回想(3) 拒絶心
空気がだんだんと冷たくなってきて、ただ外にいるだけは辛くなってきた。子供は風の子なんて言われるけど、それは大人の勝手な言い分だと僕はつくづく思った。でも無垢のように寒くても外で元気に遊ぶ子がいるので、あながち勝手な言い分でもないらしい。
僕はいつもの公園にある桜の木の下で、ぼんやりと座っていた。桜の木は葉っぱが一枚残らず落ちてしまい、真上を見上げると初冬の曇り空を簡単に見ることができた。花が満開だった春とは酷い違いだ。
ふと、左手に抱えていたグローブに視線が行った。右利きである僕には使えない、左利き用のグローブで、妹の夢乃の持ち物だった。一方僕の持ち物であるはずの、右利き用のグローブは現在、手元に無かった。
本来とは持ち主の違うグローブ、それは僕に、冬の寒さ以上に残酷な現実を示していた。
「…………無垢、来ないな」
何となく言葉を口にすることで、寂しさを紛らわせようとした。僕がこの公園に来たのは無垢に誘われたからではなく、僕自身が理由も無く勝手に来ただけだ。当然、無垢が来るはずも無い。分かりきった事を再確認しただけ、余計に寂しくなる。分かりきったことを言った僕が悪いんだろうけど。
無垢が来ないからといって胡桃が来るはずは絶対に無く、千穂は来るかもしれないけど、可能性は低かった。そして、夢乃が来る可能性は、胡桃が来る可能性と同じくらいだ。
夢乃は神隠しに遭った、わけではない。夢乃の身に何かが起きたわけではないのだ。
僕たちの両親が離婚した。ただそれだけのことだった。
四月、中畑胡桃を含む六人の少女が失踪し、日曜日に死体となって発見された事件は、四月だけで終わらなかった。五月にも六人の少女が失踪し、六月にも失踪した。毎月、失踪しては死体となって発見されるを繰り返した。
その内、誰が言い出したかは分からないけど、この事件を『神隠し』と呼ぶようになっていた。そして神隠しが三ヶ月ほど続くと、次第にみんなの不安は大きくなり、神隠しから逃れようとするようになっていた。
つまり、この地域を出るのだ。僕の通う学校でも、何人も転校した。不安は広がり続け、女子ばかりでなく男子もたくさん転校していった。
僕の両親が離婚したのも、その流れの一環だった。僕は神隠しに遭わないけど、夢乃が神隠しに遭うかもしれないのだ。母さんは夢乃を安全な所に移すために、この地域を出ようと提案した。でも、父さんは反対した。父さんは神隠しなんて、信じていなかった。そんなものに惑わされないと、頑固なまでに反対した。
だから離婚。母さんは夢乃を連れて、家を飛び出した。僕は父さんと一緒に、この地域に残った。本当は夢乃と一緒にいたかったけど、親権というのが決められて、僕は夢乃について行くことができなかった。
そして僕が今持っているグローブは、家を出る時に夢乃が間違えて置いていった物だ。夢乃は僕のグローブを間違えて持って行ってしまったのだ。
グローブを見ていると、不意にグローブに水滴が付いた。でも、空を見上げても雨が降る気配は無かった。雲が空一面を覆っているくせに、雨が降りそうだと思わせなかった。
それでも雨が降って濡れるのは嫌だから、僕は帰ることにした。
公園は相変わらず、朽ち果てずに残った鉄棒以外の遊具が無かった。こんな公園を利用する人がいないから、きっとこのままなんだろう。誰も手入れすることなく、鉄棒も気づけば壊れているかもしれない。
通りを歩いて、いつものように家へ帰る。空の色と地面の色がそっくりで、灰色の板ばさみに遭う。たとえ背中に羽があっても、今は飛び立ちたくないと思った。雲に衝突した瞬間、雲に羽を叩き折られそうで躊躇われた。いつもはふわふわの雲が、今だけはアスファルトと変わらない硬さに思える。
あまりにも気持ちが晴れないので、ルートを変更して迂回しながら帰ることにした。普段はあまり通らない、千穂と胡桃の家を通るルートだった。特に胡桃が死んでから、通ることはまず無かった。
後ろから僕を追い抜くトラックに注意を払いながら、少し細くなった道を歩く。トラックは銀色の荷台に電話番号が書かれているごくありふれた種類のものだったけど、ここら辺でトラックを見つけるのが珍しいせいか、印象に残った。
左右に分かれた道を左に曲がると、千穂の家が見える。
「…………あれ?」
千穂の家が見えた瞬間、僕の頭を疑問が埋め尽くした。さっき後ろから追い抜かれたトラックが千穂の家の前に止まって、後ろの扉を全開にしていたからだ。荷台の中には段ボール箱が山積みにされていて、少し離れたここからでも段ボール特有の匂いが僕の鼻を通り抜けた。
トラックの荷台の中に、次々と段ボール箱が詰め込まれていく。運び込む人はひとりで段ボール箱を抱えているけど、重そうだった。
つい最近、母さんと夢乃が家を出て行くところを見た僕は、目の前の光景が何を意味するのか、不吉な予想を立ててしまった。
さらに悪いことは、それが当たっていたことか。
自分でも気づかない間に、僕は走り出した。千穂の家めがけて。しかしトラックの陰から小さな段ボール箱を抱えた千穂が飛び出したのを見て、僕は走るのを止めた。
「千穂! これって……」
僕の存在に気づいた千穂は、ゆっくりと僕を見た。その目はいつも僕を見るような目ではなかった。まるで僕が親の仇、いや友の仇であるかのように、千穂は僕をきつく睨みつけた。
「そうだよ。出てくんだよ、ここ」
「な、なんで……?」
千穂の声は、おかしなくらい冷たかった。普段の千穂とは、どう考えても様子が違う。それでも、僕は意味の無い質問を千穂にぶつけずにはいられなかった。
知らず知らず、声が震えていた。ギリギリで冷静さを保っている。綱渡りでもしているような緊張が僕にはあった。
「なんで……出ていくんだ?」
「なんで? それは恋華が一番分かってるよね。あんたが、胡桃ちゃんを殺したようなもんなんだから!」
「えっ、それって――」
千穂の口から出た答えは、僕の予想をはるかに超えるものだった。僕が胡桃を殺したようなもの? 何を言っているのかさっぱり分からなかった。
「――どういうことだよ! なんで僕が、胡桃を殺したって言うんだよ!」
「いちいち言わせないでよ!」
千穂は興奮して叫んだ。その拍子に、抱えていた段ボール箱を落す。上部をちゃんとガムテープで塞がれていなかったようだ。段ボール箱は横倒しになって、中身が大仰な音を立てて溢れた。
そんなことを気にする様子も見せず、千穂は僕を睨んだ。その視線だけで僕は、命を取られそうだった。
「みんな知ってるんだから。あんたが、神隠しを呼んだってことも!」
「呼んだ? 僕が?」
それはあまりにも初耳で、頭が真っ白になるようなことだった。千穂の言葉が知らない外国語のように、頭に入ってこない。千穂の言い分の全てが、僕を混乱させた。
「……いったい、どういう……………………」
千穂は話すことは話したと言わんばかりに、回れ右して家の中へと消えていった。
僕はそんな千穂の行動に、冬の寒さよりあっさりと体が凍えてしまった。




