第2話「言い返す資格なんてないのだ」
当時の船『イスパーダ号』が東大陸コシーナ王国の港町ミオウに到着した頃……
船長は、もうすっかり廃人と化していた。
船長室に閉じこもったきり、ろくに食事も取ろうとしない。
ほかの3人が気になって様子を見てみれば、常に椅子に座った状態で、身動きひとつしない。
一睡もしていないだろう顔はやつれて、表情は失われていた。
最初の頃は、だれもが心配して船長室の前を右往左往していた。
しかし……
行方不明となった歌姫ジュスティーヌのために、船員全員が時の流れに逆らってとどまり続けているわけにはいかなかった。
中でもエフクレフさんは、船長室にこもったまま自分の時を止めてしまった船長の代わりに、副船長として様々な仕事を引き受けた。
追い風のあるうちに東大陸へ向かい、港町ミオウへ複雑な上陸許可を取る。
そこから、ソニード王国城下町アッチェレの店へ手紙を書く。
こんなにも精神的に辛い仕事はないだろう……
しかし、エフクレフさんはそんな辛い仕事ばかり率先して担当していた。
それは……責任を感じていたから。
全部、自分のせいだと思っていたから。
あの日、エフクレフさんは『ジュスティーヌを守るように』と船長から命令を受けていた。
そのため、絶えず彼女の船室前に控えて、片時も離れずにいたのだ。
そして、甲板から船長の声ではない男のしわがれた声が聞こえてきた途端、ジュスティーヌさんは扉を破るほどの勢いで船室から飛び出して来た。
もちろん、そこまではエフクレフさんの予想通りだったので、彼はすぐに通せんぼをして、言葉もなくジュスティーヌさんを止めた。
しかし、ジュスティーヌさんは美しい金色の髪を振り乱し、エフクレフさんに向かって必死に訴えた。
『ジークさんは、この船の船長です! 何かあってからでは遅すぎます! それに……私、約束したんです。今度は私がジークさんを助ける番ですって!』
『……』
『エフクレフさんだって、私がいなければジークさんのところへ駆けつけるんでしょう!? だったら、私も一緒に行かせてください!!』
エフクレフさんには、必死な彼女の頼みを断る理由が思いつかなかった。
船長が約束したというのなら、彼女を連れて行かねば、とも思っていた。
彼女も自分と同じように、船長のことを想う仲間なのだとも……
自分がいるから、少しぐらい危ない目に会っても平気だろう。
……根拠なんてなかった。
あったのは、思いあがっていた自分の虚栄心だけ……
船長が左腕を刺されて動けなくなり、タイ元公爵が大剣を振り上げたとき、彼女はだれよりも早く走り出していた。
驚いて身動きできずにいた自分よりも早く……
崩壊した欄干から、風になびく金色の長い髪が見えなくなっても、エフクレフさんは瞬きすらできずにいた。
その足がようやく甲板に踏み出せるようになったのは……
船長が欄干の残骸、船底に向かって身を乗り出したときだった。
目の前で彼女が落ちていくのを見ていることしかできなかった船長と同じように、いざというときに身体が動かなかったエフクレフさんもまた、心に深い傷を負っていた。
エフクレフさんが、船長と同じように時を止めずにテキパキと仕事をこなしていくようになったのは、そこに『自分がもっとしっかり守っていたら……』という後悔の念があったからだろう。
エフクレフさんは、廃人とまではいかないものの、ぼんやりとしていることの多くなったトンスイさんや、時折涙を浮かべてため息をつくばかりのレンゲさんにも頻繁に声がけをしていた(あの無口なエフクレフさんが!)
そして自分は、なるべくあの日のことを考えないようにしようと、心の痛くなる悲しい仕事も、率先して引き受けたのである。
そんなエフクレフさんが、西大陸のアッチェレさんやポモさん宛てに悲しい知らせの手紙を書き終えた頃……
東大陸の港町に停泊するすべての船を対象とする、その知らせはやってきた。
『港町ミオウ付近の浜辺に、身元不明の男性の遺体が発見された。内海を行く船から遭難したと思われるので、男性の身元を知る者がいたら直ちに情報を提供するように』
エフクレフさんは早速ほかの3人を連れて、港町ミオウに安置されている遺体の確認に向かった。
石造りの建物の地下、ひんやりとした部屋の台座に横たわっていたのは、銀髪の美しい壮年の男性だった。
奇跡的に顔に損傷は見受けられず、エフクレフさんもすぐに遺体が何者なのか理解した。
ああ、やっぱり……
顔を曇らせて口を開こうとしたエフクレフさんだったが、そこで後ろに佇んでいた船長が音もなく前へ進み出た。
船長が自らの意思で動いたことが久しぶりすぎて、エフクレフさんは見守ることしかできなかった。
船長はゆっくり台座に近づいていくと、横たわる遺体を一目見て小さく頷いた。
そして……
数十日ぶりに、口を開いたのだ。
『彼は、ムーシカ王国を追放処分となった元公爵のタイという男です。先日、内海で小船を見かけたばかりですが、おそらく強風で船が転覆したのでしょう』
船長は、驚くほどハキハキと答えていた。
その様子に、エフクレフさんは心から安堵していた。
よかった……
船長は、頭の中まで時を止めていたわけじゃない。
タイが「不慮の事故死」だったことにできるくらい、船長はしっかり考えて生きている……!
しかし。
その安堵が、エフクレフさんに余計な質問をさせてしまったのである。
詳しい事情を書類にまとめるため、船長と遺体保存の担当者、そして遺体の発見者は別室へと向かった。
そこでエフクレフさんは、遺体の発見者を呼び止め、こう尋ねた。
『あなたが見つけた遺体は、この人だけでしたか? 長い金髪の少女の遺体は、ありませんでしたか?』
……今思えば本当に余計な質問だったと、エフクレフさんは後悔していた。
幸い、近くの商船で働いているという発見者は、遺体はこれひとつだったと断言してくれた。
しかし、エフクレフさんの質問は、部屋の入り口でふたりのやりとりを聞くともなく耳にしていた船長の怒りを買うことになってしまったのだ。
『どうして、あんなことを聞いたんだ。まるで、ジュスティーヌも奴と一緒に死んでしまったみたいに……!』
イスパーダ号の船長室に戻ってきた船長は、暗い色の瞳でエフクレフさんに詰め寄った。
『もとはといえば、お前がジュスティーヌを部屋に引き留めておけば、こんなことにはならずにすんだはずだ』
『……』
『いったい何と言い負かされたのかは知らないが、俺は絶対にジュスティーヌを部屋から出すなと命令したんだ』
『……』
『エフクレフ、これは立派な命令違反だ。違うか?』
『……』
エフクレフさんは、船長の的確に心を抉ってくる言葉の数々を、ただ黙って受け止め続けていた。
すべては船長の言う通り。
自分には何も言い返せない。
……言い返す資格なんてないのだ。
ここは、船長の気が済むまで自分も反省を続けていよう。
エフクレフさんは、そう考えていた。
しかし、そんなエフクレフさんの気持ちもわからなくなっていた船長には、彼が『黙っていれば、そのうち終わるだろう』と思っているように見えたらしい。
……普段なら、エフクレフさんの表情から彼が何を言いたいのか瞬時に理解できるというのに、このときばかりは船長も正気ではなかったのだろう。
何とか言ったらどうなんだとばかりに、船長はついに禁断の一言を放った。
『全部お前のせいだ、エフクレフ! お前が、ジュスティーヌの代わりに海に落ちて消えてしまえばよかったんだっ!!』
つづく




