第5話「もちろん、わたしが!」
「ありがとうね、シーナサン。ジュスティーヌは生きているって信じてくれて」
アッチェレさんは、しんみりとした口調でそう言った。
その寂しげな微笑を見たとき、何の前触れもなく、わたしの中に電撃が駆け抜けていった。
まさに、青天の霹靂!
ああ……そうか……!
そう、だよね……!
どうして、こんな当たり前のことに気がつかなかったんだろう!
わたしは、船の中で「ジュスティーヌさんが船長と再会するラストシーン」と言っていたけれど、今この瞬間、アッチェレさんに出会って、それは違うということにやっと気づいた。
そう、本当のラストシーンは、ジュスティーヌさんがアッチェレの店に戻ってきて母さまと再会するシーン……
そこでようやく、彼女の……歌姫の物語は大団円を迎えるのだ!
書きたい……書かなくちゃ……!
わたしは、溢れる気持ちとともに口を開いていた。
「わたしは、アッチェレさんとジュスティーヌさんの再会シーンをこの目で見てみたいんです。だから……信じているんです」
わたしが書きたいと思ったものを信じる気持ち……
それが伝わったかどうかはわからないけれど、アッチェレさんは少し寂しげに微笑んで、
「シーナサン……本当に、ありがとうね」
と、感慨深げに呟いた。
……かと思いきや、
「今日はウチに泊まりなさい」
と、まるで事務連絡のような口調でそう言った。
しかも、わたしが
えー
と口を開く前に、もう店内へと引き上げてしまったのである。
わたしがアッチェレさんのお店にお泊り……?
そりゃあ、ジュスティーヌさんが暮らした場所で寝起きできるのは嬉しいけれど……
でも、初対面の人とふたりきりって、何話したらいいんだろう。
こういうの慣れてないから、失礼なことしないか心配だなぁ……
なんて考えて、モタモタしていたせいだろう。
「そうと決まればシーナたん、また明日会いましょー! さあ、ジークさんエフさん、この近くで良いお宿を探しますよー」
ポモさんがぽんっと手を打ち、船長とエフクレフさんを連れて、南西エリアへと来た道を戻っていってしまった。
ちなみに、エフクレフさんは手に持っていたわたしの旅行カバンを、さりげなく置いていってくれた。
ちらっと覗き見た彼の顔には、だれが見てもわかるくらいはっきりと、
「よかったですね」
と、書かれていた。
いやよかったですねじゃないわぁ!
……と、叫びそうになったわたしがはっとして口を押さえていると、
「シーナ。これは、取材の良い機会だ」
立ち去り際に、船長はわたしの耳元で囁いた。
「執筆に必要だと思ったら、何でも質問するといい。アッチェレなら、喜んで答えてくれるだろう。ジュスティーヌのことも、自分のことも……」
なるほど……
ジュスティーヌさんの関係者に、話を聞く機会ってことか。
まさしく取材だ……
というか、わたしはいろいろとアッチェレさんに聞きたいことがあったんだった!
今までの騒動で、すっかり忘れていた。
さっすが船長、良いこと言うわ。
そんな、良いことを言った船長はというと、何かを迷っていたみたいだけど、意を決したように、
「……俺のことも」
と、口を開いて囁いた。
え? 何?
引き留めようとしたけれど、船長はもう歩いていってしまった。
どういうこと……?
アッチェレさんが、船長のことを知っているってこと……?
「……」
なんだか、物語の核になりそうな話だけど……
でも、どうやって尋ねたらいいんだろう……
この前の取材(?)だって、結局皆さんが話してくれるのを待っているだけで、新しい発見はあったものの、新たな疑問が生まれてしまった。
その疑問の答えを知っているかもしれない人に、話を聞く機会がやってきたものの、自分が欲しい情報を相手にわかってもらう自信はないわけで……
「……」
いや……
ウダウダ言うのはやめよう。
これは、できるかどうかじゃなくて、やらなきゃいけないことなんだ。
だれが?
もちろん、わたしが!
旅行カバンを手に、アッチェレの店の扉を押し開ける。
わたしの勇気を後押しするように、扉の鈴が美しい音色を響かせた。
★彡☆彡★彡
アッチェレの店は、入ってすぐのところにバーカウンターが横向きに設置されていた。
店の奥には、丸テーブルと椅子がいくつか……
ちょうど、結婚式の披露宴会場みたいな配置だ。
そして、いちばん目を引くのが、そのさらに奥に作られたステージ。
向かって右側にはグランドピアノ、左側には楽屋へ繋がる通路。
手前に並べられたテーブルとステージの段差は、おそらく階段の段差3つ分ほどはあるだろう。
ジュスティーヌさんは、入口付近のバーカウンターに座る船長と話したいからと、この段差を飛び降りていた……
と、あのノートには書いてあった。
……こうして目の前に立ってみると、やっぱり感慨深い。
宵闇の中、煌々と明かりの灯る店内、拍手が響く中、ステージから飛び降りた歌姫がヒールを鳴らして船長のもとへと駆けていく……
不思議だなぁ……
ジュスティーヌさんには会ったこともないのに、そんな情景が目に見えるようだ。
「シーナサン、ちょっと早いけど1杯どうだい。奢ってあげるよ」
わたしがアッチェレの店の入口で店内をキョロキョロ観察していると、いつの間にかバーカウンターに腰かけていたアッチェレさんが、わたしを手招きして呼んでいた。
腕時計を見れば、午後の昼下がり……
なるほど、日が暮れるにはまだ少し時間がある。
アッチェレさんはすらりと背が高いので、バーカウンターのお洒落な椅子に腰かけても、見ている分には何の違和感もない。
しかし、座高の高い(足が短いともいう)わたしがよじ登るようにして座ると、まるでブランコでも漕いでいるかのように、足がブラブラと落ち着かないのだった。
あまり自分の不格好な体型を気にしたことはなかったけれど……
これはちょっと、恥ずかしいなぁ。
「ここは酒の肴を楽しむような辛党しか来ない店だから、若い女の子が飲むような可愛らしい度数の低い酒っていうのは置いてないんだけど……飲めそうなのを選んでおくれね」
アッチェレさんは、そう言いながら棚から持ってきたらしい自分のウィスキーを、丸い氷の入ったグラスに注いだ。
キレイな琥珀色が、グラスの中で丸い透明な氷と一緒にキラキラと輝いている。
……なんて美味しそうなんだ!
そう、わたしは下戸ではない。
というか、どちらかというと「いける口」というやつで、本当は「じゃあ濃いめのハイボールをお願いします」と頼みたいところだったのだけれど……
それじゃあ、自分がここに泊まる意味がなくなってしまう。
わたしは、濃いめのハイボールの残像を頭から追い払って、口を開いた。
「お酒は、アッチェレさんからお話を聞いたあとでいただきます。もちろん、お代もわたしが払いますから」
「……あたしの、話?」
アッチェレさんはロックグラスを傾けると、自分も首を傾げてみせた。
グラスの中で、丸い氷がカラリと美しい音を鳴らした。
わたしは「はい」と頷いて、
「ジュスティーヌさんの書いた物語には、ジュスティーヌさんが船長と出会ってからのことが書かれていました。なので、船長と出会う前のジュスティーヌさんのことをお聞きしたいなと思いまして……」
「なるほどね……」
わたしの言葉に、アッチェレさんは少し遠い目をしてから、
「アイツと出会う前のジュスティーヌのこと……そうだねぇ、それを正確に話そうとすると、あの子が生まれる前のことから話さないといけないだろうねぇ」
と、なんだか楽しそうに微笑んだ。
つづく




