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「………いや。嫌ですアスワド様、やめて………っ!」
私の拒絶も懇願も、狂気に囚われた王子には届かなかった。
圧倒的な力の差。あえかな抵抗も簡単に封じ込まれ、あっけなく蹂躙される。
ただ支配し征服し所有しようとするだけの欲望。
それが愛する人の所業だからこそ、本来の彼の優しい指を知っているからこそ、余計に耐えられなかった。
「………ふ」
嗚咽が込み上げる。
「ううっ………………わぁぁん!」
涙が溢れ、押さえきれない泣声が私の中からせり上がってきた。
王子の動きが止まる。
「ロザヴィー………?」
子供のように泣きじゃくる私を見て、戸惑っている。
ああ。これは王子だ。
黒の王子、私のアスワド様だ。
狂気の淵から還ってきてくれた。
「悪い………痛かったか?―――それとも………泣くほど嫌か」
「違………っ」
怖かった。貴方が知らない人の様で怖かった。
もう、戻ってきてくれないのではないかと。
傷付いた心のまま闇に囚われて、救うことも出来ずに、愛する貴方に二度と逢えないのではないかと。
私はぽろぽろと涙を零しながら、アスワド王子の首元にぎゅっと縋り付いた。
「嫌です。アスワド様でないと、嫌です。私がお慕いしているのは、アスワド様だけです!」
「―――それは、反則だろう……………………折角萎えたのに」
赤い顔をして、口元を押さえるアスワド王子。
ん?最後聞こえなかったけど、なんて言ったのかしら?
「いや、………いい。これ以上貴女に無体を強いる事など出来ない。ただでさえ、自己嫌悪で死にそうだ」
王子は何かを堪える様に眉根を寄せ、私の涙を優しく指で払ってくれた。
「すまなかった。泣かないでくれ、ロザヴィー。………俺には、まだ貴女の夫たる資格があるだろうか………?」
私は万感の思いを込めて王子を見つめ、肯いた。
アスワド王子もまた無言で私を見、それから私の想いに応えてくれた。
先刻のものとは違う、優しい口付けで。
***
「―――俺の母は、美しい女だったが、没落したラインバルド貴族だった」
明かりの消えた部屋で、アスワド王子はそう、語り出した。
窓辺から差し込む月の光が、王子の貌に陰影を与えている。その所為で彫刻のように整った顔立ちが尚更作り物めいて見え、彼に温かい血が通っていることを確かめたくて、私は王子と手を重ねた。
アスワド王子は私を安心させるように手を握り返し、指を絡ませてきた。
「母の美貌に目を止めたのはパイオン王からだったと聞く。後ろ盾の無い下級貴族が、自国の王の要求を断れる訳もない。母は、王の寵愛を受けた。
だが、到底王妃になれるような身分ではない。パイオン王の野心も、それを望まなかった。王には、他国の姫との縁談が決まっていた。無論、政略結婚だ。そこで関係が切れていれば良かった。だが王は婚姻後も母を手放さなかった。妾にしたのだ」
ぽつりぽつりと話す王子。
わざと、感情を込めないように話しているのが分かった。
激情を溢れさせないように。私を、怖がらせないようにしてくれている。
繋いだ手から、王子の後悔が沁みてくる気がした。
「第一王子ヴァイスの出産後に王妃が亡くなると、王は周囲の反対を押し切って母を二番目の王妃に据えた。同年に俺が産まれ、その事実は母の立場を強固にした。すると権勢におもねる様に、異国の血の混じった王子より、同族の王子の方がいいと考える輩が出始めた。さらに当時、一部の家臣には、俺が<ちから>を持っている事が漏れていた………そのせいで、王位継承権の順位に不満が現れた。
黙っていられなかったのは、亡くなった王妃の故国だ。王族を嫁がせて世継ぎまで産んだというのに、蔑ろにされた気がしたんだろうな。
その国は、暗殺者を送り込んできた。お家騒動の原因は俺だからな。俺が死ねば万事解決、そう踏んだんだ。
だが………母が身を挺して、凶刃から俺を護った。傷は深かった。身体の傷も、心の傷も。母は………狂ってしまった。体裁が悪いと、王は彼女を幽閉した。それが………北の塔だ」
ああ。
塔から出てきた王子の姿を思い出す。
悲しそうだった。辛そうだった。寂しそうだった。
「母は、もう俺の事も分からない。古びた人形を後生大事に抱いて、一日中虚言を呟いているそうだ。俺が逢いに行っても、見知らむ男、と怯えるだけだ。
母は、俺を置き去りにして………行ってしまった」
胸が締め付けられるように痛い。堪え切れない涙が零れた。
絡め合った手を持ち上げ、冷たい頬に当てる。
この人の悲しみを癒せたら。
強く願えば、叶うだろうか。
触れ合う部分から、私の気持ちが王子に伝わりますように、と祈った。
「―――だから俺は、王を許さない。決して」




