080 バランス に ついて
「何事も、バランスが大事である」などと、格言めいたことを言ってみる。何なら腕を組んでそれらしいポーズをとってみせよう。威厳が出ていそうだが、画面越しに伝わらないことが残念だ。…まぁポーズ云々は冗談だが、これは本当のことだと思う。数少ない本当のことだ。世の中、一にバランス、二にバランス、三四が無くて、五にバランスである。つり合いが保てないと、人は容易く堕ちていく。あるいは破綻してしまう。
心のバランスは目に見えない分、注意が必要。そもそも目に見えない「心」という曖昧な存在を信じることから、バランスを取ることは既に始まっている。無自覚より、自覚的な方が制御がきく。それは、視界に入ることのないもの全般に言えることだ。幽霊しかり、神様しかり。あると信じているから、それを前提にして考えられるのである。無いことを前提にすると、どうでもいいことで躓く。石などないのに躓く。
『私は今、チョコレートのお菓子を食べているけれど、これは私がチョコレートが好きだから食べているのだったか、それとも私が知らないうちに口に運んでいたのか。後者なら、私の存在はこの「チョコを食べる」という選択に関わっていないことになる。食べたいと思って食べたわけではないのだから。では、誰なんだ? 私とは誰なんだ?』。こういう風に自我が保てなくなる。疑うことは必要だけれど、疑い過ぎると綻びが大きくなっていって、やがては砕け散ってしまう。人間関係もこれで壊れることが多い。信じるということは、難しい。
体のバランスは、管理的な思考を必要とする。歪みは日常からくる。普段の姿勢を振り返ってみてほしい。足を組んだり、片足に重心をおいた立ち方をしたり、頬杖をついたり、背中を丸めていたり…。数えあげればきりがないが、チェック項目を作ってみると、意外とマイナスの評価が多い場合がある。そんな場合は、意識的に姿勢を作らなければならない。普段背中を丸めている人は、少し胸を張り続けるだけで辛く感じる。私の場合がこれだ。猫背が癖になっていて、胸を張り続けるのが辛い。
だが、人にとって背中を丸めた姿勢というのは、通常の姿勢ではない。ので、体は必要のない負担を強いられている。その他、足を組んだり頬杖をついたりするのも、体に負担をかける。骨盤は歪み、内臓脂肪は下に下がり、筋肉のつき方はおかしくなり、見た目も歪んでしまうのだ。綺麗な姿勢、体に優しい姿勢を取り続けるためには、絶えず確認することが有効だと思う。きちんとできているか、崩れた姿勢になっていないか、などと自分自身を管理する目が、歪みを減らしてくれる。
食事や睡眠も体のバランスに関わってくる。食事は何かに偏ることなく、満遍なく多種多様な食材を取り入れなければならない。偏食は、長い時間をかけてゆっくりと体のバランスを破壊していくもの。肉だけでなく野菜もきちんと食べなければならない。血流どろっどろになって詰まってしまってもしりませんよ。炭水化物ばかり摂っていませんか? 食べる量だけでなく、質にも気を使いましょう。睡眠はなるべく時間を取ること。いっぱい寝れば良いというわけでもないけれど、全く寝ないと、体だけでなく精神も摩耗する。
言葉のバランスは、他者との間で決定される。一人で書いているうちは、バランスはあまり関係ない。書きたいように書くばかりである。しかし、これが二人や三人になってくると、バランスの問題が出てくる。いずれにしろ、人から発せられる言葉には何らかの色が付くものだけれど、マイナス方面に偏った言葉は毒毒しい。一人で書きたいように書くとは、この毒毒しさを隠さない、あるいは隠せないということでもある。読者のことを考えた言葉選びは、バランスをとる行為だ。それが文章全体のバランスをとることにも繋がる。
まぁ、私はあんまり考えてない。だからバランスが崩れていく。多少の考慮はするが、基本的に自己中心的で読むに堪えないことが多い。安定させたいとは思っている。少しは…。黄色や緑色の言葉が好きだという人もいれば、紫色や黒色が好きな人もいるので、私は後ろの人たちに思われればそれでいい。たとえ彼等にさえ思われなくても、まぁ、それならそれで。来るもの拒まず、去る者追わずが信条ゆえに。
バランスをとるのは、簡単なようでいて案外難しい。きちんととれていると思っていても、スコンと足元を外されて転んでしまうことがままある。日々確認が必要。心も体も言葉も、それ以外のあらゆるものだって、みんな天秤の上にのせられている。残念なのは、実体がある状態で見ることができないということだ。実際に秤の上にのっているのを見れたなら、簡単にバランスをとることができそうなのに。本当に、世の中ままならない。




