22曲
『もう着きますよ』
『あのさ』
後ろを振り返ると、薫は歩くのを止めて立ち止まっている。
『お前さ。一体何に首を突っ込んでるんだ?』
『え? どういうことですか?』
『見たままだよ。変なのが集まりすぎだろ』
『そんなこと言われても……勝手に巻き込まれているだけですし』
『俺から言わせたら同じだよ』
自分の意思で呼び寄せている訳じゃないんだから、咎めるような事を言われても困る。
できる事なら私だって身の危険を感じずに平穏に過ごして居たいだけなのに。
でも知ってしまったから。何も知らないふりをした所で、何かが解決する訳じゃないから仕方なく動いているだけなんだよ。
もやもやとした気持ちが波のように押し寄せてきたので、なんて言い返そうか考えていたのに。
『……一人で、無茶すんなよ』
予想だにしていなかった掛け声に、心を荒立てていた波がさざなみへと移り変わりっていく。
『気に掛けてくれるんですね』
『また一人、知っている奴が死んだら寝覚めが悪いからな』
『勝手に死ぬ事にしないでください』
『ばか? あの場に俺が居なかったらお前は確実にこの世にいないんだよ? 分かってる?』
態とらしく大きな溜め息を吐き出した後、睨めつけるように視線を投げよこしてきた。
『ぁ……はい。さっきは、どうもありがとうございました』
『なに不貞腐れてんだよ』
『いえ、そんなことは』
やっぱり性格悪いなぁ。やられっぱなしも癪なので一石投じてみる事にした。
『なんで、来てくれたんですか?』
『ぁぁ……。あの後すぐ、英一さんに急かされたから探しに来ただけだよ』
つまらない回答。でも顔を観察してみると、瞳が少しだけ見開かれて唇が小さく震えている。
まぁ、そういうことにしておこう。もう目の前は家だし。
朝に家を出てから大して時間が経っていないはずなのに、玄関の扉を見ると何年振りかに帰ってきたんじゃないかと思うほどの懐かしさと安堵感が押し寄せてきた。それほどまでに私の心は張り詰めていたって事かな。
家の中に入ると、玄関土間に置き忘れたままの私の上靴が見えた。洗うのはもちろん、持って行く事すら忘れ去ってしまった事に気がついた。
『それ、外に置いといたほうがいいな』
改めて注意を向けてみると、靴底から白くて細い根っ子の様なものが無数に這い出ており、くるぶし位の高さまで伸びていた。
私が取るよりも先に薫の手が伸びて、汚染された上履きを摘んで外に置いてくれた。
『ありがとうございます』
『いいよ別に』
『つか、マスクってある?』
『風邪引いた時とかに使う普通のしかないですけどいいですか?』
『全然構わないよ』
『手当てもするので上がってください』
『ここで十分だから。待ってるから持ってきてよ』
『そう言わずに』
『いいから』
『……そうですか』
薫を玄関に待たせたまま、使い捨てマスクと救急セットを取りに居間に向かった。
『お母さん!?』
居室に入って目に飛び込んできたのは、椅子から転げ落ちたのか、フローリングで横たわって苦しそうにしている母親の姿。背中を丸めて浅い呼吸を何度も繰り返しているけど、何があったの?
『どうしたの? お母さん! ねぇ、私の声聞こえてる?』
母親は目元に力を込める様に瞑り、小さな息遣いが聞こえる呼吸を短い間隔でしているだけ。
『どうした?』
『分からない。倒れてたの』
『息はしているか?』
『う、うん』
私の動揺も他所に、母親の左腕を掴んで脈を測り始めてくれた薫。
『問題はなさそうだな。寝室はどこだ?』
『居間を出て、廊下の突き当たり』
薫は母親をおぶって居間から出て行く。
咄嗟の出来事に瞬時に対応できるのってほんとに頼りになるけど、私にも今できることがあるはずだ。私が今するべきことは……救急車を呼ぶことしかない。
バッグから携帯を取り出して緊急連絡先に繋いだら、落ち着いた声音の男性が応答してくれた。
『事故ですか? 事件ですか?』
『事故です! 母親が倒れてて意識がなさそうなんです!』
『どこにお住まいですか?』
『住所は…………です』
『あなたのお名…』
突然、相手の呼び声が聞こえなくなり左手で持っていた携帯電話が消えてしまった。
隣には寝室から戻ってきた薫が私の携帯を握りしめて、不愉快そうな顔をしている。
『ちょっと! 何するの? 話している最中なんだよ!』
『何? それはこっちの台詞だよ。お前こそ何してんだよ』
『何って? 救急車の手配をしてただけじゃない。それの何が悪いっていうの』
『悪すぎだから。お前何考えてんだよ』
『何その言い方。親を思って救急車呼んだだけで、なんでそこまで言われなくちゃいけないの?』
『お前さ。ついさっきまで何を見てきたんだ?』
『何って。色々じゃない!』
突然癇癪を起こしてきた薫は露骨な舌打ちまでしてきた。
最低な性格に言動だなと思っていたら、視界が一瞬ぐらついて歪んで見えた。
一瞬の隙に頬をビンタされたのか、じんわりとした痛みが頬にあり、じりじりとした熱を帯びている。
『何すんの!? 痛いよ』
『落ち着けって。お前は今まで何を見て何を感じ取ってきたんだ?』
『分かんないよ! 全然分かんないものを沢山見てきたよ! それが何?』
『感情的になるなって。いいから落ち着けって』
『こんな状況でどう落ち着けって言うの? もう嫌だ。嫌嫌嫌いやいやいやいやいや』
手がまた近づいてきたので、反射的に身構えたけど頬を叩かれることはなかった。
伸びてきた両手は私の両肩を掴んで離さないようにしている。
真正面で向き合う形になっている私たち。
『痛いよ。離してよ』
『一度だけでいいから、黙って俺の話を聞け』
『こんな状況で聞けるわけないじゃん。怖いよ』
薫の腕を掴んで引き剥がした。その場から抜け出して、寝室に移動させられた母親の元に駆け付けるも、先ほどと変わらない容態の母親が脂汗を額から垂れ流している。
『もう少しで病院に行けるからね。あと少しの辛抱だよ』
濡らしてきたタオルで、母親の顔を拭いてあげた。
来訪者を告げる呼び鈴の音が聞こえてきたので、急ぎ足で玄関まで駆けつけてドアを開け放った。
白い医療用の作業服とガスマスクを身につけた男性達が担架を携えて立っていた。
『部屋の奥まで来てください』
『さっきの電話は間違いでした』
薫が後ろからやって来ては、私の声に被せるように大声で事実とは違うことを言い出した。
ほんとなんなのこの人? ありえなさすぎる。
『間違いじゃありません。奥の部屋にいます』
改めて言い直したら、救急隊員は担架を担いで奥の部屋へと急いで行く。
『後悔、すんなよ……』
ボソッと呟いた薫の表情を見ると、先程までの怒りは消えたのか苦渋に満ちていた。




