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Re-play  作者: 蟲森晶
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第二日目(2) 邂逅

 青田有加の失踪。その分かりやすいニュースは瞬く間に花園高校中を駆け巡った。みんな四月の事件を前置きとして知っているから、分かりやすい恐怖を覚えた人は少なかったようだ。

 四月の事件と合わせて、失踪したのが全員女子だと気づいた男子が多かった。男子はとりあえず安心なんじゃないかという空気もまた、学校中を駆け巡っていた。本来なら恥知らずな油断だと叱咤するべきところだが、男子が安全だという事実は当たりだ。

 なにせこれは、神隠しなのだから。

 じゃあ逆に女子は不安に襲われているのかといえば、そういうこともなかった。例え何人が失踪したところで、今度は自分が失踪する、今度は自分が神隠しに遭うのではないかと思う人は少ないらしい。それこそ恥知らずな油断で叱咤に値する。

 そういう油断をする者こそ、神隠しに遭うのだ。それは六年前も同じだった。事実、有加さんは五月にも同様の事件が起きるなんて、考えていなかった。

 「青田が失踪した時の状況を詳しく話す。誰か、目撃者がいたら教えてくれ」

 緊急的に開かれた四時間目のホームルームで、恵野宮先生が言った。これは四月の事件でも行ったことだが、今まで大した成果も無かった。一々他人の行動に目を光らせている生徒などいないものだ。

 恵野宮先生の話をまとめるとこうなる。

 青田有加が失踪したのは、おそらく月曜日の夕方。有加さんは下校途中に誘拐された可能性が高いということだった。それは、通学路に有加さんの鞄が落ちていることから証明された。普段なら誰かと帰っている有加さんだが、昨日に限って職員室に用事があり、ひとりで帰ったのだったな。

 肝心の彼女の下校時間なのだが、これがはっきりしない。職員室での用事が終わったのは午後五時過ぎだったらしいが、そこから先の有加さんの足取りは判明しなかった。いや、判明してないも何も下校したんだろうけど。それはさっきも言った通り、通学路に落ちていた有加さんの鞄が証明している。

 しかし気になる点がひとつあった。花園高校の校門には警備員が常時待機しているのだが、その警備員は有加さんの姿を見ていないそうだ。警察は見落としたのだろうと気にしていないようだが、僕は少し気になった。

 猫耳という分かりやすい目印をつけた彼女を、はたして警備員は見落とすだろうか。いや、見落とさない方が難しい気がする。言うまでも無く有加さんの猫耳は、目立ちすぎる格好なのだ。

 何はともあれ、青田有加は失踪した。その事実が、重くのしかかっていた。優さんホームルーム中、せわしなく指を組んだりしていた。不安の表れか、恐怖の表れか。僕には分からない。

 神隠しという非現実的な状況に慣れすぎた僕には、優さんの気持ちなど分からないだろう。たぶん一生、分からない。

 そして四時間目の終了を告げるチャイムが鳴り、ホームルームは終わった。所詮大半の生徒には他人事なのか、昼休みになれば弁当を広げたり、食堂に向かう生徒は多かった。それこそ、動けなかったのは優さんしかいない。

 これが現実。そしてこれが徐々に、変わっていく。最後はみんな、優さんのように動けなくなる。それが、六年前にも起きたことなのだから。

 僕は勿論動ける。昼食は弁当じゃないので、食堂へ行くか購買で買うかしないといけなかった。食堂と購買は昼休みになると激戦必至のポイントなので、できれば早めに行きたい。

 結局僕も、神隠しなんて他人事なのかもしれないな。

 僕はいつも通り、購買で焼きそばパンを買った。この焼きそばパンはこの学校のオリジナル商品で、生徒たちの間でも人気が高い。売り切れることが多いのだけど、僕は何とか毎日入手できている。

 焼きそばパンを入手したら、食事をするべく移動する。ちなみに、僕の食事場所は学校の屋上と決まっている。屋上は立ち入り禁止ということもなく、むしろベンチや花壇があって過ごしやすい環境なのだけど誰もいなかった。最近は少し日差しが強くなってきて冬服のブレザーでは暑くなってきたのが原因なんだろう。そうでなくても、立ち入り禁止になっていない屋上にロマンを感じる人はいないようだ。

 その結果、屋上は僕の根城となっていた。

 屋上の扉を開き、一歩を踏み出す。すると、屋上の奥に誰かいるのが目に付いた。非常に珍しいことに、屋上には僕以外の人間がいた。

 「…………あ」

 その人物は、僕の足音に反応したのか振り返った。細身の、茶髪にリボンをつけた女子生徒。間違いなく、井深千穂だった。

 「…………」

 千穂は叫びこそしなかったが、僕を見るなり走って、屋上を出てこうとする。しかし屋上の出入り口は僕が今立っている所ひとつだけ。千穂は当然、僕の目の前で止まった。

 「……どいてよ」

 「どいてもいいけど、訊きたい事があるんだ」

 僕は千穂に言われた通りどいて、ベンチに腰掛けた。焼きそばパンの包装を破って、一口齧る。

 うん、安定していて良い味だ。大量生産なんだから、安定していないと駄目なんだろうけど。

 「訊きたいことって、何?」

 千穂は律儀にも、僕がどいたのに屋上から出ていかなかった。その場に立ったまま、僕を見ることなく呟いた。

 あー、どうしよう。実は千穂がすぐ屋上を去ってしまうと思っていたので、あまり考えていなかったんだよな。

 「…………神隠しがまた始まったみたいだから、その感想をと」

 口から搾り出したのは、そんな最悪の質問だった。

 「……どうせ、またあんたが呼んだんでしょ?」

 千穂も同様に、搾り出すような声で言った。

 「あんたが、神隠しを呼んだんだ」

 「それは違う、と言いたいけど、生憎そうは言えなくなったみたいだ。確かに、僕がこの学校に来てから神隠しが始まったと言える」

 そこはネックだった。僕が神隠しを呼ぶなんて噂は間違いなくガセなんだけど、こうして花園高校で再開したということは、その噂が本当になってしまう。

 「でも、それは千穂も同じだ。千穂が来たから、神隠しが始まったとも言えるよね?」

 「…………ッ!」

 歯を食いしばる嫌な音が響いた。顔を真っ赤にして、千穂はこちらを睨んでいた。

 「それにしても驚いたな。千穂がこの学校にいるとは思わなかった」

 「……それは、こっちも同じだよ。何であんたが、ここに……」

 「ちょっとした理由があってね」

 お互い、ここにいるとは思わなかったんだろうな。いや、しいて言うなら僕が悪いのか。千穂が住んでいるかどうか、調べておけばよかった。

 「ところで千穂は、六年前の神隠しの後で無垢を見たかい?」

 「……は?」

 僕の趣向を変えた質問に、千穂は意味が分からないとばかりに首をかしげた。

 「僕はつい今朝、見たんだけど。千穂は見たのかなって」

 「……ふざけないで。無垢は、あんたが殺したようなものよ。あんたが呼んだ神隠しで、殺されたんだ」

 そう言って、千穂さんは屋上から去っていった。僕は屋上に取り残されたまま、一口齧っただけの焼きそばパンを左手に座っているしかなかった。

 「そりゃ、意味の分からない質問だよな」

 僕にだって、意味が分からない。分かる人がいたら、教えてほしいくらいだ。結局、僕が今朝見た無垢は何だったのか。

 見間違いというのが、一番マシな答えか。僕の気が狂っていたとするのが、正しいんだろう。しかしもし、万が一無垢が生きていたとしたら…………。

 「それは、無いか」

 杉下無垢は死んだ。僕は彼女の死体を確認しているし、彼女の死体が荼毘にふされるのも見た。彼女の焼け残った灰をかき集めた。

 そしてその灰はペンダントになって僕が持っていた。僕はカッターシャツの奥からペンダントを取り出して、軽く握った。ペンダントに埋め込まれた半透明の宝石に、指が触れた。

 詳しくは知らないが、遺灰を精製して宝石のようにする技術があるらしい。その技術で宝石のように輝く結晶となった彼女の灰は、ペンダントとなって僕が所持していた。昨日、何度か声が聞こえたせいで、普段は装着しなかったそのペンダントを、何となくつけていた。

 唯一、この世に残った無垢の存在が、彼女を引き寄せたのか。それは分からない。

 「隣、失礼するよ」

 気づくと、僕の隣に梗さんが座っていた。

 「……なんでいるんですか」

 「ボクは神出鬼没の存在として、この学校じゃ恐れられているんだよ」

 確かに恐れる。せっかく梗さんを回避して屋上に来たのに、これでは意味が無い。またしても食事の危機だ。

 というか少し感傷に浸ってたのに、空気をぶち壊さないでください。

 「ああ、大丈夫さ。さすがのボクも君の食事に手をつけたりしないから」

 僕が焼きそばパンを懐に収めようとしたのを見て、梗さんが慌てて言う。

 「ボクは普通の女の子なんだよ。いろんな人から食事をくすねてもうお腹一杯で、恋華くんの食事を横取りするほどの余裕が無いんだよ」

 「普通の女子が食事をくすねるとは思いませんが」

 そう言いつつ、この人の食事量は桁違いなので僕の食事をまだ狙っている可能性がある。一週間分の食料を一食で平らげる人の言うことなど信用できない。

 「これは何だい?」

 梗さんは鋭く目ざとく、僕が触っていたペンダントに気づいた。

 「昨日津名くんとイチャついていた時には、こんなペンダントしてなかったよね」

 「いろいろと語弊がありますけど、そうですね。昨日はしてませんでした」

 僕は津名さんとイチャついたわけではない。軽く命の危機だったんだぞ。

 「大切な物なのかい? それを見ている恋華くんは、哀しそうな目をしていた」

 「……形見みたいな物なんですよ」

 そんなに僕は哀しそうな目をしていたのか。

 僕はペンダントを仕舞いながら、梗さんに尋ねる。

 「そういえば有加さんが失踪しましたけど、どうしますか?」

 「どうしますかと言われても、どうしようもないさ」

 梗さんはあまりショックを受けていないように、あっけらかんとした態度だった。

 「彼女の霊感が、神隠しを封じる上で必要だと思ったんだけどね。失踪してしまったというのなら、仕方ないさ。有加くんが犠牲になる前に、ボクたちで神隠しを封じるしかないね」

 「本当に、封じれると思っていますか?」

 「できるかできないかは関係ない。ボクたちはやるしかないだろう?」

 どうしてこの人は、そこまできっぱりと言えるのだろうか。まさか本当に本気で、神隠しを封じる気か。

 「どうしても梗さんが神隠しを封じる気でいるなら、僕は経験者として忠告しますよ。神隠しを封じることなんて不可能だと」

 「へえ、君は六年前の神隠しにも遭遇しているのか」

 梗さんは、特に驚いた様子も見せない。もしかしたら、千穂を通して僕について、既に知っているのかもしれない。梗さんのことだ、千穂に口を割らせるくらい、容易そうだ。

 「でも言ったろう? できるかできないかは関係ない。それに、やってみなくちゃ分からないさ」

 「その台詞はふたつとも、できない奴とやれない奴が言う台詞ですよ。できる奴とやれる奴は、そんなことを言わずに黙々とやるんですから」

 僕もかつては、そんな希望に満ちた台詞で自身を鼓舞していた。それが無意味だと、薄々気づいていたのに。

 神隠しを封じることが不可能だということにも、薄々気づいていたのに。

 顔を少し寄せて、梗さんは僕に尋ねてきた。

 「そうそう、恋華くんが六年前の神隠しに遭遇しているのなら教えてほしいんだけど。確か有加くんの言によると、確か神隠しにはひとりだけ生存者がいたよね? 恋華くんは知らないのかい? 生存者の女の子のことは」

 「そんな女の子は知りませんね。覚えていないとも言えます。どうしてか、当時の記憶は曖昧な部分が多いんですよ」

 無垢のことを除いて。……無垢のことにしても、無垢が死んだときのことは曖昧にしか覚えていないけど。

 「子供は自衛のために、辛い記憶を忘れたり改竄したりすると言うからね。もしかしたらそれなんじゃない」

 どうだろう。僕自身、釈然としない。何か、神隠しのことで重大な記憶を忘れているような気がする。

 忘れてる? それは違うな。本当は、思い出したくないだけだ。不完全に忘れた振りをして、曖昧のまま誤魔化そうとしているだけだ。僕は神隠しに無関係な子供だと、言い張りたいだけだ。

 『そうだよ。それが、はなくんなんだよね』

 「…………」

 無垢の声が聞こえる。僕の記憶に、こんな台詞を喋る無垢はいない。つまり無垢の声は、僕がフラッシュバックとして思い出している声じゃない。今ここで、無垢が喋っている声なのだ。

 空耳か、はたまた化けて出た無垢の怨念か。

 「梗さんは、幽霊って信じますか?」

 唐突に、そんな質問をぶつけてみた。梗さんはいぶかしむ様子も無く、まるで誕生日でも聞かれたようにぼくの質問に答えていた。

 「一応、信じている。そうでなかったら、有加くんをスカウトしないさ」

 「その流れからすると、梗さんは有加さんの霊感も信じているんですね」

 「そうだね。ボクは有加くんの霊感も信じているよ。有加くんの霊感が、七不思議を解き明かす最強ツールだとも考えている」

 霊感はそこまで万能なスキルじゃないはずだが。しかし単純に幽霊が見えるということは、心霊現象の類を調査する上では一歩リードできるということだ。

 無論、その霊感が本当ならの話だけど。有加さん自身も、真偽の程は定かじゃない能力だ。頼るのは懸命ではないと、同時に思う。そうなると、僕の立場はむしろ津名さんに近いものになる。津名さんは、どう考えても幽霊の類を信じて無さそうだ。

 いや、あの人のことだから実際に幽霊が見えたら一目散に逃げ出しそうな印象も拭えない。幽霊に刀は通じない。まあ、昇天斬り的なやつなら話は別だか。

 あの人だとできそうで怖い。もしかしてあの刀、卍解できるやつなんじゃないのか?

 「それなら、僕の霊感も信じてくれますか?」

 「恋華くんの、霊感?」

 この際、梗さんにだけは話してみることにした。まだ、僕の見間違いという線が濃厚だけど、それでも誰かに話して、意見が欲しかった。一番適役なのは有加さんだったけど、もう彼女には頼めそうも無い。

 有加さんがいないとなると、梗さんくらいしか相談できそうになかった。千穂は言うまでもないし、優さんは事態を僕以上に深刻に受け止めてしまいそうだった。津名さんは、話が拗れそうだから止めた。

 適当に、しかし真面目に話を聞いてくれる人が欲しかった。死んだはずの人間の声が聞こえるなんてこと、初めてだったから。

 「なるほど、これは想像以上に面白い」

 梗さんは僕の話を一通り聞き終えると、魚を見つけた猫のように目を細めた。梗さんの口調は、何か心当たりがあると言わんばかりだ。

 「特に、女の子の姿が見えたというのが面白い。それは、彼ですら体験したことがないことだ」

 「彼?」

 「ああ。七不思議同好会の前会長さ。彼も恋華くんと同様に、死んだ者の声が聞こえた」

 思いがけない人物の登場に、僕の身は引き締まった。気温は暑くなりつつあるというのに、冷水を浴びせられた気分だった。

 「ただし、前会長は姿までは見えていなかった。彼は死んだ妹の声が聞こえると言って、たびたび頭を抱えるように耳を塞いでいたよ」

 「あの、念のため聞きますけど、有加さんの猫耳並にイタイ系の人じゃないですよね?」

 そこだけは心配だった。僕も傍目には大差が無いのだろうけど、個人としては深刻な問題なのだ。その前会長とやらが本当に僕と同じ症状を抱えていたのか、それともただのイタイ人か。そこが重要だった。

 「そこは安心していいよ。というか、まず間違いない。可笑しな表現だけど、彼はちゃんと死んだ妹の声を聞いていた。そして、彼はそんな自分の状態を冷静に分析した上で、ひとつの結論を出しているんだから」

 「結論、ですか?」

 「そう結論。あの津名くんですら納得するしかない結論さ」

 オカルトは根っから否定していそうな津名さんですら納得するしかない結論とは。それは例え自分が同じ状況に置かれていなくても聞きたい。

 「『死んだはずの妹の声が聞こえる理由は皆目見当がつかない。しかし、俺にとって声が聞こえる仕組みなどどうでもいい。聞こえた声から何を得るかが重要なのだ』と、前会長は言ってたよ。だから恋華くんも、聞こえた声から何を得るべきかを考えれば良いのさ」

 「……素直に感心しましたね」

 僕をこれほどまで感心させた台詞が、かつてあっただろうか。前会長、おそるべし。七不思議同好会を現在の地位にまで押し上げただけのことはある。

 「その後彼は、『しかし声のせいで眠れない。やっぱり仕組みも知りたい』と呟きながら倒れたよ。夜中に声が聞こえたせいで、不眠症になっていたらしい」

 「台無しだ」

 それは蛇足だ。国語辞典の例文にできるくらい完璧な蛇足だった。蛇も足があった方が本当は楽なんじゃないかと思っていたけど、それは間違いだったと分かるほど蛇足が邪魔なものだと理解できる付け足しだった。前会長の美談も笑い話で終わってしまった。

 ……しかし、僕はまだ不眠に陥っていないだけ軽症か? 死んだはずの妹の声が夜中に聞こえていたとは、前会長の苦労が知れない。

 「まあ、飛行機が飛ぶ原理は分かっていないけどボクたちは飛行機を使うし、麻酔が効く原理も分かっていないけど麻酔も使う。前会長にとって、死んだはずの妹の声は、そういう存在だったんじゃないかな? 姿まで見えてしまっている恋華くんの参考になるとは思わないけどね」

 「……結局、前会長は妹の声が聞こえたままなんですか?」

 「そうらしい。大学でも、不眠症に悩まされているとか」

 それは嫌だ。早いところ前会長には、解決策を探してもらうとしよう。おそらく段階がひとつ上の僕に、効くとは思いがたいけど。

 「それじゃあ、恋華くん、ボクはこの辺でお暇させてもらうよ」

 そう言いつつ、いきなり梗さんは頭を僕の胸近くまで沈めた。突然の接近に、動転する。想像よりも若干、良い香りに包まれた。

 「それじゃ、ふぁいなら」

 「あ!」

 梗さんは素早く立ち上がり、屋上の出入り口へと駆け出した。急に左手が軽くなった気がしたので見てみると、一口くらいしか食べていなかった焼きそばパンが八割近く、根こそぎ梗さんに持っていかれていた。顔を胸の近くに寄せたのは、最後に焼きそばパンをくすねるためだったようだ。してやられた。

 僕は虚しい身を切るようなダイエットに成功した焼きそばパンを見る。焼きそばの部分は丸々、持っていかれていた。残っているのはパンの部分だけだ。

 ラップを完全に剥がして、ゴミ箱に捨てる。ゴミ箱には少ないものの、ゴミが堆積している。全て僕が昼食に食べた物の包装だった。見ると、すべての包装が焼きそばパンのものだ。料理ができるとはとても思えないくらい、食べ物に偏りがあった。

 残ったパンは、天高く放り投げた。落ちてきたところを、口でキャッチするつもりだった。最後の一欠片をこうやって食べるのは、胡桃の癖だった。僕たちはよく真似をしては、地面に落していたっけ。

 やがてパンは上昇をやめ、僕を目指して一直線に下降する。日光で目標を見失わないように、注意深く対象との距離を測る。そして、パンが僕の口に到着する前に、チャイムが鳴った。

 行為の成否は、言うまでも無い。僕は胡桃以外に、成功した人を見たことが無いのだから。

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