プロローグ
# プロローグ
赤い光が、何度も明滅していた。
「術式を固定しろ!」
「駄目です。出力が安定しません!」
「構わん。分離を続けろ!」
声が、頭の上を飛び交っている。
胸の奥に、焼けた杭を打ち込まれているようだった。
息を吸うたび、杭がさらに深く沈んでいく。
逃げようとしても、腕も足も動かない。
手首の拘束具が、硬い音を立てるだけだった。
「対象の生命反応、低下しています」
「ここで止めれば、救えない命が出る。続けろ」
救えない命。
その言葉だけが、はっきりと聞こえた。
「私の命は……?」
誰も答えなかった。
私の胸元へ集まる光。
宙に浮かぶ術式の文字。
絶えず書き換わっていく数字。
この人たちは、私を見ていない。
見ているのは、私の中にある何かだけだった。
「治せるって……」
喉から、擦れた声がこぼれた。
「これが終わったら、普通に暮らせるって言ったのに」
君のためだ。
力の正体が分かれば、もう苦しまなくて済む。
すべて終われば、誰かのそばで暮らせるようになる。
そう言われたから、信じた。
針を刺されても。
身体の奥まで魔法で探られても。
痛くて眠れない夜が続いても。
いつか誰かと、温かい食事を囲める。
その日のことだけを考えて耐えた。
赤い光の向こうに、一人だけ見覚えのある人影があった。
何度も会いに来てくれた人。
森の話を聞いてくれた。
私が本の中の暮らしについて、どれだけ長く話しても笑わなかった。
ここへ連れてこられてから、ただ一人、私を番号ではなくグレイスと呼んでくれた人。
ほかの人とは違う。
この人だけは、私を見てくれている。
ずっと、そう思っていた。
「ねえ……」
拘束具を鳴らし、その人へ手を伸ばす。
目が合った。
止めて。
ここから連れ出して。
大丈夫だと言って。
声にならない言葉を、目の前の人だけは分かってくれると思った。
その人は唇を噛んだ。
それから、私の目を見たまま、ほんの少し首を横へ振った。
助けられないという意味なのか。
助けるつもりがないという意味なのか。
確かめるより先に、その目が私から逸らされた。
胸の奥に残っていたものが、音もなく崩れた。
「……そっか」
ようやく分かった。
最初から、誰も私を治そうとしていなかった。
優しい言葉も。
何度も差し出された手も。
私が逃げないように。
痛くても、怖くても、言うことを聞くように。
そのために用意されたものだった。
欲しかったのは、私ではない。
私の中にあるものだけ。
「分離率、限界値へ到達!」
「抽出を開始しろ!」
赤い光が膨れ上がる。
胸の奥で、何かが引き剥がされた。
「――っ!」
悲鳴にもならない息が漏れた。
生まれた時から、ずっと私の中にあったもの。
名前も知らなかった温もりが、少しずつ遠ざかっていく。
指先から感覚が消えた。
足が冷たくなった。
もう、あの人へ手を伸ばそうとは思わなかった。
「わたし……」
聞いてもらえないことは分かっていた。
それでも、最後くらい、自分の望みを自分の言葉で残したかった。
「私、人間になりたかった」
赤い光の向こうで、誰かが息を呑んだ。
人間の顔が欲しかったわけではない。
特別な力が欲しかったわけでもない。
泣いている誰かを見つけたら、立ち止まれる人に。
差し出された手を、利用するためではなく握れる人に。
私が好きだった物語の中の人たちのようになりたかった。
「あなたたちみたいに、なりたかったんじゃない」
逸らされていた目が、もう一度こちらを向いた。
その顔が、泣きそうに歪んでいる。
今さら、そんな顔をしないで。
泣きたいのは、私だった。
赤い光が世界を埋め尽くす。
音が遠のいた。
痛みも消えた。
胸に残っていた最後の温もりが、身体から引き抜かれていく。
もし、もう一度生まれることができるなら。
今度こそ、私が好きだった物語の中の人間になりたい。
誰かを犠牲にしなくても、笑っていられる人に。
あの人の姿も、もう見えない。
それでも、最後の言葉だけは自分の声で伝えた。
「私は、忘れない」
返事はなかった。
「あなたたちが、私にしたことを」




