27 土克水、成らず
イルマ・ジャネスは目を覚ました。
左目は潰されてしまったため、右に偏った視野だった。
布張りの自室と違う、木板張りの天井が視界に入った。
そこから、横たえられているのが分かる。
少し肌寒いが、毛布と掛け布団はかけられているらしい。
あまり良い布団ではないのだろう。無論贅沢は言えないが。
現状を把握したい。
そう思って身じろぎするが、全身に痛みが走った。
「~~ッ!」
声も出なかった。
歯を食いしばり、それに耐えた。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ………」
息が荒い。
脂汗を額に噴き、身体を弛緩させる。
冒険者としては壁役志望のイルマはそれなりに痛みには強い方だったが、徹底的に痛めつけられた身体の苦痛には流石に閉口した。
今度は覚悟を決める。
身を起こそうとすると激痛が走るが、耐える。
「む、う、うぅううううううううっ!」
呻き声を上げながらも、なんとか上体だけ起こす。
「はーっ……! はーっ……! はーっ……! はーっ……!!」
やり遂げた。
身体はじくじくと痛むが、達成感が大きかった。
仰向けの状態よりは分かりやすくなった自分の身を検めると、やはり記憶の通りだ。
あの拷問は夢では無かった。
両手両足の爪が剥がされ、全身に打撲と内出血と裂傷。
感覚からヒビが所々に入っているだろうが、骨で完全に折れた場所は無さそうだ。
痛覚に訴えるような手口が多かったため、内蔵も恐らく問題無し。
頑健な黄精人種の肉体に感謝した。
しかし、左目や割れた額、指先や傷口には包帯が巻いて有り、腫れの酷い場所は薬草による湿布がしてあるようだった。
簡易ながらも適切な治療がされてあった。
(どんな、人だろう。私の恩人は)
部屋の中を見渡すと、トイレもキッチンも無い様な6畳程度のフローリングのごく狭いワンルームだった。
複数の弓に矢、革鎧や鞘に入った山刀等が隅に置かれていることから、冒険者か狩人か何か。
ウィケロタウロスから遠方に運ばれたのでも無い限り、この部屋の主、イルマを拾ってくれた人物は前者だろう。
良く分からないホースの付いた水槽の様な物が置かれた他、本が多い。
どうやら小説の類が主らしいが、ぎっしりと詰め込まれた本棚だけでなく、床にまで一つ二つ塔のように積まれていた。
(悪い人では、無いといい)
ぼんやりした頭で考える。
この部屋の主も置いてある装備や服のサイズからして男性だろう。
イルマは外部に情報を漏らしていた事が所属する〈鷹羽〉ギルド内で露見し、拷問を受けた。
肉体への暴力で口を割らないイルマに、拷問役は次に男性からの性的暴行を与えようとして来た。
それだけは絶対に嫌だった。
怒り狂ったイルマは、自壊を恐れぬ程に肉体を強化し、逃げる途中で追手に殺されることすら覚悟して拘束を引き千切り脱出した。
拷問による物以外にも傷を増やしながら、必死になって逃げ出して来たのだ。
「……すん」
布団を鼻に押し当て、空気を吸った。
自分でも今回の経験から男性恐怖症にでもなりそうな気がしていたが、不思議とこの部屋の主のことを考えたり、布団にわずかに残る体臭を嗅いでも嫌悪感が無かった。
危機を救ってくれた男性ということに、童女の憧れの様な想像をしてしまうほどだった。
トゥレスは鍵を開け、くたくたに煮込んだ雑炊の入った土鍋を持って自室に入ると、おや、という顔をした。
「おお、起きたか。流石はノーミィだ」
頭部に包帯を巻いた童顔の赤毛の少女が、布団から上体を起こしてトゥレスの方を向いていた。
昨日行き倒れていたのを拾ったのだが、
「……ぁ……」
トゥレスを見て、一瞬は安堵の表情を浮かべた少女だったが、その顔は見る見るうちに青ざめていった。
彼女の内に生まれた絶望の二文字が、心を読める訳でもないトゥレスにも察する事が出来るほどの変化だった。
「……」
トゥレスは脚を引き摺りながらゆっくりと近づき、枕元に腰を下ろす。
少女は何かを恐れている。
状況からして、それはトゥレスの外見から生まれることのはずだ。
「どうかしたか?」
顔を緩めて見せ、出来るだけ優しく声を出した。
「……ッ!」
少女の警戒は緩まない。
身動きも取れないから逃げ出しもしないが。
さて、どうしたものかと後頭部を掻こうとした。
その指が布にひっかかる。
そういえば三角巾を着けていたのだと思い出し、白い布を取り払った。
白っぽい茶色の髪の毛が露になる。
「!」
再び少女の表情が変わる。
今度は恐れではなく、困惑だ。
「銀髪じゃない……」
少女の口から零れた言葉に、トゥレスは合点が行った。
「……なるほどな」
どうしようもなく、合点が行った。
溜息を禁じえないというのは、こういうことを言うのかと思った。
酷く嫌そうな表情で、トゥレスは口を開く。
「……ウノ・イェーガーの関係だな?」
少女は完全に心を許したわけではないが、頷いた。
〈光鷹〉のウノ・イェーガー。
スロット5冒険者で、〈鷹羽〉ギルドマスター。
〈烈光弓〉という強力な固有兵装の弓を持つ射手だと言われている。
そして、この世界においてトゥレスの実の兄に当たる人物であった。
「ほれ」
トゥレスが〈水気〉を操って程々に冷ました雑炊を、レンゲに乗せて差し出してくる。
「……ぁー」
イルマは、人生初の父を除く異性による「あーん」を初対面の人物に捧げてしまうことを酷く恥ずかしく思い、顔を真っ赤にした。
しかし、恐れからの抵抗はしない。
トゥレスから、髪の色以外ほぼ同じ顔をしたウノの実弟ではあると聞かされた。
だが、だからといってトゥレスはウノに協調している訳ではない。
それどころか、トゥレスの下肢の障害はウノとその協力者による故意の攻撃が原因であり、ウノ達から監視はされている可能性は有るが、それ以来没交渉。
正直、敵同士と言っても良い関係になっており、イルマを〈鷹羽〉に売るつもりは無いと言った。
嘘をついているようには見えず、見ず知らずの自分を助け、治療までしてくれたことからイルマはそれを信用した。
親鳥に口移しされる小鳥のようだと思いながら、レンゲに口を寄せた。
口移しという言葉で鳥の口移しの光景を頭を過ぎり、頭の中の親鳥と小鳥が人間に変化しそうになって更に顔を赤くしながら。
程よい旨味と塩気が口の中にふわりと広がった。
丁寧に出汁が取られた卵雑炊だった。
「……美味しいです」
味わい、イルマはぽそりと言った。
前世では妻に先立たれ、男やもめで10年を超える時間を過ごし、今生でも実家を出てから5年は1人暮らしをしているトゥレスはそれなりに家事をこなせる方だった。
「もっといっぱい食いな。お嬢ちゃん」
もそもそと食べるイルマに、トゥレスはついそんなことを言った。
責めるのではなく、見知らぬ相手に遠慮する子供をあやすような口調だった。
違うのは、彼の顔がかつての好々爺然とした皺顔ではないことだ。
「お嬢ちゃん、なんて言われる年では……」
子供扱いを受けることは人種柄からも少なくないのだが、どうしてか、イルマは拗ねた様に反発してしまった。
「あん? ああ、そうか、五精系の歳はホント分かんねえからな。儂より年上の可能性もあったか。儂は今年で二十歳になるが、幾つよ?」
うんうんと頷きながらトゥレスが問う。
「……じゅ、16ですが」
ふい、と明後日の方を向いてイルマが言うと、トゥレスは何とも言えない顔になった。
「……曾孫共と変わらんじゃねえか」
「ひ、ひまご?」
「ん? ああ、儂は元爺の転生型セトラーなんだよ」
「……異繋人……」
オウム返しにイルマが口にするが、その驚きは大きく無い。
想定はしていなかったが、珍しくは無い。
この世界で生まれ育ったイルマには、セトラーの知り合いなど転移型、転生型を問わずいくらでもいた。
「だからまあ、たまに変なこと言ってると思うかも知れねえけど、そういうことなんでよろしくな」
「分かりました。……それでトゥレス殿は黒精人種の方言じゃないんですね」
「お嬢ちゃんだって九州系……、ノーミィの方言じゃねえよな。訛りは少し有るけど」
トゥレスが何気なく言うと、イルマの頬がさっと赤く染まった。
実家の外では結構頑張って標準語を使っていたのだ。
「嘘! 私、な、訛ってますか!?」
「んー? いや、そんな酷くはねぇよ。儂は前世の〈源世界〉の経験有るから分かるってくらいじゃねえかな」
「……そう、ですか。あ、やっぱりお嬢ちゃんって呼ばれるのは……」
イルマは赤かった顔色を戻し、口を尖らせて言う。
トゥレスはその豊かな顔の変化を微笑ましく思う。
「はは。まぁ、基人系の歳の取り方で言えば百歳離れた様なヨボヨボの爺さんの言うことくらいに思っておけよ」
「はあ……」
「さ、食べな」
納得し切っていない顔のイルマを慰めるように落ち着いた微笑みを向けて、新たに雑炊を乗せたレンゲを差し出すトゥレス。
おずおずと再度雑炊を口に入れる。
口調はそこまで老人らしくない上、少し荒め。
しかし、こうした表情をするのを見ると、若々しい顔立ちの裏に長い人生経験を積んだことによる人間としての深みのような物が有る様にイルマは感じた。
ほぼ同じ顔をしているのに、イルマの記憶に有るウノのそれとは随分印象が違っていた。
それに、転生者は何故か前世では非業の死を遂げた者が多く、曾孫までいたというトゥレス程のように長命な前世を持つ者はそう居ない。
歳不相応な老成した思考をしつつも、二度目の人生に焦り、生き急ぐような生き方をする者が多い転生型セトラー達とも雰囲気が異なっていた。
(……エルフ系の美貌でそんな顔して、ずるい)
五精系の中で、青精人種とダークエルフはエルフ系とくくられ、非常に整った顔立ちに産まれることが知られていた。
同じ五精系に含まれるノーミィにもその恩恵はいくらか有るらしく、イルマも童顔ながら可愛らしい顔をしているが、エルフ系の美しさの前では目立たない。
成熟した内面まで感じさせられるとなおさらだった。
こくり、と喉を動かして雑炊を嚥下する。
滋養が染み渡るようだった。
それからしばらく、トゥレスが雑炊を差し出し、イルマが食べることを繰り返した。
「ふう」
空になった土鍋にレンゲがからんと置かれた。
「御馳走様でした」
「おう、御粗末さん」
すっかり満腹になったイルマが嬉しそうに礼を言うのを見て、トゥレスは優しく笑う。
トゥレスが属する黒精人種の「黒」は五行において〈水気〉を司る色だ。
〈水気〉を強くしても〈土克水〉となるため、〈土気〉を司るノーミィのイルマの助けにはならない。
故に、雑炊の〈水気〉を可能な限り弱くすることで〈水克火の理〉を抑えて〈火気〉の優勢を引き起こし、〈火生土の理〉を持たせた。
自分の属性で潰してしまう〈火気〉は直接いじれないのでやって見たが、何とか上手くいった。
いくらか顔色が良くなったイルマを見るに、トゥレスの試みは成功したようだ。
全快は遠いだろうが、トゥレスもイルマも速効性の高い治癒魔法は使えない。
彼女を癒すのが神令系になるか、界理系になるかは分からないが、少しずつ動かせるようになってもらわねばそれらを受けに行くことすら出来ないのだ。
そして動かせるようになったら、どこを頼るべきか。
ウノと〈鷹羽〉の上位陣を熟知するトゥレスの予想では、冒険者役場各支所は恐らく頼れない。
最悪、既に現状が手遅れである可能性すらあるが、そうであった場合はもう考えても無駄だ。
どうしようもない事は考えない。
(……丘崎経由で〈変り種〉に救援を頼むのがベスト、か)
イルマを不安にさせぬよう、不安要素で歪みそうな顔を抑え込んだ。
食事を終えたイルマは、人心地ついてふと気付いた。
そういえば、自分は全身に拷問を受けていたのだと。
それが、簡易ながらも一通りの治療が成されている。
さらに、今着せられている服は清潔で真新しい物だが、ダボダボの男物だった。
ボロボロに破れ、血や泥で無残に汚れた元の服は脱がされて、きっちりと手当てされたのだ。
「あ、あのトゥレス殿、つかぬ事を伺いますが……」
「ん?」
イルマは声を震わせる。
「私、手当てして頂いたみたいですけど、どなたに?」
トゥレスが誰か、知人女性に頼むなりしてくれたなら良いと祈った。
その一方で、その可能性は低いだろう、そしてそれだと不味すぎると思った。
手当てに他者が関与していれば、イルマの存在を公機関等に伝えたりしただろう。
そうすれば、ウノがウィケロタウロスに張り巡らせている情報網は、即それを掴んだはずだ。
しかし、奇縁なことにトゥレスはイルマと同じく、ウノに敵対している人物だった。
そして、実の兄弟でありウノを熟知したトゥレスなら、平時から大きな隙を見せるようなことはしていなかっただろう。
最近は干渉して来てないらしいが、動向を探られている可能性は十分に有った。
これはイルマの予想だが、トゥレスはイルマに新品の服を用意しようとしたが、「足の悪いトゥレスが、わざわざ極端にサイズの合わない物を自分で買っていった」という情報が流れることすら避けたかったのだろう。
ウノがそれを知れば、サイズの合わない服を着せる対象がイルマだと分からなくてもトゥレスの弱みとして確保を試みて来る可能性が有った。
トゥレスはイルマの言わんとするところを理解した。
イルマの予想はおおむね正解である。
付け加えるとしたら、年頃の少女に自身の使用済み品を着せることを脳内にいる前世の娘たちや孫娘たち、曾孫娘たちが「「「マジサイテー、有り得ないキモイ」」」と非難して来たため新品を買う事にしたくらいか。
「……あー、確かにまあ、見た」
ばつが悪そうな顔をして、トゥレスは言う。
そして、痛む足を苦労して胡坐から正座に変え、びしりと音が出そうな土下座をした。
「すまん。言うの忘れてた」
「う、う、う、ううううううううううううう!」
胸を見られたと思い、辛うじて動く左手を胸の前にしたイルマの顔がかつて無いほど赤くなる。
(初めての「あーん」だけでなく、む、胸まで!?)
この世界の人間は、〈源世界〉の人間に比べて概して貞操観念が強い。
それは女性に限った話ではなく、男性もそうだ。
イルマは大多数である一般家庭の出身だが、この世界では上流階級になればなるほど〈源世界〉の影響を受けて風紀は乱れがちだった。
彼女は最も数が多く、最も世界の常識を持ち、最も貞淑な社会層の出身者だった。
「あー、そうだな。……言い訳させてもらえば」
視線を逸らし、トゥレスは頭を掻きながら言う。
「……男の子だと思ってたんだ」
「……!」
絶句する。
しかし、分からなくは無かった。
ダークエルフのトゥレスなら、〈土克水〉による反発でイルマの〈土気〉を感じただろうし、そこから彼女がノーミィであることを察しただろう。
ノーミィは2次性徴が半端で止まるという特性が有る。
彼女らの童顔はそれゆえの物であり、生殖能力が不足することは無いものの、外見的・肉体的な男性らしさ女性らしさが損なわれる傾向が有った。
ノーミィだと察したからこそ、中性的な少女であるイルマを中性的な少年だと判断したとしてもおかしくは無かった。
「う、ううううう……」
「いや、ホントすまん……」
男に間違えられた屈辱を仕方ない事と理解しながらも呻くイルマに、トゥレスは再度頭を下げる。
彼も前世で娘や孫娘が今のイルマの年頃だった時には苦労したものだ。
この世界で生まれ育った貞操観念の強い少女ならば、より耐え難い事だったろうと思っていた。
今は若く、相当な美男子であるということを忘れがちだったトゥレスは微妙にずれているが、イルマの感情の振れ幅はそれなりに察していた。
「……ぁ、あ! あああああ!!」
そして、イルマはさらにある事に気付いた。
イルマの胸はノーミィ女性の例に漏れず膨らみに乏しい。
それは先述の性徴の不発による物で、エルフ系の半人為淘汰とは異なる物だが、言っては何だが腕で隠すほど無かった。
正直、イルマ自身も妊娠による乳腺の発達でもない限り、自身の胸部だけを他人が見て性別を判別出来ないだろうと分かっている。
しかし、トゥレスは最初から彼女を「お嬢ちゃん」と呼んでいた。
ならば彼は何によって彼女の性を判別したのか。
「……」
イルマは言葉も無く、意識と視線を掛け布団に覆われた自らの下腹部辺りに向けた。
向けてしまった。
ぱんつはいてなかった。
いや、少し空気を遮る物を感じる。多分トランクスだろう。
女性下着特有の密着感が無いことの不安さを感じる。
混乱した思考が、せめてボクサータイプかブリーフならばと変なことを考えたりする。
しかし、はかされたのはともかく脱がされたのはトゥレスの手によるものではない。
汚されそうになった時に脱がされてしまい、そのまま逃げて来てしまったため、ずっとはいてなかったのだ。
(もう……、もう……!)
自身の下半身を内面はともかく、肉体は少し年上程度の美青年に確認されてしまっただけでもかなり効いている。
彼女の感性からすれば致命傷に近かった。
しかし爆弾はもう一つ。
彼女を穢そうとした者たちにもバレずに済んだこと。
流石のノーミィでもあまり多くない、イルマの「あの特徴」を知ったなら、彼女を「お嬢ちゃん」と呼ぶのもなるほど致し方無いことではないだろうか。
そう、心の奥底の冷静な部分が自嘲していた。
――しょん無かたーい。生えとらんとだけーん。あはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!
――……ははっ、本なこつどぎゃんしたら良かと? やっとられんばい。
冷静な部分まで絶望に沈んだ。
赤く、横から見ても凄まじい表情で顔で俯いてぷるぷると震える少女を見て、トゥレスはイルマが全てを理解したと判断する。
「まあ、あれだ! 儂も分かってからは娘や孫娘のオムツ換えたり風呂入れた時の事を思い出しながら治療したから勘弁してくれ!」
いたたまれなくなった元老人は、豊富な人生経験から明後日の方向に説得力の有る自己弁護をした。
しかし、それがトドメだった。
色んな意味で。
ぜんぶみられた。
ならびにまるでみられてなかった。
トゥレスは魂が抜けたようになったイルマを見て肩を落とした。




