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冬の朝  作者: 月夜
9/9

 今日は帰りに手芸店に寄ろう。

 家の在庫は確認した。必要なものを書いたメモも、忘れずにバッグに入れた。

 こういうの、若い子だとスマホに入れておくのかなと思うけど、どうしても書いてしまう。自分の手で書いたほうが楽なのだ。

 今年の仕事は今日で終わりだけど、でも何もない。営業さんはみんなで飲みにいくらしいが、私には関係ない。普通に出勤して、普通に働いて、定時に終わる。

 今日は手芸店に寄るし、課長にお願いしてお昼からお休みをいただこうかな。有給休暇はほとんど使っていない。旅行にも行かないし、子供の行事も看護もない。みんなが休みたい時期は当然のように独身者は働くし、今日くらい休んでもいいんじゃないの。

 朝の電車の中、私はガラスに映る自分に問いかけた。


 よし、と気合いを入れて課長に交渉する。あっけないほど簡単に、お休みがとれた。お昼から自由だと思うと気力が沸いて、私は一気に仕事を終えた。ついでに掃除までやってしまう。年末の掃除なんてしない会社だけど。

 12時が来て、背中に羽根が生えた気分で会社を飛び出す。まずはお昼を食べようと、カフェに入った。気にはなっていたけどいつも人がいっぱいで諦めていたお店。でもさすがに今日は空いていた。沢山のメニュー。どれも食べてみたいが、悩んで悩んで、ひとつに絞る。

 食事が出てくるまでが手持ち無沙汰だ。先に届いた紅茶を飲みながら、スマホを触る。別に用事はないが、何となくの時間つぶし。珍しく青い光が点滅していた。


 メール2件。

 1件は、母からだった。


 いつ帰ってくるの? 

 昨日知らせたはずのことを聞いている。仕事、今日まででしょ、今日帰って来ないのと。冗談じゃ無い。

 姉は子供を連れて27日から滞在中だ。義理の兄は仕事の関係で、来るのは31日。ホントに仕事のせいなのかは知らないが。姉は12月27日から1月6日まで滞在するつもりだ。その間、味噌汁ひとつ作らない。

 そのため、はじめは喜んでいる母も次第に疲れてきて、1月2日にもなると愚痴が出始める。その愚痴メールを私に送ってくるのは止めてほしいのだが、母にも吐き出す場は必要だろう。これを父に言うと余計に問題はこじれるので、私に言うくらいがいいのだ。どうせメールだし。適当に読み流して、同意するようなメールを送っておけばいい。

 だがメールならいいけど、実際に煩わしい場所に行くのは嫌だ。だからいつも通り、1月1日に行くとだけ伝えた。本当は13時に行って、17時には帰りたいけど、これも娘の義務だろうと10時に行くことにした。

 お昼を食べて、当たり障りの無い話をして、夕飯食べて20時に帰る。いつものとおり、これでいこう。


 1件目のメールに返信をして、2件目を見る。2件目を開いて、どくん、と胸が高鳴った。

 あきらくんからだった。


『先日はすみませんでした。今日、会えますか?』


 何それ。それだけ? というか、なんで今日? また、この突然って。私を馬鹿にしているのだろうか。あんたが誘ったら、ほいほい出てくるとでも思っているのだろうか。そりゃ、暇だけど。でも、でも、腹が立つ。


『無理です』


 腹立ちのまま、メールを返す。惜しいと思う気持ちが完全にないわけではない。だがプライドの方が勝っていた。


『仕事、今日までですよね? 仕事帰りに、30分でもどうですか』


 何リサーチしてんのよ。というかそれ、山田さん情報? 待っていた食事が届いたが見向きもせず、私はメールを打っていた。


『仕事が終わったら、すぐに実家に行かなければなりません』


 嘘でも何でもいい。へん、と鼻息荒く送信した。


『実家って、ここですよね?』


 む、と固まる。そうなのだ。私の実家は、私が暮らすアパートの最寄り駅から、5つ先の駅を出て徒歩20分だ。

 女子会でそういう話をした記憶があったから、山田さんが話したのだろう。ふたりが私を話題にして、何を言っていたのか。

 沸騰を始めた頭の片隅で空恐ろしく感じながらも返信しようとした私より先に、あきらくんからのメールが届く。


『5分でいいです。お金を返します。』


 私は一気に肝が冷えていくのを感じた。肝っておなかなのね、なんて変なこと思いながら。足がかたかた震え出す。怖いというか、ばつが悪いというか。震える指先を叱咤して、返信した。


『わかりました』


 覚悟を決め、はじめの日に待ち合わせた駅で会うことにした。



 せっかくの食事なのに、またもや味が感じられなかった。この場にあきらくんはいないのに、これから会うのだと思っただけで何の味もしない。きれいに飾られたおしゃれなカフェの食事を、もそもそと食べた。

 どうしてバレたんだろう。山田さんは話してしまったのかしら。お金の出所がわかったから、あきらくんはドタキャンしたのだろうか。だけどあの店は、コースだけで1万5千円もしたのだ。税金だのお酒だのが入ってくると、ひとり2万は必要だろう。

 あきらくんのバイト代がいくらなのか知らないけど、学生の彼には難しいと思う。一食2万って、私でも躊躇してしまう。あの店に行きたかったのは私の我が儘だから、私が出すのは当然だ。そんな私の気遣いは、余計なお世話だったのか。


 食事を半分以上残して、手が止まる。

 冷め切った紅茶を飲んで、ため息をついた。


 あきらくんが、もっと無邪気な子供だったらよかったのに。大人にお金を出してもらうのが当然と考える、そんな子だったらよかったのに。

 男のプライドって、面倒だなぁ。私はそういうとこ、ちっともわかっていないのだから。



 わくわくもどきどきもせずに、ため息をついて待っていた。少しでも気分を浮上させようと、手芸店でいっぱい買い込んでしまった。毛糸玉を30個も買って、私はどうするつもりなのだろう。編み棒なんて、セットで買ってしまった。家にも幾種類かあったのに。

 今月はカードばかりだ。明細書がちょっと怖くなってしまうが、考えない。これはもう、必要経費だと割り切る。モテないおばさんが迷走した挙げ句の、必要経費だ。


 ちょっと昔なら引き出物が入っていたような、そんな大きな紙袋を下げて待つ。今日は黒のスーツに黒のコート。化粧直しなんてしていない。ほとんどすっぴんの顔で待っていた。

 約束の時間ちょうどに、あきらくんは現れた。にこりともせずに頭を下げて、見覚えのある茶封筒を出してくる。ん、と出されて、はい、と受け取る。それ以上の言葉はないから、じゃあ、と私は小さく頭を下げてあきらくんに背を向けた。


「そういうの、駄目だよ」


 一歩二歩、進んだ私の足をあきらくんの声が止める。


「誘ったの俺だし、おごれないけど割り勘が当然でしょ」


 振り返ると、傷ついたような目をしてあきらくんが立っていた。


「だけど、私がお店を決めちゃったし……」


 私だって傷ついている。でもどうしてだか、言い訳していた。


「そうだけど、でも、俺も男だよ? おごってもらってもうれしくないし、つーか、そういうのうれしがるような奴になりたくないんだ」


 そう言って項垂れる。まるで大きな犬が、拗ねているようだった。


「うん、と、その…………ごめん……」


 いじけたおばさんなのに、素直に謝っていた。待っていてねと繋いだ犬を忘れていて、慌てて迎えに行ったら雨に濡れて項垂れていた。なんか、そういう光景が頭に浮かんでしまった。


 手にしたままだった封筒を、手芸店の紙袋に入れる。ぽいと入れて、今度はきっちりと頭を下げた。


 私は、失敗してしまったのだ。最初で最後の甘い思い出になるはずだったクリスマスイブ。それなのに、この封筒を用意したあの瞬間に、私は自分で壊していたのだ。

 仕方ないか、こんなものよ。あなたの人生に、恋愛の要素は用意されていなかったのよ。

 私は頭を下げた先、履き慣れた黒い靴を見る。あの日捨てた赤い靴が、いまになってかわいそうになってきた。

 誰かが一生懸命作って、きれいに飾られて、大事に販売されていた赤い靴。一度しか履いてもらえず、しかも役立たずの烙印を押されてゴミ箱に捨てられた。

 こんなおばさんの足じゃなきゃよかったのに。若くてきれいな子の足を飾るはずだったのにね。


 顔を上げて、化粧の落ちた顔で笑った。息子のようなあきらくんに笑って背を向けると、私は歩き出す。

 冷え切った私の部屋が出迎えてくれる。あの部屋を自分のこの手で暖めて、自分で自分を抱きしめる。

 誰も愛してくれないのなら、自分で自分を愛するしかないじゃない。私は、私を裏切らないもの。見捨てないもの。


 ねえ、それでいいじゃない。

 ねえ、それで我慢してよ。



 雑踏に突っ込むようにずんずん歩いていく。だが切符を改札に吸い込ませようとした私の手を、強い手が掴んで止めた。

 びくっと肩を跳ね上げて振り返ると、息を乱したあきらくんが立っていた。


「えと……あの……その……」


 ぜぃぜぃ言いながら、あきらくんが言葉を探していた。


「あの、その…………メシでも、どう?」


 びっくりして見上げた私を、あきらくんも驚いて見下ろす。そして慌てた様子で、私の手を掴んでいない方の手を振り回した。


「メシ、行こう! そんでさ、泣かないでよ……」


 言われてはじめて私は、幾筋もの涙が頬を伝っていたことに気づいた。


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