45話 真実
私はいつも一人だった。
小さな頃から何故か体が大きくて力も強かった。歳が近い子達からそれを揶揄われて、嫌になってずっと家の中に居た。
成長してもそれは同じだった。ほとんどの男の子たちより背が高くて力が強い。私は自分の体が嫌いだった。
力が強いなら鍛冶屋になってみれば良いと誘われた。鍛冶場は熱いし鉄のニオイが嫌いで断った。それに私は――お嫁さんになりたかった。子どもの頃に悪口を言う子達から私を庇ってくれた、あの男の子の。
☆
あの男の子が結婚した。
☆
結婚相手は小さくて可愛いらしい女の子だった。腕が細くて、何もしてないのに太い私の腕とは全然違った。
自分の体が嫌でご飯を少しだけしか食べなくなった。外に全く出なくなった。家の中でずっと、あの人と私が結婚する妄想をしていた。寝ている時もそういう夢ばっかりだった。
「――お願いします。何とか部屋を貸していただけないでしょうか」
雨が酷い日だった。家の中を歩いていると、父が知らない男の人と話しているのが見えた。
「そうはいってもねえ……手伝いをすると言っても、使用人は足りてるんですよ」
「そこを何とか――あ」
「ん?」
「あ、あの女性は?」
「ああ、私の娘です。あんな調子でずっと家に引きこもってましてね、何か気になりましたか?」
「はい……是非ともお話が」
「ほう、珍しい。――こっちに来なさい、お客人が何か話したいそうだ」
優しそう、以外には特徴の無い人だった。
どうせ気味の悪い目で見られると思って嫌だったけど、無理矢理父に手を引かれてその人の前に立たされた。
「――美しい」
「……え?」
耳を疑った。揶揄うような言葉じゃない、少なくとも、私には本気でそう言ってるように聞こえたから。
「銀の髪に黄金の瞳、雄大で力強い体……今は痩せてしまっていますが、正しい肉の付け方をすれば美しくしなやかな体になる筈。――私の理想そのものだ……」
「え、え」
「ほう、娘に興味がおありで?」
「はい!素晴らしい、素晴らしい女性ですよ!――お名前を聞かせて貰ってもいいですか?私はアンドラスといいます」
始めてだった。私の体が美しいなんて言われたのは。
アンドラスさんが伸ばした手を、私は恐る恐る握った。
「シ、シトリーです……」
☆
森の奥にある屋敷の前で、私達は並び立っていた。
「ようやく、私達二人で暮らせるね」
「はい……アンドラスさん」
彼が私に興味を持った事に、父は気を良くした。結婚相手を見つけようともせず家の中で引き籠る私を内心では邪魔に思っていたのだろう。
父に気に入られた彼は私達の屋敷の一室を間借りした上で、父の伝手から仕事に就く事が出来た。
私が家事や料理の練習をして、彼が仕事から帰ってお互いが就寝するまでの少しの時間、私達は私の部屋で語り合った。
「君の体は素晴らしい。正に神が作り上げた……いや、神そのものだと言っていいくらいに。僕以外の連中の言葉なんて、気にする必要無いさ」
彼は繰り返し私の体を素晴らしい物だと肯定してくれた。
「神というのはね、昔この地上から姿を消したんだ。そして、百年に一度復活するという魔王というのは神が地上に残した忘れ形見なのさ。勇者に与えられる異能というのは神々の力の欠片で――」
彼は神々に関する研究をしているようで、良くそれに関する話を聞かせてくれた。少し難しかったけど、彼の話なら何だって面白く感じる事が出来た。
いつの間にか、あの人の事を考える時間は無くなって、夢も見なくなっていた。
「アンドラス君も随分仕事に慣れたようだし、そろそろだろう。都市外付近にもう一つ、今は使っていない屋敷がある。そこに使用人を雇って、二人で暮らすといい」
私達は結ばれた。彼も私も、断る理由は無かった。
父は笑顔で送り出してくれた。私を邪魔に思っていたのもあるだろうけど、純粋な祝福を私は感じていた。
彼のおかげで、私は過去から抜け出せた。彼のおかげで、私はここまで充実した日々を送れた。
「アンドラスさん」
「ん?」
「愛してます」
それに対して彼は今まで一番魅力的な笑顔で応えてくれた。
この日が、私の人生の絶頂だった。
☆
「都市外れの森の奥……本当にうってつけの場所だよ。書物も問題なく保管できる。お父さんには感謝しないと」
「……ぁ」
彼の声で、私は目覚めた。体を動かすのと同時、に私の手から伸びる鎖が音を立てる。
「こうして、やっと二人きりになれたんだ。……喉が渇いたかい?お腹が減ったかい?まだ、まだダメだよ。我慢しないと」
喉が痛くて声が出ない。お腹が空いて何も考えられない。
「さあ、今日も始めよう。ほら、寝ちゃダメだよ」
そう言うと、彼は私の耳元に顔を寄せて来た。
「今の君は……君の姿は偽りなんだ。君は物静かで大人しい。誰に対しても一歩引いた態度を取って、暴力や争いを嫌う。これが今の、偽りの君だ」
ぼやけた頭の中で、彼の言葉だけが響く。
「君は誰よりも傲慢なんだ。さしたる理由も無く誰かを跪かせるような。君は何よりも尊大なんだ。人間の王なんて比べ物にならないくらいに。君は争い事が好きなんだ。力で誰かを捻じ伏せ、痛みと痛みを分け合う事に興奮するんだ。傍若無人で自己中心的で、強烈な自我そのものなんだ」
彼の言葉には聞き覚えがあった。あの部屋で、彼が一際楽しそうに話していた事。
「ア……ル……」
「そう!アルコシアだ!神そのものの神!何かを司るのが神だとすれば、アルコシアは神という概念を体現した神なんだ!傲慢で尊大で、最も神らしい神!」
彼はそう言いながら私の髪を手に乗せた。
「この美しい銀の髪」
私の目が彼の手で見開かれる。
「黄金の瞳」
沿うように私の体を手で撫で上げる。
「美しい純潔の肢体……君はそのものなんだよ、アルコシア」
アルコシア。
「君の名前はシトリーなんかじゃない。とある神に貶められ、人間という器に押し込められた神。アルコシアなんだ」
アルコシア。
「シトリーなんて、どこにも居ない」
やっと気づいた。彼は私の体を褒めてくれた。美しい体だと、他人の言う事なんて気にしなくて良いと。
彼は私の体を見ていた。ずっと。そこにシトリーは居ない。
彼は最初から、アルコシアしか見ていない。
「……ぁ」
「さあ、もっとだ。君を目覚めさせる為に、神々とそれに関する知識を僕が語ってあげよう」
彼が見ていたのは私じゃなかった。私の向こうに居る何かだった。
――止めろ。
だから私は、私を捨てる事にした。
――黙れ。
もう何も考えたくなかった。
――この不快な夢はなんだ。
妄想するのは、得意だったから。
――私は、アルコシアだ!
☆
「成程な」
フェニキスは本を閉じ、長時間の中で固まった体を伸ばした。
本の内容は表題に記された通りの内容、つまりはアンドラスがこの都市に来てから書き始めたと思われる日記だった。
「何もかもが解決した。研究とはとても言えない妄想を抱えて魔術都市を抜け出した男、存在しない神の名を名乗るあの女」
情報を整理するように、フェニキスは呟き続ける。
「アンドラスにとってシトリーは最高の器だった。極限状態での人格の上書き……いや、シトリーはアンドラスに心酔していた?なら自ら人格を放棄したか。――どっちしろ、あの女は神なんかじゃない、ただの人間。……そんな女が勇者に選ばれた。偶然にしては出来過ぎな気もするが、まあそれは良い」
アンドラスの死因は目的を達成した事により満足した上での自殺か衰弱死だろうとフェニキスは推測した。
謎が全て解かれた訳ではない。しかし、最も求めていた答えの一つには辿り着いた。
「人格を捨て、自身を居もしない神だと完璧に思い込んでいる。知識も言葉も思想も性格も、全てがアンドラスによって形成された妄想の産物。その原動は心酔か……それとも諦観か。偽物で空っぽな神様というわけだ」
フェニキスは明確に表情を歪めた。
「何とも哀れで――気色悪い」




