第4話「物言わぬ静かな怒り」
「わっ!? ジークさんっ!!」
ポモさんは慌てて船長に駆け寄り、エフクレフさんは船長を守るようにアッチェレさんの前に立ちふさがっている。
その間、わたしはその場から動けずにいた。
……見ていることしか、できなかったのだ。
妹が同じことをした、あのときのように。
「……」
アッチェレさんは、船長を庇うように立つエフクレフさんを鋭く睨みつけている。
それでも、エフクレフさんは動かず船長を守り続けていた。
その後ろでは、ポモさんが倒れた船長に「ジークさん、ジークさーん」と、なんとも間延びした声をかけている。
「……」
いったい、どれくらいの時が流れただろう。
もう一発お見舞いしてもいいんだよという雰囲気をまとって拳を握るアッチェレさんと、殴るなら自分にしてくれと梃子でも動かない意志を表情ににじませるエフクレフさん……
ふたりは睨み合ったまま、どちらも引く気配がない。
すると、
「……エフクレフ、下がっていろ」
ポモさんに支えられて、ようやく立ち上がった船長が短く命令した。
その声はかなり弱々しかったけれど、有無を言わせない強い意志の宿ったものだった。
エフクレフさんにも、そんな船長の思いが伝わったのだろう。
ほんの少し悔しそうではあるものの、船長の後ろへと下がっていった。
船長と再び対峙したアッチェレさんは、視線は船長に向けたまま、ぐっと握りなおした拳を目の高さに掲げ……
その親指を、わたしへと向けた。
「あんた……今度は、その子を海に落とすつもりかい」
……それは、氷よりも冷たく、どんな刃物よりも鋭い声色だった。
船長を睨みつける柿色の瞳には、暗い色の炎が宿っている。
怖い……
船長、わたし……
怖いです……!
わたしは、自分が睨まれているわけでもないのに、恐怖で身動きできないどころか、沈黙を破りたくなくて口も開けずにいた。
そして船長は……
その場に立ち尽くしたまま、アッチェレさんの言葉を否定することはなかった。
否定しないのか、それとも何も話せないのか……
わたしには、わからなかった。
「……」
照りつける太陽の中を、肌を刺すような冷たい風が鋭く吹きすぎていく。
わたしのポニーテールが大げさにバタバタとなびき、突き当たりの壁沿いに土煙が上がったのが見えた。
船長……
気がつくと、わたしは心の中で船長に話しかけていた。
船長、何か言ってくださいよ。
それは誤解だって、船長の口から言ってあげてくださいよ。
そうじゃないと、船長は……
「……」
だれも一言も発さないまま、時が流れていく。
船長の隣で様子を見ていたポモさんも、下がっているよう言われて不満そうなエフクレフさんも、対峙するアッチェレさんと船長の一挙手一投足にピリピリとしていた。
「……」
その中で、アッチェレさんは黙って船長を睨みつけたまま、ぐっと拳を握っている。
何もかも、あんたのせいだ。
いったいどうやって責任取るつもりだい。
……伝わってくるのは、物言わぬ静かな怒り。
時を止めてしまった静寂の中で、わたしは、今度はその静寂がだんだん恐ろしくなってきて、
「違います」
自分でも驚くほどはっきりそう言うと、アッチェレさんと船長の間に立ちふさがっていた。
「船長は、わたしを海に落としたりなんてしません。そんなことをする人じゃないって、あなたもわかっているはずですよね」
「……」
アッチェレさんは、黙ってわたしを見下ろしていた。
柿色の瞳は暗く燃えていて、恐ろしいままだ。
「……どうして、あんたがこいつを庇うんだい」
アッチェレさんの口から、呆れたような言葉たちが転がり出てきた。
「それは……」
事実であるから、と言いそうになったわたしは口をつぐんだ。
それじゃあまるで、ジュスティーヌさんが自ら海に飛び込むのを、船長が黙って見ていたようになってしまう気がしたからだ。
それもまた事実ではあるけれど……
船長のことを、わざわざ悪く言う必要もない。
しかし、そうなってくると……
「……」
勢いよく飛び出したわたしは、そこから何も言えなくなってしまい、縮こまるしかなかった。
そんなわたしに、アッチェレさんは「それ見たことか」と舌打ちして、
「あんたねぇ、あたしたちのことをよく知りもしないで、中途半端に出てきて首突っ込まないでおくれよ!」
と、もっともなことを口にした。
ああ、どうしよう……
こうなることは、なんとなくわかっていたはずなのに。
この後どうしたらいいのか、何も考えていない!
「……」
俯くことしかできないわたしに、アッチェレさんは盛大にため息をついた。
せっかく勇気を出してみたというにのに、このままじゃまた静寂に戻ってしまう。
何か言わなければ……!
必死に頭を回転させていた、そのとき。
「アッチェレ」
わたしの後ろから、聞き慣れた声が聞こえてきた。
思わず振り返ろうとしてけれど、その人はもう、わたしの隣にすっくと立っていた。
「……」
アッチェレさんは、ようやく現れた船長をひと睨みした。
船長、どこか痛めてませんか? 大丈夫ですか?
わたしは、そう尋ねようとしたのだけれど、船長の視線はまっすぐアッチェレさんに向けられていた。
聞くまでもなく、船長は回復していた。
秋の日差しは眩しくて暑いけれど、吹く風は冷たくて、大通りを歩いている人は見当たらなかった。
その人通りのない石畳の上で、船長は深々と頭を下げた。
「まずは、謝らせてほしい。ここへジュスティーヌを連れて帰ってくることができず、本当に申し訳ないと思っている」
「……」
船長は身動きひとつしなかったが、アッチェレさんもまた、船長を睨みつけたまま動かなかった。
けれども、その表情は「そんなこと最初から知っている」と呆れているように見えた。
もっと、ほかに言うべきことがあるだろう。
……そう言っているようにも見える。
ほかに、言うべきこと……?
わたしには見当もつかなかったけれど、船長はわかっているようで、視線だけで先を促すアッチェレさんに向かって口を開いた。
「アッチェレ。これだけは言わせてくれ。この先、俺のことはどれだけ悪く言ってくれても構わない。今すぐここから追い出してくれたっていいし、なんなら呪い殺したっていい。だが、ここにいる彼女……シーナのことを悪く言うのはやめてくれ。シーナには、ジュスティーヌの件について何の責任もないんだ」
「……」
「シーナはジュスティーヌのことを知らない。それでも、こうしてジュスティーヌは生きていると信じてここまでついてきてくれた。だから、シーナのことは……」
船長が、そこまで口にしたとき、
「はいはい、わかってるよ、そんなことは」
アッチェレさんは、船長の言葉を遮って、ぶんぶんと手を振った。
「この子が、ジュスティーヌの物語を書きたいって言ってついてきた子なんだろう? そんなの、あんたの話を聞かなくたって、手紙に書いてあったからわかってたよ」
アッチェレさんはそう言い放つと、ようやくわたしのほうを向いてくれた。
……そういえば、まだ名乗ってもいなかったんだ。
簡単に自己紹介させてもらおう。
「東大陸のエスペーシア王国から来ました、作家志望のシナモンと申します。どうぞ、シーナと呼んでください」
あまりに簡単にまとめすぎてしまったけれど、それでもアッチェレさんは深く頷いて、小声で「シーナサンね……」と呟いてくれていた。
「よろしくね、シーナサン。あたしの名前はアッチェレランド。アッチェレって呼んでおくれ」
アッチェレさんは、先ほどの恐ろしい雰囲気はどこへやら、ふわりとした微笑を浮かべていた。
つづく




