027 憧れ に ついて
後半熱くなってしまった。
「憧れ」というのは、誰かを尊敬し、自分もそうなってみたいと思う感情のことだと思っている。尊敬がなかったら、「嫉妬」に近づいてしまう。最初は「憧れ」だったものが「嫉妬」になってしまうこともあるだろう。
夢を見ているうちは楽しいのだけれど、覚めると現実に引きずり落とされて痛い。突然、熱湯風呂に入ってしまったような、そんな気分も漂う。わぁ~気持ちよさそうって思って入ったらそれは熱湯…。
世間的には「嫉妬」は良くないという見方が多いだろうが、私は嫉妬も必要なんじゃないかと思っている。とは言っても、自分がその対象になったり、嫉妬する状況になったら、嫌だなと思うけれども。暗い感情を持つのは良くないのかもしれない。心が弱っていたりすると容易に囚われてしまうから。しかし、囚われていた時の気持ちはその時にしか感じ取れないものだろうし、他者を理解・共感するのには必要なことだろう。
高校の部活動で、教えてくださっていた先生が次のようなことを言っていた。
「素直な負けず嫌いになりなさい」
実際は言ったんじゃなくて、紙に書いてあるやつを渡されたのだけれど、当時思ったのは、負けず嫌いに素直も何もないんじゃないのかってことだった。それなら、相手を研究しろだとかの方がストンと理解できた。いや、言いたいことは分かったが。上手い人を見て、嫉妬したりするのではなく負けたくないなって純粋に思いなさいって感じのことだろう。でも、どちらにしても、負けたくないなって思った時点で嫉妬の感情は否応なしに混じると思った。
言葉遊びをするのも良いけれど、格言みたいのはストレートに言ってもらった方が好きだな。でないと、正面から気持ちに向き合っていなくて何か不誠実な印象を受ける。勿論、比喩とか混ぜた方が魅力的に感じることもあるにはある。
嫉妬のことばかり話したので、憧れについて話そう。
あなたには、憧れの人はいるだろうか。誰でもいいのだけれど。
最近、私は憧れの人ができた。誰もが一度は耳にしたことがある名前だ。一度覚えたら忘れることはまず無い名前だと思う。短くて覚えやすいし、印象的な絵を描いた人だから。
その人の名前は「ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ」。小学生の頃、図書室にあった偉人の伝記シリーズの中にもゴッホの本があったように思う。一度読んだことを薄っすら覚えている。その時は憧れるほどではなかった。向日葵の絵の方に気をとられていた気がする。
憧れるきっかけになったのは、この前読んだ『ゴッホの手紙』(上・中・下巻)。硲伊之助さんが訳した、ゴッホが実際に書いた手紙が載っている。全てを載せているわけではなく、膨大な量の中から選んだものだ。
この『ゴッホの手紙』は、吉田基已さんの漫画『夏の前日』で、主人公の青木哲生が友人に紹介されていた場面を読んで知った(『夏の前日』は、五巻で既に完結している作品。長すぎず短すぎずの量なので、興味があればどうぞ。芸術大学学生のお話です。ちょこっと官能的)。この『夏の前日』を読み終わって、二年くらいしてから購入し、最近読了した。
私は、絵のことはそこまで踏み込んでいないし、背景も分からないけれど、読んでいる最中はゴッホを友のように想って読んだ。まだ一度しか読んでないし、大げさなことを言えばぼろがでるから、素直な感想を述べることにする。
お金が無いというのはかなり切実な問題だ。明日への希望の何割かはお金が占めていると思う。ゴッホは生活費に加えて、道具の費用がかかるから結構ぎりぎりの生活を強いられていた。そう、「強いられていた」。もっと評価されてもっと絵が売れていたならば…、そう思わずにはいられない。しかし、ひりひりした空気だけではない。風景に潜んでいる美しさや、人との触れ合いの中で感じたことを明るく話す彼もいる。
時には、自分の耳を切り落としてしまったりもした。
けれど、彼こそ芸術にその人生を費やした者の内の一人だと思う。確かに思う。
弟のテオの存在も大きかった。彼の理解者の一人だ。弟の支援が無ければ、ゴッホは絵を描けなかった。他にも、彼の周りには様々な人間がいたけれど、血のつながった兄弟が一番傍にいたのかもしれない。物理的な距離を超えて、芸術に手を伸ばす彼らが、ひどく眩しく見えた。
正直うらやましかった。憧れよりも先に嫉妬を感じた。けれど、嫉妬は憧れに変わった。
今までは、憧れの人とか尊敬する人とか聞かれた時、上手く答えられなかったけれど、心から答えることができる人ができた。
それが、ただただ、嬉しい。
誰しも、好きなもののことを語る時は熱くなるものさ。




