第一日目(4) 下校途中
今の状況を説明してください。
何故か僕は、津名さんと一緒に帰っていた。
「…………」
「…………」
お互いに何が気まずいのか分からないけど、とにかく気まずいのは確かなので黙るしかなかった。俯いて、並んで歩道を歩いた。まだ車道の車通りが多くて助かった。これで車も通行せず完全な無音だったら、気まずさが五倍は増えていた。
どうしてこうなったのかというと、当然梗さんの仕業だった。優さんは今日は用事があって家族が迎えに来るらしく、有加さんは職員室に用があって遅れるから先に帰ってほしいとのこと。梗さんは寮生だからひとりで帰れる。じゃあ津名さんはひとりで帰ることになってしまうから恋華くん頼むよという流れだった。
どういう流れだ。
しかも金曜日に僕が有加さんを自ら送ってしまった手前、断るわけにはいかなかった。まさか有加さんとは帰れて、津名さんとは帰れないというわけにはいかない。
随分狡猾な罠を梗さんに仕組まれたものだ。大半は僕の自業自得の気がしてならないけど、腹いせに全部を梗さんのせいにしてみた。
こうして現在、おそらく地球上で最も気まずいカップルが成立した。どちらか一方が気まずさを感じているのならまだ何とかなるんだけど、両方が両方とも気まずさを感じているので気まずさが平行線を辿っていた。
「…………あの時はすまなかった。金曜日に引き続き、ジブンの勘違いだった」
「……いえ、もう気にしてないんで」
「…………」
「………………」
本当に気まずい。普段ならあることないことペラペラ喋る僕の口は、完全に津名さんを恐れて閉じてしまっている。今の津名さんは模造刀を持っているので、下手な事を言って抜刀されるのが怖かった。
トラウマを感じるほど深く人と付き合う事の無い僕だけど、津名さんは付き合いが浅いのにトラウマだった。
「……あの、つかぬ事を訊いていいですか?」
「……なんだ?」
とにもかくにも、口を動かして気まずさを打破するべきだ。たぶん今の津名さんなら、滅多な事が無い限り抜刀しないだろう。
そういう時に限って滅多な事をしてしまうのが僕という人間ではあるけど。
「津名さんって、ハーフですよね。えっと、どこの国のハーフなんですか?」
質問が悪かったと、すぐに後悔する。優さんが津名さんの父親はアメリカの軍人だと言っていたのを思い出してしまったのだ。
アメリカの軍人が父親ってことは津名さん、十中八九アメリカ人とのハーフじゃん。
「アメリカ人とのハーフだ。ジブンの父親は、アメリカで軍人をしているのだ」
「へ、へえ」
「………………」
「………………」
駄目だ、会話が続かない。津名さんの答えが予想通り過ぎて会話が続かない。僕のせいなんだけどさ!
「……こっちからも質問していいか?」
「ど、どうぞ」
どうやら質問はワンターンにつきひとつらしい。こうなったらこの流れで何とか気まずさを打破するしかない。
「恋華殿の家族は、どういう人たちなのだ?」
「家族、ですか?」
いきなり、少し深いところに攻め込まれた。普通の人なら、普通に答えれるんだろう。父親や母親や兄弟や姉妹を、自慢したり貶したりするんだろう。
「実は、僕の両親は離婚してまして。今は父方の叔母さんの所で厄介になってるんです」
「……そうか。すまんな」
「あ、いや。別に僕は何とも思ってませんよ。ただ――」
僕の頭は、真っ白だった。家族はどうなのかと訊かれて、答えを失っていた。
「その時、妹と生き別れちゃったんですよ。唯一の心残りはそれですね。夢乃っていう、二歳年下の妹なんです」
「妹を、可愛がっていたみたいだな」
「ええ。あいつ野球が好きなんで、よく一緒にキャッチボールとかしましたね」
実を言うと僕は野球が苦手だったけど、それでも可愛い妹のために、一生懸命やったものだ。
たまには千穂、胡桃、無垢も、一緒にやったな。
「津名さんの家族は、どういう人たちなんですか?」
「ジブンの家族は、極めて普通の家族だ。まあ、『キャプテンアメリカ』なんて異名のついた父親を普通とは言わないだろうがな」
「確かにそれを普通とは言わない」と喉まで出掛かったが、堪える。ここは堪えろ。抜刀されたら適わんぞ!
「ジブンにも妹がいるが、あまりジブンには懐いていないな。どうやら、ジブンのような姉が嫌いらしい」
「確かに津名さんのような姉がいたら嫌だ」と口先まで出掛かったが、これも堪える。ガンバレ僕! ここはけっこうシリアスな場面だぞ!
「ところで質問が変わりますけど、津名さんはどうして眼帯をしてるんですか?」
ついに僕は話題を変えた。これ以上津名さんの家族について聞いていたら、いつかヤバイ事を口走りそうで怖かった。
「これか?」
津名さんは左目を覆っている眼帯を指し示した。突然の話題変更だったけど、津名さんは特に気にせず食いついてくれたようだ。あー命拾いした。
「これは鍛錬のためだ。わざと片目を隠すことで、視野を狭めている。外すのは基本的に本気を出す時だけだ」
そして金曜日は本気だったと。思い出すだけで鳥肌が立つ。
「父親からのアドバイスだ。こうやって自らを押さえ込むことで、平和な日常生活でも鍛錬ができるようにと」
父親、あんたアドバイスを間違えたな。鍛錬としては正しいんだろうけど、はっきり言って眼帯をしている津名さんは猫耳を装着した有加さん並にイタイぞ。
不意に津名さんは、思いもよらないことを口走った。
「そういえば気になっていたが、恋華殿は好きな人がいるのか?」
「!」
体が飛び上がったかと思った。それくらいまさかの展開に驚いた。どうやったら眼帯の話からそうなるのか、僕には理解できなかった。飛躍を超えて跳躍だ。あ、跳躍じゃむしろランクは下か。ええい! 頭が混乱している。
何せあまりに驚いて、声も出なかったのだから。
「ど、どうして気になってしまったんですか?」
「何となくだ。恋華殿と優殿を見て、ふと思ってしまった。恋華殿は優殿が好きなのか?」
「 」
もうビックリマークすら出せなかった。話が大気圏を突破したせいで混乱が頂点に達していた。こういう話題を振るのは性格的に見て梗さんだと思っていたのに、まさか津名さんから振られるとは。
「別に、優さんが好きというわけではないですよ。優さんは世話焼きなんで、クラスで孤立気味な僕を気に掛けているだけじゃないですか?」
僕と優さんが知り合ったのは、春休みのことだった。偶然も感心するくらいのお手本のような偶然で、僕たちは知り合った。
「その割に、やけに優殿は恋華殿に親しげだな。異性を下の名で呼ぶとは」
「僕が下の名前が女みたいで好きじゃないと教えたら、何故か下の名前で呼び始めたんですよ」
これについては完全に謎だ。優さんに聞くしかないくらい、予想のできない話だった。本当に何で、優さんは僕のことを下の名前で呼ぶのだろう。
「じゃ、じゃあ逆に訊きますけど、津名さんは好きな人がいるんですか?」
「 」
僕の意趣返しは、津名さんにとって完全に予想外だったらしい。声も出ない様子で、津名さんは驚いたような顔をした。目をまん丸にしている。
「な、何故そんなことを訊くのだ?」
焦っているのか、津名さんの右手は模造刀の柄に触れていた。勢い一閃で居あい抜きされなかっただけマシか。
この後抜刀されるオチは残ってるけど。
「ば、馬鹿か貴様は! 馬鹿なのか? どうして訊く? 阿呆なのか? 馬鹿で阿呆なのだな!」
僕を待ち受けていたのは抜刀ではなく罵倒だった。一字違いで大違い。命の危機は避けられたようだ。
しかし罵倒のレパートリーが少ないな。『馬鹿』と『阿呆』しかないとは。少し残念。
いや残念じゃねえよ。まるで僕が罵倒されることを好むマゾヒストみたいじゃないか。それに本当のマゾヒストなら罵倒よりも抜刀を好むはずだ。そうに違いない。僕は断言できる。
断言できるほど詳しいということは、僕はマゾヒストなのだ! ……あ、嘘だよ。嘘だからね? 抜刀とかされたら快感の前に命無いからね。
「……で、どうなんですか? 津名さんに好きな人はいるんですか?」
「う、うう」
むしろ僕はサディストか。津名さんを追い詰めることに快感しか感じないぜ! 罪悪感? 何それ美味しいの?
「い、いたらいたでどうするのだ? その処遇にもよるぞ……」
うろたえたように辺りを見渡しながら、津名さんが呟く。え、処遇によっては言ってもいいってこと?
「そうですね。とりあえず、まずは梗さんに言おうかと」
はっきり言って僕は聞きだした情報を活用できそうにないので、梗さん辺りに売るのが吉か。梗さんなら面白くしてくれるだろう。
「駄目だ駄目だ! 梗殿に言えばまず間違いなく大変なことになる! 情報を悪用することにかけて、梗殿の右に出る者はいないのだからな!」
「そこまで言い切りますか」
津名さんは首を大きく横に振って断言した。それだけ、梗さんのことをよく知ってるんだろうなあ。津名さん、梗さんが起こしたトラブルにしょっちゅう巻き込まれてそうだもんなあ。
「じゃあ分かりました、梗さんに言うのは無しにしましょう。その代わり、油性ペンで好きな人のイニシャルを体に書き込んだらどうですか?」
おお、これなら平和的だ。油性ペンとはいえ、人の体に書き込んだりすればすぐに消えるはずだし。
ちなみに好きな人を言わせないという展開は考えてなかった。それが自ずから首を絞める目結果になったんだけど。
「刻み込む?」
何故だ。何故津名さんの右手にナイフが握り締められているんだ。さてはナイフ形の油性ペンだな。最近は、面白い形の文房具もあるこ――。
「よし分かったそうしよう! さあ恋華殿、上を脱げ! ジブンが刻み込もう!」
津名さんの目は混乱を通り越して錯乱していた。使っちゃいけないクスリでも使ってしまったのではないかと心配になるほど焦点が合っていない。
「ちょ、ちょっとストップ! 油性ペンでイニシャルを書き込むんですよ? ナイフ要りませんからね?」
どうしてこうなった。平和的な提案じゃなかったのか?
「さあ、早く脱ぐんだ!」
「 」
ここで僕は、そもそも津名さんの好きな人を言わせないという選択肢に気づいて声もビックリマークも出せなくなった。
「あ、もういいです! もう結構ですから! だからナイフを仕舞ってくだ――」
「急げ! ジブンの気が変わらない内に!」
えーっと、今日が僕の命日みたいですね。