3-ex話 子供の頃に結ばれた、少年と少女の尊き約束
それは大人が聞けば全員が口を揃えて『大した事ない』と言うだろう。
だが、感受性の豊かな子供にとってそれは大きな心の傷であり、そして尊き約束だった。
お互いを傷つけあったからこそ、それを乗り越えると誓った大切な約束と――。
その約束が誓われたのは今よりおよそ十年前。
ハルトが八歳でプランが六歳の頃だった。
ハルトは物心ついた時には既に自分が孤児であると理解していた。
だが、それを悲しいと思った事は本当に一度もなかった。
むしろ、誇らしく感じている部分ですらあった。
自分の父はリフレストの武官、兵士達で、自分の母はファストラ村の女性達。
比喩でも何でもなく、ハルトは恵まれていた。
同情や哀れみではなく、親心を持つ多くの人達に心から愛されていたからだ。
だからハルトは自分の過去について誰かに尋ねた事が一度もない。
知っているのは、自分の名前であるハルトは捨てられた時には既に付いていた名前だという事くらいである。
ちなみに、ハルトのラストネーム(苗字)であるゲイルは兵士の一人から付けられた。
男女問わず大勢の人数で誰の苗字にするか騒ぎ合い、最終的にくじ引きで兵士の一人に決定した。
意見の一つとして、リフレスト苗字にしてプランの本当の兄にしようという破天荒な意見が領主から出たが、将来恋仲になったら可哀想という理由で却下された。
そんなハルト・ゲイルは親の愛情とはまた違う別の面でも確かに恵まれていた。
それは身体能力である。
赤子の頃から一回り以上でかく、そして乳を人一倍欲しがった。
言葉が話せるようになってすぐくらいの頃には、ハルトは遠慮して食べる量を減らそうとした。
自分が同世代よりも大きく、人並み以上に食べている事を何となく気づいたからだ。
そんなハルトを、ファストラの母全員は怒鳴るように叱った。
『息子が遠慮するような母親に私達をしてくれるな! 本当に私達の事を思うなら今沢山食って将来でかくなって役に立て!』
本心でそう言ってくれている事がわかる為、ハルトはその日から遠慮せずにご飯を食べる事にした。
時に大人の三人前、四人前食べるような事があっても誰も文句を言わず、微笑ましく見てくれた。
だからこそ、ハルトはこの村に――いやこの領の皆に育ててもらった恩を常に感じて生きている。
沢山食べて、沢山寝て、ハルトは皆の予想をはるかに超えて大きく成長した。
五歳の時には同世代の子達より二回り以上大きく、そして力は大人並だった。
喧嘩でも当然負けしらずで、ファストラのガキ大将として君臨し続けていた。
ハルトが子供達のトップにたった時の命令は『自分のお母さんのお手伝いを毎日すること』だった。
遊ぶ時間が削られる命令は子供には嫌に思え、多くの子供達がハルトを蹴落とそうと戦いを挑み、返り討ちにあって強制的に母親のお手伝いをさせられた。
結局ハルトがガキ大将を卒業するまでその命令は有効のままで、そしてハルトがガキ大将を卒業した今でも、何故かその命令はファストラの村で残り続けている。
ハルトには憧れの職業があった。
それは自分の面倒を見てくれた父達の職業で、兵士である。
毎日兵士、武官達の自慢を含めた戦いの話を聞いていたのだから憧れて当然でもあった。
そして、幸いな事に兵士で一番重要な資質である体力も、次に重要な力もハルトは兼ね備えていた。
だけど母親連中はその憧れを好ましいと思わなかった。
『ウチのハルトならもっと上にいける』
そう母親達は思っていたからだ。
そんな母親達の絵本や説得といった英才教育のおかげでハルトの憧れは更に上に向き、リフレスト一の武官であり、物語に出るような騎士であり、そして恰好良い超一流の剣士という贅沢な夢となった。
父達も母達もそんなハルトを優しい目で見守っていた。
一つだけ彼らに誤算があるとすれば、ハルトを普通の子供と同じように扱ってしまった事である。
五歳になったハルトは兵士の試験を受けたいと兵士に頼んだ。
兵士は子供にクリア出来るような難易度でない事を知っていた為了承した。
ハルトは軽々とこなし、兵士になってしまった。
これには父親達は頭を抱えた。
子供だからと言って断るとハルトの心を傷つける。
そして、決してハルトが兵士になる事を拒絶しているわけではない。
むしろ共に戦える事は喜びであるとさえ言える。
しかし、いささか早すぎるのだ。
兵士としてよりも遊んだり学んだりと子供として学べる事をもう少し楽しんでから、それから兵士になってほしかった。
悩んだ結果、ハルトには毎日決まった時間に武官になる訓練をする事で手を打った。
『ハルトは立派な武官になる為の特訓をしなさい。それが兵士としてのハルトの仕事です!』
そんな言い訳に、ハルトは喜んで首を縦に振った。
ようするに、英才教育である。
その時ハルトよりも二つ上のヨルンという非常に賢い文官希望の星となる子供もいた為、文官連中に負けないように鍛えてやろうという兵士、武官達の親馬鹿な気持ちも幾分に混ざっていた。
ここでもう一つ、兵士、武官に誤算があった。
それはある兵士になった時と同じような失敗でもあった。
ハルトの身体能力は子供として優れているのではなく、大人と比較しても優れていた。
要するに、その身体能力は既に並の兵士より上なのだ。
ハルトが訓練を開始してわずか三年、ハルトが八歳になった時、兵士達は全員ハルトに模擬戦で勝てなくなっていた。
武官達はまだ負けていないが、そう遠くないうちに抜かされるだろうという気持ちになる程度にはハルトは強かった。
技量はそうではないのだが、単純に筋力が凄まじく、単純にごり押し戦法しかしてこない。
だが、そのごり押しこそが強かった。
兵士達はその事を誇りに思いつつ、落ち込んだ。
『子供は親を抜くのが親孝行と言うが、少し早すぎる……』
そんな兵士達の嘆きを聞く武官達だが、彼らも他人事ではなかった。
だからといってハルトの英才教育を止めるというような小さな嫌がらせはせず、むしろこのまま徹底して英才教育をすべきだと武官達は考えた。
そこで、ハルトの専属指導役として白羽の矢が立った人物がいた。
彼の名前はドルトフ。
七十歳で年齢的にそろそろ辛くなり、引退を決意したリフレスト領の武官である。
幸いなのかリフレスト領として不幸と呼ぶべきか。
ドルトフという高齢の男性はリフレストで一番の技巧派剣士だった。
力任せしか出来ていないハルトに技術だけで圧倒出来るのでハルトの鼻っ柱を折るのにもぴったりで、そして教えるのもうまい。
引退した結果時間も有り余っている為ハルトと指導役として見事に理想と合致していた。。
彼にとってもハルトは息子、というか孫同然だった為ドルトフは喜んで引き受けた。
ハルトも自分より強くて剣が上手く、とても綺麗な剣筋をしているドルトフから教わるのはとても嬉しい事だった。
そんな特訓が数か月続いたある日、その事件は起こった。
誰も悪くないし、何のトラブルも起きていない。
だけど、少年の心に傷を付け、立ち直る時には少女の心に立ち直れないほどの傷をつけた。
そんな小さな事件が。
ハルトはドルトフの指導により、特製の木製剣を持って素振りをしていた。
力は足りているし思い切りも良い。
だけど、剣を振るという意識がハルトには乏しかった為ハルトの剣は剣技ではなく棒振りでしかなかった。
小さい時から剣を持っているが故に、剣への恐れも感動も失っていた事も理由の一つだろう。
だからこそ、剣を振る事の怖さと大切さを身に着ける為に、ドルトフはハルトに多く素振りをさせていた。
ただし、ハルトの持つ練習用の剣は普通ではなかった。
見た目こそただの大きめな木製の剣だが、その中身はほとんど金属で、ほとんど真剣と変わらない重さである。
ハルトの力が有り余っている為ドルトフが用意した特注の剣だった。
それでも、ハルトは軽々と剣を振り回し、ドルトフはもう少し重くしなかった事を少しだけ後悔した。
そんなハルトの修行を見て、一人の少女がとことこと歩いてハルトの元に近づいた。
その少女の名前はプラン。
栗色の髪は今よりも柔らかく、くるくると巻かれている。
幼い顔立ちながら目持ちがぱっちりとして、もしかしたら今より美人なんじゃないかと思うくらい可愛らしい、そんな六歳の少女はハルトの方をじっと見つめた。
「はるとー。なにしてるのー?」
プランの声を聞き、ハルトは素振りを止めた。
「武官になる為の特訓。プラン、危ないから少し離れて」
そう言って今よりも顔が怖くないハルトはプランに優しく微笑みかけた。
二歳年下ではあるがハルトとプランは呼び捨てで呼び合っていた。
最初こそプランは『ハルトお兄ちゃん』と呼びハルトは『プラン様』と呼んでいたが、お互い気持ち悪さを感じ呼び捨てになった。
実際呼び捨てにした瞬間、何とも言われぬ愛着とフィット感があり、これがお互いの距離感として理想なんだろうと理解した。
大好きなお兄ちゃんであるハルトに離れてと言われ、プランは少し拗ねた表情を浮かべた。
「えー。プランもやりたい。そのぶんぶんするのやりたい」
「プランには無理だって」
大人顔負けであるハルトの筋力だからこそ出せる剣風とブンという素振りの音。
それをプランは楽しそうだと思ってわがままを言い出した。
「できるもん! プランにもできるもん!」
「じゃあ……はい」
そう言ってハルトが持っていた剣を渡すと、プランは嬉々として受け取り、そしてしかめっ面をしてみせた。
「……うーん! うーん! これ持ち上がらないよ!」
切っ先が地面から一ミリも持ち上がらず、持ち手を持っているだけで手が痛くなったプラン。
そんなプランを見てハルトはそっとプランの手から剣を回収した。
「な? 無理だろ?」
そんなハルトの態度を見て、プランはむーっと頬をぷくーっと膨らませた。
「普通の! 普通の木の剣なら振れるもん! たぶん!」
練習用の木製剣と言えども六歳の小さな子が振れるようなものではない。
重さではなく、剣の長さと体格がかみ合っていないからだ。
ハルトが幼くして剣を振る事が出来たのは、体格が大きく力が強からこそ出来た事である。
それでも、一歩も引かないプラン。
そして困り果てるハルト。
そんな二人を微笑ましい目で見た後、ドルトフはプランに練習用の木製剣で、しかも一番軽い剣を手渡した。
「はい。どうぞ気をつけてね」
ドルトフから剣を受け取ったプランはわーいと喜び、意味のない構えを取る。
左手ではなく右手側を主軸にして剣を持ち、剣先を下向けに構え、きりっとした表情を作る。
おそらく本人としては恰好良いポーズのつもりだろうが、体格も構えも変で相当ちんちくりんである。
「どうやってソレで振るんだよ」
ハルトがそう言ってプランを笑うと、プランはむっとした表情を浮かべる。
「振れるもん! たぶん」
そう言った後プランは剣を構え、精一杯動かした。
シャリン。
斜め下から上という謎の逆袈裟斬りでの切り上げ。
腕も足もめちゃくちゃだが、その剣筋は恐ろしさを感じるほどに美しかった。
剣を振った音は綺麗な鈴のような音で、ハルトはプランの持つ剣は楽器だったと錯覚するほどである。
ハルトはドルトフの方を見てみた。
ドルトフは無言のまま目を丸くし驚いていた。
その余りに綺麗な剣を見て、ハルトは何故か無性に悔しい気持ちになった。
「プラン。勝負しよう」
ハルトがそう声をかけると、プランはもう一度剣を振り、シャリンと綺麗な音を鳴らせた後答えた。
「や。怖いもん」
「じゃあこっちは攻撃しないから勝負しよう」
「んー。じゃあそれならいっか」
どうやって勝負を付けるのか考えていない子供特有の自由と無鉄砲さ。
その理由はシンプルで、ハルトは負けるなど微塵も考えていないからだ。
今まで大の男達に勝ち続け、武官の中でも強い方のドルトフにも最近良い勝負が出来るようになった。
剣技も明らかに上達しているしその自覚もある。
要するにハルトは、自分は大人の仲間だから子供には負けないと思っているフシがあった。
プランはさきほどと同じく練習用の軽い剣を、ハルトはそれより少しだけ重い木製の剣を持って勝負を開始した。
ドルトフの『はじめ!』の合図でハルトが動こうと思った瞬間――あの鈴の音が聞こえてきた。
この世のものとは思えないほどに美しい音。
空気を斬った音とは思えないようなその音に魅了され、気づいた時には十歩ほど離れていたはずなのに目の前にプランがいて、そしてにっこりと微笑んでいる。
ハルトの手元にある剣は、持ち手の部分のみになっていた。
当然だが、木製の剣で物は切れない。
だけど、その木製の剣で斬られたという確証があった。
おそらく、あの死さえも感じるような恐ろしくも美しい音の所為だろう。
「私の勝ち?」
プランの言葉にハルトは首を振った。
「今のは俺の剣じゃないし」
そんな屁理屈でハルトは重たい鉄入りの木製剣をプランに見せた。
二度目の模擬戦。
今度ハルトは目を皿のようにしてプランの動きを見つめた。
だが、恐ろしい事に、全く結果は変わらなかった。
プランの木製剣から繰り出される一閃はハルトの剣を、ハルトが知覚する前に中身の金属ごと切り裂いていた。
「私の勝ち?」
「いや。俺は兵士だからちゃんとした剣じゃないと負けじゃない」
「そっかー」
完璧に無理のあるいちゃもんだが、プランはその言葉に納得した。
そんなハルトは刃を潰しただけの本物の剣を用意し、そしてそれも同じように切断させた。
金属の綺麗な切断面など見た事のハルトは驚きつつも、遂に負けを認めた。
「私の勝ち?」
「ああ。プランの勝ちだ」
「わーいやったー!」
そう言ってプランはぴょんこぴょんこと跳ねて喜んだ。
ハルトの内心は悔しさでいっぱいだった。
だけど、この時はまだ心に傷がつくほどではなかった。
悔しさで後でこっそりと泣き、そして立ち直れば良いだけの話である。
そう、ここまでであれば……。
ドルトフはプランの剣筋を見て、ハルトとの闘いを見て、心に沸き立つ強い好奇心のような物を感じていた。
「プランちゃん。ワシと戦ってくれないかね?」
ドルトフはプランにそう言って、プランは渋い顔をした。
「ドルトフ強い人じゃん。私じゃ勝てないよ。それに大人と戦うのって怖い。というか戦うのって怖い。ほら、さっきので手に汗掻いてる」
一歩たりとも動いていないハルトとの闘いでも、確かにプランは手に汗を掻いて変な緊張で心臓が脈動していた。
「頼むよ。もう余命幾ばくもない老人の頼みと思って」
そう言われたら断れず、プランはしぶしぶながら了承した。
ちなみに十年後、今もドルトフはファストラの村で普通に暮らしている。
余命幾ばくもないという言葉は、残念ながら領主よりも長生きしてしまったという皮肉と変わってしまい、そう言った事を今でも後悔していた。
ドルトフは木製の剣を何十にも布で包み、実際に当たっても大怪我しないように徹底して気をつけ、勝負の準備をした。
プランの方も緊張からか深呼吸と溜息を繰り返し、妙に忙しなくしている。
そして――二人の勝負が始まった。
それはハルトの想像を絶する勝負だった。
いつも待ちの姿勢で戦うドルトフが、幼い子供相手に全力で剣を振り下ろした。
大人げない、ハルトも見た事がなかった本気の一撃。
だが、プランはそれをくるっと回りながら回避し、その遠心力で剣を横に振り斬り込んだ。
いつもの鈴の音が聞こえ、ドルトフはその鋭き一閃を剣で受け流す。
再度ドルトフは剣を構え、そして斜め袈裟斬り風にプランを切りつけた。
回転では避けきれない芯を捉えた斜めの斬撃。
そして、ドルトフはまだ足に余力残している為、逃げる相手を追う事が出来る突進に移行出来る切り払い、それこそがドルトフの必殺の一撃だった。
それをプランは回りながら剣で受け流し、くるくると二回転して剣の外側に移動し突きを放つ。
その鋭い突きをドルトフは冷や汗を掻きながら回避した。
一進一退の攻防をくり返す二人。
それは武官同士の戦い以上に高度な戦いだった。
だが、そんな戦いもそれほど長くは続かなかった。
わずか二分程度の攻防に疲れを見せるドルトフ。
ドルトフの体力は確かに衰えているが、それでも元武官である。
こんな短期間に疲労するほど柔ではない。
疲労している理由は単純で、開始してから二分、ずっと戦局が不利で追い詰められ続けているからである。
開幕、ドルトフは先に剣を振らなければハルトと同じように剣を斬られ終わっていた。
それがわかっているから無理に攻めてアドバンテージを狙っていた。
しかし、わずかでもプランからアドバンテージを奪う事は叶わなかった。
プランはフェイントでドルトフの剣を上に向かせ、その隙にドルトフの剣持ち手下部分を自分の剣で軽く叩き、剣を浮かせてからドルトフの奪い二刀流の構えを取った。
「ねね。これって勝ちになる? それとも反則負け?」
変な構えのままニコニコとするプランに、ドルトフは微笑んだ。
「ワシの負けだよ。プランちゃんは強いね」
「ううん。強くないよ。ハルトもドルトフも私に気を使ってくれてありがとう」
そう言ってプランはドルトフに奪った剣を返した。
ハルトはドルトフがどれだけ強いかを知っている。
そして、その強さの理由はずっと毎日剣を振り続け、鍛え続けているからという事も。
ハルトにとってドルトフは理想であり目標であり高い壁だった。
いつの日か必ず追いこすと誓った、とても恰好の良い憧れの山だった。
それをあっさりと、剣を何一つ知らない、努力どころか剣を初めて持ったプランに飛び越えられた。
ハルトは生まれて初めて挫折しただけでなく、努力の無意味さ、世の不条理さを理解した。
自分がどれほど努力をしても、絶対にプランに勝てないだろうとその時思ってしまい、心が折れた。
その日から、ハルトは剣を振る事を諦めた。
とは言え、少年の心というものは思った以上に単純であり、その時辛くてもしばらくしたらけろっとした顔で元に戻っている事が普通である。
現にハルトも、三日ほど落ち込みめそめそしていたがあっさりと戻り剣の素振りを再開した。
プランで超えられたんだから自分もドルトフを超えるんだという希望を持って、前よりも熱心に訓練に励んだ。
単純であり、鈍感であり、そしてひた向き。
ハルトはひねくれる事なく純粋な子供のままだった。
ただし、プランはそうではなかった。
プランは多くの才能を持って生まれていた。
それは剣技から魔法の適正、それだけでなく人の事を理解する力や料理、洗濯など。
本当に多くの、領主以外の何にでもなれるくらいの才能を持って生まれたプランは、六歳とは思えないほどに賢かった。
そう、ハルトが自分の所為で苦しみ、剣を投げ出したと理解するくらいには、プランは賢かった。
それはきっと大した事ないだろうと皆が言うだろう。
だが、プランの傷は十年経っても癒える事のない、立派なトラウマとして残るほど深い傷を作っていた。
いつも笑っていたプランがその日を境に一切笑わなくなり、ハルトと会うたびに泣きながら謝る。
ハルトが立ち直ってもそれに変化はなく、一切笑わず何もなくても泣いて、そして誰のいう事にも従う子供らしくない子供となった。
プランは自分の事を心から憎んで嫌っていた。
なんでこんな才能を持ってしまったのか。
何で自分は努力もせずに人を踏みにじるような力を持っているのか。
いやそれ以前に、どうして戦う事が恐ろしいという自分にこんな力が宿っているのか。
自分がいる所為でハルトがいつまでも苦しむ。
そんな事を考え、プランは毎晩思い悩んでいた。
――そうだ。手を潰せば剣が持てなくなるじゃん。
そう思ってプランは台所からナイフを自分の部屋に持って来た。
そしてこっそりと自分の手をテーブルに置き、その上にナイフを――――――振り下ろせなかった。
怖かった。
傷付くのも、痛いのも、嫌な思いをするのも怖かった。
自分が強いとハルトが傷付く。
だけど自分が痛い思いをするのが怖いから手を潰せない。
そんな自分をプランは、酷く醜い存在のように感じた。
プランが笑わなくなって二月が経過した。
皆がプランを心配した。
皆がプランを助けたいと願った。
そして、事情を知る者は誰一人ハルトを責めなかった。
プランと同じようにハルトもまた、リフレストの子供だからだ。
だからだろう。
プランの流れ続ける涙を治めたのもまた、忙しい兄代わりである心優しいハルトだった。
夜となり、無言のまま部屋に戻り就寝するプラン。
最近では一日で使う言葉が『おはよう』と『いただきます』『ごちそうさま』『おやすみ』だけとなってきた。
もう消えてなくなりたい。
そんな気持ちでいっぱいのプランの部屋に、突如として侵入者が現れた。
ガンと何か大きな物がぶつかる音が聞こえ、プランがベランダの窓を開けた。
そこにいたのはハルトだった。
ハルトは顔を真っ赤にしてベランダにいた――ただし赤いのは物理的な理由である。
ロープを使って屋根からプランの部屋のベランダに移動する作戦は悪くなかったのだが、途中ロープがするっとほどけベランダの壁に思いっきり顔面を擦りながらぶつけた。。
そのまま両者は無言のまま見つめ合っていた。
突然の来訪に加えて顔面の謎の怪我により謝るタイミングを失ったプラン。
慰めに来たは良いが何を言えば良いかわからないハルト。
両者は長時間見つめ合う。
そんな沈黙が耐えきれなくなったハルトは何か言おうとして何を言えば良いか結局出て来ず、それでも沈黙の時間が辛かったのでとりあえず思っていた事をそのままぶち込んだ。
「良くわからないけど元気出せよ!」
ハルトの言葉にプランは何も答えず、そのまま泣いた。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
いつものように謝る言葉を繰り返すプラン。
むしろいつもよりも追い詰められているようでもあった。
「お前は何も悪い事をしてないだろうが!」
イライラした口調で怒鳴るハルト。
ハルトもまた。精神的に限界が近くなっていた。
家族同然のプランが笑わなくなったことはリフレスト全体に影響を与えている。
当然それはハルトも例外ではなかった。
「だって……私が勝っちゃったからハルトを傷つけちゃったから……。私なんかいなくなった方が……」
「はぁ? 強いから勝っただけじゃないか。そんなんいちいち気にするな――」
「気にするよ!」
プランの怒鳴り声にハルトは気圧される。
「気にするよ……。私何もしてない。努力も、練習も勉強も、剣の事なんて何も知らない。初めて持ったんだよ? そんな私が勝つなんて変だよ……」
「強い者が勝つ。そんなもんだろ」
「私、強くないよ。私……傷つけるくらいなら勝ちたくなかったよ。こんな力いらない。私なんていらない」
「そんな事言うなよ!」
今度はハルトが怒鳴った。
喩えどれだけプランが落ち込んで何を言おうとも、その言葉だけは許容するわけにはいかなかった。
「皆プランを心配している。皆プランを大切に思っている。だから……そんな寂しい事言うなよ」
「でも……何もしていないのに努力を否定するような力を持って……。私こんな自分を好きになれないよ」
「だったら……だったら……」
ハルトはその先の言葉を言おうかとして口が止まり、深く思い悩んだ。
一度言ってしまえば、その吐いた唾は飲み込めなくなる。
それは子供ながらに無茶であると理解出来るほどの暴挙だった。
だけど、その無茶を通さないとプランは何時までも自分が好きになれない。
だったら、ハルトの答えは最初から決まっていた。
家族の為なら、ハルトは天にだって逆らう覚悟を持っていた。
「だったさ、俺がプランより強くなるよ」
「……え?」
「いっぱい努力して、いっぱい特訓して。お前の力を俺の努力で否定してやるよ」
「――本当?」
プランの目には期待が込められていた。
既に後には引けない。
ハルトはこれから遠い道のりを突き進まねばならない事を理解した。
そう、プランより強くなるという目的は、恐ろしいほどに長い道であると、既に本能的に察していた。
そして、ハルトは既にその覚悟を持っていた。
「ああ。本当だ。必ず、俺がプランよりも強くなる。約束だ」
「――うん! 約束ね?」
そう言ってプランは、泣きながら笑った。
本当に大した事のない、ただの日常の一コマ。
だけど、ハルトにとっては世界よりも重たい大切な約束をした瞬間だった。
十年経っても未だ果たせぬにいるその約束だが、ハルトはその約束を未だ胸に秘め、そして毎日剣を振っていた。
ありがとうございました。




