第2話「今年の秋には……」
ラレンさんが亡くなり、寂しくはなってしまったものの、アッチェレさんたち家族は、その後も仲良く暮らし続けた。
……ラレンさんが、そう望んだように。
38歳という若さで亡くなったラレンさんの絵描きとしての作品は、希少価値も相まって、高額で売買されるようになった。
その金銭のやり取りはリットさんが一手に引き受け、長男のアタッカさんは給金の弾んでもらいやすい近所の大工仕事に精を出し、次女のアッラルさんは社交的な性格を生かして料理店の接客業を続けていくことになった。
そして、アッチェレさんはというと……
ラレンさんが「第2のアトリエ」と呼んでいた、家から目と鼻の先にある作品保管用の小屋を譲り受け、そこに自分の店を開いた。
これが、後の「アッチェレの店」である。
家族全員が忙しく働くようになり、昔のような団欒の時間は少なくなってしまったけれど、それでも家族は、再び前を向いて歩き出していた。
こうして、慌ただしく時は過ぎていき……
やがて、4年の月日が流れた。
家族がラレンさんのいない日常にも慣れ始めた頃……
招かれざる「それ」はやって来た。
足音をひそめ、日常に溶け込み、気がつけば近くまでやって来ている。
それなのに、姿が見えないせいで、人々はその存在すら笑い飛ばしていた。
そんなものは、この平和が続く世界の中で起こるはずがない、と……
不思議なものだ。
いつも「それ」を始めるのは、だれあろう人間だというのに。
始めることは簡単だが、終わらせることは難しいといわれている「それ」……
つまり「戦争」である。
★彡☆彡★彡
のちに、史上最悪の戦争として語り継がれることになる「ムーシカ独立戦争」。
全体の戦死者数は民間人を含めておよそ800万人以上、これは西大陸の人口の約4割を占める。
そして、その戦死者の内訳で多数を占めたのが、何も知らずに戦場へ送られていったソニード王国の青年たちだった。
アッチェレさんとアッラルさんの兄、アタッカさんにソニード城から召集令状が届いたのは、戦争があっという間に激化した春先のことだった。
もともとは、ソニード王国から独立を求めるムーシカ地方との戦争だったが、激戦地は国内で唯一広い平原のあるベスティード地方だった。
この悲惨な戦争に唯一ましなところがあったとするならば、どの国でも市街戦が禁止されていたことだろう。
おかげで、ソニード王国は国としての損害をそれほど出さずに済んだわけだが……
そのせいで戦争が長引いたという、過激な意見を持つ専門家もいるという。
ようするに、史上最悪の戦争であることに変わりはないのだ。
「大丈夫、心配はいらない。今年の秋には……そうだな、母さんの命日までには帰って来るよ」
家族が見送る中、アタッカさんはほかの若者たちとともに、ベスティード地方へ向かう乗合馬車に乗り込んだ。
秋までには帰る……
そう言って家を出た若者は数知れない。
こんなに酷い有様なのだから、これ以上酷くなることはない。
この戦争は、長くかかっても半年ほどで終わるだろうと、だれもが思っていたのである。
父であるリットさん譲りの卵色の髪の毛をなびかせた後ろ姿……
それが、アッチェレさんの見たアタッカさんの最後の姿だった。
アタッカさんがベスティード地方に到着したと思われる頃、アッチェレさんたち家族のもとに、ベスティード地方からの手紙が届いた。
はて、義兄さんが書いて送ったにしては早すぎるけれど……
アッチェレさんは不思議に思いつつも居間のテーブルにつき、義父と義妹が見守る中で手紙の封を切った。
そこに入っていたものは……
アタッカさんの死亡通知書だった。
ベスティード地方へ向けて走っていた乗合馬車が、市街地を抜けて郊外へと出た途端、身を隠していたムーシカ軍の爆撃を受けた。
馬車は御者と馬も含めて木っ端微塵に砕け散り、後から駆け付けたソニード軍が確認したところ、乗り込んだ若者たちは身元の判別もできないほど悲惨な状況だった。
……同封された手紙には、そんなことが書かれていた。
は?
何わけのわからんことを言ってんだい。
悪戯なら許さないよ。
アッチェレさんは、手紙を読み終えて固まったままのリットさんとアッラルさんの目の前で、手紙をビリビリと破り捨てた。
板の間に、真っ白い紙吹雪が乱れ飛ぶ……
あの、逞しくて格好いい義兄さんが、こんな紙切れ1枚で「死んだ」なんて言われても、あたしは信じない。
信じない!
そのままの勢いで封筒も破り捨ててやろうと、アッチェレさんは震える手で手紙の入っていた封筒を鷲掴みにした。
そのとき、中にまだ何か入っている感触がして、アッチェレさんは封筒を逆さにしてみた。
中から出てきたものは……
小さな黒いリボンで束ねられた、ひと房の髪の毛だった。
美しい卵色の、少し短い髪の毛。
「……」
髪の毛から、声が聞こえてくる……
お前が信じられなくても、これは紛れもない事実。
あいつは、もういない。
だれがどう願おうと、帰ってくることはないのだ。
「……」
アッチェレさんは、髪束にそっと触れてみた。
懐かしい手触りだった。
昔はよくふざけ合って触っていたのに、いつの間にかそんなこともしなくなって久しい。
まさか……
こんな形で、また義兄の髪に触る機会が巡って来るなんて……
「……兄さん」
それは、あまりに小さな声だったので、アッチェレさんには最初、だれの声かわからなかった。
本当に、わからなかったのだ。
ほんの少し考えれば、義兄を「兄さん」なんて言うのは、たったひとりだけだというのに。
「兄さん、おかえりなさい」
アッラルさんは、いつもの大きな声はどこへやら、とても小さな声で髪束に声をかけていた。
「今頃、母さんと一緒にいるんでしょう? 風になって、あたしたちを見守ってくれているんでしょう? 兄さん……なんとか、言ってよ……」
嗚咽を堪えるアッラルさんに、アッチェレさんは何も言わずに髪束を差し出した。
アッラルさんは髪束を受け取ると、胸の前で抱きしめて、そのまま泣き崩れた。
ここは、譲ってあげなきゃね。
なんだかんだ言ったって、この子は本当に血のつながった兄を亡くしたんだから。
あたしが泣くのは、次でいい。
いや……
次の次、かな。
アッチェレさんが目を向けた先、居間の片隅では、リットさんが俯いて肩を震わせていた。
男として、ここで大声で泣くわけにはいかないと言っているかのような、こちらが見ていて苦しくなるような悲しみ方だ。
ああもう、じれったい。
こっちで一緒に泣けばいいじゃないか。
アッチェレさんは、リットさんの袖口をつかんでアッラルさんのところへと引き寄せた。
そして、そのまま自室へ向かおうとした、そのとき。
「……」
リットさんとアッラルさんが、声もなく同時にアッチェレさんの両腕をつかんで引き留めた。
目の前には、義父と義妹の泣き顔……
なんだい、ふたりとも。
あたしにも、ここで泣けって言ってんのかい。
「……」
あたしは、いいんだよ。
最初に本当の家族が泣けばいい。
あたしはその後だって、
「……家族、だから」
アッチェレさんが腕を振り切って居間を出て行こうとしたとき、アッラルさんが嗄れた声で呟いた。
「ひとりで泣くのは辛いよ、姉さん」
「……」
「一緒に泣いて、一緒に悲しんで、何もかも吐き出してしまおうよ。それが家族なんだから……姉さんは、あたしたちの家族なんだから!」
「……」
ああ……そう、だよね。
今さら家族じゃないように振舞って、ごめん。
家族である「妹」に見守られて「姉」の頬を一筋の涙が伝っていった。
つづく




