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 手を少し伸ばされたら抱きしめられる。そういう位置。アンリエッタ令嬢の心臓は今にも爆発しそうなくらい、ドキドキ、ドキドキと騒いでいた。


(ここまでして何も無かったら本気で逃げ……よ……)


 アンリエッタ令嬢はビクリと体を竦めた。背後にいるエルリック王子の腕の中にそっと閉じ込められたからだ。


「ルビー……」

「あの、どうして……」


 身を縮めながら、アンリエッタ令嬢は両手を膝の上で握りしめた。恥ずかしさのあまりに指をいじくり回す。


「どうして?」

「昔はアンリエッタ令嬢って呼んでいたのに、どうしてルビーなのかと思って。前からそう思っていて……」


 俯くと、アンリエッタ令嬢は目を閉じた。歯を食いしばり、手をギュッと握り締める。骨を伝ってくる鼓動がエルリック王子にも聞こえてしまっているはずだ、と手に汗握る。

 生まれて初めて恋する相手に積極的になったので既に羞恥の限界を突破しそうだった。


「アンリエッタと呼び捨てに呼べるのはごく限られた人だけだろう? 俺が令嬢とか姫とかつかないで呼ぶのは君だけだ」


 エルリック王子の腕の力が強まる。彼の鼻腔を花のような香りがくすぐる。ふわふわとした赤みがかった金髪が頬を撫でる。


「アンリエッタで良いわ……。これからは……」


 本国ドメキア王国城を乗せるせり上がった大地から飛び降りるような気持ちで、アンリエッタ令嬢はそう口にした。


「それは……俺の……」


 大変良い空気の中、コンバーンと出入り口の扉が開いた。空気を読まずに入室してきたのはカール令嬢ともう1人、大男である。


「ここは大蛇連合国だ! 婚姻前に手を出すなんて許さん!」


 叫んだのはアンリエッタ令嬢の父親のオルゴ・ハフルパフ公爵。ハフルパフ公爵一族の中では地位の低い公爵で、しかも婿入りした身である上に、仕事は自国の国王補佐兼騎士団隊長補佐官という変わった経歴の男。

 彼の出身国、煌国では婚姻前交渉が当たり前であるが大蛇連合国では真逆である。大蛇連合国で子育てしてきた父親として、アンリエッタ令嬢が男と1夜を共に過ごすなど言語道断という意見だ。

 まあ1夜どころか3夜目だが。

 

「カール! のぞいていたの⁈」

「見損なったぞエルリック王子、覚悟!」

「やれやれオルゴ様! それいけ!」


 抜剣してオルゴがエルリック王子に詰め寄る。鬼のような形相だ。その後ろでカール令嬢がニヤニヤ笑っている。


「カール! 貴女は何がしたいのよ! お父さん、邪魔!」


 アンリエッタ令嬢は立ち上がり、向かってくるオルゴの右腕を掴んだ。背負って足を引っ掛ける。オルゴは気配を察知出来たのに、2倍程の体格差なのに体制を崩されてしまった。

 ひ弱そうで小さい可憐な女の子は危険、可愛い愛娘を守るためならば、と護身術を教え込んだのは父オルゴである。


「私を嵌めて他国に嫁入りさせようとしただろう! ザマアミロ! 新しい恋なんて破断だ破断! 一生独り身でいろ!」

「背中を押してくれたんだと思っていたのに!」


 カール令嬢とアンリエッタ令嬢が互いの服の襟元を掴み合った。頭一つ分違うので、睨み上げるアンリエッタ令嬢と睨み下ろすカール令嬢という状態。


「お父上、大丈夫ですか?」

「君に父上なんて呼ばれる筋合いはない!」


 オルゴに手を差し出したエルリック王子が睨まれる。彼は「いやあ、呼ばせてください」と鼻の下を伸ばしてデレデレ笑顔。

 エルリック王子の心境は「20年以上待った甲斐があった! 両想いだ! うおおおおお!」であり、すっかり舞い上がっている。


「ほらほらオルゴ様。可愛い娘を拉致監禁する男なんてろくでなしです。彼は縁談相手の候補から外すべきです」

「煩いわねカール! こんな鎖くらいいつだって壊せたわよ!」


 アンリエッタ令嬢は寝巻きの裾をまくり上げて、太腿に巻きつけてあるベルトに固定してある短剣を抜いた。

 そのまま鎖の隙間に突き立てて鎖を壊す。


(なっ⁈ アンリエッタ、本当に短剣を持ってた!)


 もう確定だ、とエルリック王子は小躍りしながらアンリエッタ令嬢に近寄ろうとした。しかしオルゴにはがいじめにされて引き止められる。


「アルフォンス王は尊敬出来る方だがご子息の貴様は……」

「私のエルリックに何するのよ! 離しなさいよお父さん!」


 振り返ったアンリエッタ令嬢の叫びでオルゴは手を緩めた。


()()エルリック……。夢か。夢だな)


 エルリック王子は困惑もあってオルゴの頬をつねった。


「っ痛」

「痛い? 夢では……ない?」

「俺で確認するな!」

「隙あり! 今日こそ首をもらうぞアンリエッタ! 何が親友だ! この私を罠に嵌めるとは、レティア様に会えたことを差し引いても許さん!」


 帯刀している剣のうち、短剣を鞘から引き抜くとカール令嬢はアンリエッタ令嬢から一足飛びで離れた後、切り掛かった。

 キィィィィン! と2人の短剣が交差する。


「アクイラ様の夢を叶えてあげようとしただけよ! それにティアの優秀な片腕は自分だなんて吹聴するから! 右腕は私! 貴女は左手の小指!」

「ティア様の右腕は私だ! ついに大陸中央部にまで掌握先を伸ばした私と未だ流星国王女の侍女である公爵令嬢とはもう格が違う!」


 幼い頃から自国の「ティア姫」と親しくして、我こそは右腕にして大親友と自負する2人は犬猿の仲。

 この喧嘩の発端は遡ること2年前、見合いの破壊魔神と呼ばれるカール令嬢を心配するアンリエッタ令嬢が親切心で——ついでにティア姫からたまには離れろ——見合い話を譲り、それで彼女が少々迷惑を被った件である。

 2人は常に背中を預けるのに、なぜが足を引っ張り合う親友にして悪友だ。

 まあ、人はそれを喧嘩するほど仲が良いと言う。


「カール、やっぱり嘘って言われる前にすぐ結婚式典とか婚約披露会をするから私のアンリエッタに傷をつけないでくれよ」


 見慣れた光景だとエルリック王子はソファに腰掛けてしまった。親しいことは良い事だ、と笑顔まで浮かべる。


「娘をやるなんて言っていない! 許さん!」

「当然です。これから許しを……」

「ふっふっふっ、アンリエッタに似合いのバカめ! カール、3日3晩エルリック王子と過ごしたの♡ 餅も食べたわって父上に手紙を送った上に今夜アルフォンス王を脅したから私とエルリック王子は既に婚約か婚姻関係だ!」


 短剣を振り下ろしたカール令嬢の叫びにアンリエッタ令嬢は目を丸めて腕の力を抜いてしまった。

 カール令嬢が慌てて刃の切っ先をずらす。はらり、と何本かの赤みがかった金髪が床へと落ちる。


「カール、今なんて? 私、私だって3日3晩エルリックと過ごして……餅? わらび餅! そういうこと⁈」

「……。あー、ついやり過ぎて?」

「私も……食べたもん……。お父様、私も食べました!」


 しばしの沈黙。アンリエッタは無言でわらび餅の残りを口に放り投げた。彼女は全身真っ赤にさせて恥ずかしそうに俯いている。


(私も食べたもんって可愛過ぎか。夢か。夢だな)


 エルリック王子は動揺もあってオルゴの頬をつねった。


「っ痛」

「痛い? 夢では……ない?」

「俺で確認するな!」


 オルゴの怒声もなんのその。エルリック王子は惚けている。


「ほら、ユース王子と婚約手前までいって大変面倒だった恨みで。まあ、ほら、結果的に上手くレティア様と結婚してくれたし、レティア様と親しくなって近衛隊長にもなれた……けど……」


 テヘッ♡ と肩を竦めて笑うとカール令嬢は鞘に短剣を納め、くるりと背を向けた。


「という訳でオルゴ様頼みます! カール、やり過ぎて困っています! やり過ぎました!」


 カール令嬢は脱兎の如く逃亡。アンリエッタ令嬢は呆れ声を出した後、クスクス、クスクス笑い始めた。


「何それ。親切でお見合い話を譲ったら、勝手に色々画策したり、お父様に良いところ見せたくて張り切ったのはカールじゃない。自業自得で苦労しただけな癖に。それを私のせい?」


 クスクス、けらけら笑うアンリエッタ令嬢は肩を竦めてから可憐な微笑みで父親とエルリック王子を見据えた。


「エルリック、今までのこと、許してくれる?」

「ん? 何のことだい? 今まで君に何かされたっけ?」


 エルリックの即答にアンリエッタ令嬢は少々瞳を丸めた後、はにかみ笑いを浮かべた。


「お父様、いい加減素直にならないとどうなるか分かってるな? ってカールからの後押しなので助けてくれます?」

「あー、雨を降らして地を固めようとしたってことか。それで俺に1番面倒なアクイラの宥めを……俺がするのか。自分でしてくれよ。あの娘は全く……」


 ガシガシ頭を掻きながら、面倒だなとオルゴは心の中でため息を吐いた。おまけに娘がついに結婚。心中穏やかでなんていられない。

 オルゴはエルリック王子をジト目で見つめた。


(こいつが義理の息子になるのか。まあ、こいつ以外は居ないかもと思っていたが……)


「参ったな。父上からアンリエッタに振られたら他のハフルパフ公爵令嬢かカール令嬢レベルと即結婚って言われていたからウキウしてそう。アンリエッタ、父上にきちんと説明してくる」


 優しげな微笑みをアンリエッタ令嬢に投げると、エルリック王子はオルゴへ丁寧な会釈をしてから歩き出した。

 しかしエルリック王子はまだ鎖に繋がれていたので部屋から出られず。つんのめってビタンッと床に前のめりのまま転んだ。


「もう、何しているのよ」

「アンリエッタ、その顔、めちゃくちゃ良いな。可愛い」

「いっ、いきなり何よ!」

「そっちの方が良い! 何よって時に、こう、いつもみたいに張り手……」

「それって冗談じゃなくて本気だったの⁈ バカ! いやあ、鼻血出てるわよ!」

「いやだって、さっきから君が破壊的に可愛から!」

「その顔やめて! いやあ!」


 ルビーのように真っ赤な顔で少々怒り気味の困惑顔と、恍惚としたニヤけ顔の2人を見て、オルゴは深いため息を吐いた。


 ☆★


 こうして、ルビーと呼ばれる公爵令嬢と彼女に踏まれたい王子はその後少しばかりの紆余曲折を得て(カール令嬢と婚約破棄したり)無事に結婚しました。

 2人の初めての夜にエルリック王子が踏んでもらえたのかは、秘密。

お付き合いありがとうございました!

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