第1話「Forever Local」
金曜日の夜は、いつも同じ匂いがした。
油の混じった焼き鳥の煙と、古い畳のような湿った空気。それにアルコールの匂いが重なって、店の外に出てもなかなか消えない。
その居酒屋の名前は特に覚える必要がなかった。彼らにとっては「いつもの店」でしかなかったからだ。
店の奥の四人掛けテーブルには、いつも同じ顔ぶれが揃っていた。
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「おいナオト、遅いぞ」
最初に声を上げたのはケンジだった。
35歳。河合町ソールズの中心人物。体格がよく、声も大きい。昔からリーダー扱いされてきた男だ。
ナオトは軽く頭を下げながら席に座る。
「すまん、仕事がちょっと長引いて」
「仕事って言ってもよ、どうせ大したことやってねぇだろ」
笑いながらそう言うのはタカシだ。細身で落ち着きがない。いつも何かに追われているような目をしている。
「まぁまぁ、今日は飲む日やからな」
そう言ってグラスを掲げるのはシンジ。会社では中堅どころだが、この場では上下関係はあいまいになる。
ユウスケはその横で黙ってビールを飲んでいた。いつも一番に空気を読む男だ。
この四人が中心だった。
そして遅れて、もう一人アキラが入ってくる。
「悪い悪い、残業でさ」
そう言いながら席に着くと、ようやく全員が揃った。
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最初の一杯は、誰も疑問を持たない。
「とりあえず生で」
その言葉だけで注文が決まる。
ジョッキが並び、乾杯の声が重なる。
「おつかれー」
それは儀式のようなものだった。
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ケンジが笑いながら言う。
「なぁ、やっぱ地元の友達っていいよな」
誰も否定しない。
むしろ、それ以外の答えを持っていない。
ナオトはその言葉を聞きながら、少しだけ違和感を覚える。
地元の友達。
それは安心でもあり、同時に逃げ場のない関係でもあった。
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「で、ナオトはどうなんだよ」
タカシがビールを飲みながら言う。
「資格の勉強とか言ってたよな?」
ナオトは少し言葉に詰まる。
「まぁ…ちょっとずつはやってる」
その答えに、ケンジが笑う。
「ちょっとずつってのが一番ダメなんだよな」
「やるなら一気にやれ。一気に」
その言葉に誰も疑問を持たない。
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ユウスケが静かに言う。
「でもさ、今さら資格取っても変わるか?」
その一言で空気が少しだけ重くなる。
だがすぐにタカシが笑い飛ばす。
「やめろやめろ、そういう真面目な話は金曜にするもんじゃねぇって」
グラスが再び持ち上がる。
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二杯目、三杯目。
時間の感覚が少しずつ曖昧になる。
誰も時計を見ない。
誰も終電を気にしない。
ここでは「終わる時間」を決めるのは店ではなく、誰かが潰れるまでだった。
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ケンジがふと口を開く。
「そういやさ、この前後輩が代行使って帰ったんだよ」
「ダセぇなって思ってさ」
タカシが笑う。
「それはダメだわ」
ユウスケも小さく頷く。
ナオトは何も言わない。
その沈黙が、すでに同意とみなされる空気だった。
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「近いしさ、別に運転してもいいだろ」
誰かがそう言った時、誰も止めなかった。
止める理由がないのではなく、止める役割を誰も引き受けなかった。
その空白が、このグループの一番危険な部分だった。
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店のテレビではニュースが流れている。
どこかの事故の話。
誰かが飲酒運転で捕まったという話。
しかし彼らは笑いながら言う。
「まぁでも、あれは運が悪かっただけだろ」
その言葉が、この物語の最初の歪みだった。
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ナオトはグラスを見つめながら思う。
この時間は楽しいのか、それともただ慣れてしまっただけなのか。
答えは出ない。
ただ、ここから抜けるという選択肢が、少しずつ小さくなっている気がしていた。
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ケンジが立ち上がる。
「次行くか」
その一言で流れが決まる。
誰も「帰る」とは言わない。
言えないのではなく、言うタイミングを失っている。
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外に出ると夜風が少し冷たい。
車の鍵を回す音が聞こえる。
誰の車かは問題ではない。
問題は、それが毎週繰り返されているということだった。
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ナオトは一瞬だけ空を見上げる。
星は見えない。
街灯の光だけが、地元をぼんやり照らしている。
その光は優しくもあり、逃げ場を塞ぐ壁のようにも見えた。
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ケンジが笑う。
「じゃあ行くぞ、いつものコースな」
その言葉に、誰も逆らわない。
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ナオトは車に乗り込む前に、一瞬だけ思う。
(このままでいいのか)
しかしその問いは、エンジン音にかき消される。
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車はゆっくりと動き出す。
金曜の夜はまだ続く。
終わる気配は、どこにもなかった。
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そして誰も知らない。
この「いつもの金曜日」が、やがて誰かの人生を確実に壊していくことを。
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それでも彼らは笑いながら進んでいく。
それが「Forever Local」の始まりだった。




