鏡の湖(終)
「……また会えたね。私の最も誇り高く、美しかった、名もなき影よ」玉座から響いたのは、鈴の音のように清らかな声だった。
そこにいたのは、身体の半分が透明な硝子と化し、その奥に世界中のあらゆる「色彩」と「愛執」を閉じ込めた美貌の神だった。
彼が流す涙だけが、一滴ごとに本物の色を帯びて湖へと溶け落ちていく。
王の双眸が、男の携える「錆びた剣」と、その一部に宿る銀色の輝きを見つめる。
「やはり、君は戻ってきたのだね。自らが望んだ『虚無の安らぎ』を、その手で引き裂いてまで」
「王よ……。私は、かつてあなた方に何を強いたのだ」男の問いに、色の王は憐れむような微笑を浮かべた。「君は、彼女の死を受け入れられなかった。愛ゆえの執着、裏切り、嫉妬、別れの悲劇――それら全てから彼女を、そして世界を救うために、君は『色(愛執)』を消し去ることを望んだ。君が自分を空っぽにしたのは、彼女を失った絶望に耐えかね、自ら望んだ処置なのだよ」王の言葉が、男の胸の空洞を容赦なく抉る。
「今、君の中に微かに灯るその面影を、本当の『色』に戻したくば、私を斬るがいい。だが、忘れないでほしい。愛を取り戻すということは、かつて君を狂わせた、どろりとした愛憎の地獄をも再び呼び覚ますということだ」「惑わされるな!」妖精が空中から叫ぶ。その声はいつもより焦りを帯びていた。
「記憶を取り戻さなきゃ、君はただの器だ! 自分のしたことを、その目で確かめるんだ!」男は、湖面に映る彼女の鮮やかな後ろ姿をもう一度見つめた。
胸を締め付けるこの痛みが、どれほど世界を歪めたとしても、やはり、彼女をこのまま終わらせるわけにはいかない。
「……私は、目を逸らさない」男は透明に透け始めた錆びた剣を構え、かつての主へと地を蹴った。王は避けることなく、両腕を広げてその一撃を迎え入れた。男の剣が王の硝子の胸を貫いた瞬間、世界中の「執着」と、せき止められていた「真実の色彩」が、凄まじい濁流となって男の魂へと逆流し始めた。
「ああ……これで、私の孤独も終わる。行きなさい、友よ。狂おしき愛の先で待つ、彼女の元へ……」王の身体が色とりどりの光の粉となって弾け飛び、それと同時に、男の剣の錆がさらに剥がれ落ちた。
そこには、「彼女の髪(あるいは瞳)の色」と同じ、鮮やかな藍色の魔石が、涙のように埋め込まれていた。




