第二日目(3) そういえば
もう週に一回スーパーで買出しをするという日課を、僕は金輪際守らないのかもしれない。そんな深い後悔に似た思いを胸に、僕はスーパーにいた。当然、登校する際に考えていたように、今週の食料をどうするかという検討のためだ。
本来なら、ここで日曜日までの食料を買いだしておくか、日曜日までは適当に過ごして来週から普段通り買い出すかの二択なのだろう。しかし相手はあの梗さんだ。昼の行動を見るかぎり、僕の懐に対する気遣いは一切存在しないようだ。あの人への対策を講じないと、僕の食料は延々と危機に見舞われる。
梗さんへの対策かあ。思いつかない。実家の連絡先を聞き出して、食費を請求するくらいしかないか。
というかそれが一番、まっとうで現実的だった。早速実行に移したいくらいだ。
スーパーに着くやいなや、魚売り場の方で店員の大声が聞こえる。おそらく、セールでもしているのだろう。夕方だから、ちょうど夕飯の買い出しに来ている主婦も大勢いることだろう。人込みは避けて、僕は先に冷凍食品などを見て回る。火曜日は食料品が安いので、もし日曜日までの食料を買い込むのなら今日しか機会はない。
「…………おや?」
冷凍の海老チャーハンを見ていると、視界の端に金色の何かが通り抜けた気がした。目をそっちへ向けてみると、そこには津名さんがいた。一度自宅に帰っていたのか、制服ではなく私服姿だった。ジーンズにTシャツというラフな格好だったけど、津名さんは金髪だからそれだけでも様になる。津名さんは精肉コーナーへ歩いていったけど、右手には何かメモらしい紙を持っていたので、おつかいかもしれない。
しかし、津名さんの挙動が少しおかしい気がした。周りをキョロキョロと、せわしなく見ている。ただでさえ眼帯に帯刀なのだから、そんな挙動不審だと警察に通報されるぞ。
念のため、津名さんの後を追って精肉コーナーを目指す。あわよくば梗さんとの付き合いが長いであろう津名さんに、梗さんの弱点でも聞くつもりだった。嫌いな食べ物でも分かれば、対策はずっと容易だ。
僕が精肉コーナーに辿り着くと、津名さんは肉のパックを両手に持ってにらめっこをしていた。何やってるんだこの人。
「どうかしましたか?」
「……おお、恋華殿か。ちょうどいいところに来た」
津名さんは僕の登場に驚いたようだったけど、何か困ったことでもあったのか、すぐに両手に持っていたパックを僕に向ける。
「実は母親からおつかいを頼まれたのだが、本当にこれでいいのか悩んでいたのだ。母親はトンカツを作りたいらしいが、メモの一番上に書かれているのは鶏肉だったので、はたしてメモに従うべきなのか、ジブンも決めかねていたのだ」
「トンカツに、鶏肉? 付け合せにから揚げでも作るんですか?」
「いや、まず間違いなくトンカツだけを作るつもりなのだろう」
それなら鶏肉は要らないはず。けれども津名さんの持っていたメモを見て、僕は驚愕するしかなかった。
「な…………!」
メモの一番上には、堂々と鶏肉と書かれていたのだ。しかも他の項目が黒字で書かれているのに、鶏肉だけ赤字で。よほど強調したかったのか、さらに上から蛍光ペンでラインが引かれ、けっこう上手な鶏の絵までついていた。
僕はすぐに、空鍵母の一流の冗談なのだろうと思って、メモの他の項目を見る。他の項目に、豚肉などという表記は一切無かった。空鍵母は冗談ではなく、本気で鶏肉をトンカツの主役にしようとしている。
「津名さん、お尋ねしますが、津名さんの家では鶏肉でトンカツを作るというアイデア料理が流行っていますか?」
「鶏肉でトンカツを作る時点で、それはトンカツではないだろう」
「ですよねー。高野豆腐でトンカツを作るってのはよく聞く話なんですけどねー」
カロリーを抑えるために空鍵母が豚肉ではなく鶏肉を使おうとしたのではないかという、最後の望みも絶たれてしまった。どうやら単純に、トンカツの材料を鶏肉だと勘違いしてしまったようだ。
「もしかして、津名さんのお母さんは料理が苦手ですか?」
「苦手ではない。ただ、途中で違う料理になるだけだ」
それは充分、苦手の域ですよ。
「前に、母親が茶碗蒸しだと言ってプリンを夕食に出したことがあったな」
「もうどこから突っ込んだらいいのやら……」
あの様子だったので、家事はそつなくこなす良妻タイプなのだと勝手に判断していた。末恐ろしいな。外見とは時に絶望をもたらす兵器なのか。
「ともかく、トンカツが食べたいなら豚肉を買ってください。から揚げが食べたいなら話は別ですけど」
「そうだな。そうしよう」
津名さんは片方のパックを元に戻し、豚肉のパックを買い物カゴの中に収めた。
本題は終わったみたいなので、僕の個人的な用件に移らせてもらう。
「そうそう。津名さんは梗さんの嫌いな食べ物って知ってますか? 一昨日辺りから梗さんに食料を奪われる日々が続いているんで、対策を考えないといけないんですよ」
「これは恋華殿も災難だな。しかし、あの胃袋が四つはあるんじゃないかと思える梗殿の嫌いな食べ物など、ジブンはまったく思い至らないぞ」
「でしょうね」
嫌いな食べ物方面を攻めるのは無理そうだ。そもそも梗さんの嫌いな食べ物なんて、誰にも思いつかないだろう。小学生の頃は、絶対に給食を残さず食べたタイプの人間だ。さらにその上おかわりとかしていたタイプの人間だ。
「じゃあ、食べ物以外でもいいんで、何か梗さんの弱点みたいなもの知りませんか?」
「弱点、か。うーむ、梗殿の弱点を探るのは、恋華殿が思っている以上に至難の業だ。そうだな……あえて言えば、ああ見えて人見知りなところが弱点か」
「え、梗さんって人見知りなんですか?」
それは意外過ぎる。結局梗さんから食料を守る手段のヒントにはなりそうもない弱点だけど、意外過ぎて驚きを隠せなかった。
「むしろフレンドリーな印象があるというか、普段の行動がまるで人見知りだとは思えない気さくさだったんで、本当に人見知りかどうか疑わしいんですけど」
「たぶん本当だろう。以前に梗殿が、自らそう言っていた」
「津名さんは一度、梗さんの言葉を疑ってみたらどうですか?」
確実に嘘だろうそれは。自主的に行われる人見知り宣言ほど疑わしいものは世の中に無い。人見知りだったら人見知り宣言が出来ないことくらい自明の理だ。
眼帯の位置を気にするように触りながら、津名さんは話す。
「ともあれ、梗殿の弱点を探すなど無為なことだ。そんなことをするくらいなら、食料の隠し場所でも――うん?」
「……どうかしました?」
途端、梗さんは黙る。顎に手を添えて、何かを考えているようだった。自分の発言に、何か引っかかることがあったのだろうか。
しばらく、津名さんは言葉を発しなかった。その間、僕の耳を通り過ぎたのは弁当や惣菜が三割引になったということを知らせる店員の声だった。弁当か。無垢が最も嫌った食べ物が、スーパーの弁当だったな。無垢にとって、スーパーの弁当というのは自分がひとりぼっちだということを再確認させる物に違いなかったはずだ。
やがて、津名さんが言葉を発する。静かに標的を狙うスナイパーのように、その声は澄んでいた。
「恋華殿。神隠しに遭った者は死体となって現れるまで、どこにいるのだろうな。少なくとも六年前の神隠しでは、唯一の生存者を除いて、神隠しに遭った者が生きたまま発見されたことは無かったのだろう?」
なるほど。津名さんの意見も一理ある。だが、常識を超えた超常現象に位置づけられる神隠しにそんな質問は不粋な気がする。異次元に放り込まれたかもしれないのだ。
「でも確かに、その線は考えてませんでしたね。神隠しに遭った者がどこにいるか判明すれば、神隠しに遭った有加さんを助ける事も可能になるかもしれませんね」
僕は全面的に有加さんの生還を諦めているが、それを津名さんの前で言う意味も無い。
「そうなると、有加殿が言ったように、神隠しに遭いながらも生き残ったひとりの少女が結局カギとなるな」
「その生存者が、何かを思い出してくれればそうなりますね。梗さんの話だと、その時の記憶が無いらしいですけど」
それともうひとつ引っかかるのは、僕がその生存者について知らないということだ。今までの被害者は全員の名前が僕の耳にまで届いてきたというのに、肝心の生存者の名前はまったく聞いた覚えが無いのだ。生存者に限ってそんなことがあるだろうか。
ただ、どうにも僕は最後の神隠しが起きた二月のことをよく覚えていないという懸念がある。子供は辛い思い出を忘却すると梗さんも言っていたから、たぶん無垢が死んだ二月の神隠しは、全般的に忘却してしまっているのかもしれない。
思えば、六年前までに千穂と交わした会話もほとんど覚えていない。神隠しが起きる前までは、無垢や胡桃と同様に、仲良く遊んでいたというのに。
「どの道、我々に残された時間は少ない。何とかして、有加殿を救わねばな……」
強く決意したように、津名さんは呟いた。それが空虚な決意であることを充分知っている僕は、鶏肉のパックに視線を落して黙るしかなかった。
心の中で『うそつき』と、無垢に言われた気がした。




