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うまくやったわね。ちょっと心配になってきた。

あの夜のあとも、胸の奥に残った違和感は消えなかった。

大きな問題ではない。

ダイレンを疑っているわけでもない。

それでも、アンドレアとの電話を思い出すたびに、何かが引っかかった。

昔のアイリンなら黙っていただろう。

「考えすぎだ」と自分に言い聞かせて。

何もなかったことにして。

でも今回は違った。

数日後の朝。

ダイレンは玄関で仕事の準備をしていた。

鍵をポケットに入れ、スマホを確認し、鞄の中をもう一度見直す。

いつもの朝。

いつもの光景。

アイリンは少し離れた場所からそれを見ていた。

話すなら今しかない。

そう思った。

心の中で、オスクリタが壁にもたれながら腕を組む。

「へえ」

少し感心したような声だった。

「今回は逃げないのね」

アイリンは小さく息を吐いた。

緊張しているわけではない。

ただ、覚悟を決めているだけだった。

「ダイレン」

彼はすぐに振り返った。

「ん?」

「少し話したいことがあるの」

ダイレンは迷わず鞄を床に置いた。

「もちろん」

その反応だけで、肩の力が少し抜ける。

アイリンは彼の近くまで歩いた。

「大したことじゃないの」

そう言ってから苦笑する。

「たぶん」

ダイレンも少し笑った。

「その“たぶん”が気になるな」

そのおかげで少しだけ話しやすくなった。

「最近、帰りが遅いでしょう?」

「うん」

「それと……アンドレアから少し聞いたの」

ダイレンの表情がわずかに変わる。

でも、防御的な顔ではなかった。

ただ真剣に話を聞こうとしている顔だった。

「会社でのこと?」

アイリンはうなずく。

「あなたが注目されてることとか」

「相談を持ちかけられたり」

「そういう話」

しばらく沈黙が続いた。

重い沈黙ではない。

言葉を探している沈黙だった。

「責めてるわけじゃないの」

アイリンは先に言った。

「あなたを信じてないわけでもない」

視線を落とす。

「ただ、私はそういうのに気づいてしまうから」

ダイレンは何も言わずに聞いていた。

そして少し考えるように首の後ろをかいた。

その仕草を見て、アイリンは少し安心する。

彼が本気で考えているときの癖だったから。

「正直に言うと」

ダイレンがゆっくり口を開く。

「そこまで気にしてるとは思ってなかった」

アイリンは小さく笑った。

「私も話すまで分からなかった」

それが本音だった。

口に出して初めて、自分が何を感じていたのか理解できた気がした。

心の中でオスクリタが目を細める。

「なるほど」

少し間。

「大人の会話って意外と退屈ね」

アイリンは無視した。

今回は本当に。

ダイレンはしばらく考えていた。

そして、少し申し訳なさそうに息を吐く。

「たぶん、慣れてたんだと思う」

「注目されることに?」

彼はうなずいた。

「欲しかったわけじゃない」

少し間を置く。

「ただ、気にしなくなってた」

その言葉は意外だった。

でも、嘘には聞こえなかった。

「俺にとっては、いつものことになってたのかもしれない」

ダイレンは続けた。

「でも、君にとってそうじゃないなら、ちゃんと考えないといけない」

アイリンはゆっくり息を吐いた。

胸の奥にあったものが、少しだけほどける。

心の中で、オスクリタが腕を組み直す。

「ふうん」

警戒した声。

「予想よりまともね」

「全部変えてほしいわけじゃないの」

アイリンは言った。

「ただ、こういうことを黙っていなきゃいけないって思いたくない」

ダイレンはすぐに首を振った。

「黙らなくていい」

彼は一歩近づいた。

「話してくれてよかった」

そこに言い争いはなかった。

責める言葉もない。

どちらかが勝つ必要もない。

ただ、ちゃんと伝わった。

「これからはもっと気をつける」

ダイレンは言った。

「会社での距離感も、曖昧にしないようにする」

完璧な答えではなかった。

でも、現実的だった。

だからこそ、信じられた。

心の中で、オスクリタはじっとその様子を見ていた。

どこか疑わしそうに。

「これは……」

少し間。

「機能的すぎて不安になるわね」

アイリンは思わず笑いそうになった。

(私、黙らなかった)

オスクリタが彼女を見る。

「ええ」

静かに認める。

「黙らなかった」

その言葉は、思っていたよりも深く胸に残った。

しばらく二人はそのまま立っていた。

朝の光が玄関に差し込んでいる。

外では車の音が遠くに聞こえた。

いつもの朝なのに、少しだけ違って見えた。

ダイレンがそっとアイリンの手を取る。

その温かさに、彼女はようやく肩の力を抜いた。

「あ」

彼が突然、思い出したように瞬きをする。

「そうだ。言い忘れてた」

アイリンが顔を上げる。

「何?」

ダイレンの顔に、抑えきれない笑みが浮かんだ。

「今日、昇進が正式に決まった」

一瞬、アイリンは何も言えなかった。

それから表情がぱっと明るくなる。

「ダイレン!」

思わず笑う。

「すごいじゃない!」

「うん」

彼も笑った。

でも、まだ少し信じられないような顔をしている。

「お祝いの集まりがあるんだ」

少し間。

「一緒に来てほしい」

彼は手を握ったまま言った。

「君にいてほしいんだ」

その瞬間、何かが静かに噛み合った。

アイリンは話した。

ダイレンは聞いた。

何もかも完璧に解決したわけではない。

でも初めて、

彼女は全部を一人で抱えなくてもいいのだと感じた。

そのことの方が、

答えそのものよりも大事に思えた。

心の中で、オスクリタは珍しく黙っていた。

ただ見ている。

考えている。

まるで、彼女自身も何かを学んだみたいに。

そしてたぶん、

それこそが一番落ち着かなかった。

だって今回は、

アイリンは本当にうまくやったから。

驚くほど。

ちゃんと。



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