2-4話 愛しいあの子の為の体験漁生活
それは湖と呼ぶには不適切な大きさをしている。
向こう岸が全く見えず、この湖がどのくらいの広さをしているのか目視では確認できない。
それも当然、この湖の広さはリフレスト領の三割以上を占めているのだから。
それほどの大きさの上に妙に魔力が多い不思議な立地の為、魚影の数は多く、多少無茶な漁を行っても魚はいなくならない。
この湖は資源という意味では宝物庫と呼ぶに値する程である。
ただし、普通の湖と比べて危険度合は異常なほど高い為、普通の方法で漁を行うのは困難である。
今までの目撃報告だけでもなかなかに混沌とした状況になっていた。
魚が水面から顔を出し、水鉄砲で鳥を落としていた。
クジラが小さな魚に丸のみされていた。
魚人が水辺でデートしていた。
どこまでが本当かはわからないが、危険である事だけは間違いない。
周辺に野生動物がまったくおらず、先代は口がすっぱくなるほど『漁船だけは用意するな。金の無駄だ』と繰り返していた事から、侮った者の末路は想像に容易い。
そんな湖に、今日挑戦する一人の武官と五人の兵士達、そして彼らを率いる自称愛の狩人がいた。
そんな自称愛の狩人ことリカルドは、自分の想い人である領主プランへの誕生日プレゼントの為、計画を前倒しにしてこの湖に挑んでいた。
自給自足に毛が生えた程度のリフレスト領では魚を食べる事などめったにない。
だからこそプレゼントに最適だとリカルドは考えた。
それだけでなく、ここで漁での安定供給の為のノウハウを憶える事で、長期的に領の収支の底上げが可能である。
領の未来に繋がる、それこそがプランの本当に求める物であると知っているリカルドは、今回の成功に命を賭けていた。
一つだけ問題を上げるとすれば、この湖は何が捕れるのかわからない事だ。
誕生日プレゼントに魚人の姿焼きでも出そうものなら、お返しの言葉より先に拳が飛んで来るだろう。
――いや、それはそれでプランちゃんなら普通に笑いながら食べそうだ。
そんな失礼な想像をしつつ、リカルドはハルトと兵士達に話しかけた。
「では改めて作戦を説明するぞ。もう何度も話したから知っていると思うが、直前の確認の意味もあるから我慢して付き合ってくれ」
「おう。任せろ」
大して難しい事がなく、脳筋用の作戦を立ててもらったハルトは楽しそうに答えた。
それと同時に兵士達も背筋を伸ばし、リカルドに注目した。
「まず、俺がこれを獲物に打ち込む」
そう言いながらリカルドが見せたのは一本の矢だった。
全体的に太く、特に矢じりが異常な程大きい。
矢羽がついてなく後ろにドーナッツのような丸い輪がついており、全体的に酷く不格好な形をしている。
その輪には太いロープが結ばれていた。
「そして、これにつながったロープをハルトと兵士で引き上げる。ここで引き上げられないほど巨大な敵ならあきらめて次にいく。また、魔物など危険な相手が出た場合はハルトを殿に一端距離を取る。良いか?」
反論がないところを確認したリカルドは頷き、再度周囲に言葉をかける。
「よし! じゃあ、プランちゃんの喜ぶ顔を見る為に、いくぞお前ら!」
兵士達は野太い声で鬨をあげ、手を振りかざした。
「おー」
それを苦笑しながら見守り、真似して適当に手を上げるハルト。
そんなハルトの持っている槍は光り輝いていて、誰よりも磨いた跡が残されていた。
リカルドは自分の才能に気が付いた。
ワイスに魔法を習った時、プランと違いリカルドは魔法の出来る事の広さに気が付いた。
妖精の機嫌と自分の想像力、それと魔力量と属性。
これにさえ気を付ければ魔法は本当に自由である。
と言っても、そうそう思い通りにはいくわけではない。
どの位思い描いた魔法を実現出来るかが魔法を使う才能という物なのだろう。
そして、リカルドはその才能を持っていた。
今回の事を想定し、リカルドは二つの魔法を編み出した。
どちらも消費魔力は少なく、今回の漁に特化した魔法である。
リカルドは弓を構え、そのまま湖に足を踏み出し、水の上を歩いた。
これが今回の一つ目の魔法、水面歩行だ。
そのまま湖の怪異達に見つかる前にリカルドは弓と矢を構える。
今回の為に特別用意した一本の矢。
矢じりは骨で矢羽がなく、長いロープが括り付けられた異質な矢。
普通に射るとまっすぐすら飛ばないだろう。
だがそれで問題ないのだ。
今回狙うのは正面ではなく、真下なのだから。
リカルドは適当な大きさの魚影目掛けて弓を引き、矢を放った。
矢は水の中の抵抗を全く受けず、まるで矢が水を感じてないように突き進んでいった。
これが第二の魔法、風の保護である。
効果は単純で、矢に風を纏わせたのだ。
風を纏った矢は水を受け付けない為失速しない。
風が妨害する為矢自体の威力も相当下がるが、水の中をそのまま進むよりもマシであり、そして刺さりさえすれば抜けないよう大きな返しを付けてある為、威力自体は弱くても問題はなかった。
リカルドは狙った魚影に刺さったのを感じた瞬間、後ろに合図を出す。
それを待っていた兵士とハルトは、全員で一斉にロープを引っ張り始めた。
意外と抵抗の強いロープに困惑しつつも、リカルドの合図に合わせ弱めたり引っ張ったりを繰り返す兵士達とハルト。
「……よし今だ! 思いっきり引け!」
リカルドの合図を聞き、ハルトが思いっきりロープを引っ張った。
ザッパーンと大きな音の後、ビタン!と何かが地面に落ちる音が聞こえた。
その音の方向、背後の奥辺りを見るとそこには一匹の鮫がこちらを睨みつけていた。
「えぇ……」
確かに普通の魚らしき魚影に打ち込んだリカルドは小さく声を漏らした。
三メートル近くある巨大な鮫。
一応食えない事はないだろうが、鮫はそれほど美味しいという物でもない。
皮は使えるし歯は加工すれば武器にもなる為金銭トレードの弾として見るなら悪い物ではないのだが、がっかり感は否めない。
そう思っていると、鮫は体を器用にくねらせて近づき、兵士達に襲い掛かった。
「まじかよ! おい鮫って地上で走るのかよ!」
ハルトはそう叫びながら兵士達を庇いつつ槍で応戦し、リカルドも通常の矢で援護する。
「俺が知るかよ! というかこいつ飛び跳ねすぎだろ!」
ぴょんぴょんと十メートルを越えるほどのジャンプを繰り返し、逃げるわけでもなくハルトとリカルドを襲い続ける謎の鮫。
強いわけではなかったので攻撃を貰うことはなかったが、妙にしぶとく絶命させるのに十分以上の時間が経過した。
鮫は全身穴だらけな上に矢塗れになっており、革としての価値が期待できない有様となってしまった。
「おいリカルド。次は頼むぞ、強くても良いから食えそうな奴を取ってこい」
ハルトの言葉にリカルドは頷いた。
「ああ。すまんな。気を付ける」
さっきも気を付けたはずのリカルドは首を傾げながら、さきほどの同じように水の上に立つ。
そして、尾びれと背びれのついた魚らしい魚影を何度も確認し、集中して矢を放った。
どすっと何かに刺さる明らかな手ごたえを感じたリカルドは、後ろの兵士達に手で合図をし、さきほどと同じように魚影に合わせて引っ張るタイミングを教えた。
引いて、緩めて、引いて、緩めて。
体力を奪いながら浅い位置に移動させ、引き入れると思った瞬間に合図を出す。
「よし引け!」
それに合わせ、兵士とハルトはロープを全力で引っ張った。
大きな水の音の後、地面に何かが落下する音。
さきほどと同じような音に対し、同じようにその方向に注目する全員。
そこにいたのはワニだった。
「なんでだよ! なんで魚影狙って吊り上げたらワニとか鮫になるんだよ!」
理不尽な現象に怒鳴り散らすリカルドと違い、ハルトは冷静に、ワニが動き出す前に槍を突き刺す。
口が開かないように上からの突き刺しを行い、そのうちに首元を斬り、静かにワニを絶命させた。
「……おい。ワニ革ってけっこう良い値段するよな?」
「知らん。だが、妙に鮮やかな手口だったな」
「ああ。何となく、マトモじゃないものが来そうな予感がしていてな」
二人は顔を見合わせた後、大きく溜息を吐いた。
都合二十セットの漁を行った結果。
鮫五。
ワニ三。
コケ八。
途中で矢が抜けたの三。
そしてしゃべる魚が一だった。
魚は『おい。俺はマズイぞ。だから逃がしてくれ。代わりにこの素晴らしい舞を披露するから。この通りだ』と妙に渋い声でビタンビタン暴れていた為、気持ち悪くなり湖に返した。
後日あの時のお礼……という流れにならない事を心の底から願うばかりである。
鮫やワニの処理に手間と時間がかかり、そろそろ日が落ちそうな時間となってきた。
既に兵士もハルトも疲労が溜まっており、集中力も霧散している。
「……よし。次で最後だ」
リカルドの言葉にうんざりした顔をする兵士。
戦闘こそしていないものの、引き上げの作業に鮫やワニの解体。
既に十分な疲労と精神的ダメージを受けていた。
「何かやる気の出そうな掛け声でも言って頑張ろうや」
ハルトが疲れた顔をしながらでもそう言葉にしたのを聞き、兵士達は頷いた。
「わかった。ハルトが頑張ってるんだ。俺達も頑張らないとな」
兵士達とハルトが何かわかりあったように笑いあい、共に励まし合っている中、リカルドとが一言呟いた。
「じゃあ掛け声は『領主様可愛いやったー!』で」
「は?」
ハルトが茫然とした表情を浮かべ、それに反して兵士達は妙な士気になり頷いた。
名誉あるリフレスト領兵士達は一瞬でプランちゃん親衛隊へとクラスチェンジを果たした。
こんな脳が腐っているような提案をしたリカルドにも理由がある。
実はこの中で一番疲れ、一番おかしくなっていたのはリカルドだったのだ。
極度の疲労と緊張の連続と睡眠不足、リカルドに残されたのはプランへの愛のみだった。
リカルドは適当な魚影に狙いを定め、矢を射る。
深く考えても意味がない事を理解したからだ。
散々力強く逃げ回った魚影を引き上げてもコケだった事が何度かあった為、見た目には意味がないとようやく悟る事が出来た。
故に、近場で適当な魚影を狙い、刺さった瞬間に兵士とハルトに合図を出す。
「領主様可愛いやったー!」
リカルドの掛け声に合わせ、えんやこらとロープを引く兵士達。
「領主様可愛いやったー!」
どこにそんな力が残っていたのか、兵士達は腹の底から叫び、ロープを力強く引く。
「領主様可愛いやったー!」
それに合わせ、リカルドが張り合うように声を上げ、更に兵士達がそれに重ねる。
ハルトは巻き込まれないよう、黙って下を向いたままロープを引っ張った。
やったーの掛け声の響く中で水から引き上げられ、ごとっと重たそうな音を立て地面に落ちたのは何故か宝箱だった。
金縁の赤い大きなその箱を見た瞬間、興奮と同時に不審な気持ちに襲われる。
――どうして宝箱が捕れるんだ……。
その違和感からハルトは足を止めたままになっていた。
「宝箱やったー!」
しかし、リカルドは喜び勇み足で宝箱に近寄った。
疲労のピークを過ぎていたリカルドに違和感を覚えるという高度な思考パターンなど既に捨て去っていた。
といっても流石に用心しないわけがない。
リカルドは罠の有無を確認しようと宝箱に近寄る。
その瞬間、キシャーと威嚇音のような音を鳴らしながら宝箱が勝手に開いた。
宝箱の蓋の裏には牙がびっしりと埋め込まれており、ガギンガギンと何度も蓋の開閉を繰り返している。
「魔物だったやだー!」
リカルドは宝箱の魔物を蹴飛ばし弓を構えてハルトの後方に陣取った。
「おい。少しは冷静になれ。な?」
まさか自分がそんな事を言う立場になると予想すらしていなかったハルトは、苦笑しながら槍を持ち、宝箱型の魔物と向き合った。
「長く苦しい戦いだった……」
肩で息をしながら地面に蹲るリカルドに向かってハルトは溜息を吐いた。
傍には口の部分に槍の刺さった宝箱らしき何かが転がっていた。
何故かリカルドを狙い続ける宝箱は、ぴょんぴょん跳ねながら口を開きリカルドを噛みつこうとした。
それに対しリカルドは飛び跳ね前転し避けながら矢を宝箱に射っていく。
ただ、外側は本来の宝箱と同じように頑丈らしく矢は弾かれた。
弾かれても延々と矢を射り続けるリカルドと追い掛け続ける宝箱。
妙な攻防の中、ハルトが試しに口と思われる取り出し口に槍を投擲してみた結果、こうなった。
内部が弱点という常識的な相手だったが、疲労のピークに達したリカルドはそんな事考える余裕もなかった。
「おい。帰るぞ」
ハルトがそう呟くがリカルドは答えない。
振り向くとリカルドは地面にうつ伏せになって倒れていた。
ハルトが近づき様子を見ると青い顔で寝ている。
睡眠というよりは、極度の疲労によるブラックアウトだろう。
作戦準備を急ピッチで進め、今日も作戦指揮を行いつつ魔法の連続行使。
魔法の使えないハルトにはその精神的疲労がどれほどのものなのか想像すらつかない。
ハルトはリカルドを背中で背負いながら、事前に準備していた押し車に兵士達と戦利品を積んでいった。
鮫とワニは肉と皮と歯を分けて使えそうな部位だけ積んでいく。
これで押し車一台分となった。
もう一台押し車があるが、あと乗せる物はコケくらいしかない。
「……ないよりはましか」
そう言いながらハルトはコケを押し車に積んだ。
「ハルトー。これは積まなくて良いのか?」
兵士の一人がさきほどの宝箱を指差し尋ねて来た。
「ああ忘れてたわ。一応持っていくか。正体不明だから魔物かもしれんしな」
その言葉を聞き、兵士は数人がかりで槍が刺さった宝箱を持ち上げ荷台に積んで運び始めた。
「ま、お疲れ。成果がなくても頑張ったことくらいはプランに言っておくわ」
背中で寝ているリカルドに、ハルトは小さく呟いた。
後日調べた結果、あの宝箱は魔物ではなく、貝の一種である事が判明した。
そして内部には、非常に質が良い手の平大の真珠が入っていた。
何とか誕生日プレゼントに適した物が手に入り、ハルトとリカルドは安堵の息を漏らした。
それ以外の物はほとんど売り払い領地運営資金と変えた。
ヨルンが良い笑顔を浮かべていた事を考えると、ソレらは悪くない値段で売れたのだろう。
ありがとうございました。
体調不良やら何やらでお待たせして申し訳ありませんでした。




