第3話「思い出したーっ!」
セレアル侯国南部の港町ポリーナへと到着したわたしたちは、迎えに来てくれたポモさんとともに、陸路でソニード王国へ入国した。
モンターニャ号を降りるとき、レンゲさんとトンスイさんは笑顔で見送ってくれた。
もちろん、ふたりが下船しないことを知っている船長やエフクレフさんは、行ってきますの挨拶も簡単なものだったけれど、わたしは少し泣きそうになっていた。
だって、今までずっと一緒だったのに、ここからは駄目なんて……
寂しいにもほどがある。
だから、かもしれないけれど……
ふたりの笑顔は、どことなく寂しげに見えた。
しっかりしろ、わたし!
ふたりにも、早くジュスティーヌさんと再会させてあげなくちゃ!
わたしひとりにできることじゃないけれど、でも宣言したんだから!
わたしは、甲板から手を振るレンゲさんとトンスイさんに、腕がちぎれんばかりに手を振って応えた。
ソニード王国へ向かう道は、ムーシカ王国を経由するものと、北東に位置するベスティード王国を経由するものがあったけれど、わたしたちは迷わず後者を選んだ。
というか……船長が選んだのだ。
そりゃあ、そうだろう。
わたしも船長と同じ立場なら、嫌な想い出ばかりのムーシカ王国なんて、通り抜けるだけでも気持ち悪い。
ちなみに、北東のベスティード王国というのは、ソニード王国の東隣に位置する国で、比較的他国の人間におおらかな国民性の国だという。
ソニード王国は西大陸唯一の、この世界で唯一の内陸国だ。
地方自治領の独立問題が解決した後、旧ソニード王国の城下町が現在のソニード王国になった。
海沿いのベスティード王国を通過して、ソニード王国へと入国したわたしたちは、小さなお城ソニード城のある北東エリアを抜けて、春通りから南西エリアへと入った。
そして、小さな石造りの夏大橋を渡って、ついにソニード王国城下町北西エリアへと到着した。
あの物語からは、3年の月日が流れている。
けれど、わたしの目の前に広がる光景は、あの物語を読んで想像した通りの世界だった。
南西エリアは通り抜けるだけだったけれど、カンタービレ先生の邸宅へと続いているだろう大通りは、ちらりと見ることができた。
ジュスティーヌさんが「歌姫」と呼ばれるきっかけになった噴水広場も物語に出てきたまま……
北西エリアへ続く唯一の橋である夏大橋は「これは通行止めにもなるだろうな」と思わせるほど、こじんまりとした可愛らしい橋だった。
「……」
うわわ……
なんか、感動してきた……!
ジュスティーヌさんは、ここで毎日を過ごしていたんだ……
彼女にとっての何気ない日々は、一冊の本となってわたしに届き、わたしの中で特別な一日になる。
ジュスティーヌさん、わたしをここに……
教科書の中にしか存在していなかった西大陸や、ソニード王国に連れてきてくれて、ありがとう。
本当なら、船長の隣にいるのは、わたしじゃなくてジュスティーヌさんのはずだよね。
早く見つけてあげなくちゃ。
そして、船長と再会してもらわないと。
あなたたちふたりの物語を完成させないと、わたしはいつまでも作家志望のままなんだから。
初秋の冷たい風に吹かれながら、わたしは船長とエフクレフさん、そしてポモさんの後について、黙々と歩いていた。
緩やかな坂道が螺旋のように続く中を、きょろきょろしながら歩いていると、前を歩いていた船長が、一軒の店先で足を止めた。
「……」
船長は何も言わなかったけれど、何も言われなくたってわかった。
この、小さな窓と頑丈そうな扉の店が、わたしたちの目的地である「アッチェレの店」なのだろう。
この扉の向こうにも、あの物語の世界が広がっている。
そう思うだけで、心臓が高鳴って……
「……」
小さな窓から少しだけ見える、バーカウンター。
そこに置かれた空の一輪挿しが目に入ったとき、わたしは思わず目を逸らし、ぐっと唇をかんだ。
感動している場合じゃない。
だってこれは、楽しい物語の舞台をなぞる旅なんかじゃないんだから。
わたしの目的は、あの一輪挿しに、金糸雀色の薔薇の花を飾る日々を取り戻すこと……
間違っても、ひとりでドキドキワクワクしていていいわけがない。
「……シーナたん?」
ポモさんの遠慮がちな声に、わたしは我に返った。
よほど険しい顔をしていたのか、少し心配させてしまったらしい。
考え事をしていたと説明すると、ポモさんは「そうですかー」と微笑んだ。
詳しく尋ねない優しさが身に染みる。
それからポモさんは、わたしたちを順々に見回し、準備万端というようにアッチェレの店の扉を叩いた。
「アッチェレさーん、こんにちはー。ジークさんたち、来ましたよー」
そこには、3年の空白は微塵も感じられず……
まるで、お友達のお部屋に遊びに来たかのような気軽さだった。
しばらくすると、コツコツという少し大股の足音が聞こえてきた。
だんだんと、こちらへ近づいてくる。
「ふふっ。アッチェレさんの歩き方、遠くから聞いても、すぐにだれかわかりますねー。シーナたん、もうすぐ会えますよー」
ポモさんの表情は、横顔だけだったけれど、少し嬉しそうにも寂しそうにも見えた。
ジュスティーヌさんを知らない、わたしという協力者を得た喜びの表情にも見えるし(おこがましい)、ジュスティーヌさんと一緒に帰ってくることのできなかった船長とアッチェレさんの再会を心配している表情にも見えるのだ。
そんなことを考えているわたしも、先ほどから嫌な予感がしている。
この後起こることがわかるような、わからないような……
そのとき、わたしの思考を遮るように扉が引き開けられ、小さな鈴が可愛らしい音色を響かせた。
中から現れたのは、上下黒のパンツスーツを着こなした、40代後半くらいの背の高い女の人だった。
薄紅色の髪はショートヘアで、柿色の瞳は透き通っていて美しい。
わたしの目の前に、あの物語からそのまま抜け出たような人が立っている。
一目見ただけで、わたしにはこの人がジュスティーヌさんの「母さま」、アッチェレさんだとわかったのだった。
「ああ、ポモサン。わざわざありがとね」
アッチェレさんは、これまたポモさんと変わらないくらい気軽にお礼を口にした。
そして、店の入り口を囲むわたしたちを見回したアッチェレさんは、とある一点で視線を留めた。
もちろん、その先に立っているのは船長である。
アッチェレさんの表情が、みるみる険しくなっていく。
船長はというと……
アッチェレさんに睨まれたまま、何も言わずに目を伏せていた。
きっと、いつぞやのエフクレフさんのように「何を言われても自分の責任だ」と覚悟を決めたのだろう。
どうぞ、気の済むままに……
たとえ手を出されたとしても、抵抗せずに受け入れよう。
表情は見えないけれど、船長からはそんな心の声が聞こえてくる。
と、次の瞬間……
わたしは、強い既視感に襲われた。
……なんだ? この感じ。
この、とんでもない緊張感は、いったい……?
扉の前の大通り、人気のない大通りで向き合うふたり……
この光景、前にもどこかで……
前にも……?
うーん、いつだったかな……
それほど昔
ゴッ
……その、聞く者すべてが顔をしかめるような痛々しい音が、人気のない大通りに響き渡ったとき。
わたしは、ようやく「思い出したーっ!」と、口には出さずに息を呑んだ。
何もかも、あのときと一緒だった。
けれど、殴ったのが妹のマーサではなくてアッチェレさんだったから、さすがの船長もその威力に耐え切れなかったのか、気がつけば石畳に倒れ伏していた。
つづく




