48話 重いまぶたと、選ぶべき未来
翌朝の『AIZAWA skin beauty』の講義室には、カリカリと羊皮紙にペンを走らせる音だけが響いていた。
「ここが眼窩。その上縁、骨の凹みを沿うように走っているのが『眼窩上神経』と『眼窩上動脈』だ。ここを傷つけると劇痛と大量出血を引き起こす。しっかりと指先でランドマーク——目印を触診して位置を把握しろ」
雄介が黒板に精密な頭蓋骨と顔面神経の図を描き足していく。 ルカをはじめとする八人の第一期研修生たちは、目を血走らせながら必死にノートへ書き写していた。昨日叩き込まれた衛生管理と解剖学の洗礼を経て、彼らの顔からは甘えが消え、真剣そのものの表情になっている。
そこへ、控えめなノックとともに扉が開き、カルテを何枚も抱えたミーナが入ってきた。
「先生、すみません。講義中に失礼します」
「どうした、ミーナ」
「今日も朝から新しい患者様が受付にいらっしゃっていまして……その、ちょっと今までのご相談とは雰囲気が違うというか……」
雄介はチョークを置き、白衣のポケットに手を突っ込んだ。
「どんな悩みだ?」
「お二人いらっしゃっているのですが……病気でも、お怪我でも、傷跡でもないんです」
ミーナはカルテをチラリと見て、少し戸惑うように言葉を続けた。
「『もっと自分らしい顔になりたい』とおっしゃっていて……」
「なるほど」
雄介の眼光が、わずかに熱を帯びた。 これまでのAIZAWAの治療は、瘢痕拘縮やケガの傷跡、深いニキビ跡、あるいは加齢による凹みの修正といった「マイナスをゼロに戻す治療」が主だった。 だが、彼らが求めているのはその先——「ゼロからプラスへ、自分自身のなりたい美を選ぶ」という、現代美容外科の本質に踏み込む領域だった。
「よし、研修生諸君。最高の教材——いや、最高の臨床実習だ。診察室へ移動するぞ」
「「はいっ!」」
◆
診察室に案内されたのは、可憐な面持ちの若い女性だった。 名前はエルナ。王都の仕立て屋で働く二十歳前後の市民で、仕立てのよいシンプルなドレスに身を包んでいる。
だが、彼女は雄介たちの前で肩をすくめ、終始伏し目がちに手元を見つめていた。
「初めまして、エルナさん。AIZAWAへようこそ。今日はどのようなご相談でしょうか」
雄介が優しく語りかけると、エルナはおそるおそる顔を上げた。 整った鼻筋と小さな唇を持つ綺麗な女性だったが、その目元にはどこか陰りがあった。
「私……自分の目が、ずっと嫌なんです」
絞り出すような声だった。
「目が嫌、ですか。具体的にはどういった点が気になりますか?」
「周りの人から……『いつも眠そうに見える』とか、『不機嫌なの?』って言われるんです。本当はそんなことないのに……。仕事柄、お召し物の接客をするのですが、お客様に暗い印象を与えてしまっているんじゃないかと不安で……」
エルナは手鏡を渡されると、そこに映る自分の顔を哀しそうに見つめた。
「化粧で華やかにしようとしても、目元の皮膚が重くて……全部隠れてしまうんです。もっと……パッチリとした、華やかな目元になりたい。……私、二重になりたいんです」
切実な訴えだった。 雄介は彼女のまぶたをじっくりと観察しながら、心の中で深く頷いた。
(なるほどな……。上まぶたの皮膚が厚く、皮下脂肪もやや多めの一重まぶた。典型的な日本人の目元に近い構造だ。この世界には『アイプチ』みたいな二重用テープもアイテープも存在しないから、自力でクセをつける方法もなかったわけだ)
「アイプチがあればな……」とボソリと呟く雄介に、後ろで見学していたルカが不審そうに首をひねる。
「あい……ぷち? 先生、それはどんな魔法の道具で……?」 「なんでもない、こちらの独り言だ」
雄介は咳払いを一つ挟み、すっと表情を切り替えた。 ここからは、容赦のない「美容外科医モード」だ。
「ルカ。前へ出ろ」
「えっ? は、はい!」
指名されたルカが緊張した面持ちで一歩前へ出た。雄介はエルナに許可を取り、ペンライトで彼女の目元を照らしながら研修生に問いかけた。
「君なら、彼女のまぶたをどう診る?」
突然振られたルカは焦り、冷や汗を流しながらまぶたを凝視した。
「え、ええと……! その、目元の魔力の流れが滞っていて、血行が……」
「バカ者」
雄介は即座に一蹴した。
「魔力じゃない。まず物理的な『構造』を見ろと言ったはずだ。魔法に逃げるな」
「ひっ、申し訳ありません!」
雄介は細い医療用の綿棒を取り出すと、エルナのまぶたの皮膚を優しく押し上げた。 瞬間、重たげだった彼女の目元が、パッと花が咲いたような華やかな二重へと変貌する。
「うわぁ……!」 エルナ自身も、鏡に映る自分の劇的な変化に息をのんだ。
「見ろ」と雄介は研修生たちを振り向く。
「まぶたの皮膚の厚み、皮下脂肪の量、眉毛の位置、目の開き具合、そして左右の差。それらを総合的に評価するんだ。……エルナさんの場合、まぶたを開ける筋肉である『上眼瞼挙筋』の力自体は十分に強い。ただ、その筋肉の動きが表皮に伝わる構造になっていないだけだ」
雄介は手元の紙に、まぶたの断面図を手際よく描き出してみせた。
「二重まぶたというのは、単純に皮膚の上に線を一本描けばできるものじゃない。まぶたを持ち上げる筋肉(挙筋)や瞼板と、表面の皮膚が『引き込み』を起こすことで、折りたたまれる構造のことだ」
「筋肉と皮膚の……引き込み……」
研修生たちが食い入るように図面を見つめる。 ただ「可愛い目にする」という抽象的な話ではなく、完全な人間工学と解剖学に基づく説明に、彼らの概念が書き換えられていく。
鏡のなかの自分を名残惜しそうに見つめていたエルナが、不安そうに雄介を仰ぎ見た。
「相澤先生……。私のように重やまぶたを二重にするには……やっぱり、皮膚を大きく切り開くしかないのでしょうか?」
エルナの体は微かに震えていた。 美しくなりたいという強い願いはある。だが、健康な顔にメスを入れ、切り開くことへの恐怖は、傷跡の治療以上に大きくて当然だった。
雄介は腕を組み、静かに思考を巡らせた。
(現在のAIZAWAのラインナップには、ヒアルロン酸に相当するルミナ・フィラーや、脂肪注入のルミナ・ファットがある。だが、どちらもボリュームを『足す』治療だ。目元のように繊細な『構造を作り変える』施術はまだ確立していない)
切開法(メスで皮膚を切って縫合する方法)を行えば確実だが、ダウンタイムも長くなり、患者への侵襲も大きい。
(……なら、あれしかないな)
現代の美容外科において、圧倒的な症例数を誇る王道中の王道——『二重埋没法』。
皮膚を大きく切開することなく、髪の毛よりも細い医療用の特殊な糸を用いて、まぶたの内側から皮膚と瞼板を結びつけ、人工的な折り込みを作る技術。
雄介の目が、鋭く、そして確信に満ちたものに変わった。
「……いや」
雄介はエルナの目をまっすぐに見つめ返し、力強く頷いた。
「メスで切らなくても、綺麗な二重を作る方法はある」
「え……本当ですか!?」
エルナの顔に、ぱっと希望の光が差し込んだ。後ろで控えていたアリアとミーナも、「切らない二重!?」と驚きに目を見張る。
「ああ。皮膚を切るのではなく、まぶたの裏側から極小の糸を通し、組織を留めることで自然な引き込みを作る施術だ。上手くいけば、傷跡も残らず、腫れも最小限で済む」
「そんなことが……!」
狂喜しかけたエルナだったが、雄介はあえて真面目な、厳しい口調で制した。
「ただし——決して『簡単な魔法』だとは思わないでほしい」
雄介は研修生たちを指差し、エルナと若者たちの双方に言い聞かせるように語った。
「まぶたの裏側には、眼球を守る軟骨組織や、繊細な毛細血管、神経がびっしりと詰まっている。コンマ数ミリでも糸を通す層や位置を間違えれば、角膜を傷つけて激痛を引き起こしたり、二度と目が開かなくなったりする危険があるんだ」
研修生たちがゴクリと唾を飲み込む。
「だからこそ……昨日から耳にタコができるほど叩き込んでいる『解剖学』が必要になるんだ。どこに糸を通せば安全で、どこを結べば最も綺麗なラインができるのか。……すべては科学と技術の裏付けがあってこそ成り立つ」
雄介は穏やかな笑みをエルナに向けた。
「エルナさん。君が『もっと自分らしく綺麗になりたい』と願う気持ちは、決して贅沢でも我が儘でもない。俺たちはその願いに、全力の技術で応えるよ」
エルナの目から、ぽろりと一筋の涙がこぼれ落ちた。それは恐怖ではなく、自分の長年の悩みに真摯に向き合ってくれたことへの感動の涙だった。
「はい……! お願いします、相澤先生……!」
(よし……切らない二重『埋没法』の再現。そのためには、まず超極細の医療用糸と、特殊な湾曲針の開発が急務だな)
雄介の頭の中で、異世界の魔法素材と現代医療技術を掛け合わせた、新たな『美容外科革命』のプランが激しく回転し始めていた。
埋没は初期にやりたかったのですが、西洋の世界に転生だと大体二重…いや!ファンタジーや!ここは!
シルバーウィークですので是非読んでいただかたらと思います!
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