2.はじめまして きこんのじんせい
人生とは驚きの連続だ。朝食時は未婚だったのに、昼食前には既婚になっていたりする。
女の子だと思っていた文通相手が男の子だったのも、まあよくあるかは分からないが、ない話でもないだろう。
確かに彼は自分の性別を名乗っていない。私だって名乗らなかった。私が勝手に勘違いしたのだ。
だから、諸々はそんなに驚くことではないのかもしれないそんな訳あるか驚くに決まってるだろ頭の中いっぱいいっぱいだから昼食食べずにベッドへ潜り込みたい夢も見ずに眠りたい。
「午前休いただいてすみませんでした」
人生とは、どんな時も仕事が寄り添ってくれるものだ。
精神が千々に乱れようと側にいる。ちょっと離れてほしい。癒しとして山盛りの自分を提示してきた仕事さんは、血も涙もない。
しかしそれが最適解だと、社会の荒波に揉まれつまらない大人になってしまった私が納得してしまう。
何せここで仕事を放棄した結果、結局いま以上の苦しみを未来の私が味わうのである。
私の出勤挨拶にばらばら答えてくれた同僚達も皆、仕事に埋もれて頭の先も見えていない。
魔術二課の机は、作業内容に応じてとても大きく作られているが、その大きな机にはどれもぎりぎりまで仕事が乗っていた。これは、迷っている暇はなさそうだ。
長いローブを脱いで自分の椅子にかけ、よしっと気合いを入れる。私の事情などお構いなしに、世界は回っていく。
とどのつまり。今日も、徹夜だ。
魔術二課は、魔具・魔術、そして魔力への専門機関だ。
通常、一般人が認識している魔術師は、直接敵と相まみえる魔術一課である。
積まれた魔具の一つを手に取り目の高さに掲げ、軽く魔力を通す。問題ない。しかし次の魔具では魔力が途中で歪む。通っていないわけではないが、虫食いがあるように穴が空き、不安定な流れだ。
魔力を固定している魔石を外し、装置に嵌める。計測している間に魔具を確認する。魔石の計測結果はすぐに出た。魔力の排出率に問題はない。そうなると、魔具のほうに問題があるようだ。
魔術師になれる人間は限られている。それは、魔術師という職が専門職であるからでもあるが、それだけではない。
大雑把にいえば、運である。
魔術を扱える人間は、努力では生まれない。これは完全に運からなる体質だ。魔術師自体は、それなりに希少な存在だ。
だが、魔術師の生まれに関しての希少性はない。徒人同士の子が魔術師に、魔術師同士の子が徒人に。どちらの事例も通常であり、何もかもに確確実性も法則性もない、完全なる無作為状態だ。
魔術師とは、偶発的に発生する少数の特質を持って生まれてくる存在。偶然発生する存在としか言い様がない。魔術師としての力量も、魔力の貯蔵量に大きく左右される。ちなみにその貯蔵量も生まれつき。
つまりは、善いも悪いも関係なく。魔術師は生まれから有り様に至るまで、全てが運で構成された生き物ということだ。
魔術とは、魔術師だけが扱える技術だ。しかし、単純な魔力操作だけならば行える人間は存在する。そんな人間が扱える品として開発された物が魔具だ。
そして、魔力の物質化、保持。魔力に物質的な形を与えた物であり魔力の塊を、魔石と呼ぶ。
魔石は天然物も存在するが、それらは宝石よりも希少性が高い。よって巷に出回る魔石の多くは、人工的に作られた物だ。魔石とは魔術師が作る物であると認識している民も多い。
私も作れるし、業務の一環ですらある。魔石作成の魔術は、魔力を保全し物質化する画期的な発明だ。歴史的発明であり、間違いなく人類の有り様を左右する重要な変換点の一つである。
しかし問題は、魔石を魔術師以外の人間が扱うための手段だった。それを可能としたのが魔具だ。
魔術師より圧倒的に数の多い対象者が魔術を扱えるようになるのだから、その変化は想像するに難くない。文化も文明も、戦力、ひいては戦場の形も、あっという間に色を変えていった。
世界を一変させた発明の一つは、間違いなく魔具だった。
素質がある人間しか扱えず、まだまだ課題は多い。それでも形にして活用する。戦火に生まれるとはそういうことだ。倫理も道徳も、全てはそれを叫ぶ余裕ができてから考える贅沢品なのである。
幸いにも魔具は、現状では使用者に対して何かしらの危害が及ぶ物ではなかった。だが、たとえそうであっても使用された可能性がないとはいえない。戦争とは、そういうものなのだ。
現在、戦場から撤収した部隊の魔具が魔術二課へ集結していた。本来ならば現場にいる一課が修理を担い、専門的で高度な技術が必要となる修繕品だけが二課へと送られる。
しかし現在一課は、戦場帰りの凱旋や挨拶周り、何より家族との再会で引っ張りだこの大忙しなのだ。
戦時中、二課は一課の通常業務を肩代わりしてきたので今更だ。代わりに二課は戦場に立っていないのだから、持ちつ持たれつである。
黙々と魔具を確認し、必要があれば修理を施していく。基本的には単純な摩耗や劣化だ。作業していると余計なことを考えずに済む。というわけでもなく、単純作業では余計考えてしまう。
私は既婚になったわけだが、どうすればいいのだろう。アンの家は、どうなのだろう。戦績は上位に入ると聞いているので、もしかしたら屋敷が与えられているかもしれないが、どうするのだ。
それともうちに、住むのだろうか。家のことを一身に担うサシャは父を迎える用意だけで、それ以上の人数を迎え入れる用意はしていなかった。
そして今晩が初夜になるのだが、私は泊まり込みの残業である。どうするのだ。何をと問われれば返答に困るが。どうするのだ。何だこれ。
それに、アンだって休みたいだろう。
今晩は王家主催の慰労式典がある。国の中枢を担う主要な面子が集まり、軍を労う行事だ。お父さんとアンも出席すると聞いている。
だからこそ、余計に休みたいはずだ。帰還後すぐに公式行事へ駆り出され、息をつく暇もないのである。労いとは、一体。
ちなみに本格的な慰労会は後日開かれ、これらは軍人の家族も招かれた気さくなものとなる。
何はともあれ、私はどうすればいいのだ。今日は帰れないとしても、後日帰る際、どこへ帰ればいいのだ。
実家? 新居? 官舎? 新居ってどこだ? 初夜とか、どうするのだ。そもそも、そんな普通の夫婦のようなことを、するのか? アンと? 私が?
何一つ分からないが。お父さんは後で軍部倉庫裏に集合してください。
アンが男の子なのは、まあ分かった。彼は女の子と名乗ってはいなかった。分かった。納得しよう。そこは自分の中で落としどころをつけられるけれど、結婚? 何故?
私は、別にいい。認めよう。
恋愛に到達しているかは分からないが、私はアンを愛している。家族愛の領域であるが、親愛の度合いは満杯だから問題ない。恋愛へ舵を切ることも容易だろう。
私は親愛を抱いていれば家族としてやっていける類の人間だと思われる。何よりアンは、それほどに大切な存在である。しかし、アンはどうなのだ。厄介な事態に陥る前に、手近で手を打ったのだろうか。それなら私が恋愛へ舵を切ったら困るはずだ。
とりあえず、お父さんは首を洗って待っていてほしい。臭いの嫌だし。
一人では決して答えの出ない、悩みとも恨み辛みともつかない思考を堂々巡りさせながら、黙々と作業を進めていく。私だけでなく、部屋にいる誰もが喋っていない。
沈黙を苦に思わない人間は、二課の素質がある。だが話しかけられて気を悪くすることもなく。誰かが失敗に嘆けば、共に悲しみ哀れみ「やーいやーい」と指さし合う。そんな仲良しな二課である。
しかし、肩を軽くたたかれて振り向く。二課長ゼノンがいた。目元が見えないほど前髪が伸び、猫背でぼそぼそ話すのでどこかどんよりとした雰囲気だが、面倒見のいい人だ。
「集中しているところ悪いが、そろそろ着替えたほうがいいぞー……」
「え……もう五時!? すみません! すぐ着替えます!」
そっと告げられた言葉に、思わず飛び上がる。この後開かれる式典に、二課代表として二課長と私が召喚されているのだ。着替えを引っ掴み、別室に飛び込む。
滅多に着ることのない礼服に着替え、絞まった首元に眉を寄せる。着慣れない上に、若干関節が動かしにくい。機能面より見場が優先されているのだ。
しかし入隊者の何割かは、この礼服に憧れて志願してくる。見場とは中々侮れないので、ここは軍人らしい我慢の見せ所である。
着替えを済ませて戻ると、二課長が自分の机で作業しつつ皆と話しているところだった。ちょっとでも時間が空けば何かしらの作業に取り掛かる二課の特性は、二課長もしっかり持っている。
「他に予算足りない奴はいるか」
「二課長のおかげで潤ってます」
「俺は……ちょっと足りません」
「……お前の実験は宝石を使うからな。分かった。増やす」
「ありがたいですけど……大丈夫ですか? 予算会議で睨まれませんか?」
「睨まれたら睨み返せばいい……。お前の研究は医療に転用できる。その上で必要経費を出し渋るような国は、どうせ最後に人を削る」
ぼそぼそと喋るのに、予算をじっとりともぎ取ってきてくれる彼は、我らが頼れる頭領である。
「すみません、お待たせしました」
「全く待ってない。似合う」
礼服は素晴らしくても着ているのはどうせ私なのに、二課長はさらりと褒めてくれる。二課長がそういう人柄なおかげで、二課は軍属でありながらも上下関係は比較的緩い。
「ごめんな、ミント……いつもお前に押しつける駄目な先輩で」
先輩達は、肩をきゅっと縮めてしょんぼりしていた。二課に所属する人間は、人前を好まない者が多い。そのため気が弱く引っ込み思案な集団と認識されやすいが、二課に存在する人種は二分される。
本当に苦手派と、面倒派だ。
私はどちらかというと苦手派よりは面倒派寄りである。得手でもないが、不眠動悸精神乱高下等の症状が出る人達より、面倒だなぁで済む人間が請け負ったほうがいい。
「問題ありません。それに、父とも話せるので。いい機会をいただけました」
「ああ、そうか。そうだったな……父君の無事のご帰還、お喜び申し上げる」
「はい、ありがとうございます!」
申し訳なさそうな先輩達がくれた心からの祝辞を、私は素直に受け取った。心の中では父を倉庫裏や地下に呼びだしていても、無事に帰ってきてくれたことは、やっぱりとてつもなく嬉しかった。
会場内は開幕までそれなりの時間があるが、既に相当な人数が集まっていた。
戦争が終わり、大量に投入されていた軍人達が英雄として帰還したのだ。ここは現在、国で一番注目の会場だ。
軍人達の周りには、飽いた貴族が群がっている。中には政治上必要な挨拶もあるのだろうが、大半が日々似たり寄ったりな話題に飽き、聞き慣れぬ話をいち早く仕入れようとしていた。
国の存亡をかけた戦いであろうと、国民の士気を保たねば予算を投入しづらくなる。敗戦国の末路は誰もが朧気にでも理解しているはずなのに、遠く離れた地の出来事はまるで物語のように曖昧で。
だから戦場が身近に感じられるよう、憧憬の念を抱きやすいよう、国を上げて戦場を彩る本が作られた。英雄譚として国中で読まれているので、貴族が群がっているのはそういった事情も大きい。
中にはお父さんの話もあった。あれでも英雄の一人である。絶対に読みたくない気持ちと、一応触れておこうという気持ちがせめぎ合った結果、私は読んだ。
気さくで冗談への理解もある、強く明るく誰よりも頼りになる広い背中を持った、それはもう渋く逞しい中年男性がそこにはいた。ちょっと知らない人ですね。感想は以上だ。
英雄譚の中には、綺麗な顔をした若者が武功を立てた話もあった。多々あった。お父さんより多かった。だがそれがアンとは思わなかったので、ろくすっぽ読んでいない。感想は以上だ。
王はまだ姿を見せていない。基本的に王族は時間ぴったりに登場するのだ。
今回の主役である軍人達の中にも、こういった場が苦手な人は必ず存在する。通常壁の華となり回避する人々も今回ばかりはそうもいかない。何せ壁の華にまで人が群がっているのだ。
主要な面子を囲む輪から弾かれた人々が、空いている獲物へ対象を移し、壁の華が餌食となっていく。
可哀想だなぁと思いはするが、完全に他人事として見学に勤しむ。彼らには申し訳ないが、他者の災難は自らの予行練習となるのである。
そんな鬼畜生な見学に勤しんでいると、人の海をにこやかに掻き分けて向かってくる男に気づいた。あっという間に目の前まで来た男とゼノンが、親し気に話し始める。
「ゼノン、久しいな!」
「兄上もご健勝のようで何よりです。今朝は話す時間もなく、残念でした」
「全くだ!」
ゼノンは若くして二課長となったので、まだ二十代半ばだ。目の前の男も三十に届くか届かないかだろう。しかしその軍服には勲章が複数あった。そして体に纏う魔術の気配で、魔術師だと分かる。
「お前は身体が弱いからな。父上も母上も、私の安否よりお前の身体を案じていたぞ。無論私もな!」
「私はもう子どもではないのですがね……。それに父上も母上も、毎日兄上の為の祈りを欠かしてはおりませんでした。無論、私もですが。お怪我もご病気もなく、本当に何よりです」
「……相変わらず素直に嬉しがるなぁ。蛇ばかりを相手取った後だと、どうにも調子が狂う」
くしゃりと笑った人の胸元を見るに、魔術一課長のネス大佐だ。ネス大佐の顔は知らないが、ゼノンの実兄とは知っている。代々軍人の家系なので、ゼノンはあっちこっちにご親戚がいるのだ。
「兄上、彼女がミント・アベルジアです」
突然巻き込まれた理由はすぐ判明した。ネス大佐が振り切ってきた集団が、じりじり包囲の輪を縮めてきていたのだ。兄弟の再会も、餓えた獣達にはほんのわずかな足止めにしかならないらしい。
そうして、次に投入されたのが私らしい。紹介された私を見て、ネス一課長はぱっと相好を崩した。
「君がかのミント少尉か! 君が開発した魔動毛布、あれは本当に素晴らしかった! 魔術を使わない冬があんなに温かいものだとは! それに魔術瓶! あれもいい! スープも茶も冷めない! 戦闘で魔力を使い果たした後でも維持に回す力が必要ないのは、本当に、本当に有り難かったぞ!」
「お、褒めにあずかり光栄です、ネス大佐。お初にお目にかかります」
「おっと、これは失礼。礼を逸した。はじめまして、ミント少尉」
大きな掌が私の手を掴み、ぶんぶんと振る。大佐に褒められるなどかなりの栄誉だが、肩が、肩が抜ける。戦場を生き抜いた逞しい軍人の力は、杖より重い物は魔術で持つ二課の腕にとって、まるで暴風が如き威力だ。
「魔力を溶かした水に糸を浸けて作っていると聞いた一課も論文を取り寄せ皆で談義したものだ全くよく考えられているこれなら一個一個魔石を作り出す必要もなく大量生産も可能だ複数人同時作業も可能で魔術師の負担も少ないしかしよく魔力を溶かせるものだと感心したぞ皆も実験したがり桶を大量に使用し他の部隊から怒られてしまったよまったく君は天才だな!」
「そう呼んで頂けるような才はありませんが、細々としたコツはあります。ただ放出するのではなく、魔術を扱うように扱ってください。そうでなければ魔力はただ霧散していくだけです」
「魔力が溶け込み始めれば、感覚で分かるのか?」
「はい。何かに押し戻されるような圧を感じます。何度か溶かし込んでいく過程で濃度変更も可能ですが、対象に強度がないと負担が大きすぎますので調整が必要です」
「兄上、私も何度か挑戦しているのですがこれが中々難しい。水に馴染まぬのです。そもそも液体への魔術付与自体が大変難しい行為ですし、ミントが方向性を示してくれて初めて他の魔術師が機能するという現状でして、ミントがいなくては如何ともしがたく」
「我々も類似性の高い水性の魔術付与から試してみたのだがそれですら霧散するそれなのによく熱魔術を溶かし込めたものだ――……素晴らしいっ!」
身体を鍛えた軍人が突然弾けたような声を発するとどうなるか。私に大損害を与える。以上だ。
だがそこは魔術師。興味のある分野を話し出せば多少のことは気にならない。肩も鼓膜も何のその。熱が入ると声が大きくなり周囲が見えなくなり尚且つ早口になる。
ネス大佐と話したい集団がじりじり近寄ってきているのに、私達の熱が入りすぎて近づけない。仕様がない。研究者の性である。
しかし、全てを押しのけずんずん進んで来る猛者もいる。餓えた獣達の気迫のみならず、物理的な肉の壁すら意に介さない。体も大きければ態度も大きい。ついでに動作も煩ければ顔も煩い。
その名も、ルクトス・アベルジア。
そう、父である。
その父の陰には、フェカ少将の姿もあった。さすがに顔は知っているが、お会いするのは初めてだ。
父が豪快に笑う度、その胸元で黒い勲章が音を立てて揺れる。父だけでなく、あちこちの軍人の胸元には、自身の階級章と勲章、そして黒い勲章がある。
これは、軍属である身内が亡くなった際の意匠だ。フェカ少将は一つ、きっとお身内の物だろう。軍部の身内が亡くなった最初の公式な場では、故人の階級証を身に着ける。それが軍部での習わしだ。
だが、父やネス大佐は少し事情が変わる。胸元の黒い勲章は、身寄りのない部下達の分だ。彼らの命を纏って帰国した。
戦場で散った命と共に故郷へ帰還する約束を、軍人はこうして果たすのだ。
「熱が入っているねぇ」
「お前らはいつもそれだな!」
笑う父達の目が「全くこれだから魔術師は」と言っているが、同感だ。これだから魔術師は魔術馬鹿と言われるのだ。自覚はあるが、自覚程度で改善できるならば魔術馬鹿と呼ばれたりはしない。
「もうそろそろ陛下がいらっしゃるよ」
「これはフェカ少将。ルクトスはともかく、あなたにまでお恥ずかしい姿を」
少し気恥ずかしそうに笑うネス大佐に、フェカ少将は穏やかな笑顔で応じる。そして父は穏やかとは程遠い、大きな口で笑った。
「ネスも魔術のこととなると人が変わるんだよなぁ。だからこそ魔術師と言うべきなのかねぇ」
「さあなぁ。こればかりは性分としか言いようがないのだよ」
長く苦境を共にしてきたからか、大佐と父はとても気安い仲のようだ。今の軍は気安い関係で成り立っている部隊が多い。戦場帰りに限らず、皆そうなのだ。私としてはありがたい限りである。
堅苦しさが無意味だとは思わないが、気安いほうが気は楽だ。
最低限の礼儀は保ち、その塩梅は各自の采配に任せられていた。それができる人間だけが軍部に残っているともいえる。
「君がミント少尉だね。はじめまして」
「はじめまして。お会いできて光栄です、フェカ少将」
上官達が会話中、下士官である自分は静かに流れを見守るに徹していると、父の後ろにまだ誰かいることに気がついた。灯りの影響を誰より受ける白髪が現れ、思わず観察してしまう。
銀ではないのだなと改めて判断する。彼の年齢でこの色を纏っている事例は珍しい。それに通常の白髪よりも白が濃いように見える。染め上げたかのようなにはっきりした白だ。
それに、美しい顔をしている。
中性的な顔立ちが愛らしさを、整った顔立ちが美しさを。そして感情を乗せない表情が、それらを余計に際立たせている。
ちらりと視線を外して周囲へ流せば、彼へ視線が集中していることが見て取れた。指揮官の一人だった父に、一課隊長、その弟である二課隊長。
これだけ揃い踏みであれば、集まる視線は予想の範疇であったが、その視線はほとんど分散せず、彼へと集まっている。
彼のほうをぼぉっと見つめ、顔を赤らめている年若い令嬢も数多く見受けられる。成程、城内の混乱を予見した父は正しい。これは、既婚者にしておかないと血を見るだろう。
そうして私自身も既婚者である事実を思い出してしまった。
アン、未だ楽し気に会話を続けている父達、周囲を取り囲む獣達の若者以外。この中のほとんどが既婚者なんだなと思うと、今までは特に何とも思っていなかった事実が、凄まじい重量となってのしかかってきた気分だ。
多くの人間にとっては標準装備として交わされる契約。その名も婚姻。
それが自分事となった途端、急に狼狽えてしまう。相手がアンでさえなければ、こんなに動揺することはなかっただろう。
アン。大切なアン。大切な、私の親友。
手紙ではとてもとても仲良くなったけれど、実際に会っても今まで通り仲良くしてもらえるだろうかと不安だった。アンの親友として、私は合格だろうかと。
だがまさか、婚姻契約を結び、そして継続していく相手としての審査が始まるとは思いもしなかった。
どんなに大切でも、どんなに親しくても。友情と婚姻関係では、重視すべき個所が違う。アンは私をその相手に据えて、本当にいいのだろうか。
私もいつかは、必要に応じて結婚するかもしれないとは思っていたし、婚姻は人生の転換点の一つであると分かっていたが、どこか他人事のように思っていた。
それなのに、相手がアンになった途端、急にずしりと自分事になった気分だ。
誰に何を言われても気にならなかったのに、アンにどう思われるかが猛烈に気になる。
これが恋か。いいや動揺だ。
ちらりとアンを見れば、自身に向けられるどの視線へも反応を返すことはなく、微塵も揺るがぬ瞳で私を見ている。うむ。私は不自然にならぬ滑らかさを保ちながら、アンから視線を外した。
未だ一切逸らされぬアンからの視線を横顔に感じながら、アンにとってのさり気さなさの定義について思いを巡らせる。私がさりげなさについて擦り合わせの必要性を強く感じていた頃、刻限を知らせる鐘が鳴った。
王のお出ましである。
貴族は装飾品を、軍人は靴を慣らし、私はこれ幸いと身体の向きを変え、王族の入室を待った。




