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ゼロの谷間


 私には胸が無い。

 

 顎と鼻の骨を折った小学5年生の運動会の日から早5年、中学3年生になった今でもだ。

 

 この5年間、私は常に胸の事を考えて生活してきた。 胸が大きくなるマッサージや食事をあらゆる媒体を使って調べ上げその全てを実践してきた。 

 

 だけど効果は全くなく私の胸は大きくはならなかった。

 

 所詮胸など脂肪の塊だと思い、暴食暴飲をした時期もある。

 

 その時も体重は増えたが胸は全く大きくならなかった。

 


 途中で諦めそうになった事もある。 

 

 貧乳はステータスであり希少価値であると言った言葉に希望を感じた瞬間もあったが、結局そんな耳触りの良い言葉に納得できる程、私は大人では無かった。

 

 ステータスだと胸を張る事より重すぎて肩が凝ると言う不満を叫びたかった。 

 

 同じ希少価値なら下振れじゃなく上振れして欲しかった。

 

 そんな思いがいつまでも脳内に蔓延り、私は今まで諦めないと言う選択肢を選び続けていた。

 

 


 ……だけど結局、この5年間で私の胸が大きくなる事は無かった。 

 

 

 流石にもう諦めた方が良いのかも知れない。

 そんな思いが否応なしに私の心を揺さぶっていた。

 

 



 そんなある日、格闘技の習い事を終えて家に帰るとお父さんからある提案をされた。

 

 

「結衣……まだおっぱいを諦めていないならお父さんの会社の被験者になって見る気はないか?」

 

「えっ? お父さん? 何を言ってるの?」

 

 この人は何を言っているのだろうと本気でそう思った。 

 確かにお父さんもお母さんも私が胸の事について悩んでいるのは知っている。

 一緒に住んでいるんだから当然だろう。 だけどまさか父親からこんな提案をされるとは全く思ってなかったのだ。

 


「いや、結衣がやりたく無いなら別に良いんだ、強制じゃないからな。 

 でもここ数年ずっとおっぱいの事を悩んでいる結衣を見てると……辛くてな。

 何とかしてやりたいと思ってずっと考えてた。 そして先月ようやくお父さんのアイデアを形にする事が出来たんだ、だから是非、結衣に使ってみて欲しくてな」

 

「お父さん……」

 

 お父さんがそう話した後で今度は隣にいたお母さんが声を出した。

 

「結衣、貴方はとても優しくて良い子に育ってくれたわ……でも貴方を巨乳に産んであげられなくてごめんなさい。 私の責任だわ、本当に悪い事をしたと思ってる」

 

「お母さんまで……」

 

 両親の辛そうな顔に私は声が詰まる。

 

 まさか私の胸の事でこんな思いをさせていたなんて……私はなんて親不孝者なんだろう。

 

「お母さんもお父さんもそんな気にしないで! 別にそこまで深刻な悩みじゃないの! ただ大きくなったら良いなーって思ってたくらいなんだから!! 

 それとお父さんが言ってた被験者ってのも、勿論やってみる! 折角お父さんが私の事を考えて作ってくれたんだもん!」

 

 私は精一杯の笑顔で両親に告げた。

 それくらいしか今の私に出来る事は無かったから。

 

「ほ、本当か! ありがとう結衣! じゃあ早速持ってくるからな!!」

 

 そう言い残すとお父さんはリビングの扉を勢いよく開けて自室へと向かった。

 

 あんな笑顔なお父さん初めて見たかも。 ふふっ、本当に一生懸命作ってくれたんだな。

 

 

 正直言って私は効果については全く期待してなかった。 

 この5年間失敗し続けた事もあったし、何よりお父さんの会社は主におもちゃを作っている所だ。 

 大方子供騙しのような物が出てくるだろう、だけど私はそれで良いのだ。

 お父さんの気持ちが何より嬉しかったんだから。

 

 

「持ってきたぞー! 見てくれ結衣! お父さんの経験、技術、全てを詰め込んで作り上げた最高最強のリアルおっぱいだ!!」

 

 早足で戻ってきたお父さんは銀色に輝くアタッシュケースを私の前に広げて、目を輝かせいた。

 

 

 最高最強のリアルおっぱいって……いくら何でも言い過ぎだし、流石に大声で言われると恥ずかしい。 

 まぁ一生懸命作ってくれたんだし、感謝しないとね。

 

 私はお父さんの言葉に照れながらも、そのままその中身に目を向けた。

 

 

「……えっ? な、何これ??」

 

 

 その中身に言葉を失い、私の視線はその物体から一切逸らす事が出来なくなっていた。

 

 不自然さの無い艶に、触らずとも分かる張り。 形は綺麗なおわん型で見る者の視線を釘付けにしてしまう程の魅力。

 

 

 そのアタッシュケースには私が今まで脳内で描いていた理想のおっぱいが納められていた。

 

「これを結衣につけて欲しいんだ。 勿論、これはただのパッドでは無い。

 つける事により微細な電磁波を流し本来の胸のバストアップにも期待が出来る。 

 これは我が社の技術の結晶なのだからな」

 

 混乱する私にお父さんはドヤ顔でそう告げた。

 

 つ、つける? この胸を私が? それに我が社って一体どう言う事? ……もしかしてお父さんの会社って。


「ね、ねぇお父さん? お父さんの会社って子供用のおもちゃを作ってるんじゃないの?」

 

 震えてしまう声で私は尋ねた。

 

「ん? あぁ、そう言えば結衣にはまだ言ってなかったかな。 本当は高校生になったら言おうと思っていたんだが順番が逆になってしまったね。 

 お父さんの会社は確かにおもちゃを作っている会社だが、子供向けではなく大人向けのおもちゃなんだ!」

 

 そう言ってお父さんは大きな声で笑い、お母さんも釣られる様に笑っていた。

 

 

 ……う、嘘でしょ? じゃあ、前に男子にお前の家のおもちゃ良かったぞって揶揄われたのってそう言う事だったの?

 な、何も知らずにお礼言っちゃったんだけど。 

 

「まぁお父さんの会社が何であれ今は置いておこうじゃないか。 どうだ結衣? 早速着けてみないか?」

 

 私の混乱を他所にお父さんはケースの中身を取り出して私に渡してきた。

 

 

 いや、そんな簡単に言われても! どこかに置いておける話題じゃないと思っ……や、柔らかっ!!

 

 お父さんからそれを受け取った時、私の脳内はその単語で埋め尽くされた。

 

 何これ! 柔らかい! こんな物体初めて触ったわ! こんなの、こんなの持たされたら!!

 

「………ちょっと付けてみる」

 

「本当か! じゃあお父さんはあっち行ってるな! 着け方はお母さんに聞くと良い! 終わったらまた教えてくれ!!」

 

 そう言ってお父さんはそそくさとリビングを後にした。

 

 


 

 そこから先はずっと興奮してばかりだった。 

 

 お母さんに着けるのを手伝って貰い、急いで服を着た。 

 今までなかった確かな重量感と全身を包み込む幸福感に両親からの賛辞と拍手。

 

 今まで生きてきた人生の中で最高の経験だった。

 

 勿論、この幸せは紛い物だ。 日にちが経てばきっと少しずつ嬉しさは減少し、後には虚無感が押し寄せるのだろう。

 

 だけど両親のお陰で胸がある事の幸せは確かに感じる事が出来た。

 


 

 私はもう一度誓う。

 

 せめて高校生活の間は夢を諦めない。 そして今度はこの気持ちを紛い物じゃなく本物で感じようと思う。

 

 幸い、私の行く高校には知り合いは一人も行かない。

 だからこれを着けるのは今は家の中だけだけど、高校生になれば着ける時間を増やせるし、そうすればきっと効果も上がるだろう。 

 そうすればもしかして……。

 

 思わず笑みが溢れそうになるのを堪えながら私は両親のお礼を言い、お父さんに胸の取り扱いを詳しく確認した。

 


 途中、お父さんが好きな男の子のマッサージに勝るものは無いと言っていたが、私の高校は女子しかいないのでそれは流石に厳しいそうだ。 

 



 その後、もう一度両親にお礼を告げて、私は何とも言えぬ一体感を感じながらベットに入り眠りについた。

 

 毛布がいつもより膨らんで足元が見えなくて、なんだかとても幸せな気持ちになった。

 

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