、異世界初となる「医療用リフト糸」の開発が始まった。 アリアはすぐさま研究室に籠もり、持ち前の魔導工学の知識をフル活用して様々な素材の試作に取りかかった。


「まずは試作品一号——『魔獣蜘蛛の魔力糸』をベースにしたものですわ!」


アリアが持ってきた試作品一号。引っ張り強度は抜群で、大人が二人で引っぱっても切れないほど頑丈だった。 だが、雄介がピンセットで曲げて確認すると、眉をひそめた。


「……硬すぎるな。しなやかさが全くない。これを皮下に入れたら、顔を動かすたびに針金のように皮膚を内部から突き破る。却下だ」


「くっ……では、試作品二号! 柔軟性の高い『魔導樹の繊維』を抽出・加工したものです!」


二号はしなやかで柔らかかったが、雄介が軽く引っ張るとブツリと簡単に切れてしまった。


「引き上げのテンションに耐えられない。これも駄目だ」


アリアは諦めず、すぐさま調合を変えて次の試作にとりかかった。


「……なら、試作品三号! 魔獣由来の高分子素材と魔導樹の繊維を特殊な比率で複合化したものですわ!」


柔軟性と強度のバランスは、一号・二号に比べて飛躍的に向上していた。糸の表面には組織を引っかけるための微小な「コグ(返し)」も綺麗に作られている。 しかし、実験用の生体疑似組織に通してみると、周囲の組織が過剰に赤く反応し、素材と馴染もうとしなかった。


「……強度は合格ラインだが、生体適合性が低いな。これだと術後に強い腫れや異物反応が長く続いてしまう」


「そんな……っ」


アリアはキュッと唇を噛み締め、悔しそうに肩を落とした。


「申し訳ありません、相澤先生……。私、あんなに威勢よく引き受けましたのに、先生の求める理想の糸には全く届きませんのね……」


落ち込むアリアの肩に、雄介の手が優しく置かれた。


「何を言ってるんだ、アリア」


雄介は温かい笑みを浮かべて首を振った。


「ここまでたった数日で条件を絞り込めたのは、全部アリアのおかげだろ。一号で『硬さの限界』が分かり、二号で『強度の基準』が分かり、三号で『生体適合性』の課題がはっきりした。これは失敗じゃない、成功へ向けて条件が一つずつクリアされている証拠だ」


「相澤……先生……」


アリアの青紫の瞳に、パッと光が戻る。


「君の魔導工学による素材開発がなければ、そもそもこの『切らない引き上げ術』の構想すら形にならなかった。胸を張りなよ。最高の糸まで、あと少しだ」


「……! はいっ……! 絶対に、患者様のお顔を優しく引き上げられる最高の糸を作り出してみせますわ!」


アリアの表情から迷いが消え、より一層強い意志が宿る。 名実ともに雄介の右腕として、そして一人の立派な研究者として、アリアは確かな成長を遂げていた。



アリアが持ち込んだ試作品三号を前に、雄介たちが「生体適合性」の壁に突き当たっていたその時だった。


横でじっと糸のサンプルを見つめていたリーナが、おそるおそる手を開き、小さな声で言葉を紡いだ。


「あの……雄介先生」


「どうした、リーナ?」


「この糸にも……私の魔法は使えますでしょうか?」


「君の魔法を……糸に?」


雄介が首をひねると、リーナは銀色の髪をわずかに揺らし、真剣な眼差しで試作の糸を指差した。


「私の『生気湧出アナボリック・ブースト』は、身体そのものの治癒力を助ける力です。だから……生きた組織に触れるものなら、あらかじめ糸に微弱な魔力を流して馴染ませておくことで、お肉(生体組織)が『敵』だと勘違いして弾き出そうとするのを防げるかもしれません」


「……!」


雄介の脳裏に、稲妻のような閃きが走った。


(そうか……! 現代の科学では、糸そのものを生体に近づけるための薬品コーティングや特殊表面加工を行う。だが異世界では、生体応答をコントロールする『触媒』としてリーナの魔法を使えるんだ。糸そのものを無理やり馴染ませるんじゃない。糸と周囲の組織が、穏やかに共存できる環境を整えるんだ!)


「いける……! アリア、三号の複合繊維の配合をもう一度見直してくれ。柔軟性と引っ張り強度のバランスを最優先する。生体適合性のフォローは、リーナの魔法を組み込む!」


「承知いたしましたわ、相澤先生!」


アリアの目が情熱に燃え上がり、すぐさま魔導炉と試薬の準備へと取り掛かった。



さらに、雄介はアリアが新しく紡ぎ出したしなやかな糸を拡大鏡で観察しながら、最も重要な課題を指摘した。


「アリア、ただの滑らかな糸じゃ駄目だ。これだと皮下に糸を通しても、滑ってしまってたるんだ組織を引っ掛けられない」


「引っ掛けられない……? では、糸の表面に突起のようなものを作るということですの?」


「そうだ」


雄介は手元の用紙に、拡大された糸の構造図を描いた。


「糸の表面に、斜め向きの微細な『返し』——いわゆる**『コグ』**を刻むんだ。このコグが皮下の脂肪層やSMAS(筋膜)にしっかりと引っかかることで、持ち上げた組織をその位置で強力に保持できるようになる」


「コグ……! 面白い発想ですわ!」


さっそく、アリアの精密な魔導加工によって、三種類のコグ付き糸が作られた。


一種類目は『コグなし(滑らかな糸)』。 疑似組織に通して引っ張っても、ツルツルと滑り抜けてしまい、引き上げ力はゼロだった。


二種類目は『巨大なコグ付き糸』。 しっかりと引っかかるものの、力をかけると組織をズタズタに切り裂いてしまい、侵襲が大きすぎた。


そして三種類目——アリアが極細の魔力刃で刻み込んだ『微細な二重斜向コグ付き糸』。


雄介が拡大鏡で確認すると、均一な間隔で並んだ小さな返しが、組織を傷つけることなく、優しく、しかし確実に捉えていた。


「……これだ」


アリアとリーナが顔を見合わせ、安堵と喜びに表情を綻ばせる。 AIZAWAのプロダクト体系である『ルミナ・フィラー』『ルミナ・ファット』『ルミナ・ニードル』に続く、第四の革新——


医療用引き上げ糸**『ルミナ・スレッド(Lumina Thread)』**が誕生した瞬間だった。



だが、雄介の妥協なき検証はここで終わらない。


完成したルミナ・スレッドを人体に使用する前に、まずは人工皮膚モデルと動物由来の組織モデルを用いた強度実験が行われた。


雄介は手袋をはめた手でルミナ・スレッドを組織モデルに通し、ぐっと上方向へ引っ張った。


(ギュッ……)


たるんでいた組織が、見事にキュッと引き上がった。 研修生たちから「おおっ!」と歓声が上がる。


しかし、雄介はさらにそこから強く糸を押し引きした。


(ブツッ……)


糸そのものは切れなかったが、引っかかっていた周囲の疑似組織のほうが負荷に耐え切れず、裂けてしまったのだ。


雄介は即座に眉をひそめた。


「……強すぎる」


「えっ……? でも先生、組織を持ち上げられたのですから、成功なのでは……?」 ルカが困惑気味に尋ねた。


雄介は首を横に振り、静かに、しかし重みのある声を響かせた。


「糸の保持力が組織の強度を上回ってしまえば、患者が顔を大きく動かした時に、内部で組織が引き裂かれて痛む。……糸が勝ってはいけないんだ」


アリアがハッとしたように息をのむ。


「……つまり、糸の力で組織を無理やり従わせてはいけない……ということですの?」


「その通りだ」


雄介は研修生たち全員の目を見つめた。


「美容医療は、患者の身体を力でねじ伏せるための技術じゃない。身体の構造を理解し、協調し、身体が本来あるべき望ましい形へと優しく導いてあげるんだ。それこそが、俺たちの目指す医療だ」


この言葉は、ただの技術論を超えた「AIZAWAの医療思想」として、アリアやリーナ、そして若い研修生たちの胸に深く、強く刻み込まれたのだった。



そして、ついにその時が訪れた。


午前に「顔を切る手術だけは怖い」と深く悩んでいた中年女性が、カウンセリングルームで雄介の説明を受けていた。


「施術の名前は『ルミナ・スレッド』。メスを使わず、極小の針穴からこの特殊な糸を通し、下がったお顔の組織を引き上げる新技術です」


雄介は術式のメカニズム、期待できる効果、そして新技術ゆえの腫れや経過観察の必要性について、何一つ隠さず丁寧に説明した。


女性は差し出されたルミナ・スレッドをじっと見つめ、やがて力強く頷いた。


「相澤先生……私、お任せします。先生のお話を聞いていて、こんなにも私の身体のことを一番に考えてくださるなら、何も怖くありません」


「ありがとうございます。全力を尽くします」


処置室の準備が整う。 アリアが滅菌済みのルミナ・スレッドと専用の挿入用ニードルを手際よく配膳し、リーナが患者の側で安心させるように寄り添う。


「麻酔を効かせますね。……少しチクッとしますよ」


雄介の指先が無駄のない動きで局所麻酔を施す。 そして、耳の上の髪の生え際付近にある目立たない位置から、ルミナ・スレッドを装填した細い針を挿入した。


皮下脂肪層とSMAS層の適切な境界線を、指先の感覚だけで手探りで進めていく。血管や神経を完璧に回避する、まさに神技のようなブラインド操作。


「……よし」


狙ったポイントまで糸を到達させると、雄介は針だけを静かに抜いた。皮下には、ルミナ・スレッドだけが残される。


そして——雄介は糸の端を握り、ゆっくりと上方向へテンションをかけた。


(スッ……)


その瞬間、患者の右頬の下垂していた肉が、まるで時計の針を数年巻き戻したかのように、スーッと元の高い位置へと持ち上がった。ぼやけていたほうれい線が綺麗に薄くなり、シャープなフェイスラインが蘇る。


「……っ!」


脇で見守っていたミーナが、思わず口元を手で覆った。


「すごい……! 切っていないのに……お顔が全然違う……!」


左右のバランスを完璧に整え、余分な糸の端をカットして処置は完了した。


雄介が鏡を手渡すと、女性はおそるおそる自分の顔を覗き込んだ。


「……あ……あぁ……っ!」


女性の目から、ぽろぽろと大粒の涙が溢れ出した。


「私……? これ、本当に私ですか……? 顔が……昔の私に戻ってる……!」


歓喜に震える女性の姿に、実習室で見学していた研修生たちも圧倒されていた。 だが、施術を終えた雄介の表情に慢心はない。


「セリーヌさん、まだ完成ではありませんよ。数日は軽度の腫れやひきつれ感がでる可能性があります。しっかりと経過を見させてくださいね」


「はい……はいっ! ありがとうございます、相澤先生……!」



施術の直後、ベッドで休む女性のもとへリーナが静かに歩み寄った。


「失礼しますね。痛みを和らげます」


リーナが両手をかざすと、手のひらから柔らかなエメラルドグリーンの光が包み込むように放たれた。


生気湧出アナボリック・ブースト』。


糸が挿入された皮下組織の微小な炎症がみるみるうちに鎮まり、術後特有のズキズキとした不快感が急速に引き引いていく。


「……あら……? 不思議……痛みが、ほとんど感じられなくなりましたわ……」


患者が驚きに目を丸くする。 その様子を観察していた雄介は、心の中で「やはりそうか」と確信を深めていた。


(確かな解剖学に基づく正確な糸の留置、アリアの開発した安全な生体糸、そして仕上げに炎症を抑えて馴染みを促すリーナの魔法。……この三つが揃って初めて、異世界における『完璧な切らないリフトアップ』が完成するんだ)



夜。 診療を終えた静かな研究室で、三人はいまだ光を放つルミナ・スレッドの完成品を見つめていた。


雄介が白衣のポケットに手を突っ込み、しみじみと語りかける。


「ルミナ・フィラーは、失われた凹みを『補う』」 「ルミナ・ファットは、自分自身の組織で『ボリュームを取り戻す』」 「そして、このルミナ・スレッドは——」


雄介は柔らかく微笑んだ。


「重力で下がってしまったものを、本来あるべき『元の位置』へ戻す」


アリアが感極まったように胸を張り、美しい青紫の瞳を細めた。


「AIZAWAの美容医療が……また大きく一歩、未来へ進みましたわね」


「はい……! 患者さんの笑顔、すごく綺麗でした」 リーナも嬉しそうに頷く。


雄介は二人の成長を誇らしく思いながら、ゆっくりと自分のデスクへと歩み寄った。


「ああ。……そして次は、このルミナ・スレッドの極細技術を、あの子の悩みにも応用できるはずだ」


雄介の視線の先。 デスクの上には、朝一番で相談に訪れた少女——エルナのための『まぶたの精細解剖図』と、二重埋没法のための設計図が静かに広げられていた。


傷を治す医療から、悩みを取り除く医療へ。 そして今、患者自身の「なりたい自分」を叶える新時代への扉が、完全に開かれようとしていた。


ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます!

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また次話でお会いしましょう!

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