22 コーヒーよりも苦く砂糖菓子よりも甘い
「シェリュア様、ご婚約おめでとうございます〜」
「わたくしからも、お祝いを述べさせていただきます」
「ありがとう。あなた方に祝ってもらえて嬉しいわ」
今は初夏。
ハーバルク伯爵家のタウンハウスの庭、そのガゼボにて。
シェリュア様とヴィエリア様、そしてあたしの3人でお茶会をしていた。
給仕がケーキを切り分けた。薄いパンケーキを幾重にも重ねて、その間に様々なジャムやマーマレードを挟んでいる。青いベリーのジャム、赤いベリーのジャム、黄色やオレンジ色の柑橘のマーマレード。
「まあ、切り口がとても美しいこと」
「見た目だけでなく味も絶品よ。召し上がれ」
「素敵〜。いただきますぅ」
ふわふわしたケーキと甘酸っぱいジャムの取り合わせが最高。生地が軽くて、ジャムの果物の風味を引き立たせる。
「美味しい〜」
「ふふ、喜んでいただけて何よりだわ」
お茶を一口。芳醇な苦みの中に、ほのかな煙の香り。茶葉を香木で燻した燻製茶だ。こういう強いお茶には肉や乳製品がよく合う。あたしは給仕に言って、ハムとチーズをクレープで巻いた、ロールサンドっぽいオードブルを取り分けてもらった。
あの事件の後。
家族というストレッサーから解放されたシェリュア様は、思う存分食事やお洒落を満喫。適正体重になった彼女は、物憂げな瞳が神秘的な、ボンキュッボンのセクシーお姉様に変貌を遂げた。
まあ顔が整っていたのは分かっていたから不思議はないんだけど。元婚約者は本当に見る目がなかった。
あたしたち3人は、ヴィエリア様の積極的な働きかけで、互いに手紙をやり取りしたり、今みたいに会ってお茶会をするようになった。
あれからシェリュア様とは、事件の話をしていない。
「お相手は、秘書の方でしたかしら?」
「ええ。あの頃は正式な伯爵位相続の準備や、事件の後始末で必死で、まさか彼にプロポーズされるなんて思ってもみなかった」
「いや、ガーディス卿の気持ちは割と分かりやすかったですけど〜」
お茶とお菓子と軽食と。
シェリュア様も、たくさん召し上がるようになった。
「そうですわ、セルティ様。シェリュア様の結婚式ですが、お揃いのドレスを誂えませんこと?」
「いい考えですねぇ〜」
「ずるいわ、2人とも。わたしも仲間にして頂戴よ」
シェリュア様が口を尖らせる。
元ドアマットヒロインが『ずるい』って言うの違和感あるわ〜。
「ふふっ、では3人お揃いにいたしましょう。どこかに着ていく機会もあるでしょうし」
「ドレスは基本的なデザインを同じにして、色や細部を変えるくらいがいいわね」
「アクセサリーはどうします〜?」
「それも同じ工房に注文して……」
他愛のない、楽しいやり取り。
ガラスの皿に盛った、色とりどりの砂糖菓子を眺めるシェリュア様。熟考ののち、ピンクのお菓子を手に取った。
「とは言えあんな事件のあった後だから、式の予定は立っていないの。ほとぼりが冷めたら、と思ってはいるけれど、いつになることやら。
それに」
そこでシェリュア様はいったん言葉を切った。
「先日、両親が処刑されたわ」
「ああ……」
「それは、何と申し上げて良いやら……」
シェリュア様はゆるくかぶりを振った。
「いいの。その時が来たらもっと取り乱すと思っていたのに、実際は、凪いだ気持ちでその訃らせを聞くことができた。
愛したかった。愛して欲しかった。その思いはまだある。でも、そうね……上手く決別できた、という気持ちかしら。
父の手紙はあらかた処分した。もうあの人の愛を求めて汲々とすることもない。
それもこれも、セルティ様が諫めてくれたおかげ」
「セルティ様が?」
ヴィエリア様が首をかしげる。
「言ってもいい? ……事件のあった頃のわたしは、父の愛が欲しかった。決して愛してくれないあの人への愛憎に狂った。逮捕されたあの人に酷いことをしたわ。今考えるとまともじゃなかった。
そんな時に、セルティ様がおっしゃったの。
『そんなことはおやめなさい。鏡で自分の顔をご覧なさい。楽しそうでも幸せそうでもない』と」
「そんな綺麗な言い方ではなかったですけど……」
恥ずかしくなって、慌てて訂正する。
シェリュア様とヴィエリア様が、優しい微笑みを浮かべてあたしを見ていた。
「ふふ、そうだったわね。
その時は腹立たしかったけれど、後になってその言葉は腑に落ちた。
不思議ね。そう言われたら、わたしの周りは何も変わっていないのに、世界の見え方が変わった。
わたしの世界は亡くなった母と、父と、義母と義妹。ほとんどそれだけでできていたのに」
「シェリュア様。世界はもっと広いものなのですわ。
すぐ近くにも、貴女を心配し愛する方がおられたでしょう? 今の婚約者の方が」
ヴィエリア様がおっしゃる。
「ベッキラさんや、領地の召使いのみんなも。
今は、友達だっていますよ〜」
自分を指して、あたしも笑う。
「本当にその通り。感謝しています。
……感謝と言えば、両親の処刑の後に王宮警察の捜査官、あの眼鏡の人がやって来て」
「ああ、クリフォス卿ですか〜?」
「ええ。事件の時、毒の鑑定のために母の亡骸から髪を少し切ったそうなのだけれど、その残りをわたしに渡してくれたの。
本当は規則違反だから、内緒にしてくれって」
シェリュア様は、指でそっと指輪の台座をなぞった。その中に遺髪が収められているのだろう。
「ひょっとして、ヴィエリア様、遺髪をお渡しするように警察に働きかけました〜?」
「わたくしだって、シェリュア様にいいところを見せたいですもの」
悪戯っぽく笑うヴィエリア様。
権力者の警察への介入。グッジョブ。
「セルティ様の加護のお力がなければ、この事件は解決しなかったかもしれません。
でも、それ以上にセルティ様のお心ばえが素晴らしいから。それが、シェリュア様のお心を救われたのですわ」
「そ、それほどでもぉ」
ベタ褒めされると顔が熱くなる。慌てて下を向いた。
加護。加護かあ。
どうしてあたしの加護は【毒を見分け、その効果を知る】なんだろう。
毒に関するものなら、【対象を毒状態にする】とか【解毒する】とかでも良かったのに。
「セルティ様に助力を乞うたわたくしの判断、誇らしゅうございます」
「本当に。セルティ様もヴィエリア様も、わたしの恩人だわ」
あたしは顔を上げた。
「でも、みんながシェリュア様をお助けしたんですよ。
お母様の遺された書き付けが、幼いシェリュア様を護りました。
お祖母様は、お母様亡き後のシェリュア様を支えて、ガーディス卿とベッキラさんを遣わしてくださいました。
ガーディス卿はシェリュア様のために、ハーバルク卿夫妻の着替えの持ち込みを阻止した。それが逮捕に繋がりました。
ベッキラさんも重要な証言をしてくれました。
クリフォス捜査官は大飯食らい……ほら、あの、なんかこう、多分頑張ってくれました。遺髪を持って来てくれたりとか。
周囲の人たちの行動。
それはシェリュア様を生かして、助けて、支えるよっていうメッセージなんですよ」
「そういうことでしたら、3代前の伯爵の決断も、本来は良かれと思ってのことですものね。兄妹の軋轢をなくそうというメッセージだったのですから。
手段はだいぶアレでしたけれども」
「まあ当事者は災難だったけど、ハーバルク一族全体への融和のメッセージではあったわね。
手段はだいぶアレだったけれど」
「手段がだいぶアレでしたよね〜」
大事なことだったので3回繰り返された。
アレってどれ。
「人はいつも、意識的にか無意識にか、世界に向けてメッセージを放ち続けてるんです。
この人にこう行動して欲しい。
あの人にこう思って欲しい。
あるいはただ単に、自分を知って欲しい。
それはいろんな言葉や行動に現れる。
多分それを読み取るのが、あたしの推理なんじゃないかと思います」
そうなんだ。
きっと、あたしは知りたいんだ。
見えないところで、何か悪いことが起こっていることを。
誰も知らないところで苦しむ人がいることを。
そしてそれを解決したい。
それは神様任せにすることはできないし、そうすべきでもない。もちろんあたしたちは人間だから、上手くいかないことだってしょっちゅうだ。
でも、少なくとも、知らないといけない。
それがきっと、あたしの加護の本質。
公爵令嬢と、ピンク髪男爵令嬢と、元ドアマットヒロインのお茶会は続く。
初夏の緑の香りを含んだ風と光が、あたしたちを祝福するように包んでいた。
この小説は、琥珀先生のエッセイ『ドアマット大好き企画に参戦したいけど、なにも思い浮かばないのでChatGPT先生に丸投げしようとしてみた件』(https://ncode.syosetu.com/n8423ie/)を下敷きにして執筆いたしました。最後の密室殺人事件の案です。
密室→視線の密室→衆人環視の殺人、香水瓶→気付け薬瓶、など色々変えております。
この場を借りまして、琥珀先生に御礼を申し上げます。ありがとうございました。