第19話「生きていてよかったと思っている」
馬車は南へと向かっている。
収穫の近い小麦畑が、秋風に揺れてさざ波を描いていた。
暮れなずむ夕日が大空をすみれ色に染めて、地平線は淡いオレンジ色に輝いている。
そのオレンジ色が、馬車の手綱を引くバクリッコさんの横顔を照らしていた。
時折ブルルと鼻を鳴らすのは、この馬車を引いてくれている白馬の寒月号。
もとは騎士団所属の由緒正しい名馬だけど、今は馬力自慢で元気に馬車を引いている。
臆病だけど(馬はみんなそうだよね)、人間のことを好きでいようとしてくれる、可愛くて良い馬だ。
「シーナちゃん。もうすぐオレのばあちゃん家に着くよ。泊まっていってくれると、ばあちゃんも喜ぶんだけど、そうしてくれるかい?」
バクリッコさんが前を見ながら口を開いた。
気がつけば、あたりはすっかり薄暗くなっている。
ああ、そうだった……
なぁんにも考えないで出てきたもんだから、最悪夜通し歩こうかと思っていたんだった。
泊めてもらえるんなら、もうどこでもいいです!
「そ、それじゃあ、お言葉に甘えさせてもらいます」
「おう! 任せとけ! って泊めるのオレじゃなくてばあちゃんだけど」
バクリッコさんは陽気に笑うと、ちらっとわたしのほうを向いた。
「シーナちゃん、オレとドンパなんだから、タメ口で喋ってくれていいんだぜ?」
「……ドンパ?」
なんだろ、聞き馴染みのない言葉……
響き的には、とても明るくて陽気な感じがするけれど……?
わたしが首を傾げていると、バクリッコさんは「ああ、ごめん」と口にして、
「ドンパっていうのは、オレの国の言葉で同い歳って意味なんだ。シーナちゃん、クミンちゃんと同い歳なんだろ? オレも同い歳!」
「あ……そう、なんだ」
知らなかったなぁ、まあ喋る機会もなかったから仕方ないんだけど。
まったく、仕事デキすぎてサボりがちってどういうことじゃい。
少しは働き者のクミンちゃんを見習えーい!
……同い歳とわかった途端に強気になるわたしも、全然働き者じゃないんだけどね。
なんて、笑顔のバクリッコさんの横顔を冷めた表情で見守っていると、
「あ、見えてきた見えてきた。あれがオレのばあちゃんの家」
バクリッコさんは、道の先に見えてきた三角屋根の可愛い家を指さした。
この近辺は一帯が小麦畑なので、見えてくる家自体が珍しい。
「もう、2年前になるのかな。ばあちゃんは、城下町に向かってたパンデローを家に泊めてやったんだって今でも懐かしがるんだぜ」
「あ、その話パンデロー君から聞いたなぁ。すっごく優しくしてもらって嬉しかったって」
「えっ……あ、そうか。つい最近までパンデローと一緒に仕事してたんだもんな。そりゃ聞いてるか」
クミンちゃんには好評だったんだけど……
と、バクリッコさんは呟いた。
あれ、もしかして……
今のは、取っておきの話だったのかも。
ここは知らないフリをして聞いてあげればよかったかなぁ。
かといって、もう遅いけど。
そこからはお互い無言のまま、気がつけばバクリッコさんのお祖母様のお家に到着していた。
2年前、生きる気力を無くしつつあったパンデロー君を元気づけたというお祖母様に、わたしが熱烈歓迎されたことは言うまでもない。
★彡☆彡★彡
広大なエスペーシア王国の、これまた世界的にも大きな港町、その名もカイサー。
そこは、エスペーシア王国内唯一の自治領。
7人の豪商が、貿易業を中心に経済を動かしている……
と、歴史の授業で習った。
わたしは小さい頃から歴史の授業が大好きだったので、港町カイサーのことも教科書で読んで知っていた。
もちろん、訪れたこともある……
10年以上も昔のことだけど。
だから、あまりはっきりとは覚えていない。
港へ行くまでの道に、所狭しと並んでいたお土産屋さん。
海産物専門の観光客向けの料理店。
いったい何百人の人が一度に泊まれるのか、というくらいたっくさん建っている宿泊施設。
そして、大きな帆船がずらりと並ぶ船着き場。
これだけ覚えているなら十分と思われるかもしれないが……
並んだ船を指さして、何がどの船で、と教えてくれた父の言葉はぼんやりとしている。
おそらく、城下町の市場よりも人が多くて、人混みの苦手なわたしは早く家に帰りたかったからだろう。
そう、とにかく人が多い。
それは、大きな貿易船だけでなく、大人数を収容できる大型客船も行き交っているからだ。
……ここから先は、わたしの推測。
港町カイサーに到着したポモさんは、そこからセレアル侯国へ戻るか、もしくはまた旅を続けるのだろう。
おそらく、護衛を依頼していた船長と別れて。
船長は、手紙にはポモさんについて行くとは書いていなかった。
ただ、新しい滞在先を探しているとだけ……
ポモさんと別れた後、船長はどうするのだろう。
船がたくさんある港町カイサーから、ポモさんとは違う船に乗って、エフクレフさんと旅を続けるのか。
それとも、まずは自分の船を探すために港町カイサーに留まるのか……
いや、そもそもポモさんと一緒に船に乗るという選択肢も捨てきれないわけだし……
あー!
ダメだ眠れない!!
わたしは思わずベッドから飛び起きた。
バクリッコさんのお祖母様のお家の2階、お客様用の寝室である。
バクリッコさんのお祖母様に熱烈歓迎されたわたしは、ひとりでは到底食べきれないほどの夕食をご馳走になり、さらにお客様用の寝室まであてがわれてしまった。
お食事が終わった後、当時のパンデロー君のお話を聞かせて頂いたり、わたしのこれからのことを聞いてもらったりしているうちに夜は更けて……
気がつけば、わたしは寝室のベッドで横になっていたのだった。
今日だけで目まぐるしい一日だった……
だから、かなり疲労が溜まっているはずなのに、これからのことを考えるとソワソワと目が冴えてくる。
何も考えないようにする……
なんて、できそうにない。
「……」
目を閉じると、船長の顔が浮かんでくる。
初めてわたしの小説を褒めてくれたときの笑顔。
わたしの小説を添削した後の苦い顔。
ドアを開けたとき、一瞬だけ見えた申し訳なさそうな表情。
そのどれもが忘れられない。
思い出していると、口の中にほろ苦いカラメルの味が蘇った。
あのときの、甘くて苦いプリンの味……
「……」
船長に出会って、わたしの人生は変わった。
それまでのわたしはといえば、人生に刺激を求めていながら、やりたいことのない人生を過ごしてきたように思う。
ひたすら、やりたくないことを避けて生きる人生……
そんな人生、刺激も何もあったもんじゃない。
退屈でつまらない人生だなんて、何にも挑戦してみない人間には文句を言う資格もない。
それなのに、わたしは願った。
災難でもいいから……と。
そんなわたしの前に、船長は現れた。
自分という人間を理解してもらったと喜んで、目も当てられないほど舞い上がり……
そして、だれにも自分らしさをわかってもらえずにいたことを知り、もう立ち直れないほどのダメージを受けた。
……災難なんて、望まなければよかった。
こんなことなら、退屈でつまらない人生のほうが平和で幸せだった。
だから、一時はもう生きていることすら……
なんて考えたこともあった。
けれど今は……
心から、生きていてよかったと思っている。
だって、この経験のおかげで、辛く苦しい記憶も人生には必要不可欠なものだと身をもって体験できたから。
きっとそれは、甘いプリンにほろ苦いカラメルが欠かせないようなもの……
なのかもしれない。
「……」
船長との思い出を反芻しているうちに、わたしはようやく深い眠りへと落ちていった。
つづく




