028 こどもの日 に ついて
「こどもの日」である。
こちらは今日、綺麗に晴れていた。そちらはいかがだっただろうか。
こんな日は、多くの人が観光地に出かけている様子が目に浮かぶ。多くの家族連れ、子どもの笑い声…。
「こどもの日」は本来、「端午の節句」という男の子の健やかな成長を祝う日であった。1948年に定められた国民の祝日法(省略名)により、現在の形になったそうな。
ちなみに、何故平仮名で「こども」なのか。
漢字表記の「供」が大人の手下のようなイメージがある、と一部の団体が声を上げたことや子どもにも読めるようになどの配慮があったという。「供」は別の理由で使われていたが、そぐわないと感じさせることもあるのだという一例であった。
昔、私の家では庭にこいのぼりを上げていた。それこそ、「屋根より高いこいのぼり」だ。しっかりとした木材を地面に立てて、そこにこいのぼりを上げていた。その姿は風になびかれ、見る者に不思議な心地良さを与えていた。こどもの日は、そこかしこにこいのぼりが見られ、つい昔を懐かしんでしまう。それと同時に、子どもの成長を願う親がきちんといるのだと思うことができ、親でもないのに嬉しくなる。
大きなものでなくても良い。近年は、アパートやマンションでも飾れるように、小さいサイズのこいのぼりが売ってある。それらを飾って祝うのでも何ら問題は無いと思う。どれだけお金をかけたかではなく、どれだけ子どものことを想っているのかが重要なんだと思う。
まぁ、歌のようにはできないかもしれないけれど、こどもの日のためにこいのぼりを用意してくれたというのは、子どもたちの記憶に残るはずだ。何もしないよりかは、遥かにマシ。時には、余所の家と大きさを比較されて凹ませてしまうかもしれないので注意が必要だな。
「元は端午の節句で、男子のみだったのが女子を含むようになった」というのはさきほど書いたことだけれど、兜を飾る家は減っただろうか。単体で買おうとしても結構な値段しそうだしな…。おじいちゃんおばあちゃんが孫の為に用意してくれることもあるんだろうな。兜はカッコいいから、男の子が喜びそう。そうなると「私には何かないの?」と女の子が駄々をこねそうなものだ。「あなたは雛祭りがあったでしょ」というお母さんの声まで聞こえてきそうだ。
子どもが多い家は特に大変そうだ。男の子だけでなく女の子もいるなら、なおさら。
でも、和気藹々として賑やかそうでもある。喧嘩も絶えないだろうけれどね。
子どもはよく喧嘩しているイメージが私にはある。まぁ、そんなことはないのだろうが。些細なことがきっかけで、感情の制御が外れてしまうのは、あの時期にはよくあることだろう。私も妹と弟と、よく喧嘩をした。主に食べ物関連で。人がせっかく育てたしゃぶしゃぶの肉を、わがもの顔で横からかっさらっていくのだから頭にカチンときたのだ。いやぁ、若かったわ。
他には、おもちゃの取り合いで喧嘩になったこともある。何のおもちゃだったかは生憎と忘れてしまったが。
これは兄弟(兄妹)に限らないことか。子どもと子どもが集まれば自然と生まれてしまう問題だな。
しかしその「喧嘩」は、子どもが健やかに成長している証ともいえるのかもしれない(勿論、それ以外の喧嘩もあるだろうけれど)。初めは自分のことしか考えていなくても、ふれあい傷つく中で、相手を思いやることを覚えるだろう。暴力的な面に引きずられて否定的な気持ちになるのも分かるが、そこから成長してくれるのなら仕方のない事なのかもと思ってしまう。だからといって喧嘩を推奨するわけではないけれど、ね。
「こどもの日」ということで、喧嘩の話を交えつつ、自分の子どもの頃をいくつか思い出して書いてみたが、良い行事だなという想いが強い。
できるなら、いつまでも残っていてほしいものだ。
子は宝。未来を作っていく眩しい存在には、素敵な人生を送ってほしい。強く願っている。
参考HP
・日本文化いろは事典 http://iroha-japan.net/




