3-28話 子供の頃の約束は未だ果たされず
数日後、ブラウン子爵領から迎えの馬車が訪れた。
『なんかヤバげなお宝っぽい謎の素材が出てきたからどうしたら良いかな? とりあえず助けてー』
そんな適当すぎるプランの手紙に対する返事として、ブラウン子爵はわざわざ馬車を用意した。
ついでに言えば、プラン達はそろそろブラウン子爵領に戻ってお手伝いの続きをしようと思っていたところでもある。
天秤伯騒動の爪痕は深く、ブラウン子爵領は仕事に溢れかえっていた。
そんなわけで、プラン、ハルト、リカルド、それとこの機会に顔を繋いでおきたいラステッドの四人で馬車に乗り込み、ブラウン子爵領の都市レタラに向かった。
馬車に乗る事が今までなかったのかラステッドはテンション高い様子で窓の外から景色を見ていた。
ただし五分で飽きた。
自分が乗る時の馬の速度ではなく、ゆったりとした馬車の移動はラステッドにとって退屈という名の苦痛を伴う物でしかなかった。
「なんでこんなゆっくりなんだ?」
酷く詰まらなそうに呟くラステッドに、プランは苦笑した。
それはずっと昔、子供の頃プランが思った事と同じだったからだ。
「馬一頭で馭者さんと馬車に私達四人乗せて、しかも馬車揺れを減らして移動したらこうなるの。まあ待てば良いだけなんだから我慢しよ?」
「へーい」
プランの言葉にラステッドはそんな子供のような返事をした。
「すいませんね馭者さん。わざわざ来て頂いたのに」
プランがそう言うと、馭者は笑いながら「気にしないでください」と言葉にした。
心地よい風と暖かい日差しの穏やかな気候。
雪もすっかりなくなり気づけば過ごしやすい環境に変わっていた。
うとうとと船を漕ぐハルトと音もなく深く寝入っているラステッド。
そんな二人を微笑ましく見た後プランはリカルドの方を見て――目が合った。
「プランちゃんは寝ないの?」
穏やかな口調で尋ねるリカルドにプランは笑いかけた。
「夜寝れなくなるからね。リカルドは?」
「心地よい風を楽しんでた」
そう言いながら遠いところを見るリカルドは、何故か儚げな印象を醸し出していた。
「全く。イケメンはちょっとした日常で絵になるから卑怯よね」
そんなプランの言葉にリカルドは苦笑いを浮かべ、否定も肯定もしなかった。
「……こんな時間が続けば良いのに」
リカルドはしみじみとそう呟いた。
「その為にがんばるのが領主である私の仕事よね」
「はは。それなら俺はその領主様を支援しないとね。こんな時間の為に」
そんなリカルドの言葉にプランは微笑み、リカルドと反対側の外を見た。
ぼーっとした時間を過ごしていたプランの虚ろな意識は、急停止する馬車により引き戻される。
車体は悲鳴をあげるように軋み、慣性の法則でプランは前に飛ばされる。
そのまま倒れ転びそうになるプランをリカルドはそっと優しく支えた。
ハルトとラステッドも既に警戒態勢に入っている。
「襲撃――」
外の馭者から弱弱しいそんな声が聞こえた瞬間、ごとっと何かが転がり落ちる音と馬の悲鳴が響いた。
「俺が行く。呼ぶまで全員ここにいろ」
そう言ってハルトは馬車の外に飛び出した。
「大丈夫か!?」
ハルトの声の後、かすれたような小さな声が聞こえる。
「左方前方襲撃……二十人以上――」
「――確認した。見える範囲で二十二人だ。リカルド、ちょっと来てくれ! プランとラストも右側から馬車を出て馬車を壁のようにして隠れろ!」
ハルトが叫びに従い全員馬車を出て、言われた通りに行動する。
プランは倒れている馭者の姿を見た。
手の平辺りに矢が刺さり、倒れ込みながら痛みを堪えるような表情で腕を押さえつけている。
次に遠方の方を馬車の隙間からちらっと見てみた。
そこには汚らしいボロ布を着た男達が数十人ほどこちらを見て、徐々に接近してきていた。
「――盗賊か」
リカルドはそう呟き、弓を構えようとしてハルトがその手を静止した。
「待った。不用意に攻撃するな。危ない」
「どうしてだ? たかが食いはぐれた盗賊だろ?」
リカルドの言葉にハルトは首を横に振った。
「今回の馭者であるこの人はブラウン子爵領の武官だぞ。食いっぱぐれた盗賊ごときに後れを取るか?」
そうハルトが呟くと、痛みからか気持ち悪いほど汗を掻きながら馭者は頷いた。
「反応出来ない矢でした。そしてこれには――毒が塗ってあります」
馭者はそう言いながら腕を布できつく縛り、水平にしてハルトの前に突き出した。
「すいません。力が入らないので、ちょっとこの辺りから切ってもらえません?」
そう言って馭者は腕の肘辺りを指差す。
その言葉にプランは顔を青ざめさせた。
理屈はわかる。
毒が体に回る前に腕を切り落とそうとしているのだろう。
だが、敵でなく味方を切るなんて考えた事すらないプランは、それが恐ろしく残酷な事のように感じた。
必要である事も理解出来る為、プランはそっと目を閉じ顔を反らした。
ハルトは頷きも否定もせず、表情一つ変えずに即座に大剣を抜き――縦に振りぬいた。
巨大な剣にもかかわらず音もないその一閃の後、ごとっと音を立て何かが転がり落ち、ぽたっぽたっと何かが滴る音が聞こえる。
プランはそっちを見る事が出来なかった。
「――痛みは大丈夫か?」
「はい。むしろ毒の痛みがなくなって楽になったくらいです。ついでに言えば痛みも感じないほどの見事な切断、素晴らしい腕前でした」
「次は違う時に褒めてくれ。仲間を斬って褒められてもあまり嬉しくないからな」
そうハルトが言うと、馭者は小さく笑った。
「んで、少しずつ近づいているが、どうする?」
リカルドの言葉にハルトは考えこむ。
「……あいつらさ、臭くないんだわ」
「は? いきなり何言ってるんだハルト」
「まあリカルド。ちょっと聞け。あの恰好で、何日も風呂に入っていない盗賊がさ、臭くないっておかしくないか?」
「……俺にはあんな遠方の臭いなんてわからんが、そうかもな」
ハルトの異常な嗅覚に驚きながらリカルドはそう呟いた。
「というわけで盗賊に偽装した曲者って奴だな。しかも、どっかであいつらと同じような匂いを嗅いだような気がするんだよな……どこだったかな」
「そこ大切な事だろう。思い出してくれ」
リカルドの言葉にハルトは頷き、思い出そうと眉をひそめて難しい表情を浮かべた。
「……んで、俺はどうしたら良いんだ?」
ラステッドがプランの隣でそう呟いた。
「いや、あんた一応領主様だしプランと一緒に大人しく――するわけないよな」
ハルトの諦めが混じった言葉にラステッドは頷き、ハルトとリカルドの隣に移動した。
「では、役立たずとなった私がリフレスト男爵の方に、いざとなれば肉盾くらいにはなりましょう」
そう言いながら馭者はラステッドと入れ替わりに馬車の荷台側面のプランに近づいた。
「ごめんなさい。巻き込んでしまって」
プランは小さな声で馭者にそう呟いた。
「いえ。危険な可能性もある代物を運んでいるって聞いてますので、これくらい業務範囲内ですよ」
そう言って馭者はわざとらしいほど明るい声を出した。
「やっぱりあの球は持ってるだけで狙われるような危険な物だったのかな……。でも、どうして持ってるってもうバレたんだろう」
「いや。これ別件だわ。やっとあいつらの体臭というか嗅いだ事のあるこの嫌な毒々しい香りを思い出したわ」
ハルトはプランの言葉にそう返した。
「……それは?」
「天秤伯騒動の時の暗殺者。あいつらあの時の暗殺者と同じ匂いがする」
「そか。忠犬ハルトがそう言ったならきっと真実ね」
「誰が忠犬だ。というわけで、暗殺者相手だ。ラステッド。手伝ってくれるか?」
その言葉にラステッドは頷く。
「当然だろ。あ、でも活躍出来たなら何か報酬くれ。具体的に言えば美味い飯とか」
「それはあっちの馭者さんに頼め」
ハルトがそう言うと、ラステッドはちぇーと呟き、一人でその場から飛び出て剣を抜き、集団に襲い掛かった。
それに合わせてリカルドとハルトも後を追う。
ここらでこちらから攻めないとプラン達を巻き込む恐れがあるからだ。
ハルトは一つだけ、プランを心配させない為に言っていない事があった。
それを口にはしていないが、リカルドもラステッドも同じように感じていた。
前の暗殺者と違い、今回の相手は本当の意味で手練れだという事である。
この張り詰めたような緊張感と喉がひりつくような感覚は、相手が格上である事を示唆していた。
盗賊達は三人が近寄った瞬間に見せかけであった武器の斧を一斉に捨て、短刀を取り出し隊列を組み直す。
五人を一組として動くその一糸乱れぬ連携は、完全に個ではなく群の動きだった。
盗賊は間合いのギリギリを移動しながら隙を伺い、三人の行動を阻害する。
身体能力自体はそこまでではなかった。
ただし、そんなものが何の意味をなさないほどの見事な連携で、三人とも囲まれ不利な状況にひっぱられていた。
盗賊の一人を攻撃しようとすれば対象が奥にひっこみ、別の盗賊がナイフをちらつかせながら僅かに近づいてくる。
馭者の受けたであろう毒の事を考えるとその短刀には掠る事も許されない為動きが止まり、その結果攻めきれず時間だけが進む。
かと言って即勝負が終わるような雰囲気でもなく、相手側もじっくりとねちっこい蛇のように立ち回りこちらを攻めない。
そういう厭らしい戦法なんだろうとハルトは思ったが、それは違った。
「ハルト! なんか人数が少ない!」
ラステッドがそう叫んだ瞬間にギンと金属がぶつかる音が聞こえ、ハルトの足元にラステッドが使っていた綺麗な装飾が施された剣が転がってきた。
注意をそらされた代償として剣を失ったが、ラステッドはソレでも特に問題なく立ち回れていた。
ハルトはラステッドの言葉の意味を考え、そして青ざめ慌ててリカルドの方を見た。
「リカルド!」
ハルトは動こうにも五人に囲まれ行動を妨害されて動けずにいた為、もう一人の仲間に頼った。
「すまん、俺も無理だ!」
リカルドも同じように行動を阻害されている上に魔力がほとんど底を突いており対応出来ずにいた。
ラステッドに至っては十人に囲まれ武器まで取り上げられていた。
盗賊達はハルト達に対しじっくりとねちっこい戦い方をしているのにはわかりやすい理由があった。
彼ら三人は対象ではないので、殺しても殺さなくてもどうでも良かった。
むしろ殺さずに足止め出来るならその方が都合が良いくらいである。
盗賊の恰好をしている暗殺者達の目的はたった一つ、プラン・リフレストの殺害。
馬車の壁に隠れているプランと馭者の前に、三人の暗殺者が現れて短刀を構え、ジリジリと詰め寄っていく。
それはハルト達三人との持久戦に持ち込む動きとは違い、犠牲を生んででも確実に殺すような必殺の動きだった。
隻腕の馭者はプランの前に立ちながら、小さく呟いた。
「今の私に三人を倒す力はありません。でも、三人を止める事は出来ます。いえ、絶対にやり遂げます。ですので、お逃げください」
そう言って馭者は小さなラウンドシールドを構えながら、プランに微笑みかけた。
その言葉に、プランは胸の奥にずきっとした深い痛みが走る。
自分が逃げたら状況がどうなるか、戦いの知識がないプランにはわからない。
でも一つだけわかる事はある。
この馭者が絶対に死ぬという事だ。
腕がない状態で止血もきっちりと出来ずに断面から血は零れ、その上毒が残っているかもしれないという最悪に近い状態。
一刻も早く治療を受けなければならないのは誰が見ても明らかだろう。
そんな状態で戦い、しかも捨て身でプランを庇おうとしているのだ。
それはその行為がどれだけ上手くいったとしても、確実な死が待っている事を意味していた。
それが……プランにはとても嫌だった
天秤伯の問題は自分のまいた種でもあり、その所為で馭者が、ハルトが、リカルドが、ラステッドが死ぬ。
それだけはとても嫌で――それだけはどうしても受け入れられなくて――。
そう思って……プランは諦めた。
馭者の後ろでプランは逃げもせず、その場で立ち尽くした。
腕をぶらんとさせ、生気のない表情を浮かべ死んだ目をしているプラン。
それは確かに全てを諦めた表情で、絶望に染まりきっていた。
「……くっ」
自分が身代わりになってもどうしようもない事に気づいた馭者は悔しそうな表情を浮かべる。
ブラウン子爵より無事に連れて来いと命令されたのに、それが実行できない。
ブラウン子爵の期待に応えられない事が馭者には最も苦しい事だった。
リカルドは無理やりでも、それこそ自分の命を代償にしてもプランを救おうするが――動けない。
そもそもリカルドはプラン達から一番離れた所で戦っているのでどうあがいても間に合わなかった。
ラステッドは十人相手に素手で立ち向かい、そして十人相手に有利に立ち回れているがしばらくここから抜けられそうになかった。
自分がここを出てプランを助けに行くのに最短でもあと十数分はかかるとラステッドは推測している。
つまり、どうあがいても救う事が出来ない。
「糞がっ!」
ハルトは怒りに震え叫び声を上げる。
他とは違い、ハルトだけはプランのその変化の理由を悟っている。
だからこそ、ハルトは自分自身に対して怒りに震えていた。
「……ラスト! 折れるかもしれんが剣借りて良いか!?」
ハルトがラステッドにそう叫んだ。
その剣は父の遺品であり、国王から授けられた名誉ある剣で、人によっては命よりも優先すべき誇り高き剣である。
だが、ラステッドの考えは違った。
「誰かを護って壊れるならむしろハクがつく。何か手段があるならやってくれ!」
貴重な形見の剣だが、ラステッドは形見の剣に負けないだけの正しい誇りを既に持ち合わせていた。
ハルトはその剣を持ち、苦々しい顔のまま、全力で――ぶん投げた。
しかし、盗賊達はそれを軽々と避ける。
オーバーな動作で投げられた剣はすさまじい勢いだが、どこに跳ぶか一目でわかるので避けるのに苦労することすらなかった。
剣は速度を落とさず縦回転をしながらぶんぶんと音を立て――プランにまっすぐ襲い掛かっていた。
「プランちゃん! あぶな――」
リカルドが叫び声をあげるが間に合わず、そのまま剣はプランに襲い掛かる――。
それに、反応出来る者は誰もいなかった。
その一瞬で何があったのか、誰一人見る事は出来ず理解できなかった。
カランと剣が落ちる音と同時にしゃがみこみ、『ごめん』と繰り返しながらわんわんと泣くプラン。
そして周囲には、盗賊は綺麗さっぱりいなくなっていた。
正しくは盗賊全員さっきまで戦っていたその場のまま、全員倒れ込み気絶をしていた。
全員、何があったのか理解出来ず、唖然とする事しか出来なかった。
ハルトだけは違い、苦々しく、悲しい表情を浮かべていた。
プランを泣かせているのは自分だと理解しているからだ。
「……差は開く一方か」
プランの動きを見る事すら出来なかったハルトは小さくそう呟き顔に手を当て空を見る。
『プランよりも強くなる』
そんな約束が実現するのは、まだまだ先になりそうだった。
その話を百人にすれば百人が大した事のない話であると言うだろう。
誰かが亡くなったわけでもなく、誰かが怪我をしたわけでもない。
少年の心をちょっとだけ傷つけ、そしてすぐに立ち直ったという本当にたわいもない子供の戯言である。
誰に言っても『その程度』と答えるそれは、彼らにとってはとても辛い記憶として残り続けていた。
ありがとうございました。
長い事伏線として敷いてきたやりたかった事がやっと出来た……。




