079 団扇 に ついて
小学生の頃、暑い日の授業中には、下敷きを団扇代わりにして、顔を扇いでいた。何もしないよりはいくらかマシになる程度だったが、あるのとないのでは大違いである(精神的に)。中学生の時も同様にしていたっけ。でも、途中から扇風機が導入されたから、幾分か涼しくなったことを覚えている。
しかし、涼しくなったとはいえ、「多少は」である。比較してみると、暑さはあまり変わらない気がした。無風が風有り(生ぬるい)に変わっただけだ。まぁ、暑いと風を求めてしまうのさ。少しでも涼しくなりたくて、ね。
それで言えば、下敷きを扇ぐことはやめられなかった。扇風機が導入されても、風がずっと自分に向かって吹いているわけではないので、風向きが変わると無風になるのである。幾つか扇風機は設置されていたのだが、常時風が送り込まれるエリアなどない。一瞬は無風地帯が生まれてしまう。だからこそ、扇風機がありながらも、涼しくなりたいがために、下敷きを扇ぐことはやめられなかった。
思い返すと、下敷きを扇ぐたびに注意された記憶もある。先生が真剣に授業をしているのに児童生徒の君たちが下敷きで顔を扇ぐとは何事か、と。だが、そうせざるを得ない状況をつくること自体が間違っているのではないか? そう、茹だった頭で考えていた。暑さに慣れなさいとは言うけれど、三十度を超える気温の中で、風も無い状況に一瞬でも放り込まれたら、誰だってだらけてしまう。そもそも人が正常に生きることのできる温度ではない。私は、だから、夏の暑さが嫌いだ。
さて。これまで代替品の話しかしなかったけれど、団扇そのものを使った記憶について思い出そう。と言っても、そんなに多くの思い出は無い。印象的な出来事も無い。何故なら、エアコンという最強の機械が存在するから。団扇で扇ぐよりも、効果的に体を冷やしてくれる。夏のお風呂上りなどは、たいへん気持ちいい。火照った体を伴って、冷房で冷えた部屋に入った時など、まさに天国。合わせて扇風機も使えば、より早く体を冷やすことができる。銭湯などでは、扇風機を置いている所もある(残念ながらエアコンは無いけど)。しかし、団扇はないんだよなぁ。
やっぱり、少しの風が欲しい時でも、扇風機の方が良いのだろう。余計な労力を使わないで済むから。団扇は手で扇がないといけない。つまり、余計な労力を使わないといけない環境でしか、もはや団扇は使われなくなってしまったということか。思い返してみると、団扇を使うのは、エアコンなどの機械類が無い時。屋外にいる時などなど。そういえば、酢飯を作る時などに使ったりもしていた。人の手による繊細な風おくりが、重要なのだろう。扇風機で無難に済ませるよりも、団扇で扇いだ方が味も良くなるのかもしれない。手で扇いだ風に、何か味を良くする効果があるわけでなし、多聞にして思い込みが先行している気がするけれども。
ところで、団扇団扇と言っているが、何故「団扇」なのだろう。漢字の「扇」は何となく分かるが、「団」が何を示しているのか分からない。昔の富裕層が集団で扇がせたから、みたいな? よく分からなかったので調べると、二つの話が出てきた。団扇は、どうも中国由来の言葉らしいというのは同じだが、「団」は丸いという意味が一つ目。そして、「団」の旧字である「團」が、まとめたもの(つまり、竹ひごや木片などを骨として紙、絹布などを貼り付けたものを一箇所でまとめた道具を指す単語となった)を意味するのが二つ目。
丸いと言えば、思い出がある。以前、夏の高校野球を観戦するために、甲子園に行ったことがあるが、そこでもらった団扇が、本当にまんまるだった。通常の団扇の「柄」に値する部分が存在せず、持ちやすいようにというか扇ぎやすいようにというか、指をひっかけるための穴が一つ、ぽっかりと開いていた。判断に迷うが、あれも団扇と言っていいのだろうか。多分大丈夫だとは思うが、いやはや、団扇には色んな形があるんだな。
だが、一つ目の丸いからという理由は弱い気がする。最近の話か。想像の話か。形から連想された意味だとは思うのだけれど。二つ目の話は、参考文献として「日本国語大辞典」小学館、「常用字解」平凡社、「岩波中国語辞典」岩波書店 の三つが挙げられていた。手元に無いので確認はできないのだけれど、恐らくこちらの意味が近い気がする。
私の家にも団扇があるが、名を知っている団扇でも知らない領域があるってのは、少し恥ずかしい心地がした。
参考サイト
・株式会社 かぐや姫 >うちわのマメ知識
http://www.utiwa.com/kaguyahime/knowledge/report.htm
・Yahoo!ジオシティーズ の ブログ?サイトの一つ。 >扇、団扇と扇子
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Icho/9322/a120821a.html




