023 「はい、笑って」 に ついて
強制されているようにしか思えん。
よく聞くのは、写真を撮る時だろう。というか、他に使いどころあったかしらん。
「笑え」というけれど、いきなり笑顔を作るのは結構難しいと思う。サブタイトルの言葉を聞く度に、心からの笑顔は貴重なものなのだなって感じた。
そもそも何故笑顔ばかりを求めるのか。それは、笑顔に取り付けられたタグが原因なのではないかとにらんでいる。タグ、「勝手なイメージ」とも言えるかもしれない。あるいは、「属性」や「印象」とか?
何事にも言えると思うのだけれど、人間が観測するが故に、見られた事物には「印象」が生まれるはずだ。
初めてタコを見る者は気持ち悪いと思うかもしれないし、他の似たような生物を見たことがある者には何とも思われないかもしれない。吸盤が好きだ嫌いだ、足が何本もあるのが嫌、ぬめぬめがたまらない、などなど抱く感情は様々だろうが、その感情も印象が影響していないとは言い切れないだろう。
それまで生きてきた経験で変化したりもするけれど、大体の平均値が印象を形成することがある。
タコを例に出したことにあんまり意味は無い。考えてほしかったのは、「印象」についてだったから。さきほど「大体の平均値が印象を形成することがある」と書いたけれど、それでいうと、笑顔は結構な印象操作が行われていると思う。まぁ、顔という身体の一部分で、しかも感情を見出すことのできる重要な部分であるから、印象とは切っても切り離せないのだろう。
では、「笑顔」の印象とは何か。大御所では「快活さ」や「楽しさ」、中堅では「美しさ」や「命の輝き」、若手では「腹黒」や「無理矢理感」とか? 勿論、私の勝手な「印象」なのだけれど。
しかし、やはり笑顔を見ると「楽しそう」というのが普遍的なイメージなのは間違いないと思う。そこに声音や動きまでついたら言うまでもない。快活さは反対のイメージと対立しながら形を保っている感じがする。無表情とか怒った顔が対極に位置するのだろうけれど、それらが笑顔の印象をより強めている、みたいな。
「美しさ」や「命の輝き」というのは、派生形だな。より深く掘り下げていくうちに見つけたイメージなのかもしれん。
「腹黒」や「無理矢理感」は、マイナスイメージからの派生だ。大御所たちとは全くの逆だ。「腹黒」は一見して不具合が見つからないが、内側に黒い感情を持っている感じで、「無理矢理感」は表情筋を普段から鍛えていない感じがある(私のことだ)。
写真の中の笑っている人を見た時に、すぐ思わせられるのは「楽しそう」だ。しかし、雰囲気は伝わっても、その笑む人が心からそう思っているかは分からないはず。私は盲目的に信じることができない。醜いなと素直に思う。
たとえばの経験談を話す。
卒業写真。
強制した感じが好かない。ありのままでは駄目なのか、と。無理に笑ってやったが、何だかチグハグな感じが否めない。私は、歯茎を出すのが嫌で、控えめに笑う方が好きだ。口角がわずかに上がった、ささやかな微笑みが好きなのだ。しかし、写真屋には強引な者もいて、私自身の意思など無視した。「皆笑っているからお前も笑え」って言葉が透けて見えた(多分、思い込みだろう)。軽口で何とか笑わせようとすることもあったが、出たのは苦笑いである。別に、快活でなくともよかろうが…。そう思いつつも面倒な圧力には勝てず、嫌嫌、指示に従うのであった。
私は基本的に暗いので、素で笑って輝いている人を見ると嫉妬してしまうけれど、同時に素敵だなとも思う。自分もできるだけそんな風に生きれたらなんて考えるけれども、難しい。
俳優さんとか、自分と演じている時の境が曖昧になってしまわないのだろうか。日常生活を大事にしていないと、すぐ取り込まれると思うのだが。演じている自分も自分ではあるだろうがやはり作り出したイメージを演じるので違いは出るはず。その差に潰されるなんてこともあるはずだ。彼等には、心健やかに生きてほしいと願わずにいられない。
「笑って」という言葉は決して良い意味だけではないから、変におかしな方に考えてしまうのだな。
今後はなるべく邪推を控えようと思う。
一回間違えて『アンデルセンの童話』の方に投稿してしまった。
反省。




