殺し屋はヒーロー 終
「誰?」
霧生は震える声で訊ねる。知り合いじゃないの、と少女は逆に訊ねたくなった。
「助けに来た」
謎の男は質問には答えず、霧生と少女を交互に見た。助けに来たという言葉とは裏腹に、彼の表情からは感情が窺えず、さっさと終わらせてしまいたい、と言いたげに思える。
「霧生のところの人じゃないの」
「知らない」
男は手錠の鍵を持ってきて、2人の腕を解放した。「さっさと出て行け」と端的に言う。優しさの欠片もないが、厳しさもない。
男の後ろにある部屋で、人間の腕がだらんと伸びている。
「ねえ、誰なの?」
今度は少女が訊ねる。興味があった。突然現れた、未だに敵か味方かも分からない謎の存在から目が離せなかった。
「ねえ」
男はため息を吐く。
「そっちの霧生って子の親から依頼を受けた。娘を誘拐した奴らを殺して欲しい、と」
「え、つまり殺し屋?」
「そうだ」
殺し屋は存外、普通の顔をしていた。どこかのサラリーマンのようでもあり、教師のようでも、大学生にも見える。
少女はその顔を目に焼き付けた。絶対に忘れないように、海馬の一番深いところに刻み込んだ。
「いいから、あなたはあたしたちを助けてくれたんでしょ? 逃げていいのね?」
霧生は必死になっている。開けた扉から飛び出していいのか、本当に安心していいのかとやきもきしていた。
「ああ。外に人は、もういない。外に出て徒歩でも、タクシーを呼んでも帰れるさ」
「やった。あんたも早く立って、逃げるよ!」少女に呼びかけ、霧生は出て行った。
「あ」少女の返答を待ちすらしない。
殺し屋は壁際で佇み、少女が出て行くのを待っている。
「あの、名前は?」
「は?」
「殺し屋さんの名前」
「ない」
まさに殺し屋、というような答えで、少女の口角は上がる。
「本当に? コードネームとかもないの?」
「ない。なくても特に不自由もしていないしな」
「じゃあ、あっても不自由しない?」
「しないと思うが、それが?」
少女は立ち上がり、にこやかに言う。
「じゃあ、柴。あなたは今日から、柴と名乗って仕事をして」
「何故だ」
少女の脳裏には、誘拐のきっかけとなった、犬のストラップが浮かんでいた。あの犬種は確か、柴犬だった。
「あなたを探しやすくなる」
「探し? どういう意味だ──」
「あたしは春姫。覚えておいてね」
少女はオーバーサイズのメガネを指で押し上げ、殺し屋に名乗った。
「……どうでもいいが。俺の顔を覚えられるとは思えない」
「逆に、忘れられるとは思えないよ。あなたみたいな人」
少女には今まで、尊敬できる人も安心できる人も、愛したいと思える人もいなかった。
けれど、きっと彼だ。初めて出会った。
ほとんど直観だったが、半ば確信に近い感覚だ。
少女は歩き出す。
泥濘に沈み、死んでいくだけのような現在から、歩き出す。
○○○
遠くから声が聞こえる。何枚か壁を隔てたところで、誰かがこちらに呼びかけている。手探りで声の方向に進んでいく。ふらふら彷徨って、やがてたどり着く。
「──君はヒーローだよ」
夢だ。
「……春姫」
「あ、起きた」
気絶している間に、飛行機は積乱雲を抜けたようだ。幸いと言うべきか、降下することなく飛行を続けられている。揺れも比較的収まった。
柴はゆっくり起き上がる。どれほど眠っていたのか。タイムリミットは迫っているのか。
「……ヒーロー?」
「あ、聞いてた? さっきも言ったでしょ。君はテロを防いで、人を救うヒーロー」
「俺も言ったはずだ。殺し屋にヒーローなんて無理だ」
「そうかな? 今まで、君は人を救ってきたじゃん」
柴は頭を振る。否定する意図と、弛緩した脳を醒ます意図があった。
「あたしとか」
「……」
いまいち覚えていないが、夢を見ていたかもしれない。少し昔の夢だ。春姫が出てきた、と思う。
春姫はあのとき柴が助ける予定だった霧生の娘と交流を持ち、コネを手に入れた。コネを使い、裏世界への招待券を手中に収めた。
柴には理由は分からないが、春姫はわざわざ殺し屋の斡旋業者という職に就く。才能があったのか、能力を生かし、すぐに信頼できる業者となった。
何故お前はこんな血生臭い世界に足を踏み入れたのか、と訊ねたこともあるが「どうしてでしょうか?」とぼかされた。
「マントを羽織ってさ。空を飛ぶ殺し屋のヒーロー。そんなのがいても、たまにはいいんじゃない? ヒーロー業界も競合が多いわけだし」
「……阿呆らしい」
「君ならやれるっしょ。さ、ぶっ殺そう!」春姫は笑った。
眠っていたおかげか、恐怖心が少し和らいだ気がする。気候も鎮まったようだし、今なら動ける。どうやって依頼を遂行するか。
「……あ」
「どうかした?」
「思い出した。あいつ」
「あいつって?」
将軍の後ろに座っていた、脚の不自由そうな男の正体を思い出した。右脚を怪我していたようだが、確かにそうだ。自分の目の前で突き刺されていた。
「岡崎だ」
「岡崎? 誰だっけ」
「なんでお前が覚えていないんだ。前、依頼を受けた男だ。ウェイターとして潜入して、ターゲットの拷問部屋に閉じ込められた」
「ああ。そういえば」
「自分を殺して欲しい、とか言ってたが、やめさせた。その後でひっそりと死んだかと思ったが。あいつ、生きることに決めたのか」
「へえ。君ってそういうの無関心だと思ったけど、やめさせたの」
「あのとき、ターゲットを場当たり的に殺してしまったからな。さらに1人死体が増えると、流石の掃除屋でも処理できない状況になりそうだったから。やめて欲しかった」
「ああ、そう」
そうと分かれば、殺し方は単純に行こう。特段、凝った方法にする必要はない。
「どうやって殺すの」
「言っただろ。物事に、ドラマチックなオチがあるとは限らない。あっさりでいいんだってな」
柴は立ち上がり、よろめきながら、通路に立った。
窓の外を見る。真っ白な雲と、その切れ間から青い海が見えた。相変わらず長くは見ていられないが、地に這ってあくせく働いているうちは決して見ることの叶わない景色。
ほんの少しだけせいせいする景色の、ような、気がしないでも、ない。
***
春姫は裸足になって砂浜に降り立つ。不気味なほど青い海を間近にして、浮き足立っている様子だ。白く高い建物群、ヤシと思しき木々、遠くに見える、岩肌のごつごつした山。
ここが、ハワイだ。日本とこんなに違う。
子供の頃の、トラウマとなった飛行機事故は、結局途中で着陸することになったため、海外は本当に初めてだ。
「君もこっち来なよ!」
春姫は子供のようにはしゃいでいる。服のまま海の中に入っていく勢いだ。
疲れが溜まっていた。普段は1人殺す程度で疲労などしないのだが、なにしろ飛行機の中で仕事をこなしたのだ。肩は凝るし、神経はボロボロだ。今からもう一仕事しろと言われたら流石に不可能だ。海水浴など、無理に決まっている。
春姫が側に寄ってきて言った。
「岡崎さんとははぐれたの?」
「空港でな。どっちにしろ、一緒にいても仕方ない」
「感謝しないと。岡崎さんのおかげで殺しができたんだから」
将軍を殺した方法は、単純明快。
岡崎に席を替わって貰った。それだけだ。
岡崎に声をかけた。彼は当然、こちらが前に会った殺し屋だと気づいていなかった。だが以前の件を持ち出せば、彼もすぐに思い出す。
「柴さん? 嘘でしょ?」と、岡崎は仰天していた。「本当にどうしてですかね。あれだけ顔を見たのに、全然覚えられない」
「悪いが、席を貸してくれ。前にいる奴を殺す」
「えぇ? そんな馬鹿な……」
困惑していたが、彼はすぐに気持ちを切り替えた。
「いいですよ。まさか、あなたの殺しがまた見られるなんてね」
柴は岡崎の席に腰を下ろし、注射器を取り出す。座席の隙間から腕を伸ばす。周囲の気配と、将軍の隣に座る女性の視線を感知し、完全な隙を窺う。肌の感覚で、視線がないタイミングは分かる。将軍は寝ている。これからテロを起こすくせに、寝られるとは剛胆だ。
ここまで長く、終えるときは一瞬だ。
頸動脈目がけて、針を突き立てた。小さな呻き声が前から聞こえる。寝ぼけながら気のせいかと首に手を当てるが、もう手遅れだ。注入した毒は特別で即効性だ。5分ほどで効果が出る。
特にもう、ここにいる必要はないと、柴は席を立った。
「助かった」と岡崎に言う。「これで終わりだ。じゃあな」
「こっちまで緊張しましたよ」
この男は、結局人生をリスタートさせたのか。それとも最後の思い出としてハワイに向かっているのか。そんな疑問を思いついたが、興味もないので、訊ねなかった。
「分かってると思うが、誰にも言うなよ」
「言っても信じられませんよ。っていうか、絶対に言いません。柴さんは俺にとって、ヒーローですから」
「……ヒーロー?」
岡崎は清々しい顔をしていた。なるほど、と柴は納得する。これだけ表情が変わっていれば、思い出すのに苦労するはずだ。
「はい。俺の復讐を果たしてくれた。だいぶ血生臭いですが、ヒーローと言ってもいいかなと」
ふざけた話だ。
そんなヒーローがいてたまるものか。柴は鼻白む。
ハワイの海を眺め回す。日本の海とどこまで違うのか、気になりだしてきた。温度や匂いは一緒なのか、飲んでみたら塩辛くないのではないか、という気すらしてくる。飲んでみようか。
「まあ死体が出て流石にちょっと騒ぎになったけど、無事、依頼遂行と」
「ああ」
「君が今、考えてることを当てよう」
「ああ」
「外国も案外、悪くないな」
「違う。帰りも飛行機に乗らなくちゃいけないのか、だ」
渋々ながら、柴は靴を脱ぐ。裸足になって、砂浜に立った。隣で春姫が悪戯っぽい笑みを浮かべている。砂は熱く、踏みしめたときの感触が心地よい。
帰りのことを考えると憂鬱だが、今ぐらいは悩みを後回しにしてもいいかもしれない。
異国の空の下、海の前。柴は「外国も案外、悪くないな」と口にしてみる。春姫が海の中に足を踏み入れ、笑い声を上げた。
「早く、柴!」
「ワンワン」
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。




