2-27話 奪い合うタクトの如く1
堂々としたポーズのまま固まるプランを見てあっけに取られ茫然としたまま硬直する人々。
数秒の沈黙は瞬く間に囁くようなひそひそ声に変わり、最終的にはざわざわと賑やかな様子へと変貌した。
その中心人物のプランにあまり好意的でない視線、端的に言えば普通じゃない人を見るような……そんな不審な目が向けられた。
カンッ、カンッ!
木と木をぶつけたような小気味よい音によって人々の騒ぎ声は消され、静寂が取り戻されると全員の視線は部屋の中央奥上部へと向けられる。
その人物は木槌を持ったまま咳払いをしてプランの方に冷たい目を向け言葉を投げかけた。
「裁判長として命じます。その者を退去させてください」
そんな威厳ある老人の声を皮切りに、槍を持って軽鎧を着た男達が左右からプランを抱えようとする。
「ちょっと待った。せめて名乗らせて」
それを無視して掴もうとする男達。
職務に忠実で何よりである。
「いや本当ごめん少しだけ時間頂戴。私貴族だから」
慌てるプランの声を聞き、職務に忠実な男達はぴたっと足を止めた。
「――本当ですか?」
裁判長の疑わしい声に、プランは大きく頷いてみせ、その直後にその場に跪いた。
「まずは謝罪を――。緊急事態が故に少々強引に入らせていただきました。改めて失礼します。私の名前はプラン・リフレスト。リフレスト領主として大恩あるブラウン子爵の危機に駆け付けさせていただきました」
そんな言葉が静寂の中響いた後に、傍聴席を中心に騒然とした空気が流れ裁判所らしからぬ賑やかさとなった。
領主が突然押し入ってきたというのも十分なほど大きな事件だが、それよりももう一つの事件。
領主が裁判長に跪いて謝罪をしたという事実が観客たちを大きく驚かせた。
領主の地位は非常に高く、男爵であったとしても裁判長よりははるかに上である。
他領であってもその地位は変わりなく、領主という者が下の者に謝罪をする事など本来あり得ない。
それこそ、領主が多少の無礼な行為を行ったところで『気を付ける』の一言で終わらせる事が出来、今回のような傍聴自由な裁判ならば押しかけても問題ないし、騒いでもそっと連れ出されるだけで表立って非難することは裁判長には出来ない。
領主というのはそれだけ高い地位を持った存在である。
だが、この街に住む者ならその例外も知っていた。
他者の為に動くならば妙にフットワークが軽く、他人に対して気軽に頭を下げる女の子領主。
その姿、その在り方は、ブラウン子爵にそっくりだと傍聴席のレタラ住民は思った。
――横幅以外。
カンカン!
慌ただしく木槌を叩き、裁判長はけたたましい周囲を黙らせた。
「失礼しました。リフレスト男爵。どうか頭をあげてください」
「はい。ありがとうございます裁判長様」
プランの声に裁判長はとても難しい表情を浮かべる。
それは困惑の表情に近いだろう。
「ブラウン子爵。あのお方の言葉は真実ですか?」
裁判長は部屋中央の被告人席にいるブラウン子爵に尋ね、子爵は頷いて答えた。
「神に誓って」
それに裁判長は納得し頷き返した。
「リフレスト様。どうか私に様など付けずお呼びください。それで、どのような御用でしょうか。あまり時間は残されておりませんので申し訳ありませんがお早目にお願いします」
裁判長は最大限の配慮をしながらプランに尋ねた。
地位は上でもこの裁判という限定された場所なら裁判長の権限で追い出す事も黙らせる事も可能ではある。
それでも、裁判長は公平さを、盟友であり同胞でもある天秤伯のように誰にも偏らない正しい天秤を作る為何か事情がありそうなプランに言葉を促したのだ。
そして、プランが言う事は決まっていた。
「はい。私がここに来た理由、それはブラウン子爵の無実を証明する為です」
プランは正々堂々、裁判に――裁判を開いた黒幕ガディアに挑戦状を叩きつけた。
裁判の隅にある貴賓席で一人座るガディアの方を見ながらプランがそう告げ、ガディアは小さくにっこりと微笑んだ。
その笑顔には優しさなど一滴も込められてなどいなかった――。
「わかりました。そういう事なら……今が丁度良い場面です。申し訳ありませんがしばらくの間あちらで傍聴して頂きます」
そう言いながら貴賓席を指差す裁判長に、プランは首を横に振り一般側の傍聴席、民衆の横に堂々と座った。
「ここで構いません裁判長、進行お願いします。……あ、隣失礼しますね。……そんなに気を使わないで。ただの小娘が横に座っただけですので」
プランは横で怯える女性に謝罪しつつそう言葉を残した。
裁判と言っても弁護士や検察がいるわけではない。
かと言って神明裁判のように神にゆだねるという裁判でもない。
理由は様々だが、裁判を神にゆだねるなんて事は六神全ての神が嫌っていた。
なので裁判は原則、裁判長が証拠と証言を聞き分け判断する。
裁判に参加するのは被告と原告、数名の裁判員と裁判長、それに要請があった場合は被告原告の知人まで参加できる。
事実を明らかにするという原則があるので裁判内では嘘が付けない。
それでも、弁護士がいないという構造上被告側が基本的に不利であると言えるだろう。
今回の場合は被告ブラウン子爵になり、原告はこの国そのものとなる。
その為原告に値する者は国王となるのだがこの場に来れるような人ではなく、裁判員が原告の代わりを務めていた。
と言っても、貴賓席に招かれているガディアこそが本当の原告相当であると一般席も含めて皆知っているが。
「では、イール。続きを」
裁判長の声に裁判員席に座っていた内の一人が、羊皮紙を二枚裁判長の傍まで持って行き手渡す。
「こちら、一枚目が国に提出された五年前の年間決済報告書。二枚目が五年前のブラウン領の実際の収益を書かれた帳簿の写しです」
裁判長は受け取った羊皮紙を広げてソレを見比べる。
一枚目の美しい装飾が施された豪勢な作りとなっており、中央に差し出す正式な書類である事を示している。
国に提出された後は本来見る事すら敵わない貴重な羊皮紙には、正しくこの国と王の印が押されていた。
そして二枚目、ブラウン子爵領のその時の帳簿を見て……裁判長は露骨なまでに表情を曇らせた。
裁判長は二枚目、帳簿の写しを裁判員に命じてブラウン子爵の元に運ばせた。
「覚えている範囲で構いません。コレの真偽についてわかる事があれば教えてください」
裁判長の言葉に、ブラウン子爵は良く通る声ではっきりと言い切った。
「相違なくこの帳簿は事実です」
聞かれた事以外答えられないブラウン子爵はそう言葉にした。
裁判長は小さく溜息を吐き裁判員は落胆の表情を浮かべ、そんな不穏な空気が一般の民、傍聴席にまで広がる。
帳簿が間違っていないという事は、ブラウン子爵が不正に金銭を抜いていたと言わざるを得ないから。
そう、王印までされた書類の方が偽者だと、思う者はこの場に二人しかいなかった。
一人は無実であるブラウン子爵本人。
そしてもう一人はこの空気に怯えながらも何とかしなければと思うプランその人である。
プランは心臓を締め付けられるような嫌な空気に負けないよう気合を入れた。
くしゃっ。
何かを握り潰すような感触に気づいたプランは、ようやくヨルンに託された羊皮紙の事を思い出した。
大切に、大切に、落とさないように気を付けたヨルンからのお願い。
大切にしすぎて忘れていた自分に苦笑いを浮かべながら、プランはその羊皮紙が結ばれた紐を解き紙を開いて見た。
書かれている物を見てどうすべきかは理解した……のだが、正直うまくいく気がしなかった。
何とか時間を延ばさないと、プランは紙を結び直し、息を大きく吸った。
「すいません。証拠の提出をしたいのですが」
一般の傍聴席からプランの良く通る声が響いた。
裁判を止める事も、傍聴席が混ぜ返す事も例外中の例外だが、裁判長はそれを素直に認める。
裁判長にとって大切なのは、事実が何だったのかだからだ。
「わかりましたリフレスト男爵。では……イール」
裁判長は裁判員の一人に声をかけ、その男はプランの傍に向かった。
「はい。お願いします」
そう言ってプランは強く握ってしまった羊皮紙を男の手に渡す。
「――お預かりします」
男は深く頭を下げてソレを受け取り、裁判長の元に提出した。
「――これは……」
裁判長は渡された書類を見た後、さきほどの王印がされた書類と見比べる。
ヨルンの用意した書類、それは年間決済報告書――の写しだった。
署名リフレスト男爵領筆頭文官ヨルン・アイスと書かれリフレスト領の判が押されたその年間決済報告書は、王印された物と明らかに数字が異なっていた。
明らかに戸惑っている裁判長の表情に、一般席からは騒めきが聞こえ始める。
それはネガティブな感情だけでなく、わずかな希望が込められているようでもあった。
プランはきゅっと唇を硬く結び、気合を入れ直す。
こんなんでうまく行くと思うほどプランは楽天家ではない。
王印された物を覆すほどの証拠ではない事など素人判断でも理解できる。
そして何より――来賓席のガディアは相も変わらずにっこりと微笑み続けていた。
「……むぅ。二つの証拠比較は残念ながら私の権限を越えております。ですので……もうしわけありませんが天秤伯――」
裁判長が困り顔で来賓席の方を見ると、微笑みながらガディアは首を縦に動かし、来賓席から裁判員席まで移動した。
能力ではなく権限の問題、裁判長に明確な判断材料がない中で領印を否定する事は出来ず、それが出来る権限を持つ天秤伯ガディアに判断が委ねられた。
「では天秤伯、今回二枚の異なった結果を持つ証拠の場合どう判断しますか?」
わかりきった答えを裁判長は質問した。
これは誰でもわかる問題だ。
王印の押された物と領印が押された物、どちらが優先されるべきか誰でも理解出来た。
ただ、裁判長では権限の問題でソレを口に出来ないだけで……。
「はい。作成時期が当時で王印がされたものと、最近作られた物で領印がされた物ですと、残念ながら前者の方が重要であると言わざるを得ません」
ガディアは悲しそうな表情を作ってそう呟いた。
流石にここまでくれば、その表情が作り物である事くらいプランでも理解出来る。
本当の表情はわからないが、おそらくあざ笑っているのだろう。
「という事ですが、リフレスト男爵、何か意見は」
裁判長の言葉にプランは頷く。
「はい。反論はありません。ですが、証拠はこれだけではありません。写しではなく実際の書類など他の証拠もありますのでもう少々時間を頂けたらと」
「――わかりました。では書類の提出をお願いします」
「……今はありません」
「どういう事でしょうか?」
「ここに来る途中怪しげな男達に襲われ、書類を持った文官とはぐれてしまして……」
プランがそう呟くと、周囲の席から小さな、それでいて貶すような乾いた笑いが流れた。
裁判長も苦い顔をしている。
貴族が怪しげな男に狙われて逃げてきた。
そう口にするプランの体に傷一つなく、息切れすら見えない。
その為、周囲は法螺話としか受け取る事は出来なかった。
「もう少し、現実的な話でしたら良かったのですが……」
裁判長は嫌味を混ぜながらそう言い溜息を再度吐く。
プランは何も言い返せなかった。
ここで追い出されたら終わりであるし、嘘を付く事も出来ない。
ここで言い返して裁判長の心証を悪くしたら終わりである。
プランがしないといけない事は名誉を護る事でもブラウン子爵を助ける逆転の一手を用意することでもない。
ただ、時間を稼ぐ事だけである。
「証拠は必ず来ます。もう少し、もう少しだけ時間を下さい」
そんなプランの言葉にくすくすと嘲るような笑いが返される。
自分の周囲にいる人は同情的な憐れむ瞳を向け、遠くにいるものは見下すような目を向ける。
裁判長も難しい顔をしている中で、ガディアが口を開いた。
「良いじゃないですか。真実の可能性もありますし、もう少しだけ待ちましょう」
「……天秤伯がそうおっしゃるなら」
納得いかない表情ながら裁判長はそう答えた。
「はい。三十分。それだけ待てば十分でしょう」
ガディアはそう言ってプランの方を見た。
別にガディアはプランを助けようなどと考えているわけではない。
長時間の遅延が認められる可能性をなくしたかっただけだった。
だから時間を三十分に限定した。
あんまり遅延されて帰りが遅くなったら嫌だからである。
頼れる部下に足止めを命令した為来る事はないだろう。
そして、例え来て、更に本物の当時の書類を持って来たとしても、同等の証拠なら天秤伯の権限で何とでもなる。
そう、王様を連れて来るなどといったあり得ない奇跡でもない限りはガディアの策略が崩れる可能性はない。
だからこそ、ガディアは焦るプランの表情を楽しみつつ、三十分という無意味な時間を楽しむ事にした。
ちくたくちくたく。
時計の針が動き進む。
――もっとゆっくり進んで。
そう願うプランとは裏腹に、時計の針は確実に時を刻んでいく。
ちっちっちっ。
針の進む速度が妙に早く感じた。
当然、実際に針の速度が速くなったわけではない。
ただ、プランがそう感じているだけである。
何もせずに待つ時間、プランは必死に願った。
傍聴席にいる市民も誰一人席を立たない。
無罪を信じている者はいないが、それでもブラウン子爵を見届けたかったからだ。
ガディアは張り付けられた空虚な笑みを浮かべている。
何を考えているのかわからないが、酷く不気味で、酷く不安になり、酷く恐ろしかった。
そんな状況でも、ブラウン子爵だけはいつもと変わらず本当に笑っており、その事がプランの心の支えとなる。
それだけで、たったそれだけで……『もう少しがんばろう』
そう思う事が出来た。
ちっちっちっちっちっちっちっちっちっちっちっちっちっちっちっ。
秒針は止まらない。
――今だけは時が止まって欲しい。
そんな叶わない願い、叶えてはいけない願いをプランは否定しつつ、それでも祈り続けた。
神にではなく、友に――。
「……三十分経過。残念ですがここまでですね」
ガディアが酷く残念そうに落胆した表情を浮かべながらプランにそう呟く。
下を向いて祈っていたプランは顔を上げ、ガディアの方を見た。
「……すいません。もう少しだけ時間を」
「残念ですが、裁判の無意味な遅延行為は認められません。失礼ですが、裁判を妨害する遅延としか思えないので」
ガディアの言葉を聞き、プランはニヤリと笑って見せた。
「いえいえ。意味ある遅延ですので。あと一分、いえ三十秒……ああやっぱいいです。もうすぐですから」
そうプランが言った瞬間、扉の向こうから叫び声が響く。
女性の甲高い悲鳴がいくつも聞こえ、それは徐々に近づいてくる。
そしてパタンと大きな入り口の扉が開けられ入ってきたのは、血まみれのヨルンだった。
ぽたぽたと血を流し、全身傷だらけで真っ赤に染まり、泥汚れに加えて服もボロボロ。
そんなヨルンは震えながら、扉の前に立っていた。
「御当主様……コレだけは何とか守り切りました」
疲労しきった表情でバッグを見せるヨルンに、プランは小さく頷いて見せた。
「すいません。治療よりも私には優先しないとならない事が……」
そう言って周囲にいる怯え切りながらも助けようとしてくれた女性達を掻い潜り、ヨルンは足を引きずりながらプランの傍に移動した。
「ヨルン。だいじょぶ?」
小声で周囲に聞こえないようプランは尋ねた。
「ん? ああ。大丈夫です。手の穴以外は自分で付けた傷ですので。あの後煙幕ぽいっですぐ逃げましたから」
「は? どして自傷行為なんてしたの?」
「暗殺者に襲われたっていう証拠があった方が、この後動きやすいじゃないですか。ボロボロの方がそれっぽいでしょ? 襲われたのは嘘ではないですしね」
そう言ってヨルンは邪悪な笑みを浮かべる。
――うーむ腹黒い。
だが……いやだからこそ、プランはこのような時のヨルンは頼りになると知っていた。
プランはそっとガディアの方を向いた。
そこには珍しく、作られた表情ではなく生の表情を浮かべるガディアがいた。
その表情は――驚きである。
暗殺者など出した覚えもないガディアはヨルンを見て非常に驚いていた。
確かに部下に命じたのは足止めの任務である。
殺害など命じたつもりはない。
足止めだけなら合法的な手段でも全然達成できる。
何なら道を数本封鎖するだけでも達成可能で、その権限を部下に与えている。
だが、足止めの依頼は殺害に変化し、その結果大怪我したヨルンが裁判に乱入した。
それはガディアにとって予想外な事態で、確かなイレギュラーだった。
ありがとうございました。




