第三日目(1) 公的機関出撃
僕は夢というのをあまり見ないタイプの人間なのだけど、今朝は久しぶりに見てしまった。たぶん、六年ぶりくらいだと思う。
「…………」
起きてしばらく、動く気にもなれず天井を見た。夢の内容は、六年前の再現だったような気がする。夢にしては忠実に、事実を再現していた。
結局、どうして僕は神隠しを呼ぶ存在だと言われてしまったのだろうか。一応の理由は六年前に判明しているけど、あまりに理不尽な言い分だった。そのことに、当時は憤りを感じずにはいられなかった。
もう過去の話となってしまった今では、どうでもいいことだが。
「昨日は……誰が神隠しに遭ったかな?」
起きてすぐの僕に神隠しに関する情報は一切入ってきていないけど、たぶん昨日も誰か失踪したのだろう。四月から始まった神隠しは、絶望的なまでに六年前と同じ事を繰り返して、たくさんの命を消していく。
『おはよう、はなくん』
声がした方を見ると、無垢が当たり前のようにそこにいた。立って、ベッドに横たわる僕を見ている。今日も相変わらず、透き通るようだった。
昨日の朝に姿を見てしまったし、前会長の例も梗さんから聞いてしまったので、今更無垢が現れても驚かなかった。一々驚いていたら、前会長のように不眠症になりかねない。それは是非とも避けたかった。
「……おはよう」
傍目から見れば、ひとりで挨拶をする変人だろう。しかし見えてしまっている以上、挨拶を返さないといけない気がした。
『昨日は誰が神隠しに遭ったのかな?』
「……その話はやめろ」
無垢は僕の独り言を繰り返すように言って、僕に投げかける。それを払いのけるようにベッドから下りる。無垢の姿は、その時に消えた。初めからそこには何も無かったかのように、跡も残さず消失した。
無垢が消えると同時に、充電器に繋がれていた携帯電話が鳴り、やかましい電子音を部屋中に拡散させた。ついでとばかりに携帯電話についていた、さいごのかぎストラップも揺れる。手にとって画面を見ると、アドレス帳に登録されていない番号のようだった。
誰だろう。まず僕の番号を知っている人は少ない。花園高校内では優さんだけという希少さだ。僕の電話番号を僕の知らない隙に入手しようとするなら、優さんに頼むしかない。そこから判断して、おそらくこの電話は七不思議同好会の誰か(無論有加さんは除く)からということになる。
七不思議同好会の誰かから電話が来るということは、神隠しについて進展があったということだろう。それもたぶん、悪い方向に。
「もしもし」
意を決して、電話に出る。電話の向こう側は少し慌てふためいているような人の声が聞えた。
『おお、出たな。俺だ、恵野宮だ』
「恵野宮先生?」
電話の相手は同好会の顧問である、恵野宮先生だった。僕の予想は半分当たったと同時に、半分外れた。まさか先生が電話してくるとは思わなかったのだ。
「何かあったんですか? 電話で僕とコンタクトを取ろうとしているところからして、そこそこ急な用事みたいですけど」
『察しがいいな。そうだ、まさしくその通り早急の用件があった。ああ、電話番号は星花から聞いたんだ』
早急の用件、か。もう嫌な予感しかしないな。ただ神隠しで誰かが失踪しただけなら、六年前の神隠しも経験している恵野宮先生は僕に連絡など寄越さないだろう。恵野宮先生が僕にわざわざ番号を調べてまで連絡を取ったということは…………。
「同好会の誰かが神隠しにでも遭いましたか?」
『お、おお。そうなんだよ。しかし、何で分かった?』
驚きの声を上げる恵野宮先生。
「六年前にあれだけ経験していれば、何となく分かるんですよ。それより、誰が消えたんですか?」
優さん、津名さん、梗さん、そして千穂。四人の内誰かが、失踪した。神隠しに遭った。いや、優さんは恵野宮先生が僕の連絡先を訊いていたのだから、失踪しているはずはない。
そうなると、残りの三人の内、誰が失踪したんだ?
まあ、どうせ誰が神隠しに遭おうとも、僕には関係の無い話か。あえて関係があるとすれば、優さんが悲しむのが少し居た堪れないくらいだ。優さんには多少の交流があるからそう思うけど、他の三人は千穂を含め、死んだところで大して痛みは無い。神隠しで人が死ぬなんて、僕にとっては当たり前の出来事だ。
『神隠しにあったのは、井深だよ。あいつ、昨日から家に帰ってないんだと』
「そう、ですか」
井深千穂。彼女が五月の神隠しの、二番目の被害者ということか。千穂の両親はさぞかし焦っているだろう。神隠しに遭った者が最後にどうなるか、よく知っているはずなのだから。
『下駄箱に井深の靴は無かったし、通学路に鞄が落ちていたそうだ。つまり、井深も青田と同様に、下校中に神隠しに遭ったということだろうな。井深の両親は神隠しをよく知っていたから警察への連絡も早かったらしいが、結局それ以上の手がかりは見つからなかったらしい』
「神隠しですからねー。手がかりなんてないでしょう」
それにたとえ手がかりがあったところで、それが何になると言うのだ。
『警察は四月の件もあって、今回の事件も連続誘拐殺人事件だと考えて捜査をしているらしい。それで、だ。一昨日と昨日に失踪した青田と井深の知り合いを、片っ端から事情聴取するそうだ』
「事情聴取ですか。ご苦労なことです」
それでもし神隠しの解決に繋がるヒントでも得られれば御の字だ。ガンバレ警察。
『なに他人事みたいに言ってんだ。お前も受けるんだ』
呆れたような恵野宮先生の声が聞える。でも、僕にとって他人事なのは事実だ。
「僕は関係ないですよ。同好会だって入りたてですし、有加さんとはまだ親しくなってませんし。それに千穂に関しては、幼馴染だという事実を知っているのは当の本人だけですよ。僕はふたりと八割方無関係な男子生徒という地位を築いていると思います」
『断言するな。どんなに無関係そうに見えても、一応は事情聴取を受けてもらうって決まりらしくてな。お前も受けるんだ。今そっちに、刑事が向かったからその人についていけ』
「はいはい」
電話を切って、ベッドの上に放り投げた。事情聴取など、六年前でも受けたことが無かった。六年前は年齢的に、事情聴取をしても意味がないと思われただけかもしれないが、どうも今回はそうはならないらしい。
しかし……そうか、千穂が神隠しに遭ったか。これで、ついに六年前の四人で生きているのは僕だけということになる。六年前の四月に胡桃が死んで、二月に無垢が死んだ。そして、今月に千穂が死ぬのか。
ついに、僕ひとりになるわけだ。
『はなくんは神隠しに遭わないもんね』
「…………」
姿は見えなくとも、無垢の声が聞こえた。カッターシャツ越しにペンダントを掴む。唯一残る、杉下無垢の生きていた証。そうだ。これがあって無垢の姿が見えてしまう限り、僕はひとりにならないし、なれない。いくら願ったって、無垢は消えないだろう。
『でも、はなくんが神隠しを呼ぶんだって言われてたよ』
「だけど、僕に責任は無い」
あくまでその言い分は、理不尽なこじ付けでしかない。僕が神隠しを呼ぶという証拠も無い。だから僕は神隠しに対して、何ら責任を負う必要すらなかった。むしろ幼馴染をふたり失って家族もバラバラにされたのだ。誰かに責任を求めてもいいくらいだ。
『……誰か来る』
僕が思索に耽っていると、不意に無垢がそう言った。その瞬間、無垢の気配のような何かが、僕の周りから消えた気がした。空気の張り詰め方が変わった。
その後、部屋の薄っぺらい扉がノックされる。丁寧に叩こうと心がけているようだけど、どうにも乱暴さを感じてしまうノックの仕方だった。
「はい、出ます」
扉の向こう側の人物に声をかけて、僕は扉まで歩く。時間的に考えて間違いなく、扉の向こうにいるのは迎えに来た刑事だ。
チェーンを外して扉を開ける、するとそこには、大柄な男がいた。
どうみても刑事には見えなかったけど。サングラスをかけたその姿は、どうみてもヤクザの類を生業にしている人にしか見えなかった。『シャバ』の雰囲気をまるで持ち合わせていない。
「迎えに来たぞ」
男は警察手帳をスーツの胸ポケットから取り出してそう言った。警察手帳には男の顔写真と共に、『轟警固』と書かれている。どうやら男の名前らしい。
しかし僕は男の「迎えに来たぞ」が、別の意味に思えて仕方ない。
「えっと、せめて家族に遺書を書く時間をください」
「別にお前を東京湾に沈めたりしねえから」
「僕はそんなギャンブル受けません」
「いや、豪華客船で行われる限定じゃんけんの斡旋も行ってねえし、建設中のホテルで行われる鉄骨渡りの斡旋もしてねえから」
普段からそんな受け答えばかりしていると思わせるような、滑らかなツッコミだった。あ、この人案外話が通じる人だ。少なくとも漫画の趣味は似ている。
警察手帳を仕舞いながら、仕切りなおしと言わんばかりに警固さんは言った。
「俺たちは見ての通り、お前を迎えに来た刑事だ」
「見ての通りって言葉の意味を、一度でも真剣に考えたことがありますか?」
あなたの風貌を見て刑事だと思う人なんていませんよ。警察手帳すら偽者なんじゃないかと疑うレベルですから。
……って、ちょっと待てよ。
「今、俺たちって言いましたか? つまりお仲間を何人も引き連れていると?」
「なんで大所帯が前提なんだ。あのな、刑事はひとりで行動するなって言われてんだ。ドラマでもよく見るだろ? 刑事が二人一組で捜査してるシーン」
ああ、なるほど。それは面倒なことだ。一介の高校生を迎えに行くのですら、二人一組とは。
「つまり轟ともうひとり、私がいるという訳です」
警固さんの後ろから声がした。どこか幼さを残したような、それでいて狡猾そうな悪戯めいた声だった。
警固さんが少し脇に避けると、スーツ姿の女性が現れた。爽やかな笑顔を顔に張り付けている、警固さんよりは刑事らしい女性だった。さっきまで警固さんの体に隠れて見えなかったらしい。確かに警固さんは大きいから、普通の体格の女性くらい後ろに隠れてしまうよな。警固さんの体格は、恵野宮先生並にデカイ。
女性刑事は笑顔のまま、警察手帳をヒラヒラ掲げながら僕に挨拶をする。
「どうも初めまして天川くん。私は轟の相棒刑事の粗鳴白紙です。恵野宮先生は君が逃げ出すんじゃないかと思っていたようでして、私たちを迎えに寄越したんですよ」
「僕ってそんなに信用ないですかね」
でも迎えが来なかったら、絶対に事情聴取なんて受けてなかっただろうな。恵野宮先生の判断は正しい。
「それでは早速、警察署へ行きましょうか。あまり長々と話していても意味無いですし」
白紙さんの意見には同意できたが、素直に従うのも嫌だったので質問をぶつけてみる。
「一応、任意同行ですよね? 断っていいですか?」
僕のその問いに、白紙さんは爽やかな笑みを崩すことなく答えた。
「知ってました? 警察の任意同行って、断ると次は強制連行になるんですよ」




