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祭前夜(1)

 

  

  

  

  

  

 未明に舞いだした雪は明け方まで続き、朝には指先一つ分程の量(かさ)にまでなった。陽が昇ると程なくして雪は溶けていったが、朝方に村が白一色に染まったことは村人の誰もが知るところとなった。


 覚悟はとっくに決まっている、筈だったがいざその日を迎えてみると皆が狼狽えていた。

 アキは上掛けを頭から被り布団の中に籠もった。母は朝から何度も井戸に水を汲みに出ては空手のまま帰ってきた。父は室内を意味もなくうろうろと歩き回り、疎かになった足元のせいで火鉢や柱に向こう脛や足の小指を何度となく打ち付けていた。マナカはそんな父母のぼんやりと眺めながら、手に持っていた白湯を零してできた軽い火傷を意味もなくさすっていた。朝餉の準備が出来る者など誰一人として居なかった為に朝から何も食べていなかった。


 陽が中天に差し掛かったところで、年寄り組の中でも年若い男がマナカ達の家を訪(おとな)い、陽が落ちてからニ刻後に迎えに来るので支度をしておくように、と告げて去っていった。

 それから先は目まぐるしく時間が過ぎていった。母親は竃で沢山の湯を沸かし、マナカを隅々まで時間をかけて洗った。父親はマナカの知らない薬草の根をごりごりと石臼で砕き、湯で煮出してから清められた布で濾していた。父親が村年寄りから下げ渡された布は、母親が幾日もかけて一枚の着物に仕立てていた。頭に同じ布で作った頭巾を被ると、目元に影が出来て目の色が目立たなくなる。これも入れ替わりを見破られない為の工夫だ。また、お山の上は寒かろうと、着物の下に何枚も綿の入った下着を着込んだせいでマナカの身体は倍に膨れ上がる。これでは行李を背負うクギモチが重たかろうと思うが、行李には酒や米といったマナカより余程量のあるものも混じっているので心配は要らないのだそうだ。


 着物をすっかり着込んでしまうと、母親は何処(いずこ)からか白粉と紅を持って来てマナカの顔に丁寧に化粧を施していった。白粉も紅も春祭りの時でさえ母親が使っているのを見た事が無かったので、何故このような物が家にあるのかマナカは不思議に思った。


 マナカの用意が整うと、マナカと両親の三人は火鉢の周りに座り込み、訪いをまんじりと待った。もう両親は何も言わなかった。勿論マナカも話すべきことは何もなかった。アキは変わらず奥の室にいるのか今日一日姿を見ていない。しかし、よく考えてみれば三年前も決して出て来てはいけないと固く約束させられて、家のムロに押し込められた事があった。常には絶対に貰えない甘い干菓子や栗の饅頭を与えられて、小さな火鉢の炎を頼りにアキと囁き交わしたり、くすくすと忍笑いを漏らして過ごした夜があった。今思えばあの日がこのお祭の夜だったのだろう。きっと、今頃アキはあのムロに一人で入っているのだ。


 しばらくその様にして過ごしていると、戸を三度叩く音が室内に響いた。父親がはっと顔を上げて「はい」と答えれば、「ヒシンサイの御使いである。マツリメの支度はいかに」との声が聞こえた。


 父親は一度だけ母とマナカをぐっと力の籠もった眼(まなこ)で見据えた。

「はい、ただいまお開けいたします」と戸口に向かって言ってから唐突にマナカの傍らにしゃがみ込み、マナカの顔を無理やり上げさせた。

 「目を見開いてじっとしておれ」

そう言ってから、何かの汁をマナカの目頭に垂らしてきた。驚いたマナカは「あっ」と声を上げて思わず目を瞑ったが、顎を父親に掴まれていたので、顔を晒すことは出来ない。父親は汁が確かにマナカの目に入った事を確認すると、すぐ戸口に向かい閂を外して戸外に立っていた男を招き入れた。

 男は頭にすっぽりと籠をかぶり、顔を隠していた。身体は防寒の為に膝丈まである蓑を着て手には松明を背には行李を背負っている。二、三歩土間に入ると父親に松明を渡してから、行李を降ろしてその蓋を開けた。


 「アキ、入りなさい」

 マナカは父親に「アキ」と呼ばれこっくりと頷く。慣れない着物に母親の手を借りて用意された踏み台に登れば、父親が両脇に手を差し入れて持ち上げ、行李の中に降ろしてくれた。その中は年齢にしては小柄なマナカが膝を抱えてしゃがみ込むには十分な大きさがあり、マナカはゆっくりとその場にしゃがんだ。

 行李の中にすっかり入ってしまうまで、目の前にあった父と母の顔を見れば、父は眉間に深く皺を寄せて、わななく唇を必死にひき結んでいた。母は目を真っ赤に充血させて口元を両手で覆い何事か繰り返し呟いていた。そこには娘を供犠にやらねばならない親たちの痛みに耐える姿があったが、これがクギモチに疑念を抱かせない為の演技でないと、信ずる事はもうマナカには出来なかった。

 



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