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脱出ルートを探すのは難航した。
何しろ、外に出る方法といえば、あの巨大な跳ね橋を使う方法しか、生徒たちは知らない。マルコス学園の跳ね橋は、ある程度の馬車なら、問題なく通れるほどに大きく、頑丈だ。そうなると、必然的にその跳ね橋は重く、支える鎖も堅固な上に、何重にもかけられている。つまり、跳ね橋を支えている鎖を断ち切ることはできないのだ。
「あの小屋を破壊できないものか」
「無理ね。そもそもこの学園の建造物自体、どこもかしこも強力な防御魔法が掛けられている。まあこれは生徒が魔力を暴走させてしまったりした時のためのものだけど……。だから、あの小屋を破壊なんてことはまず無理よ」
エスターが苦々しく言った。それができなかったから、あの小屋の周辺はゾンビがたくさん彷徨っているのだ。
「それに、あの跳ね橋を下すことができたとして、その時はあそこにいるゾンビを全部倒さなくちゃいけない。本土にあのゾンビたちを行かせるわけにはいかないもの」
アナベルの言葉に、フレッドは自然と眉間にしわが寄った。
彼女の意見は正しい。しかし、それをするのは主にフレッドだ。あのゾンビたちは元は級友だ。やり場のない怒りで体が震えた。さっきの白い礼服を見た時にだって、後悔と罪悪感で胃が凍る思いだったのだ。またあの思いを味わわなければいけない。一体、なぜ、何のために。
「フレディ、あなただけにはさせないからね。その時は、私も戦うから」
エスターがフレッドの手を取って握った。
「エエエエスター嬢!?一体何を……」
「気付いてないの?」
顔を赤くして思い切り動揺するフレッドを見ながら、エスターは言った。
「あなた、さっきから手が震えてる」
フレッドが落ち着いたところで、エスターはどこからかノートを見つけてきた。控室は普段は多目的教室として使われており、様々な道具がしまわれている。
「え~と、簡単にこの校舎を描くと、ここが今私たちがいる場所。こっちが卒業パーティー会場。思ったんだけど、もし、さっきフレディが言ってた護衛の人?とやらがこの状況を知らせて救助が来るのなら、どうやってくると思う?」
「え?そうか。跳ね橋は使えない。あとは……船、か。確か小舟ならどこかにあったな。後は……空か!王家の気球が何機かあったな。それを使う可能性は高そうだ」
「例えば、屋上に逃げて鍵をかけておけば、ゾンビたちは入って来られないわよね?その中で救助を待つってのは、悪くない考えだと思うのよ」
「屋上で籠城か。王都からここまで風速にもよるが大体二時間くらい……。夜は気球の使用は禁止されているから、おそらく夜明けに出発する。ということは、朝の八時か九時辺りには救助が来るかもしれないな」
一晩屋上で過ごすことになる。暦の上では春だが、まだ十分寒いこの季節では、明らかに健康を損なう恐れがある。それでもゾンビたちと一緒に過ごすよりかは遥かにましだろう。
「となると、一応候補の一つね。下手にあちこち探すよりかはうまい避難方法かもしれないわ」
エスターがノートに「屋上で救助を待つ」と書き記している。
「問題は屋上にどうやって行くか。確か、屋上へのドアは普段鍵がかかっているはずよね」
「鍵は多分管理人さんの小屋に一つ、職員室に一つ、生徒会室に一つあると思う」
王太子であるミシェルは、将来に役立つからと生徒会の参加を余儀なくされていた。学校の行事や運営に関するあれこれを決める仕事とは言われているが、何のことはない、その業務のほとんどが地味な雑用ばかりだ。しかし、むしろそれこそが国王の仕事に通ずるものだろう。ダミアンもフレッドもアッシュも、そしてリーガンもミシェルを補佐するために生徒会に参加していたが、結局ミシェルはすぐにこの単調な仕事に飽きた。ある催しの時など、そのほとんどを放棄し、取り巻きである自分たちに押し付け、そそくさと逃げ出したのだ。
その後はダミアンとリーガンが主体となって企画書を作り、フレッドやアッシュにもそれぞれ適した仕事を振り分け、自分たちはさらに多くの地道な作業を黙々とこなし、そうしてようやく成功を収めたのだ。
ところが、いざ催しが成功するや否や、まるで自分の功績だと言わんばかりにしゃあしゃあと舞い戻り、何も知らない周囲の賛辞を受ける。
これにはさすがにダミアンも立腹した。フレッドは信じられないものを見るような視線を主君に向け、アッシュは呆れたように脱力した。リーガンなど、とうに諦めていたのか深いため息をつくだけに留めた。
ただ、ダミアンもリーガンも、それぞれ王太子の現状を報告する義務を持っている。それに、おそらくは護衛の誰かも。この件も、国王は既にご存知だろうとフレッドは睨んでいる。
「……嫌なことを思い出した。まあそれはさておき、生徒会室には大体の鍵のスペアを渡されている。屋上の鍵も当然あった。小屋の鍵はさすがになかったけどな」
「職員室は一階よね。この部屋から、中庭を挟んだ向かい側。生徒会室は、その奥まったとこ。近いのは職員室か」
「鍵を入手したら、一度会場に戻るか。殿下を連れて屋上に行き、そこで救助を待つ。俺とアッシュはその間他の生存者を探して屋上に誘導。リーガン様達も見つかるといいのだが。後は……あの幼体を見つけないと」
「屋上に行くのはいいとして、他に脱出ルートがないか考えよう。一晩安全に過ごせるかわからないし、王家が気球を出すかどうかも。可能性は高そうだけど確実じゃないしね」
「さっき言ってた船は?確か、どこかに小舟があった」
「校舎の外、この湖の周辺には移動用の小舟も何艘かあったはずだ。少し歩くが、学園から離れた方が安全かもな。ただ、もう日が暮れて外は暗い。灯りを持って歩けば、かなり目立つな」
ゾンビは獲物を視認している。つまり、灯りを見つけたら、そちらに向かうのは自明の理だった。
「小舟が見つからなかったら?泳ぐ?」
「泳げない距離とは言わんが、あまり勧めないな。この湖は水深が深い上に藻がかなりある。昔、遊び半分で泳いだ生徒が、足が藻に絡まって溺れかけたことがあるらしい。とりあえず夜に遊泳するような湖じゃない」
「どっちにしても簡単じゃないってことね。他に脱出ルートって何かあるかな」
「あとは……なくはない。けど、これはちょっとわからない」
アナベルが人形を抱きしめたまま呟いた。
「他にもあるのか?」
「以前聞いたことがある。噂では、この学園のどこかには地下通路があって、本土に繋がっているらしい。その地下通路は、この湖を取り囲むようになっているのでかなり距離はあるけど、一番安全」
「それは安全ね。で、その場所って知ってる?」
エスターが尋ねると、アナベルはふるふると首を振った。
「誰も知らない。学園の七不思議の一つだから、本当かどうかもわからない」
「信憑性はないってことか」
フレッドが小さく肩をすくめながらエスターの持つノートに顔を向けた。
「空路か海路、まあ海じゃないけど。そのどちらか、か」
どっちにしても、道のりは遠い。